第39話 デブリーフィング1
ハーリング大統領は、窓ガラスを割れんばかりに殴りつけた。
「どういうことだ! 説明しろ!」
助手席に座る男が、額から流れる冷や汗を拭うことも忘れ、必死にその言葉に応えようとする。
「しょ、詳細は不明ですが、ポイントデルタ……リグア商工会議ビルより、未確認の魔力子使用反応を探知したと、特異研から連絡が……」
「それはさっき聞いた! なぜ、そんなことが起きたのかを説明しろと言っているんだ!」
大統領に怒鳴られた男は委縮し、顔を強張らせる。彼には、それに答えることが出来る知識も、胆力も無かった。
「推測ですが――」
口を開いたのは、大統領の左隣りに座る、オールバックの男だった。
「未確認、即ち親衛隊でもアイガでもない勢力が、自力で魔法を行使できる機構を開発した、ということかもしれません」
「馬鹿な」
オールバックの言葉に、首を振るハーリング。
「システムの制御無しに魔法を使うだと? そんなのまるで、悪魔――」
神話に出てくる存在を思いだしたハーリングは、ハッと思い当る。
「――まさか、あの人形か」
だがオールバックは、即座に大統領の発言に疑問を呈した。
「その可能性は低いかと思われます。機械人形の類が、自己を確立出来るほど知能を成熟出来るとは思えません。もしあり得るとすれば……ポイントデルタには、優者が居ましたよね」
オールバックが提示した可能性に、助手席の男は即座に反応する。
「し、しかし大杖のコアは製造段階で排除してあります! 特異研もそれは確認済みです!」
助手席の男は必死な声でそう主張する。だがオールバックの発した言葉に顔を青くする。
「……コアを、独自の経路で手に入れたとしたら?」
「独自……まさか」
ハーリングは目を見開く。
「マクセンか……ッ!」
「杖を造ることが出来る存在など、特異研を除けば……ヴェイル・マクセンの他に居ませんでしょう。そして彼は機械人形の修復を通じ、既に優者と接触している。アイガによる盗聴に対するジャミングも、彼ならきっと可能だ」
その言葉を聞き終えると同時に、ハーリングは助手席の男に向かい、大声で命じた。
「公安を動かせ! 今すぐ、マクセンを拘束しろ!」
助手席の男はすぐさま携帯を取り出し、首都へと連絡を入れる。
その様子を見ても、未だハーリングの怒りと焦りは収まらない。
「どうする、フリードマン長官。優者は魔法を使えない、それがこの計画の基本前提だったのだぞ」
オールバックの男、フリードマン長官は表情を変えずに返答する。
「今すぐ計画を中断せざるを得ないでしょう。アイガは即時撤退、正体が割れた者は、切り捨てます」
「そんなことは当然だ」
大統領のその言葉に、フリードマンは内心舌打ちする。
(工作員を育成するのに、どれ程の労力と期間が掛かると思っている……軽々しく言ってくれる)
しかしそれをおくびにも出さずにフリードマンは話題を続ける。
「問題となるのは事態の後処理ですが……」
「原因は帝国の暴走とするという基本方針は変えるつもりはない。だが、大使の拘束が尾を引く可能性があるな……」
「リグア現地の親衛隊を派遣して、彼らの身柄を確保させましょう。拘束もまた帝国の独断行動だとすれば、我々に不信の目が向くことは無い。少なくとも国内世論はそれで納得するでしょう」
フリードマンの提案に、大統領はようやく鷹揚に頷いた。彼らを乗せた車は、一路空港へと向かう。
――――
レイミールは、地平線の向こうへと撤退していく帝国陸軍を見やる。戦車や車両が巻き上げた砂は、もうもうと上空に大漁に立ち込め、まるで積乱雲のようになっていた。
リグアでやってみせたのと同じように戦闘機を無力化し、そして戦車数十台の砲身をストローのように曲げ、まだやるかと叫んだ丁度そのとき、帝国軍は撤退していった。
和平協定と式典にかこつけた強襲、その非道な行いから相手は捨て身覚悟だろうと身構えていたレイミールは、その光景に拍子抜けした。彼らの行動がリグアから自らの身を引きはがすための囮であったのは自明であるとはいえ、しかしそのあっさり具合には疑問が残る。
だが、無益な争いをせずに済むのならばそれに越したことは無い。彼女は決して戦闘狂などではないのだ。
レイミールは、背後にある自らの「故郷」を見やった。リグアに戻る前に、まだ彼女には確かめねばならないことがある。「帰省する」と言って休暇を取った、ある男に対して。
それは廃村にしか見えない。おおよそ生命の気配は無く、草も木も生えていない。水の一滴も見当たらないそこは、かつてのオアシスが砂漠に飲み込まれてしまったかのようだ。そこに朽ち果ててしまったような生活感の欠片もない古びた家屋が並んでいるだけのそれは、村を形だけ真似た展示品のようでもあった。
しかし、この場所は昔から、レイミールの生まれる前からずっと姿を変えていない。
村に脚を踏み入れたレイミールは、叫んだ。
「――居るんでしょ、出てきなさい!」
名前も添えていないその叫びに、短い髪の毛を掻きながら、廃屋にしか見えない建物の中から男が出てきた。
「……おや、お前まで帰省してるのか」
ターベンのくだらない惚けを無視して、レイミールは言葉をぶつける。
「もっと早く気付くべきだった……、いや本当はなんとなくおかしいって思ってた。今は彼らは休止期間、ここに来る理由なんてないはずだもの」
「じゃあ、なんでここに来たんだと思う?」
決して軽い調子を崩さないまま、しかし目だけは鋭い。そんなターベンをレイミールは睨んだ。
「帝国に、内通するためでしょう」
フッと、ターベンは笑った。
「流石に分かるよな……そうだ、俺がリークした。ユニタリが憎かったからな」
手を広げ、村を示すターベン。
「俺たちの故郷、この村がこんな状態になっているのは、奴らが兄妹たちを迫害し続けるからだ。もう一度言う、俺はユニタリが憎かった。だから俺は帝国の申し出に応え、この場所のことを敢えて帝国にリークした。お前と優者を引きはがすためにな。最も……」
ターベンは地平線の向こうに上がり続ける砂埃を眺め、目を細めた。
「奴ら、失敗したらしいがな」
暫く、静寂が流れる。ターベンは未だ飄々とした態度を崩さない。
荒廃した村落の中、既に名前も忘れ去られたこの地で、二人の男女が相対する。
やがて、意を決したようにレイミールが口を開いた。
「……そんな見え透いた嘘、どうして吐くの?」
レイミールは、一気呵成に言葉を吐く。
「本気でユニタリを憎んでいるんだったら、帝国になんて手を貸すはずが無い。だって帝国がユニタリを打ち負かす可能性なんて、万に一つも無いんだから。私に土下座して『力を貸してくれ』とでも願った方がよっぽど可能性が高い。アンタがそんなことも分からない人間じゃないってことくらい、私は知ってる」
レイミールは、ターベンの一言一句が全て嘘であると確信していた。大体、この地に住まう民を迫害しているのはユニタリだけでは無い、帝国も同じように長らく「兄弟たち」を迫害してきた。もし民族的な恨みが理由なのだとしたら、帝国にだってその怒りの矛先は向く。
「……どうして、こんなことを?」
その問いに対して、ターベンは。
「俺の、いや俺たちの失敗だな、これは。確かに俺はユニタリの勢力を見誤った。けれど――」
やはり、誤魔化すように言葉を並べた。
(……やっぱり、自分からは言ってくれないのね)
レイミールは覚悟を決め、思い当っていた可能性を口にした。
「……アンタが、アイガだから?」
瞬間、ターベンの表情から色が消えた。それまでの貼り付いたような笑みは拭い取られ、目は人を切り裂くような鋭さを帯びる。
やがて出てきた声は、底冷えするように冷たかった。
「……あいつら、そこまでしくじったのか」