第28話 就任式、当日
統一暦1186年3月19日石曜日。今日の日付である。
「――異界よりこの世に現れし優者、ヤナイ・ケイジ殿。貴殿は、この世界の平穏と安寧のためその身を捧ぐ役目、これを引き受けて下さるか?」
「……その役目、謹んでお受けしましょう」
練習していた通りの受け答えをし、一礼。周囲からの視線が痛いほどに刺さる。その中にはテレビカメラもあり、この様子はユニタリ全土に中継されているのだとか。
今居るのはジーハンの石室、俺が最初に現れた場所だ。あの時と違い部屋は松明風の照明で照らされている。転移してきた時は暗くて気付かなかったが、壁面には幾何学的な文様や壁画の彫刻がびっしりと描かれており、それらが部屋を神々しく彩り、この儀式の神秘性を際立たせている。
「では、――これを献上します。お納めください、今代優者様よ」
そう言ってユニタリ大統領ハーリングは、傍らに立て掛けられていた大きな銀の杖を手に持った。優者ミイケがパレードの際に持っていたものと同じだ。
「は!」
繕って恭しく、それを受け取る。見た目の印象よりも軽いそれは、しかしずしりとした感触を伝えた。金属質のそれは、氷のように冷たい。
これが、大杖。
優者のみに手渡されるという、この世界において最も強力な兵器のひとつ。
昨晩、メルドーと話す機会があった。そのときにこの大杖について聞いたが。
『少なくともあの大杖を手にすることで、ヤナイ様は国家親衛隊の隊長クラスの魔法を行使することが可能となるでしょう。それほどまでに、大杖には力があります。ただし、使用するまでには慣れが必要ですが』
俺の中で少しトラウマにもなっている、あの火炎魔法。帝国軍を吹き飛ばしたあれと同じことが出来る力を、俺は今手にしてしまったのだ。
単に、この世界に来たというだけで。
複雑な気持ちにもなる。果たしてこの安穏とした世界で、本当にこのような力が必要なのか。
帝国とユニタリは結局、俺の出現とは関係なく平和の道を歩み始めている。この世界に俺が干渉できる余地は、一切無いような気さえする。
『この世界は既に、異世界人のものではなく、この世界に生きる人間の物になっていたのだ』
そんなミイケの言葉が思いだされた。
だが俺は既に決意した後だ。ぎゅっと、杖を握る手に力が入った。
手に握られた杖は、まだ氷のように冷たい。いつのまにか鳴り響いていた拍手の音に気付いたのは暫く経ってからのことだった。
――――
つつがなく就任式は終わった。カメラが入り、一国の首班が執り行ったという違いはあれど、根本的には中学の卒業式だとか表彰式と変わらなかった。覚えた言葉を言って、頭下げて、貰うものを貰う。それがすべてだ。堅苦しい口上や格好は大した問題では無い。
直前まではガチガチに緊張していたが、終わってみればこんなもんかという感じだ。
取りあえず杖をメルドーに預け控室に戻ると、マイカとエルレシアが歓迎してくれた。
「ケイジ、凄くかっこよかったよ! 表情も真剣で、すごく雰囲気出てた!」
「恐らく緊張でガチガチになって、表情を変える余裕すらなかったのだと思われますが」
「ありがとうエルレシアさん。マイカはうるさい」
当たってるけどな。
「それにしてもやはり窮屈そうですね、その甲冑は」
マイカの指摘通り、俺が着る羽目になった優者用の甲冑と言うのはかなりビタッとしていて、圧迫感がある。
「見た目ほど動きにくいわけじゃないんだけどな……直ぐに御行脚だから、脱げないのが面倒だな」
「えー、脱がなくていいよ、ずっと着てても良いくらいだと思う。それくらいすっごく似合ってる!」
褒めてくれるのはうれしいけど、それは遠慮します。
暫くそんな感じでリラックスしているとノックの音。どうぞと呼びかけると、顔をのぞかせたのはメルドーだった。
「ヤナイ様、あと10分ほどで移動させていただきます」
「えっ、もう?」
エルレシアのツッコミの気持ちも分かるが、俺はこのハードスケジュールを既に把握していたから抵抗は無かった。
「仕方ない、リグアの街まで結構かかるんだし」
リグアはここジーハンから車で二時間。リグアに着いてからはゆっくりと大通りを進んでいかなければならないから、早くしないとパレードの途中に日が暮れてしまうのだそうだ。
砂漠の影響をもろに受けるこの地域の夜は冷え込む。遅くまでずれ込んでしまうのは、誰にとってもあまり嬉しくない展開だ。
「ところで、マイカとエルレシアさんはこの後……?」
俺の質問にはメルドーが応えた。
「大丈夫です、我々と共に並走いたします。残念ながら、行脚の沿道から見ることはセキュリティの都合上許可出来ないのですが……」
「えー、私も脇のほうから優者の旗振って、ケイジに向かって歓声あげたかったなあ」
勘弁してくれ。そんなことされたらお嫁に行けなくなっちゃう。
「旗なら用意してますよ。後続する車からなら、存分に振って戴いて結構ですよ」
「本当ですか! やったね、ね、マイカちゃん」
「そうですね、振りまくってあげましょう」
「勘弁してくれ……」
――――
リグアへと車両で移動中、俺はメルドーの車に乗っていた。二人きりだ。
「ターベンさんは?」
「休暇ですよ。この忙しいときに、呑気な男です」
そう言って笑うメルドーの顔には、真剣な怒りはなかった。きっとターベンのことを憎からず思っているのだろう。
俺は車窓を眺める。後ろへと流れていくウェブラ砂漠の景色は、俺がこの世界に初めて来た日に見たものと変わらない。
「もうこっちに来てから、一か月も経つんですね……元居た世界よりひと月が長いから、なおさら時間が経ったように感じますよ」
「どうですか? ユニタリでの生活は」
「そうですね……文明的にはそんなに変わらないので、根本の部分ではまだ海外旅行気分と言うか……まあ、大きな事件もなく、平和に過ごせたんじゃないですか」
マイカの覚醒はとても重大事ではあったが、メルドーに言うべきではないことだ。すると他のイベントと言えば、エルレシアとデートを繰り返したことくらいか?
「エルレシアさんとは、ずいぶん仲良くなったようで」
「ぶっ」
考えていた事を突かれ噴き出してしまう。
「……なんのことですか」
「とぼけなくても。見ていれば分かりますよ。とても良く打ち解けていらっしゃる。本来民間人との交流は推奨できるものではないんですが、あのように聡明でいて、芯が通った方ならばこちらとしてはお止めするつもりはありません」
なるほど。メルドー、あるいはその後ろに居る政府は、ずいぶんエルレシアのことを評価しているようだ。この国のトップ大学であるらしい国立レイジン大学に通う学力に、物おじしない胆力。確かにエルレシアはすばらしい女性だ。
俺には不釣り合いなくらいに。
「止めてくださいよ、彼女は綺麗な人ですから。仲の良い男の友人はきっとたくさんいますよ」
「しかしその中でも特にヤナイ様とは御懇意なようで。あまり出歯亀をするつもりはありませんが……応援してますよ」
随分と、彼はエルレシアをプッシュしてくる。
「……メルドーさんこそ、エルレシアさんと随分仲がよくありませんか? エルレシアさんが優者のことを知っているの、本人から聞いたんですよね?」
そう、そこら辺の関係が気になっていた。エルレシアが空港に現れ、俺たちと合流する時の流れはとてもスムーズだった。
するとメルドーは少し言いにくそうに答えた。
「……実は彼女は、政府の要人の御令嬢なのです。ですから、私と昔から交流がありまして」
「はあ、なるほど」
たしかに育ちの良さそうな雰囲気だったしな。どこか気品があると言うかなんというか。
「……実はエルレシアは、俺に勇気をくれた人なんです」
「ほう……」
「正直、俺が優者になることで、何が変わるかはよく分かりません。俺が居なくても、この世界は平和に回って行くんじゃないかってずっと思ってました」
俺は思いのたけを、直接ぶつけてみることにした。メルドーは俺の気持ちを汲んでくれたようで、黙って話を聞いてくれる。
「けれど、とりあえずやってみようと決めたんです。優者になれば、力が手に入る。それがあれば、本当に何かこの世界の平穏を脅かすようなことが起きた時、人々を……メルドーさんや、エルレシアさんみたいな人々を護れるようになれるって。高々一か月くらいですけれど、それなりにこの世界に愛着が湧いたので」
ユニタリは決して清廉なユートピアでは無いかもしれないけれど、それでも平和な国だ。
この世界の平和が続くのならば、部外者としてもそれは喜ばしいことだ。
そしてそれに俺が協力できるのだとしたら、断る理由は無い。
俺にしか許されないと言うのなら。
――――
リグア郊外でメルドーの車を降り、そこでパレード用の車に乗り込むこととなっていた。広々とした運動場のようなエリアに、これから大通りを行進していく車両や人々がぎゅうぎゅうに詰まっている。
その中でもひときわ目立った、2階建ての家くらいの大きさの車両。その屋根の上に俺は立つ。あの位置、そしてこの格好。さぞかし目立つことだろう。もはや辟易といった感じだ。
乗り込む車両の脇には、これで三度目の邂逅となる女性がいた。
「レイミールさん」
「おっ、青年。ようやく気兼ねなく優者様と呼べるようになったね」
洋風の兜(あとでマイカに聞いたところアーメットヘルムと言うらしい)を被っていて顔は見えないが、その声はヴィリアのものに相違なかった。
「じゃ、今日は私が直々に護衛ってことで。たぶんこの国で一番安全な場所になるから、安心して手を振ってていいよ」
そう言いながら俺の肩を叩くレイミール。向こうの甲冑とこっちの甲冑が当たり、カンカンと音を立てた。
「レイミール隊長、くれぐれもヤナイ様をお願いしますよ」
「任せときなさいよ。といっても、警戒すべき相手と和平の真っ最中なんだから、心配はそんないらない気もするけどね」
そう、今同時並行してこのリグアの街にてユニタリ政府首脳と帝国大使団による和平交渉が行われているのだ。あのミケイラという女性もそこに居るのだろう、と思った。
「しかし、常に警戒は怠らないように。ここは国境からほど近い。反政府勢力の掃討も万全ではありませんので」
そのメルドーの言葉にレイミールは一瞬固まった。おや、と思ったが次の瞬間には動き出し、「まあ、何かあっても優者様には傷一つ付けさせないから安心して」と堂々宣言した。
――――
わぁああぁぁああああああああ!!!!!
最初の頃は耳を劈くような歓声にブラスバンドの爆音で頭がガンガンしていたが、30分ほど経てばそれには慣れてきた。
けれど、依然として慣れないものがある。周囲から寄せられる信じられないほどの数の視線だ。
俺は今、徐行するパレード車に乗って風を切りながら、人だらけのリグア中央通りを進んでいるのだ。衆目の視線に応えながら。
『優者様、どう、楽しんでる?』
耳に付けたインカムから、レイミールのクリアな声が聞こえてくる。
「全然、楽しくないですよ!」
吐き出すように大声で言う。こうでもしなきゃマイク越しとはいえ伝わらないのだ。どっちにしろこの騒ぎ、観衆に聞こえたりしないから安心だね。
それでもしかめっ面にはならないように、努めて笑顔で手を振る。そうすると観衆たちがわっと湧く。手に持った大杖を持ち上げる。更に大きな歓声が上がる。
改めて、凄まじい数の群衆だ。映像で見せられた30年前の首都でのパレードと遜色ない。数百万の参加者が数十万になったところで、オレからすれば変わらぬプレッシャーだということがよーくわかった。
各々が周囲の人と何かを話しているようだが、雑然としていて全く分からない。あっ、あの男に指さされてる。そしてひそひそ話を隣の女と始めやがった。おい、くすくす笑うな。見世物じゃねえぞ。
ただひたすらに精神を摩耗していくが、これも平和と平穏を保つための大事な作業と言い聞かせる。
『それにしても良い天気だね、絶好の御行脚びよりだ』
呑気なレイミールの声に思わず脱力しそうになる。こちとらおちおちトイレもいけないくらい緊張してるのに。
『あっ、優者様、手が止まってるよ。振って振って』
お前の渾名を「工場長」にしてやろうか。
はあ、と溜息を吐きながら視線を後方に向ける。二台くらい挟んで後ろを走る車両の窓から、エルレシアとマイカが乗り出してこちらに旗を振っているのが見えた。エルレシアは満面の笑み、マイカは無表情で。
お前らそんなことしてると写真撮られてネットで有名人になっちまうぞ。ただでさえ目立つ見た目してるってのに。
そうこうしていると、先ほどトイレのことを考えたせいか、お小水のほうをしたくなってきた。えーと、こういうときどうすればいいんだろう。
「あの、レイミールさん。トイレ行きたくなっちゃったんですけど、行っちゃダメですかね」
『えー、多分ダメでしょ。我慢して』
「我慢って、これ終わるまでですか? 勘弁してくださいよ。こうして話している内にどんどんヤバくなってきてるんですよ?」
『いや、でもここで止まって降りてったらどう考えても悪目立ちしちゃうよ』
情けない会話だ。きっと尊敬の眼差しを持ってみている観衆が聞いたら絶望から暴動を起こしてしまうだろう。けどこっちも焦ってる。小水したくて憔悴中、つって。
「そんなこと言ってると、鎧のなかで漏らしちゃいますよ――」
突然、キン! という空気を切り裂くような音が鳴り響く。
同時にレイミールさんはいつの間にか手に持っているアサルトライフル、じゃなかった、杖をこちらに構えているじゃあないか。観衆の声がどよめきに変わる。
「ちょっ、レイミールさん!? 確かに下品でしたけど、そこまで怒るなんて『伏せて!!』ぶぉっ!」
眼にも止まらぬ速さで近づいてきたレイミールに無理やり頭を押さえつけられて、床に叩き伏せられる。がんと頭が当たるが鎧のおかげで痛くない。思わず手放した大杖が、カランと倒れたが。
「な、何を……」
答えてくれないレイミールは、右手の方にあるビルの上の方を睨むように見上げている。
困惑する俺は当たりをきょろきょろと見回し、そして俺は自分が立っていた位置を見て、固まった。
俺の頭があった場所、そこから15㎝ほど離れたところに、乾電池くらいの大きさをした何かが浮かんでいた。
それは金属的な光沢を帯びて鈍く光り、ニンジンのように先が細くなっている。
銃弾だ。
――ヤバい、マジで漏らしそう。
そう思ったと同時に、耳をつんざくような爆音と共にビルが爆発した。