男の名前は何?
さすがに、いの一番で手を出されるような事はなかった。
男とわたしは、わたしのアパートの近くのスーパーで買物をし、部屋の中へと歩いていった。
お金の心配は無かった。男が全部出してくれたのだ。わたしは安心し、そして実をいうと、すべての悩みの元はお金だったことを彼に告げた。
「お金が無いの?」
「あるけど、貯金してるんだ」
「何の為に?」
「何って将来の為だよ」
彼が笑った。彼は笑ってくれたのだ。
アパートへと辿り着き、わたしたちは階段を登っていた。荷物は彼が全部持ってくれた。ビニール袋を持つ腕に筋肉の筋が見えた。とはいえ、彼はそれほど筋骨隆々という訳ではなかった。だが、痴漢や暴漢に対して、一発見舞うだけの何かを持っているような気がした。
部屋の前に付いて、わたしはバッグから鍵を取り出した。
これだけは自信のあることだった。
「全然散らかっていないから」
彼が部屋の中へと入り込んできた。
わたしはディズニーのキャラクターが好きだったので、そのグッズを幾つか集めていた。大きなぬいぐるみが一つあり、その他は小物類だった。それ専用の棚があり、綺麗に並べられてあった。
部屋へ入り込んだ彼が冷蔵庫に買った品物を詰め込み始めた。缶チューハイとビールを手にして、戻ってくる。
「まずは乾杯しよう」と彼がいった。
わたしは缶チューハイを手にして、彼とそれを合わせた。
やるのは初めてだった。酔っ払ってくると、彼がわたしの横に来たがり、わたしは片手でそれを制していた。怖いという思いは抱いていなかったが、なんだか関係が崩れるような気がしていた。彼はわたしから見れば少し幼かったが、魅力が無いわけではなかった。特に直して欲しかったのは、時として嬌声を上げる事だった。そんなのは男らしくなかったし、馬鹿っぽく見えるからやめて欲しかった。
「いつもこんな風に男を部屋の中に入れているの?」と彼がいった。
わたしはどう言えばいいのか分からなかった。本当の事を言っても嘘に聞こえるに違いないし、それに言い訳がましい事を言いたくなかった。
「そうだよ」とわたしは答えた。「これまでにも何人かこの部屋に来たんだ。大学の先輩の時もあるし、その友達という事もあったよ。いっぺんに二人はまだ相手したこと無いけど」とわたしは言った。
それから、これをいうのは気が咎めたが、気分が高揚して、とうとう言ってしまった。
「あたしは口でするのがうまいってよく褒められるんだ」
男の顔つきが変わった。なんだかとても悲しそうな顔をしたのだ。
そういえば、とわたしは思った。彼の名前をまだ聞いていなかった。
だが、ここへ来てそれを尋ねると、わたしが彼の事をもっとよく知ろうとしているみたいではないか。
「口でやったりするの?」と彼がいった。
「あたしは嫌いだけど、男の人が好きみたい。出来れば満足して欲しいわ。それがおもてなしだって思っているの」
「お金をもらったりもするの?」
わたしは少し考えた。そこでちょっと意地悪をしてみたくなったのだ。
「もらうよ。たまにだけど……」
「いくらぐらい?」
「四千円とか。だけどお金を置いていく人たちはそういうつもりじゃないの。ただ、次も来やすくなるでしょう? そういう事をすると」
「可奈子ちゃん……」と彼がいった。
神妙な顔を崩さなかった。彼は真剣にわたしを見つめていた。
それから言った。
「可奈子ちゃん、おれは君の事が好きになったんだ。これからはそういうことはやめて欲しい」
「やめるわ」とわたしは言った。
わたしとしては簡単な事だった。そういった事はこれまでに一度としてやっていないのだ。
「横に座ってもいいかい?」と彼がいった。
「いらっしゃい」とわたし。
彼が立ち上がり、わたしのすぐ横に腰を下ろした。彼の息遣いが聞こえた。わたしは電気を消すために立ち上がった。彼はそれを押しとどめなかった。わたしは立ち上がり、電気を消した。そして、部屋の隅に置いてあったディズニー関連の小さな電気スタンドのスイッチを入れた。
それからわたしは彼とは反対の側に腰を下ろした。
彼が立ち上がって、わたしのすぐ隣にまた腰を下ろした。
わたしはその彼の頭を撫でてやった。