第3話 首都レイジン
「――すげえ」
飛行機の窓から、見下ろすようにして一望するその光景に、俺は声を漏らした。
ジョードロッピング、まさに顎が落ちてしまいそうなほどに口があんぐりと開いてしまう。それほどまでに、レイジンの街並みは凄まじかった。横目に見えるメルドーの満足そうな表情よ。
それは摩天楼だった。
単なる摩天楼なら東京で見慣れてはいる。だが日中は薄汚い灰色でまみれている東京と目の前の光景は全く違った。
煉瓦の赤、漆喰の白、石の青。彩り豊かな高層建築物は、一個一個が凝った外観をしており、個性に溢れている。それはまるでヨーロッパの城が、森のようになって所狭しと並んでいるかのようであった。その間を縫うように太い道路が幾つも走り、自動車たちが所狭しと蠢いている。ちょうど異世界ファンタジー文明が、地球でいうところの現代を迎えたらこうなるだろう。
「いかがでしょう、レイジンの街並みは」
メルドーのドヤ顔は、この冷静そうな人にも心があることを思い知らせてくれた。ここは素直に感嘆しておくことにしよう。
「正直、圧倒されてます。単純に規模だけなら、僕の国のものも負けていませんが……これは、美しい」
「最も光栄なお言葉です。我々も、美しさというものを非常に大切にしていますから」
そのままレイジンを一周グルリとしてから空港へのアプローチが始まった。あからさまにこの街を見せつけてきてくれたようなので、ありがたく目を皿にして眺めまくる。伝統的なヨーロッパの町並みがそのまま高層化し、一つ一つが天空に浮かぶ城のようになっているその光景は、下手なファンタジーよりもよっぽどファンタジックだった。
――――
レイジンの街の中でも特段静かなエリア、すなわち官庁街の中心に、この国の大統領府、統合政庁はあった。その建物もまた荘厳で、ノートルダム大聖堂を東京都庁ほどの大きさにした、と言えばいいだろうか。この国の国力と文化を象徴しているのだろうと、その威風堂々さから容易に伺い知れる。
エレベーターに乗り28階に向かう。そこでユニタリ大統領と謁見を行うことになっていた。ちなみに破損しているマイカは車内に置いて来た。
「ちなみに、何か特殊なマナー……異世界人が気にしなければならないようなことは、ありますか?」
エレベーターの中でメルドーに尋ねる。いくら歓迎ムードとはいえ、国のトップに対し粗相を働けば結果は目に見えている。
「現状の私に対する態度で問題ありません。とても丁寧な応対ですね、むしろ私にはもっとフランクに接していただいてもよろしいのですよ?」
申し訳ないが遠慮させてもらおう。初対面から半月は経たない限りはどんなに親しくなっても敬語を貫くというのが俺の信条なのだ。それに丁寧なのではなく、単にこの世界の全てにビビっているだけだ。
一際年季の入ったドアの前に立つ。「大統領執務室」と書かれたプレートが眩しい。
「閣下、当代の優者候補をお連れいたしました」
「どうぞ、お通ししなさい」
ドアの向こうからの言葉に頷くと、メルドーはドアを開いてからこちらを向き、「では、お入りください」と促した。
指示されるがままにおずおずと中に足を踏み入れる。中はいくつかの調度品や、どこに繋がっているのか分からない石造りの立派な暖炉を除けば、概ねテレビで見たホワイトハウスの執務室に似ていた。そして真ん中の席に立つ男性こそ、大統領その人に違いない。
男は立ち上がると、こちらに向かって歩み寄ってくる。目の前に立つとこの人も見上げるように大きい、いや、俺が平均的な日本人ってだけなのか。白い肌に鷲鼻、スーツを決め込んだ様子は、アメリカの政治家だと言われても信じてしまうだろう。彼は二カッと笑い、話しかけてきた。
「初めまして、ヤナイケイジ様。私が連邦共同体大統領、マイウェル・ハーリングです。この度は突然の転移、そして襲撃と大事が続き、さぞご不安をお抱えでしょう。しかしここはもう安全です。我々がユニタリの名と名誉に懸け、今後のこの地におけるあなたの生活の安全と安定を保証することをここにお約束しましょう」
それはメルドーの言うとおり、優者就任の可否に関わらずこの身の安全を保障してくれるという申し出だった。それはありがたいに越したことは無いが。
「初めまして、柳井慶治です。この度は歓迎頂きありがとうございます」
「そんなに緊張なさらないでください。我々は不随意とはいえ、言ってしまえばあなたに迷惑をお掛けした上にお願いをする立場にあります。どうぞご遠慮なさらず」
「……では、率直に質問をさせていただいても?」
「ええ、どうぞ」
柔和な笑みを浮かべてくれるマイウェル大統領だが、今の俺の情報量から判断しようとすれば、その笑みはただひたすらに怪しい。俺はままよと疑問をぶつける。
「――なぜあなた方は、ここまで僕を丁重に扱ってくださるのですか? 先ほど、伝統と歴史を根拠として教わりましたが、どうにもこの文明社会には似つかわしくない決断のように思えるのですが……」
その言葉にも、大統領は笑みを崩さない。どうやら想定済みだったようだ。
「鋭いご指摘です。確かに、何も我々はそういった非合理的な要因のみによって判断を下したわけではありません」
大統領の言葉に頷く。それ以外の理由。それを明かしてくれるならば、ようやく俺もこの疑心暗鬼の殻を一つはがせることになる。
「無論優者に関わる神話は、私含むユニタリ国民全員が親しんでいる、大切なものです。しかし、それだけではない」
しばしの沈黙の後、大統領は告白した。
「ヤナイ様は先の襲撃で既にお気づきかもしれませんが。我々は現在、ある国家と冷戦状態にあります。名は大ヴェイバル帝国……このヴェイバル大陸の東半分を占める国です。我々は普段、東ヴェイバルと呼称しておりますが」
出てきた、大ヴェイバル帝国。あの地図を見た時はもしやとも思ったが、先の襲撃を受け確信し、これでお墨付きを頂いた。
「東ヴェイバルは、ヤナイ様がこの世界に現れた場所、聖地ジーハンを求め長年我が国領土への進出を試みています。東ヴェイバルは宗教国家であり、かの神話が……より強い形で信じられているのです。加えて彼らは、我が国に比べ文明水準が少々遅れています」
狂信的な宗教に遅れた文明。テンプレート中世帝政国家確定だ。
「信仰に、我が国への対抗心が相まって、彼らの優者に対する熱意と執着心は計り知れません。そこでもし、実際にその奪還の目論見が成功してしまえば、彼の国の世論は更に熱狂し、我が国への圧力は更に強まるでしょう。従って我々は、寸分たりとも彼らに優者、および彼らの情報を譲るわけにはいかない……。このような政治的な事情もあって、我々は貴方を庇護下に置きたいのです」
「なるほど……」
つまり、俺個人の能力というよりは、優者という名前そのものが侵されることが問題だということか……。いや、分かってたけどね?
「――非常に誠実なお話を、どうもありがとうございます。閣下のお気持ち、よく理解しました」
その言葉に大統領は満足げに頷く。
「しかし……優者が奪われることが問題なのならば、僕が優者とならなければ良いんじゃ?」
「そこまで単純ではないのです……優者になるかならないかは自由、そう言った手前このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが、東ヴェイバルはおそらく優者の受諾如何にかかわらず、あなたを狙うでしょう」
「ええ!?」
なんでよ。
「優者に就任するという概念は、実はユニタリ国内における制度で、東ヴェイバルには存在しないのです。彼らにとって優者とは、旅門から出てきた人間全てを指します。よってヤナイ様は既に彼らにとって優者なのです。それに……優者とならない場合、国内制度においてあなたを保護する際制約が大きくなる嫌いがあります」
「……そうなんですか」
今まで黙っていたことを責めるべきか、今話してくれたことに感謝するべきか。いずれにしても、選択肢は実質的には無いようなものだった。
「申し訳ない。しかし優者となってくれた暁には、様々な権利や権益が保障されます。また国民からの信頼も高く、名誉も得られます」
「具体的には?」
「異世界渡航に関する心的苦痛に対する補償金、それとは別途に優者特別報奨金などが加わり、そうですね……毎年このレイジンの一等地に家を10軒は買えるくらいの金額は出るでしょう。それだけ土地があれば、ですがね」
「10軒!?」
聞き間違いかと思ってメルドーの方を見るが、メルドーは肯いた。マジで言ってるのかよ。
「加えてユニタリ陸・海・空軍における特別中佐の階級、レイジン大学における名誉博士号、ユニタリ民主議会のオブザーバー権等が与えられます。これはほんの一例ですし、なにより、国民より最高級の敬意を寄せられるでしょう」
「実際、217代優者であらせられるミイケ・ヒロオ様は、国民からの信頼も厚く、また彼自身も国民を愛し、今では4人の妻を迎えて郊外で幸せに暮らしております」
付け加えるメルドー。
「4人て、一夫多妻制なんですか、この国!?」
今度はメルドーは首を振った。まさか様々な権利って、そういうことなのか。
「いかがでしょうか。無論我々政府としては既に貴方の保護と安全保障をすることは決定していますので、断っても問題はないでしょう。しかしそれ以上の権利を保証するというところから、我々の本音を理解してもらいたい」
やっぱり、と思った。ここに来た時点で不随意だったのだ。その先に選択の自由が残されているなんて、そんな甘い話はないのだ。
「では、改めてお願いしましょう」
その時の大統領の目は、獲物を狙いすました狩人のように見えた。
「ヤナイ・ケイジ様……貴方に、優者になってもらいたい」
――――
執務室に残された二人の表情は、既に先ほどまで浮かべていた温和なものとは違う。為政者としての威厳に溢れた鋭い目で、大統領ハーリングはメルドーを見た。
「……彼はどうだった?」
メルドーは残念そうに首を横に振る。
「前回と同じです。やはりC3型世界類型出身でした」
その言葉に、ハーリングは顔を歪め、そして大きなため息を吐いた。彼にとってその知らせはあまり良いものでは無かった。
「そうか……。やはり、神話の再現は難しいか」
「特異研の最新の研究成果が間に合わなかったことが大きいかと」
「残念だよ、ついに任期中に成果を上げることが出来なかった」
「お気を落とさないで下さい。『調整』が実現すれば、まだ可能性はあります。……それに、気がかりな事が二点あります」
メルドーの言葉に、ハーリングは手元の資料に視線を移した。今次の転移によってこの世界に来た青年と、その後ろに付き添う少女。まだ出会って半日も経っていないが、現時点で判明している彼らのプロフィールが乗せられている。
「読字能力と、あの人形か」
「読字能力も人形も、神話に関わる存在です。東ヴェイバルが黙っているとは考えにくいでしょう」
「……人形は、いつでも破壊できる。しかし読字能力を覚られるのは厄介かもしれん。FIC(連邦捜査委員)を動員して防諜を強化しろ……ただし、ネズミ一匹は放し飼いにしておけ。その他は基本方針に変更なしとする」
「では、ヤナイ氏は……」
「予定通り、先代同様でいい。”飴”を向けさせろ」
「了解しました」
――――
レイジングランドホテル、45階、スイートルーム。今日一番快適で、そして今日一番居心地の悪い場所である。まるで宮殿、王の寝室のような華美で絢爛な内装に度肝を抜かれる。天蓋付きのベッドなんて始めて見た。あの見た事のない動物のはく製は何だ。角が三本生えてるぞ。
一際大きい窓からは、このレイジンの夜景を一望できた。夜は昼と違い壁面の装飾や色が見えないために、元の世界の摩天楼群とそれほど変わらない印象を受ける。だけれども細部から感じる違和感が、やはりここが元の世界とは違うのだと感じさせる。
どこか寂しくなった俺は、唯一元の世界から一緒にやってきた同志に声を掛ける。
「……なあ、マイカ、ここって異世界なんだってよ」
「そうなんですか」
「見ろよ、月は一つだ。けれどなんだか地球のよりも少し青いし、大きい」
「すごいですね」
「綺麗だな」
「そうですね」
「……どこが、綺麗だと思うんだ?」
「……」
所詮、この程度だ。汎用が聞いてあきれる。この間が、言葉を認識できなかったことによるものなのか、それとも処理に困りフリーズしているせいで生まれているのか、それすら分からないのだ。
「……俺、優者になるんだってよ」
「……」
「俺、なんにもないのにさ。腕っぷしも良く無けりゃ頭だってよくない。人に話せるようないい思い出だってないし、性格だって良いわけじゃない。なのに、優者になって、しかも大金持ちになって一夫多妻のハーレム?」
嬉しい、嬉しくない、それ以前に納得ができない、という感覚だ。夢見心地だったらどれだけ良かったことか。一つ一つの事象がどうしようもなく現実であることを思い知らせてくれるがゆえに、夢中になって楽しむことすらできない。
「……そんなこと、許されるのかな」
「慶治くんは、さすがですね」
その言葉に一瞬カッとなり、マイカの方を睨んだ。だがマイカは相変わらず無表情だ。これが何らかの感情表現に繋がるような、特定の会話じゃないから。それを見て毒気を抜かれた俺は、なんだかどうでもよくなって窓から離れた。
「……」
そうして俺が風呂に入るため部屋を出た後も、マイカはじっと空を眺めていた。