第29話 リグアのいちばん長い日1
「では、ジーハンの領土問題は棚上げし、優者の国際移動を承認し、科学分野における技術交換などを中心に民間レベルでの交流を促進していく、という方針でよろしいのですね?」
「ええ、その方向性で」
長きに渡る交渉がようやく終わりを告げようとしていた。会議室にてミケイラは額に浮いた汗を拭い、ミネラルウォーターをこくこくと飲んだ。
厳しい戦い、それは決してテーブルの向かい側に座るユニタリ側と交わしたものではない。帝国内の原帝派との軋轢こそが最大のネックであった。
彼らは、ジーハンの帰属が帝国にあることを平和条約に明記するよう求め続けていたのだ。いくらそれが帝国における念願であろうとも、非現実的な要求であることは明らかだった。
原帝派がその方針をようやく曲げたのがつい昨日の話だ。急な方針転換の理由は不明だが、皇帝による一喝があったとか、皇帝顧問の暗躍があっただとか、ユニタリとの和平がもたらす圧倒的利益に動かされたのだとか、いろいろな噂があった。しかしいずれも、今のミケイラにとっては些事だった。
ついに、ユニタリの技術を帝国に導くことが出来る。
この国に来て三週間ほど。豊かで発展したこの国を見て、ミケイラは自らの考えが半分正しく、半分誤っていたことを知った。優者の誘拐などと言う姑息な手では勝ちようが無い。しかし魔法を導入しても、やはり勝ち目がない国だと。
街の規模だけならば、負けている気はしない。レイジンは素晴らしく大きな街だが、帝都アレイダムも負けず劣らずの威容を誇る街だ。
だが、生まれて初めて知ったこの国の生産力を目の当たりにしたとき、ミケイラは呆然自失とした。面積で言えば帝国の20分の1ほどしかないこの小国の国内総生産は、帝国のそれに匹敵していたのだ。
信じられないほどの豊穣。帝国の東海岸も豊かな地域だ。しかし大陸の内陸部においては政治的事情もあり未だ発展は進んでおらず、貧しい。
しかしなんとこのユニタリにおいては、国民全員にベーシックインカムを給付しているのだという。それは帝国で経済を学び育ったミケイラにとっては、机上の空論でしかなかったシステムだ。
そのような狂気じみた工業生産を可能にしている技術、そのものを教えてくれはしなかった。しかしそれに繋がるであろう未来が、今ようやく帝国にも開けようとしているのだ。
「当代優者様が就任する日に、めでたいことですね」
隣に座る穏健派議員の言葉に笑って答える。
「ええ、皇帝陛下にもようやく明るいニュースを届けられます」
そういえば、優者がパレードする御行脚という行事も、このリグアの街で開催されるのであった。
果たして当代の優者は、どのような人間なのだろう。そんなことをミケイラが思った瞬間。
……ドォォーーーン。
窓の外から、腹の中に響いてくるような重低音と振動が伝わってきた。それはまるで雷がすぐ近くに落ちたかのようだった。
「うわっ」
「何っ!?」
人々が騒然とするが、それでは何も分からない。
「おい、テレビを点けろ」
誰かの声に応え、室内のスクリーンにニュース中継が映し出された。
所狭しと人が集まっている大通りを上空から撮影している映像だ。そして大通り脇のビルから、黒煙がもうもうと立ち上がっているのが見える。
数分ほどその映像が垂れ流されるが、映るのはただパニックになった群衆と、未だ煙を上げ続けるビルだけ。
「……なにが起きているんだ?」
誰もが思った疑問を誰かが代弁したとき、会議室のドアが唐突に開かれた。入ってきたのは、黒いスーツを着た壮年の男性だった。
「失礼、ユニタリ公安部の者です。大ヴェイバル帝国大使団の皆さまは」
公安部、その言葉に面食らいながらも、ミケイラ一同はおずおずと挙手する。
「我々ですが……」
それを見て、公安部を名乗る男は言った。
「現時刻を以って、貴方がたの身柄を拘束させて頂きます。これは強制ですので、拒否は出来ません」
「な――!」
突然のことに唖然とする大使団。大使の一人が叫ぶ。
「な、なんの権限があって! 外交特権の侵害だぞ!」
「我々はまだ正式な国交を結んでおりません。そのような反論は受け付けかねます」
ぴしゃりと言い放つスーツの男。叫んだ大使はウッと呻き、黙った。
ミケイラは頭を回転させる。帝国大使団を拘束する理由、それは。
「……まさか、我々がこの爆発に関与しているとでも?」
ミケイラはテレビを見やりながら言った。瞬間、大使団は怒りに包まれた。
「何を勝手な!」
「あり得ん! まさに平和条約締結というタイミングで、そんなことをするはずが無い」
ミケイラも内心は彼らと同じだった。しかし努めて冷静に、反論を紡ぎ出す。
「……この国は、国境付近に内憂を抱えていたはず。そちらの線は考えられないのですか?」
国境地帯に住まうという反ユニタリ的な民族。それによるテロが起きたのだという可能性の方が、ミケイラからしてみれば大きいように思えた。どう考えても、このタイミングで行動を起こす旨みは帝国には無い。
そしてもし実際にその反ユニタリ民族によるテロだったとしたら、この拘束宣言は帝国に対する手痛い貸しとなる。となれば、取引の条件として帝国には有利に働きうる。ミケイラの指摘は、そうした今後すら見据えた一手であった。
しかし公安の男は、大きく首を横に振った。
「残念ながら、その可能性はあり得ません」
「――ならば、我々の可能性はあり得るというのか。その根拠は一体なんだというんですか」
ミケイラのその問いに対して、男はこう答えた。
「先ほど、国境東方より領空を侵犯する不明機を複数確認しました。それらは現在このリグア方向およびジーハン方向に飛行を続け、警告にも応答しないとのことです」
「!!!」
「それだけではありません、貴国側の国境地帯に、遠距離攻撃能力がある武装を搭載した車両が多数配備されているとの報告も上がっています。我々としてはこの情報を受け、適切な対応を取る必要がある」
「そんな――」
「ほ、本国に照会を」
「なりません。外部との連絡は一切許可できません。この部屋にて、待機していてもらいます」
そう言って男は外に呼びかけ、更に複数のスーツの男を招き入れた。
「外部と通信可能な機器などを預からさせて頂きます。公安員の指示に従って、それらを提出してください」
有無を言わさず圧力に、大使団、そしてミケイラは凍り付いた。
改めて思う。一体、なにが起きているのか。
――――
爆発が起きたのを見て、俺は反射的に叫んでしまった。
「れ、レイミールさん!? いくらなんでも、やり過ぎ――」
「私じゃないっての!」
鋭く叫ぶ声、なぜかマイク越しじゃなくても聞こえた。何故かと思って周囲をのぞき込むように見渡し、分かった。観衆が輪を作るようにしてこの車から離れているからだ。遠く聞こえる声は、完全に悲鳴で染まっていた。
ふと、鼻を刺激する異臭を感じ取った。それは花火のときとかに嗅ぐような火薬の匂い。魔法を使ったならば起きえないようなものだ。
「爆弾……?」
「うーん、攪乱されたか。随分と計画的な行為のようね」
もうもうと煙が立ち込めるビルを眺めながら、レイミールがそう言った。
「ど、どういうことですか?」
「あれは恐らく、君を狙ったスナイパーが起こした爆発。混乱に乗じて姿を消すと同時に、証拠を消すためにああしたんだろうけど」
スナイパー、その言葉に心臓が止まりそうになる。やはり、あの銃弾は俺を狙って。
「大丈夫、ちゃんと止めたでしょ? 平気だからしばらくそこに座ってて」
安心させるようにレイミールは頷いた。表情は分からないが、きっと微笑んでくれてるのだろう。
「……止めたって、どうやって」
「そりゃ魔法。教えてなかったけど、君の周りに結界みたいなものを張ってたの。銃弾くらいなら止めちゃうようなね」
その言葉に俺は驚く。いつの間に、なぜ言ってくれなかったのか、そして。
「そんな魔法あったんですか? なんとなく魔法って、攻撃にしか使えないと思ってましたけど……」
「……あー、このことは内緒ね? 国家親衛隊隊長と当代優者の内緒だからね、相当重い内緒ってことで」
そう言って兜の、唇がある辺りの前に指を立てた。
『――ヤナイ様、大丈夫ですか!』
突然インカムに入ってきたのはメルドーの声だった。
「え、ええ、なんとか。レイミールさんが守ってくれました」
『そうでしたか……無事で何より。しばらくレイミール隊長から決して離れないように』
「分かりました……それにしても、これは一体何なんですか?」
突然の狙撃、そして爆発。先ほどまではあんなに華やかだった空気が一瞬で霧散し、今は混乱と悲鳴に満ちている。これは一体誰の仕業だというのか。
『……これは、今も確認中の情報なんですが。大ヴェイバル帝国が関与している可能性があります』
「な!?」
それはあり得るようで、一番あり得ない答えだった。なんだって和平交渉の真っ最中だった大ヴェイバルが、このタイミングで行動を起こす必要がある?
「どうして……」
『どうやら、国内のタカ派の懐柔に失敗したようです。帝国の軍組織が内部分裂を起こして暴走。独断で行動を起こしたと。既に国籍不明機が複数ユニタリ領を侵犯しているとの情報もあります』
俺はその言葉を、どこか他人事のように聞いていた。先ほどまでの、少し忙しいものの穏やかだった平和、それが一秒ごとに崩れていくのを感じていた。
大ヴェイバル帝国のタカ派が動いた。それはつまり、俺の身柄を狙っているということだ。
「そんな……一体、どうすれば」
『ヤナイ様、ご心配には及びません。我々が全力を以って対応に当たります。とにかく今は、安全が確保されるまでそこの隊長から離れないように』
「あ……マイカは、エルレシアは!」
『そちらにも国家親衛隊の護衛が付きます。ただし、保安上の問題から一旦別行動を取って頂きます。必ず、お守りしますので』
そう言って、通話は切れた。
「あっ、ちょ……」
「……まさか、こんなことになるとは、ね」
レイミールも通信していたようで、事情は把握済みのようだった。
「一体、どうすれば……レイミールさんは、何か指示を?」
「うん、とりあえず君を守るのと、あとこの街の防衛もって。相手はゲリラ戦を仕掛けてくる可能性があるから、それを想定して対応しろってさ」
「そんな……こんな市街地で?」
「白昼堂々狙撃かまして、爆弾使うような相手だからね。それくらいは想定しないと――」
どおおおん、という音が響く。周囲の悲鳴が一層大きくなる。
「また爆発――!?」
どこか離れたところで爆発があったようだ。
「完全に陽動されてる……仕方ない、跳ぶか」
「跳ぶ!?」
混乱を更に加速させるように、なにやらよく分からない言葉が飛び出してきた。どういうことだ、跳ぶって。
「そのままの意味だよ。ちょっとジャンプするから、掴まって」
「え、どこに」
「そうだなあ、腰のあたり?」
言われるがままに、レイミールの腰を抱くようにして掴まる。これが甲冑を二重に挟んだ行為じゃなくて、それも平時のことだったら喜ばしいことなんだが。
「って、杖忘れてるよ」
「あっ……」
言われるまですっかり忘れていた大杖を拾い上げ、右手でしっかりと持ちながら改めて腕を回す。
「じゃあ、行くからね」
そのままレイミールは少ししゃがみ込むと。
「……よっ」
「ほあああああああああああっ!?」
ミサイルのように俺ごと飛び上がった。