第24話 暗雲
1000年以上続く栄華を誇る大ヴェイバル帝国の首都アレイダム。その中央にある国防省庁舎の一室には、快晴の冬空には似合わぬ激情が立ち込めていた。
「将軍! 今こそ、決断の時です!」
「しかしだな……」
品のある事務机を挟み、二人の男が相対している。将軍と呼ばれた男は、もう一方の気勢に押されながらも主張する。
「既に皇帝陛下の決裁は出ているのだ。ユニタリとの和平交渉と、平和的手段による優者招聘、これは最早国策だ。お前は、それを覆そうと言っているのだぞ!」
将軍はそう言いながら、眼前の男が主張する事の重大さに再び恐怖した。
「恐れ知らずにも、程度がある……!」
「しかしダンガン将軍! 座していては、名誉を挽回する機会は得られません。このまま、”失敗将軍”の名を背負ったまま去るおつもりですか!」
その言葉にダンガン将軍は苦い顔をした。先の光車作戦失敗以来、彼はそのような不名誉な仇名を頂いていた。皇帝に直々に雷を落とされたという報道が、彼の名を単なる敗軍の将以上に貶めていた。そしてそれは事実であるがゆえに、覆しようもないことであった。
「……もはやリスクを取るべき時は過ぎた。これ以上、国の名を落とすわけには行くまい」
抑え込むように何とか言葉を放ったダンガン将軍に対し、男は不敵に笑った。
「既に第一、第二軍団が我々と意志を共にしている、と言ってもですか……?」
「なんだと?」
その言葉に将軍は顔を上げた。
「レジン議員、それは正気で言っているのか?」
頷く男、レジン。
「皆この国の先を愁いております。あとは将軍の一声さえあれば、陸海空含む全軍が一致団結して動くことが叶うでしょう」
「……しかしだ。相手はユニタリだぞ? 速攻を仕掛けようとも、幾ら持つか……」
「既に統合参謀部と共に、作戦計画も練ってあります」
レジンはそう言いながら、手に持っていた資料を将軍の前に広げて見せた。それを見て将軍はううむと唸る。緻密に書かれたその作戦計画書は、光車作戦の失敗をふまえた非常に説得力のあるものだった。
目を通した将軍は、レジンの目を見据える。
「本気で、やるつもりなのか」
レジンはそれを堂々と受け止めて、頷いた。
「……私とて、このまま国が緩やかに死んでいくのを見ていきたいわけではないのだよ、レジン君」
将軍は回転いすに身体を預けたまま、からりと回りレジンから背を向ける。
「ならば、今こそ発起の時です!」
「だがそれでも、矢張り時代は既に決したのだよ。君も政治家ならば、熱意では無く打算で動くべきだ」
レジンの説得空しく、将軍の心変わりは叶わなかった。レジンは俯き、呟く。
「……やはりですか。残念です」
言うや否や、懐に手を伸ばし黒い物体を取り出すレジン。
「! なにをっ!」
将軍は咄嗟に立ち上がろうとするが、その前に彼の首筋にそれがあてがわれる。
「――っっ!!」
バチン! という小さな雷のような音と同時に、将軍の身体が机の上に倒れ伏した。手に持っていたスタンガンを懐に仕舞ったレジンは、今度は電話を取り出し、発信ボタンを押した。
「……私だ、説得は失敗。乙号作戦に移行した。対象は昏倒。彼を入れてくれ」
言葉みじかに電話を切り、暫く立ち尽くすレジン。窓の外に見えるアレイダムの街を、彼は目を細めて眺めていた。
この街こそ、大ヴェイバルの強大さの象徴だ。この都が栄え続ける限り、この国に敗北は無い、レジンはそう確信していた。
やがてドアがノックされる。マナーよりも一度多い、5回の音が鳴った。
「どうぞ」
レジンが促すと、ドアが開き来訪者がその姿を現す。それを見てレジンは言った。
「では、これからはお願いしますよ、ダンガン将軍」
彼の言葉に頷く来訪者の姿は、今まさに机の上に倒れている男と、全く同じだった。
――――
いよいよ就任式が三日後と迫った今日、俺たちはレイジンの空港に来ていた。いよいよ就任式の開催地であるジーハンへと向かうのだ。この街に来てから一か月、快適な文明生活から別れることは名残惜しいが、しかしどこか不気味に感じていた圧迫感からも解放されることに、少し期待している。
――とは言ったが、俺はかれこれ3時間も、このVIPロビーとやらで待たされている。本来ならとっくに空の旅を楽しんでいたはずなのに。
嵐が来ているのだ。
「いや、こんな季節に嵐なんて、私もこの国に生まれて50年近く立ちますが初めてのことですよ」
そうメルドーが冷や汗を流していた。天気予報では確かに予測されていたが、まさか飛行機が止まるほどのものになるとは誰も想像出来ていなかったようだ。この下手すれば地球以上に発達した文明社会でも、天気というものは持て余すらしい。
メルドーは遅延による各種予定の変更などで忙しいらしく、電話を片手にどこかへと消えてしまった。従って俺はロビーにて、マイカと共にぼんやりと暇を潰していた。
「……負けた」
「これで私が22勝、ケイジくんは0勝ですね」
椅子の上に広げているのはこの前買ってみた、参棋とかいう名前のボードゲームだ。といっても殆ど将棋と同じで、むしろややこしいくらいだから駒の上に将棋の駒の名前を自作のシールで貼って、将棋として遊んでいるのだが。
「あのさ、マジで手加減しろや。いくらでも調整できるだろうが! スマホの将棋アプリですら難易度設定あるんだぞ?」
「そんなことしたら、私が負けてしまうかもしれないじゃないですか」
「お前、俺を立てようとか、楽しませようみたいな気持ちは無いの?」
「普段十分楽しませてますし。それに負けを知らない人が初めて負ける時は、反動からダメージが大きくなってしまうってよく言うじゃないですか。だからできれば負けたくないんです、私」
下らない話ばかり知ってるが、果たしてこいつはロボット三原則を知っているのだろうか。あるいはロボット三原則は、精神的なダメージを与えることを禁じていないのだろうか。
ため息交じりに空港の馬鹿でかい窓の外を見る。未だ灰色のおどろおどろしい雲が空を包み、風と雨が吹き荒れている。
「ったく……トイレ行ってくるわ」
俺はそう言って席を立った。
――――
用を済ませ、喉が渇いたから自販機でジュースでも買おうと当たりを見回す。お、あったあった。
近づく。グレープジュースが売っていたのでそれにする。そういや果物や野菜って、地球と同じものもあれば違うものもあるんだよな。グレープジュースの隣に売ってるジュースのラベルに写る、ピンクの細長い「モルポウ」とかいう果物は見たことねえ。まあ、ホモサピエンスとエルフが混ざって生きてるんだから、そんなもんなんだろうな。
プルトップを開けごくごくと缶の中身を飲んでいると、ふと視線を感じた。横を見ると、OL風と言うか、キャリアウーマンっぽい感じの女性が眼鏡越しにこちらを恨めしそうに睨んでいた。
買うのの邪魔だったかな、と慌てて自販機の前から退くが、彼女は一歩も動かない。自販機から俺が離れたせいか、自販機と俺の方を、交互にちらちらと見てくる。
なんだ、この人。
しばらく缶を手に持ったまま膠着状態に陥っていたが、このままだとアレなので世間話でも振ることにした。
「……あー、その、今日は、とてもいい天気ですね」
「とてつもなく天気は悪いと思うんですけれど……」
馬鹿め、これは話題を広げるためのジョークだ。決して童貞だから異性との会話のきっかけに困った訳じゃないぞ。
「……それとも、西海岸ではこれが普通なのかな……?」
だというのに、ぶつぶつと独り言を言い始めてしまう女性。おいおい、もしかしてコミュ障なのか?
「えーと……それで、飲み物買わないんですか?」
俺がそう問うと、彼女はハッとしたようにこっちを見た後、うつむいて首を振った。
「……ええ、買わないの」
「でも、喉渇いてるんじゃないんですか。凄くこれ、羨ましそうに見てましたけど」
そう言って缶を持ち上げると、彼女の視線がつられて動く。まるで猫にまたたびを見せたときみたいだ。
「……渇いてるけれど、でも、ダメなんです」
「ダメ?」
「カード、持ってないから」
カード? と少し考えてから、ああと納得した。この自販機、硬貨が使えないのだ。電子マネーを支払える機器でないと、購入が出来ない不親切設計。俺はメルドーから貰った大金入りのIDカードがあるから安心なのだ。
「じゃあ、貸しますよ。現金はあるんですよね?」
「……その、現金もあまりなくて」
あまりって、ジュース分も無いってことか!? ここってVIPラウンジじゃなかったのかよ。
「……いいですよ、奢ります」
「え、そんな、悪いです」
そうは言うけどこの状況で奢らずに踵返して帰るなんてあり得ないでしょう。断りながらもこの人、目を期待に輝かせているし。
「大丈夫です、これでも少しは余裕がありますから」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って彼女は自販機の前に立ち、飲み物を選び始めた。真面目そうな雰囲気なのだが、どこか抜けているところがあるな、と思った。考えてみるとそんな女性ばかりな気もしてきたが。
「……あの」
「なんすか?」
「この……モルポウって果物、どんな果物なんですか?」
あんたも知らないのかよ。