第38話 リグアのいちばん長い日10
「次に下手な真似をすれば、今度は耳を削ぐぞ」
フルフェイスの言葉と共に、両脇に控えた工作員たちは銃を俺に向ける。
「……そんなもの!」
「銃弾が通らないことくらい知っている。レイミール・ヴィリアの結界のこともな」
冷酷に伝える声に、魔法を放とうとした俺の腕は固まる。
「だが、これは銃じゃない、杖だ。意味が分かるな?」
「……クソッ」
小さく呟いた。そんな予感はしていたが、悪い予感ばかり的中しやがる。どうすればこの状況は好転する?
俺は横たわったまま、状況を確認する。フルフェイスは、エルレシアの首にナイフを当て続けている。その隣には椅子に座るマイカ。両脇に控え、俺に杖を向ける男二人。
マクセンの言葉が過る。「お前を殺して、都合の良い替え玉を用意するくらいのことは平気でやってくるだろうな」。
――殺されるかもしれない。それまでの「帝国にしろユニタリにしろ、優者である俺に危害を加える訳がない」という前提は、特殊部隊アイガの出現、そして俺の短気によって崩れ去ってしまった。
目の前でこちらに脅迫してくる彼らは、あくまで帝国工作員としてのスタンスを貫き続けるらしい。だが魔法を使いこなしている時点で、帝国の人間である可能性はほぼ皆無だ。一体目的はなんだ? 大統領は、何を考えて俺をこんな目に……?
その時、エルレシアの首に、音も無くナイフが食いこむ。
「お、お前ッ!」
それは僅かではあったが、確かに彼女の首元に銀色の刃が入り込んだ。
「我々は本気だ」
一瞬、本当にこいつらがユニタリの人間であるのか疑ってしまう。そんな簡単に、自国民の民間人に対し、危害を加えることが出来るだろうか。だからこそ俺は、相手がユニタリの人間だったとしたら何の意味も無い言葉を思わず放ってしまう。
「そいつは、ユニタリ政府高官の娘だぞ! 手を出したらどうなるか分かってるのか!」
咄嗟に思いだした情報を口に出す。メルドーは確かそう言っていたはずだ。もしそんな重要人物の娘を殺めるなどということになれば、ユニタリの怒りは大きなものになるに違いない。
だが、それに対するフルフェイスの反応は。
「……こいつに、そのような価値は無い」
意味のよく分からない言葉。だが、何か思わせぶりな発言だった。
「価値が無いとか、そんなのお前が決めることじゃないだろ……!」
「黙れ」
驚いた。そこに籠っていたのは、なぜか怒りの感情だった。ボイスチェンジャーで不気味に歪められた声なのに、確かな怒りがそこから伝わってきた。
「それ以上関わりの無いことを口にするな。帝国に付くと、それだけを言えば良い」
それきり黙るフルフェイス。一体何が奴の琴線に触れたというのか。
――いずれにせよ、エルレシアの安全を確保することが最優先事項だ。マクセンはともすれば彼女を見捨てて逃げろなどというかもしれないが、そんなこと出来るはずが無い。俺がこうして大杖を握っているのは、彼女のおかげなのだから。
先ほどフルフェイスが言っていた言葉を思い出す。「カウンター」。そんなものがあるなんて誰からも聞いていなかったが、語感からしてこちらの魔法を防ぐか反射するかをしてくるのだろう。
何故教えてくれなかったのか、とマクセンを詰りたくなるが、そもそも彼の発案では杖を持った人間同士の戦闘は想定の範囲外だったということなのかもしれない。だとすれば立場が弱いのは俺の方だ。改めて自分の短気に嫌気が差した。
しかし、そのようなものがあるとなると、大杖を連中に向けたところでなんの効果も無いと言うことになる。それは、俺の切り札が丸っきり無意味になったということである。
……だが。それでもまだ、相手の鼻を明かすチャンスはある。ここが一番上のフロアであると聞かされたときから思いついていた、荒唐無稽なアイデア。それを実行するしかない。
マイカの目を見る。彼女は、力強く頷いてくれた。
(……頼むから、上手く行け)
祈りを込めて、天井に向かって、叫んだ。
「爆ぜろ!!」
――――
大きな物音が、遠く離れた部屋から聞こえてくる。同時に天井のスピーカーから、きぃぃぃぃんという音が流れてきた。
「なんだ……?」
思わずざわつく大使団一同。監視をしていた公安員たちは「おい、騒ぐんじゃない」と怒鳴っているが、しかし彼らもまた動揺の色を隠しきれていなかった。
「……おい」
公安員同士が何やらひそひそと話し合う。どうやら外から入った通信の内容を確認しているようだ。
と。
ドゴン!
突然建物が大きく揺れた。同時に凄まじい爆発音。一瞬耳が遠くなる。
「――――」
皆何やらを口に出し叫ぶが、誰の耳にも届かない。やがて聴覚が戻ってきても、凄まじい衝撃が体内と脳裏に残響を残す。ぱらぱらと天井の隙間から砂埃が落ちてくる。
「い、一体……」
ミケイラがそう呟くのと同時に、部屋に居た公安員は慌てた足取りで部屋を出ていく。残された公安員は一人だけとなった。
(……これは)
恐らく建物の中で起きたであろう爆発。その衝撃に未だ心を揺さぶられながらも、ミケイラは努めて冷静に状況を分析する。
先ほどの板挟みになりかねない廊下とは違い、ここの入り口は一つ。それに何かの緊急事態が起きている可能性がある。それに乗じれば、或いは……。
ミケイラは周囲を見渡す。皆一様に不安そうな顔を浮かべている。ユニタリが大使団にぬれぎぬを着せようとしてる、とまで考えてはいなくとも、少なくとも自分たちに対しなにか不利に働くような出来事が起きていることを認識しているのは同じだった。
動かなくては、状況は解決しない。
ミケイラはフゥと息を吐き、そして。
「――ハッ!」
バネのように立ち上がると、一瞬で公安員との距離を詰める。驚愕に顔を歪める公安員の頬を、思いっきり裏拳で殴り倒す。ぐぇ、という声にもならぬ音を漏らし、公安員の男の身体は乱暴に跳ね飛ばされ、会議室のテーブルにぐしゃりとぶつかった。
「ミッ、ミケイラさん!?」
周りの大使団員は驚いている、だがミケイラの言葉で冷静に戻る。
「ここに居ては我々はただ不当に拘束されるのみ! 急いで本国へ戻らなければ、身を守ることは叶いません! 脱出しましょう!」
和平派、穏健派の人間はそうしてようやく思いだす。このミケイラという人間が、バリバリの右翼であるということを。そしてその身体には、戦闘民族の血が流れているということを。
「今、外では混乱が起きているようです、これに乗じて急いでこの建物を脱出しましょう」
倒れた公安員の懐を漁り、携帯電話などを回収しながら話すミケイラ。周囲の対しはおろおろと尋ねる。
「しかしミケイラ殿、その後はどうやって……」
「車のカギが有りました」
そう言って公安員のポケットから銀色のカギを取り出したミケイラ。
「車に乗って国境を越えましょう。ユニタリと帝国の国境は容易に越えられますから」
「しかし、そんなことをしては彼らからの追求が厳しく!」
「ここに居ても、同じでしょう! 相手は今次のテロと全くの無縁の我らを、こうして軟禁しているんですよ!? 平和条約がない、国交も無い、ここは敵国なんです! 今すぐ逃げねば、何をされるか分かりません!」
ユニタリが、自らが喧伝しているような清廉潔白で温和な国だったらここでじっとしていれば良かっただろう。だが実際は恐らくそうではない。この数週の滞在で身をもって知った、どこか薄暗い暗部のようなものがミケイラの恐怖を煽っていた。それは他の大使も同じだったようで、ミケイラの言葉に頷いたり、ハッとした顔を浮かべている。
「でも、どうやって建物から……」
「――あっ」
ミケイラは公安員の背広の内側から、何かを取り出した。金属のように冷たいそれは、細く、銀色に光っている。
ユニタリの魔法の力を欲していたミケイラには、それが何なのか直ぐに分かった。
「……杖だ」
その時、ガチャリとドアが開く。入ってきたのは公安員の一人。
「おいF58N、大丈――」
部屋の中で倒れている男を見て、固まる公安員。ミケイラは咄嗟に杖を持ち、入ってきた公安員に向けた。
「静かにして、手を上げて中に入って」
公安員は言われるがまま室内に入ってくる。だがその表情は、不敵な笑みで彩られていた。
「……は、どう奪ったかは知らないが、お前にそれは使え――」
瞬間、男は吹き飛ばされ、壁にビタンと大の字で張り付く。そのままずるずると床に倒れ込む。
「――ぐっ!? なっ、何故……?」
せき込みながらそう問うた男は、それきり意識を失う。だが、驚いているのは男だけじゃなかった。
「……使えた」
男の言う通り、ミケイラもまた無我夢中で杖を振るっただけだった。使い方など全く知らないし、何をどうすればいいのかも分からなかった。だが、使えた。ミケイラの「吹っ飛べ」、という子供じみた願いを叶えるように、男は吹き飛ばされた。
「これがあれば楽に脱出……」
言い掛けて、大使団の面々を振り返る。彼らは先ほどとは一転し、狼狽した顔となっていた。その視線は侵入して来た男では無く、ミケイラに向けられている。
大使団の一人が、小さな、震える声でぼそりと言った。
「あ、悪魔の力……!」
――――
ミケイラは、安全を確保すると言い残して一人で部屋を出た。誰もミケイラを止めようとはしなかった。そして誰も着いてこようとはしなかった。廊下には、人の気配は無い。
愚かだとは思わなかった。それを言えばミケイラが公安員に手を出したのも短絡的だったかもしれないし、確認も取らない勝手な行動だった。
だが――この期に及んでかび臭い神話に囚われて価値判断をするのは、どうなのだろうか。
ミケイラが向かったのは連絡室と記された部屋。先ほど爆発が起こる前、スピーカーから不審な音が鳴ったのをミケイラは覚えていた。
ここで何かが起きている。なぜか誰も居ない廊下にて、ミケイラは唾をごくりと飲み込んだ。
ドアノブを掴み、回す。その向こうには。
「……え?」
空が広がっていた。呆然とするミケイラ。だがそれと同時に、彼女の鼻孔を甘い香りがくすぐった。
「これは――」
――――
予想は当たった。カウンターとやらは自分の身を守るためのもので、俺の放つ魔法そのものを無効化するものでは無かったらしい。その結果、天井は俺が思い描いた通りに消し飛んだ。
砂埃が怒涛のように落ち、フロアが揺れる。前が見えない。そんな中で無理やり立ち上がった俺は、取りあえず近くに来ていた工作員の一人を思いっきり魔法で吹っ飛ばす。
「オラッ!」
およそ魔法には似つかわしくない暴力的な声で杖を振るうと、それに従い男は横に吹っ飛ぶ。
「ぐっ!?」
同時に、そんな声と共にからんからんと音を立てて足元にナイフが転がってくる。フルフェイスが持っていたものに違いなかった。
(マイカ、ナイス!)
この視界の中、それもあんなヘルメットを被っていたフルフェイスはきっと何も見えていないに違いない。だがマイカは違う。サーモグラフィー機能を搭載したそのカメラは、温度のみで相手の位置を把握できる。その差を生かすため、煙幕代わりに天井を爆破して視界を奪う、それがこの乱暴な作戦の全てだった。
だが、まだ終わっていない。俺は前方へとダッシュ、マイカとエルレシアの元へ急ぐ。
「させるか!」
もう一人の工作員が、すかさず横から飛び出してくる。銃の形をした杖をこちらに向けてくるが。
「邪魔だ、よおっ!」
今度は思いっきり大杖をフルスイング、相手の横っ腹にめり込ませる。カエルを潰した時のような音がして、もう一人の工作員も倒れた。物理攻撃にはさしものカウンターとやらは通用しなかったようだ。
そのとき、室内に風が吹き荒れる。同時にがしゃんと、機械が倒れたような音がした。
「マイカ!」
砂埃が風に乗り、天井に空いた穴から外へ流れ出ていく。そうしてあっという間に視界の覆いは消し飛んでしまった。
そして俺は、眼前に広がっている光景に絶句した。
杖を握り、ぜえぜえと息切れしながら立つフルフェイス。倒れ伏すマイカ、そしてエルレシア。
「マイカ! エルレシ――」
叫ぶ声が、途中で止まる。
エルレシアの頭が、胴体から切り離されていた。
一瞬、吐き気がするほど気が動転しそうになる、だがそれはとても浅い所で止まった。なぜなら、その断面から除くのは、血や肉では無く。
「……つ、ち?」
そう漏らすと同時に、断面から崩れていくエルレシアの身体と胴体。それはどんどんと茶色い土に変わって行く。
倒れていたのは、エルレシアの土人形だった。
「じゃ、じゃあ本物のエルレシアは――」
そのとき、顔に当たるようにふわりと風が吹いた。それは魔法じゃなくて、天井から入って来たそよ風に違いなかった。それが運んできたのは、さわやかで甘酸っぱい、柑橘のような香り。
「これは――モルポウ?」
背中から聞こえてくる声。驚いて振り向くと、そこには空港で会ったミケイラという女性が立っていた。
なぜアンタがここに、そう言いたくなった。だが今はそれよりも、脳裏を高速で過る記憶の方が大事だった。
この香りを俺は知っている。どこかで嗅いだことがあった。空港でミケイラから貰ったモルポウのジュースを飲んでいたときにも感づいていたことだ。俺はどこで――。
『もう、だから敬語もいらないし、エルレシアって呼んでよ』
ハッとした。
そうか、なぜさっき椅子に縛られたエルレシアに縋りついたとき、違和感を覚えたのか、今なら分かる。体温がない、心臓が動いていない、生気がない、そんなことよりも先に気付いた、もっと直感的なこと。
匂いが、なかったからだ。
俺は、風上の方に立つ唯一の人間に向かって問うた。
「……エルレシア?」
フルフェイスのヘルメットを被った人間は、何も言わず。
「――」
ジャンプの勢いのままふわりと浮き上がると、天井の穴から弾丸のように飛び出していった。
ようやく長い一日が終わります。感想ご指摘お願いします。