プロローグ:現実絶望、異世界も絶望
「はあ……」
都内、深夜1時。
漫画のように肩を落としてとぼとぼと歩いているしがないスーツ姿の男。
それが俺、高村優人。23歳で二流商社で営業として勤めて2年目のザ・サラリーマンだ。
「くそ……何で俺ばっかり…。」
うつむきながら独りごちる。
それはそうだろう。今日も今日とて1件も仕事が取れず、上司にこっぴどく叱られたのだ。
やれ給料泥棒だの、やれ出来損ないだの。胸糞悪い、あのかん高い声で1時間近く怒鳴られた。
それだけならまだいい。心を無にすればまだ我慢できる。
だが、毎月月末に訪れる営業全員の売上比較。あれはきつい。
何せ、全員の前でお前は最下位だ、だの売上金0だの言われた上で、全員の侮蔑の眼差しに
晒されるのだ。あんなもん、耐えられる奴がいたら見てみたい。
「2年間、2年間だぞ…? 毎日あんなの、心がもたねえよ…。」
とぼとぼ、ぶつぶつ。とぼとぼ、ぶつぶつ。
仕事もできない、友達だってろくろくいない。頭だって特別良くないし、顔だって凡百のそれ。
何か決まった趣味や特技もないし、突出した知識がある訳でもない。
そんな、凡人を…いや、凡人以下のサラリーマンが足取り重く、深夜にぶつぶつと独り言を呟きながら
歩く。我ながら何と怪しく情けない。負け犬そのもの。乾いた笑いしか出ない。
「ただいま…。」
当然、独り暮らしの1Kからは返事なんてない。言ってみただけだ。
築35年のアパート。ボロいし狭いが、俺にとっては唯一心が落ち着く小さな借城だ。
「…母さん、元気かな。」
小さい頃から俺はいわゆる非リアってやつで、リア充の連中をクソみたいな嫉妬混じりの
自分基準ってやつで見下してた。心の中だけでなく、声に出して。……家の中だけでだけど。
その度、母さんは「そんな事ばかり言っていたら、誰からも嫌われちゃうよ!」って
怒ってた。
あの時、俺はまだ子供だったから聞く耳なんて持たなかったけど、今は痛感する。
田舎だから俺は芽が出ないんだって、勝手に東京に出てきて。それでも親は黙って援助してくれて。
ようやく決まった会社でも、俺は非リアっぷりを自分の意志とは反して最大限に発揮して、
お客さんともうまくいかないし、1件も顧客を獲得できなかった月なんてザラだ。
それでも、プライドだけは高くて、俺のせいじゃない、俺を認めない社会の連中のセンスが
無いんだって自分に言い訳して。そのせいで同期からも距離を取られてバカにされて。
「…なんだ、俺。生きてる意味、あんのかな…?」
そんな事を自嘲気味に呟いてみても、「ああ、父さん母さんが悲しむかな」なんて自分に言い訳して
何とかして生きようとしている自分に泣きそうになる。
「……明日、会社辞めるって伝えよう…。」
(そうやってまた逃げるのか?)俺の中のもう一人の俺がそんな風に言った気がした。
そうだよ、逃げるんだ。…でもさ、俺がいる事で会社の皆に迷惑をかけてるんなら…さ。
いなくなった方がいいだろ?
……でも、母さん達に何て言おう…。……明日から、どうしよう…。
……今は、考えなくてもいいか…明日、言ってから考えよう…。
眠くなってきた頭でそんなクソみたいな事を考えながら、俺は襲ってくる睡魔に身を任せて
眠りについた。
その時だった。
ゴロゴロゴロ……
ピシャアアアアアアアアアアアア!!!!!!
脈絡もなく。本当に突然、俺の部屋の外、目の前でとんでもなく大きな音を立てて雷が落ちた。
部屋の中も昼間かと間違えるくらい、稲光に明るく照らされた。
普通だったら、危険を感じて避難するか布団を頭から被るか。とにかく、何かしら防衛の
手段を講じるだろう。
それなのに、不思議なくらい眠かった俺はまどろみながらただそれを見ていた。
(…ここで部屋に落ちたらあっさり死ねそうだなあ)なんて、頭の悪い事を考えながら。
「……おやすみ、母…さん…」
次の瞬間、本当に俺の部屋に雷が落ちるなんて考えもせずに、俺は再び眠りに落ちた─。
◇
???「──。──?」
???「……─。」
???「──!?─な!──だ!?」
???「……」
んん…?うるさいな…。誰だよ…。明日も早いんだから寝かせてくれよ…。
???「──ましょう。」
???「───だと!危険だったらどうする!?」
いや、ほんとちょっとうるさいな…。人の部屋で何騒いでんだよ…。
ん? ……ひとのへや?…俺の…部屋?
強烈な違和感と最悪な事実に気付いた瞬間、全身から脂汗が溢れ出た。
【何で、俺の部屋に知らない奴等がいるんだ?】
???「─ついて。──でしょう。」
???「しかし!───」
待て。ちょっと待ってくれ。マジか。この期に及んで強盗に襲われるのか俺は。
どこまでついてないんだ。ていうか、何人いるんだよ。こんな1Kの狭っ苦しい部屋に
複数人で強盗って、何考えてんだこいつら。どう見ても金目の物なんて無さそうだろ。
いやいや、そうじゃない。そうじゃなくないけどそうじゃないだろ。
まずは警察呼ばないと。いやでも、起きたら殺されるかもしれない。どうしようどうしよう。
と、とりあえずは携帯、携帯を取らないと。確か枕元に置いたはず…。
???「はぁ…。とりあえずは仕方ない。彼に起きてもらわないと話にもならんだろう。」
???「承知しました」
ちょ、待ってくれほんとに。ていうか、は? 起こす? なんで? 何のために?
こいつらの目的がさっぱりわからんが、とにかく起きて逃げないとやばいって事だけは分かる。
よし、一気に起き上がってその勢いで玄関までダッシュだ。俺なら出来る。出来るよな。
出来てくれよ頼む。こんな時くらい思うようにいってくれよ。助けてくれよ神様。
いくぞ、とにかくいくぞ。カウントダウンだ、それ1、2……
???「おい。」
あ、終わった。俺の人生終わった。
太く低い声で脅されるように声をかけられた瞬間、俺は自分の死を覚悟した。
なんて、出来るわけねえええ!!!
はぁはぁはぁ、どうしよう、マジどうしよう。寝たふり続ける?はぁはぁはぁ。
イケる。はぁはぁ。学校の休み時間でも寝たふりで3年間切り抜けた俺だ。はぁはぁ。
絶対イケる。はぁはぁはぁ。
何だよ、さっきからはぁはぁうるさいな。
俺の息だった。
も、もうダメだぁ…。おしまいだぁ…。
こんなに息荒く寝てる奴なんていねえよ。脂汗もすごいし。
もう誤魔化せない。生きてても意味ないけど死にたくもない。いや、こんな形で死にたくないんだ。
助けて、お願いだから、誰か、助けて。……母さん。
???「おい。何もせんから起きろ。既に目は覚めているだろう。」
低く冷たい声で、男がそう言った。
……何もしない?本当に?絶対嘘だ。そんな事言いながら起きたらサクッと殺すんだろ?
直後、男が底冷えする声で物騒な事を言った。
???「……起きなければ、命はないぞ。」
「はいごめんなさい起きました!おはようございます!助けてください見逃してください!!」
あ、やばい。条件反射で起きちまった…。
でも、仕方ないよな。あんなおっかない声で命はないとか言うんだもん。無理だって。
ていうか、さ。どこ?ここ。
確かに、さっきまで俺はあの寂しい1Kで寝てたよな。やっすいせんべい布団で
横になって、うとうとして、雷見て…。
なのに、今目の前に広がるこの光景は何だ?
石レンガっていうの?よく歴史ものの洋画とかで主人公が冤罪でぶち込まれる地下牢みたいな感じっていえばいいのか?床も壁も天井も、全部そんな意匠。だから何か体が痛いのか…。
そもそも部屋の中めっちゃ暗いし。周りにはロウソクがすげえ立ってるし、何だこれ。
黒魔術とか呪いとかってやつか?え、なに宗教?
そんな風にいきなりにあんまりな状況の中で必死に思考を巡らせていると、男が続けた。
???「おい、意識はハッキリしているか?我々の事が見えているか。」
「ひはぃっ!?え?いや、あの、え?あ、すみません!許して下さい!」
男が顔を近づけたのか、声がいきなり近くから聞こえた事に心底驚いた俺は、思わず
土下座しながら謝っていた。
……ていうか、だな。部屋の様子とか体が痛いとか、そんなものどうでもいい。
今、目の前にいるこの連中は一体なんなんだ?
黒いマント…いや、ローブってやつか?RPGゲームとかで見たことある。
そんな感じのを羽織った連中が2,3…4人。全員でかい。180cm以上はある。
フードを目深に被っているせいか、顔も見えない。
やっぱ黒魔術?え、俺、生贄ってやつにされるのか?てか携帯は?これ逃げられないよな。
あ、一番奥にいる杖ついた奴を人質にすれば…いや、無理だろ。その前に殺される。
色々な考えが緊張と恐怖と焦りとか色々な感情で熱くなった脳みその中をぐるぐる回ってまともな思考ができない。濃い目のつばが口の奥から湧き出て、脂汗が凄くて頭が痒い。
涙は出ないのに、目の奥が熱い。死ぬ前って、こんな感覚なのか?
???「ねえ、怖がってるよ。まずはちゃんと説明してあげようよ。」
変に客観的な事を考えていた時、でかすぎる4人組の後ろにいたから見えなかったのか、
もう1人小柄なローブ野郎が姿を現した。
4人ってだけでも絶望的だったのに、もう1人?勘弁してくれ……。
…ていうか、声高いな。……もしかして……女?
???「…俺は説明が苦手だ。レチア、頼む。」
レチア?「うん、分かった。」
レチア?と呼ばれたローブ女?は俺の前にしゃがむと、心配そうな声色で、俺を気遣うように
こう言った。
レチア?「ごめんね、怖かったでしょ。無理もないんだけど…。
1回落ち着く為に深呼吸しようか?ね?」
全然、余裕で怖かった。
怖かったけど、子供を優しく諭す母親みたいに言うもんだから、俺は気付いたらうなずいて、言われるまま深呼吸をしていた。
レチア?「うん、ありがとう!……あのね?今からびっくりする事言うけど、慌てないで。
ゆっくり自分の中で咀嚼して、ね?いいかな?」
「……は……はい…。」
正直、全然良くなかった。
ただでさえ、この唐突すぎる状況で頭は混乱しているし、他のローブ野郎達は
こっちを監視するように見てきているから怖いし。
その上、更にびっくりするような事を言うだって?…冗談じゃない。
けど、ここで拒否したり反抗したら、こいつらの機嫌を損ねてどんな目に遭うか分かったもんじゃない。
それに、少しでも話をさせて時間を作って、この状況の打開策を考えないと。…考え付くのか?
何より、このレチアって子は他の奴らよりも優しそうだし…。
レチア「ありがとう!君は素直な人なんだね。…って、あ。自己紹介しないとだね。」
レチアと呼ばれたローブ女は嬉しそうに、強盗のくせにお礼を言って被っていたフードを外した。
……て、は?え?
………金髪?え、なに、外人なの?
フードの下から出てきた顔は、何というか、まさにお姫様。
光を当てたら反射しそうなくらい綺麗で、腰まで届きそうな長いサラサラの金髪。
その金髪を首のあたりでまとめるレースの青いリボン。
リボンに合わせたかのような、どこまでも吸いこまれそうな深い蒼の瞳。雪のような白い肌。はにかんだ笑顔。
おおよそ、強盗とは全く結びつかないその外見。
真夜中に強盗に襲われている己の状況を忘れて、俺は呆けた頭と表情で彼女の顔に見とれていた。
けれど、次に彼女が言ったセリフはそんな呆けた頭を吹き飛ばす程のインパクトがあったんだ。
レチア「初めまして、異世界の人!私の名前は、レチア=クレストル!あなたの、お名前は?」
………………………は?