可奈子、万事極まった
男とは近くにあった喫茶店に入っていった。
入り口の自動扉をくぐり抜け、男が女性店員にこういった。
「喫煙、二人」
なんて、礼儀をわきまえない男なんだろう。よっぽどわたしは帰ろうと思った。遠藤くんがこのような態度を店員たいして見せるだろうか。いいえ、遠藤くんは寡黙だから指でそれを表現するに違いない。それか、彼の代わりにわたしが店員と話をするのだ。
席につくやいなや、男がわたしを見ていった。
「おれのこと見ていただろう」
とっさにわたしはこう答えた。
「見ていません」
男がほくそ笑み、椅子にふんぞり返った。来ていたシャツの胸ポケットから煙草を取り出し、それに火を付けた。なんだか、鼻の奥をむずむずとさせる匂いが漂ってきた。
ものすごい、ガキ。わたしは彼にそのような印象を持った。というのは、グラウンドに立って宇宙と交信したり、見えないものとの会話を試みる遠藤くんの事を知っていたから、わたしは目の前にいる男がとんでもないガキに思えたのだ。
「何か食う?」と彼がいった。
わたしは机に置かれたメニューを捲った。入った喫茶店は軽食のようなものを置いていたから、わたしは旬の具材が使われた魚介スープを注文する事にした。
「ばばあかよ」と男が笑った。
「おいしそうだよ」
「誰にでもこうやってついてくるの?」
誘ったのは、そっちではないか、とわたしは思った。普段、わたしは誰にでも付いていくような女ではなかった。ただ、何かおかしかった。わたしは彼に期待していた。黙っていれば誰もいないアパートへと辿り着くだけだったわたしの一日に、そうやって彼が踏み込んできたのだ。
「お酒は飲めるの?」と彼。
「たまにだけど」とわたしは言った。「缶チューハイぐらいは飲めるよ」
「居酒屋に行こうか。お腹空いているの?」
「誘っているの?」とわたしはいった。
これはわたしの作戦だったが、彼にはいともやすやすと見破られた。
彼が笑い、吸っていた煙草を灰皿でもみ消した。
「名前は何というの?」
「可奈子」
「可奈子ちゃん、どうするの? 行くの?」
こんな事は口にしたくなかったが、わたしはお金が無かった。バッグの中に入っている財布には四千円が入っている。だが、それは向う一週間分の生活費だった。貯金は少しならあったが、自分に決めた制約だったので、使いたくなかった。
焦ってきてしまう。わたしはロマンスを求めていたが、お金が無かった。お金が無いという事で、彼をうんざりさせたくはなかった。だが、お金が無いのは事実ではないか。
そしてわたしはこう言っていた。
「アパートがあるよ。一人暮らしなんだ」