第35話 リグアのいちばん長い日7
リグア中央通りに、マクセンからの電話の呼び鈴が鳴り響く。
「……出ても?」
「……ええ」
俺は上の甲冑を無理やり外し、そして懐に仕舞っていた電話を取り出した。
「……なんですか? マクセン博士」
『おう、生きてたか。あのマイカってロボット、攫われたぞ』
前置きも何もない言葉に、俺は一瞬言葉に詰まる。
「な、なんであなたがそんなこと……」
『さっきまであいつと通話してたんだよ。その最中にやられた。今あいつは、そのリグアって街の商工会議ビルに居る』
それはレイミールから伝えられた脅迫の信憑性を補強する情報だった。
「……確かなんですね?」
『ああ、黙っててすまんかったが、あいつを弄ったときに衛星情報システム端末を埋め込んでた。お前が今握ってるそれにもな。今、リグア中央通り? に居るらしいなお前は』
衛星情報システム、語感からしてGPSってことか? 俺は思わず手に握った銀色の物体を睨み付ける。
「なっ! 悪趣味にも程が……」
そう電話に向け文句をつけていると、後ろから肩を叩かれる。
「……なんすか、レイミールさん」
「もしかしてその電話の相手って、ヴェイル・マクセン博士?」
「え、知ってるんですか?」
「まあ、ね」
そんなやり取りをしていると耳元でマクセンが喚いた。
『そう言えば、そこにはレイミールが居るんだったな。坊主、ちょっと耳離せ』
言われるがままに耳を電話機から離す、すると先ほどよりも何倍も大きな音で『あー、あー』というマクセンの音が聞こえて来た。スピーカーホンか。
レイミールは姿勢を正す。
「博士、ご無沙汰してます」
『おうレイミール、久しぶりだな。ターベンは元気か』
こんな状況だというのに、がさつに緊張感のないマクセンの声。
「……彼は今、休暇中です」
そう伝えるときのレイミールの顔がなぜか曇ったのを、俺は見逃さなかった。
『ほお……まあいい、状況を説明しろ』
なぜアンタに、そう言い掛ける俺を制止して、レイミールは言われるがままに現状を掻い摘んで説明し始めた。
――――
レイミールが説明している間、俺は二人の関係性について思いを巡らせた。
先ほどの様子からして、二人は知り合いなのか?
だとしたら一体何を切欠に?ターベンもまた知り合いだというのは、二人の故郷とやらと関係があるのか?
そういえばレイミールはこの国一の魔法の使い手だというが、俺が聞いた限りでは、魔法は誰でも、同じように使えるという話だったような気がする。
ならば何故、レイミールとそれ以外との間に差が生まれるのだろう。
科学者的には、レイミールのあの凄まじい魔法の力はやはり興味を惹かれるものなのだろうか……。
『ほう……それで杖が使えないが坊主が呼び出され、お前の故郷には兵が向けられちまったと』
考えているうちにレイミールの説明は終わったようだ。その後マクセンの口から飛び出したのは。
『……なるほどな。全くユニタリめ、回りくどい事しやがる』
何故か、ユニタリに対する悪態であった。
「ユニタリ? どうしてですか、今回の襲撃は帝国によるものじゃ……」
『アホ、そんな単純な話のわけあるかよ……そこに大杖あるんだってな。レイミールに渡せ』
いきなりの罵倒にカチンとくる、だが冷静なレイミールの顔を見ると、無下には出来なさそうだ。俺は大杖をレイミールに手渡す。
『レイミール、中心制御装置があるか、魔力子を流して確認してみろ』
「え? ええ、分かりました」
レイミールは狐につままれたような顔で大杖を握りしめたが、数秒の後、彼女の顔は驚愕に包まれた。
「――なっ!? コアが、入ってない!?」
レイミールは驚いている、だがマクセンにとっては予想通りだったようだ。
『やはりな……それが入っていない杖なんて単なる張りぼてだ。使える訳がない』
「コア? どういうことです?」
耳馴染みのない言葉に戸惑う。
『杖ってのは、魔力子への影響を有意なものとするために、持ってる人間の思念を増幅する装置のことだ』
「その程度は……」
マジックフェスタリオで、係員からそのような説明を受けた記憶がある。
『それを増幅するには、持ってる奴の微弱な思考のノイズを取り除き、丸みのある形に増幅しなきゃらならん』
「単純に大きくしたら、拡大コピーしたように荒くなっちゃうから。滑らかになるように補正する計算処理をしなきゃいけないの」
レイミールが補足する。
『その計算をするのが中心制御装置だ。それがなきゃンなもん、唯の棒切れと変わらねえ』
二人の会話を聞いて、俺も段々と事態を理解していく。
「えっ、じゃあなんですか、つまりその杖は最初から……」
「使えないように仕組まれてたってことだよ。慣れもクソもねえ、いつまでたっても使えねえよそれは」
俺は困惑する。
「……どういうことですか? 式典用だから、レプリカを手渡されてたとか?」
「あり得ないわ。だって私、それが本物だって教えられてたもの」
「え?」
そう話すレイミールの表情は恐ろしく真剣だった。
「警護上そんな重要な情報、隠すわけがない。もし今回みたいな緊急時、ギリギリまでそれが動かないなんてこと知らされてなかったら、いざというとき一大事になっちゃうもの」
今回みたいにね、とレイミールは皮肉交じりに言った。
「……けれど、一体どういうことなの?」
「それじゃあ……帝国がすり替えた……とか」
『随分とお花畑だな、お前』
その口調に、俺は一瞬頭に血が上る。だがその言葉の意味を噛みしめ、逆に背筋が凍った。
「……まさか、これをユニタリが意図的にって……?」
『それ以外あり得るかよ。レイミール、その杖は魔力子を通したんだろう?』
その言葉に、ええ、と頷くレイミール。
『それなら素材は本物だ。そしてそいつは、帝国なんぞが扱えるような代物じゃねえ。貴重で、繊細な加工を要するもんだ。弄れるのは杖の開発研究してるユニタリの特殊異常現象研究所と、まあ俺くらいだろうな』
最後の言葉が冗談なのかどうかは分かりかねたが、それはさておき聞き流せない主張だ。
「ちょっと、待ってくださいよ」
俺は耐えきれなくなって言った。
「何なんですか、それ。意味が分かりませんよ。一体なんだってユニタリが、そんな俺を危険に晒すようなことを!?」
『さあな、少なくとも殺す気は無いんだろうがな。本気で殺す気なら、とっくにそこのレイミールがお前を塵も残さず燃やし尽くしてるからな』
その言葉に思わずバッとレイミールを振り向く。彼女は困ったように語気強く言った。
「止めてくださいよ、そんな指令は受けてないです」
それは、指示を受けたら俺を殺せる、ということなのだろうか。
『まあそういうことにしてやる。ともかく、何か死ぬほど回りくどいことを企ててる奴がいて、そのレールの上に乗ってるってのは確実だな。大体そう言う連中は裏方でふんぞり返ってる、現場の苦労を知らねえ人間と相場が決まってる』
マクセンの言葉がどこまで本気かは分からない。だが状況証拠が少しずつ、現状が単なるテロでは無い可能性を証明しつつある。
もしこれがユニタリに仕組まれたものだとして、それは一体どういう目的で仕組まれているというのか。
俺には全く分からなかった。ただ、それでも一つはっきりしていることがある。
「……もし仮にユニタリが何らかの形でかかわってるとして、マイカとエルレシアの身元が危険に晒されていることは変わりないでしょう。俺は助けに行かなきゃいけない」
俺は決意を持ってそう言ったが、マクセンはたしなめるような口調でこう言った。
『だが、連中は帝国兵なぞじゃないぞ。アイツらは――アイガだ』
「アイガですって!?」
レイミールがマクセンの言葉に弾かれたように反応し、血相を変えて問いただす。
「博士、それは確かなんですか? 冗談では済まない発言ですよ!」
『P98W、アイガ式のコードネームだろう?』
博士の言葉にレイミールの表情は凍り付いた。
『そこの坊主の連れを攫った連中の一人が、そう名乗っていた。まあこの国で暗躍するっつったら奴らの出番だから、元々目星つけちゃあいたがこれで決まりだ』
マイカたちへの心配もあり、また訳の分からない言葉を織り交ぜ勝手に話を進める二人に俺はいつにも増して苛立っていた。
「ちょっと待って下さいよ。何度も何度も、専門用語出すなら説明してからにしてください」
「……アイガっていうのは、大統領直属の非正規特殊部隊。まあ、諜報も担ってるけど。裏の汚れ仕事をこなしている」
秘密特殊部隊。汚れ仕事。つまり、碌では無い連中だと言うことか。
「ユニタリの、暗部……?」
「もしアイガが本当に絡んでるんだとしたら……ユニタリの誰かが内通してる、なんてちゃちな問題じゃない」
レイミールの額を、つうと冷や汗が伝った。
「この事件には、大統領の意志が介在していることになる」
――――
「大統領って……あの、ハーリング大統領が?」
ニカっという人当たりの良い笑み、温和そうな顔つき、そして物腰。俺をこの世界に迎えてくれた、あの誠実そうな大統領が、この騒動に関わっている?
「アイガは大統領の指示でしか動かない。もしその誘拐がアイガによるものなら、それは大統領が望んだこと。……! マクセン博士、盗聴は!?」
『心配するな、この回線は俺が引いた独自のもんだ。その”電話機”からジャミング電波も発してるし、傍聴も出来ん』
「そうですか……えっと、アイガはね、この国内におけるあらゆる通信を傍受してると言われてるの、だから今確認を取ったのよ」
疑問に染まった俺の表情を見てか、そう教えてくれた。そしてその話も決して聞き逃せない話ではある。今まで俺が交わしてきた会話も全て、アイガ、ひいては大統領に把握されていたということか?
――恐ろしく、そして不愉快な話だった。
『まあ、最後の決め手はレイミールの故郷の話だな。それについて知ってる奴なんてそうは居ねえだろ。向こうがそれについて感づいてる時点で、ユニタリとこのテロは繋がってるってことだが……アイガがどでかい情報過ぎて薄らいじまうな』
「……それに関しては心当たりがあります。恐らく、現地に向かえば確かめられます」
『じゃあ、お前は向こうに行くつもりなのか』
「それは……」
レイミールは俯いたが、その心中では俺のことを考えているに違いなかった。
俺は下唇を噛んだ。
ユニタリの工作? 大統領の意志? アイガ?
それが明らかになったところで、状況が変わったわけではない。俺は無力なままで、マイカとエルレシアは危機の真っただ中にある。そして今、このレイミールという女性の足を引っ張ろうとしている。
「……レイミールさん、行ってください」
俺はレイミールの目を見据えた。
「マクセン博士がさっき言っていた通りアイガとやらが動いているのならば、向こうは俺に危害を加えるつもりはないんでしょう。そういう意味じゃ、帝国の工作員よりは安全だ」
「でも、一人でなんて無茶よ」
「レイミールさんは今すぐ行かなきゃダメだ。さっき、無線であの話を聞いた時の顔……とても、辛そうだった」
「!」
この恐ろしいほどに強大で、それでいて人間臭い女性が先ほど見せた動揺が、胸のどこかでつかえていた。
「レイミールさんが居ることに、この工作員共は驚いていた。つまりあいつらはレイミールさんがこのリグアの外に居るものだと思い込んでたってことだ。……きっと、故郷を盾におびき出す作戦が、本当に実行されているからです」
俺の中の何かが囁く。「今お前がやっていることは、最も確実で強力な解決手段をみすみす手放すことに他ならないぞ」と。「代替案は? お前ひとりで何とかできる当てはあるのか?」と。
――だが、一人で杖を持って、ビルの屋上に行き、連中の話を聞く。それはこんな無力な俺でも可能なことだ。
「俺は大丈夫です。だからレイミールさん、行ってください」
「……ヤナイ、くん」
『――おう、勝手に盛り上がってるとこ悪いがよ』
格好良くセリフを吐いた丁度その時、間伸びした声が響いた。
『お前、無力なんかじゃねえぞ。俺が手を打っちまったからな』
「……へ?」
間抜けな声を出す。
「手を、打った?」
その言葉の意味を計り損ねる。俺が無力じゃないとは、一体どういうことなんだ?
『さっきも言ったろう。杖なんて弄れるのは、特異研と俺くらいだろうってな。アイツらはお前が魔法なぞ使えんと思いこんでるからな、鼻を明かすチャンス到来ってことだ』
そう言い切るマクセンの顔は想像するまでも無い。きっと獰猛に笑っているに違いなかった。