第23話 第217代優者
優者ミイケはやがて、過去30年に渡る自らの過去を語り始めた。既にグラス3杯分空けられたワインのせいか、彼の言葉には意外なほどに感情が篭っていた。
今から30年前、俺と同じ歳で平和なジッパン共和国から突然転移させらたミイケは、俺と同じようにユニタリに迎えられ、そして優者になった。
「居るだけで世界に平穏を齎す」、そんなことを言われて祭り上げられるものだから、初めのうちは悠々自適なロイヤルニート生活を堪能していたという。しかし次第に、退屈で単調な日々に飽き飽きしていった。
やがて彼は2つの楽しみに溺れるようになる。1つは出征だ。与えられた軍の名誉階級を用いて、ユニタリの軍事行動に積極的に参加するようになったのだ。
気になった俺は途中で割って入る。
「あの、出征って、どこに?」
「帝国との国境沿いに住まう蛮族共の地だ。ユニタリに対する反社会的な運動を頻繁に企てるがために、その鎮圧の機会は多々あるのだ」
国境沿い……その言葉にどこか引っかかったが、その違和感の正体には気付けなかった。
「話を続けるぞ」
1つ目が出征、そして2つ目が女だ。優者の名声に中てられて寄ってくる女共に、文字通り溺れたのだ。
当然と言えば当然であった。優者の有する富、名声、権限は正に神話級。無垢でシャイだった男が、自らの欲を抑えられなくなるほどに女に求められるのは自明の理。
「だが……それすらも今は飽きた」
それは見た目の豊かさとは対極にある、枯れた言葉だった。
「気付いたのだよ、これは老後だとな。誰かに求められ働くこともなく、ただひたすらに時間のある限り、自らの趣味嗜好を満たし続けていく……。私はこの世界に来てから、ひたすらに老後を過ごしてきたのだ」
見れば、彼は傍らの女体を撫で、そして女らに撫でられつつも、興奮しているような様子は一切なかった。
「遠征も、食事も、女も、最早全て惰性。唯一女のみは相手有ってのこと、この身一つに決められるものではない。しかし私から施すことはもはや適わぬ。こうして、歪んだ形で繋がることしか出来ないのだ」
頬に這わせたワインの雫を女に舐めとらせながら、ミイケはそう語った。それはつまり、発散できない性欲を昇華している姿なのか。歪んでいるが、それがせめてもの愛情表現だというのか。
我欲を滅することは、古来より理想の境地であるとされる。しかし強いられてその域に達することは、果たして。
「忠告しよう。この世界は、生き甲斐を与えてはくれん。ただひたすらに満ち足りているが、そこには幸福な渇きは無い」
――――
「かつては、期待していた。この世界に」
ミイケは俺の目をじっと見据える。
「この世界に求められたのだと思っていた。何かの役割があるのだと信じていた。異世界に転移だ。自らが主人公であり、そして果たすべき使命があるのだと。――だが、実際は違った。何もなかった。すべてはとうの昔に果たされたあとなのだ。この世界は既に、異世界人のものではなく、この世界に生きる人間の物になっていたのだ。居場所のない私は、すでに意味を失った『優者』という地位に押し込められた」
その目には、俺すらも映っていないような気がした。
「……話しすぎたか。ヤナイと言ったな、少年。この国において優者となるということは、すなわち全てを与えられるということだ。しかしそれは、自らの意志で手に入れるものが無くなるということを意味する。努々、そのことを忘れるな」
話を聞き終え、俺は無言で彼の姿を見ることしかできなかった。
あんなに大きく、不気味なほどに肥えて見えたミイケの身体が、断食をする僧侶のように小さく見える。
それは我欲とは正反対の無欲。これほどまでに満ち足り、欲に満ちて居る様なのに、枯れている。
俺はゾッとした。これが俺の未来の姿なのではないか。
――それでも、まだ腑に落ちない部分がある。
「……ミイケさん、けれどあなたはマイカに並々ならぬ興味を抱いていた。それは、あなたにまだ欲していることを意味しているんじゃないんですか」
俺の言葉にミイケは満足げに頷く。
「その通り。だからこそお前をここに通したと言っても良い」
「……どういうことですか」
「マイカ、お前は私の女となる腹積もりがあるか?」
「ありません」
即答だった。ミイケの気を害していないかと気になったが、ミイケは予想通りといった様子で笑っていた。
「そうだろう。それだからこそ、お前達に心を動かされる。お前は、私には与えられていない。私に与えられていないのならば、私はお前を欲することが出来る」
「……ん?」
……まてよ。何かがおかしい。これって普通俺たちになんかを期待して、夢や目標みたいなものを託される展開じゃないのか? なのになんでミイケさんは、あんなに目をギラギラさせているの?
「マイカ。私はお前を、必ず手に入れてみせる。お前こそが、私に再び生きがいを与えてくれた。それほどまでに美しく、可憐でいて、なのに私に与えられない。それこそ私が欲するもの!」
その目は先ほどとは打って変わって、ギラギラとした生気に満ち溢れている。もしかして、俺たちはエンジンを掛けてしまったのか!?
「ひえっ……」
「……私は既に、ケイジくんの所有物です。あなたのモノになるつもりはありません」
おい、嬉しいし正しいけど、その言い方は誤解を生むぞ。
「ほう! 意外だなヤナイ、淡白な顔をして、調教はしっかりと行っていると見える。いや、私にもお前のような頃があった……」
そう言って遠い目をし始めた優者ミイケ。前言撤回、こいつは枯れてもないし、性欲の昇華でもなんでもない。純粋なヘンタイだ。
「いずれ手に入れてみせよう。しかし……今はその顔を、近くで見るに留めておこう」
ミイケはぎしいと音を鳴らしつつ立ち上がると、その巨体を揺らしながらこちらへ近づいてくる。よろよろとマイカの方へ近づいていくと、身体を屈め彼女の目を見る。
「ほう……やはり、水晶のように美し――!」
そう言う途中で、ミイケの口が止まる。見ればその目は驚きに見開かれている。ロボットだと気付いたのか? しかし同程度の文明世界から来たミイケならば、別にバレても問題あるまい。むしろその変態的な所有欲に対するカウンターになると、俺はバレることに半ば期待すらしていた。
しかし。
「……まさか」
ミイケの顔は、酔の火照りから一転し青ざめていた。その唇は何かを恐れるかのようにわなわなと震えている。一体なんだっていうのか。
「……ヤナイ、この娘はお前と共に、お前の世界から来た、間違いないな?」
それは先ほどまでの、尊大ながらも威厳のある口調では無く、焦りに満ちた単なる中年のようだった。
「は、はあ。そうですけれど」
困惑しながらも俺はそう答える。
「……そうか」
俺の言葉を暫し吟味していたようだが、やがて一息吸うと気を取り直したようだ。
「これは……ロボットかね」
「ええ、その通りです」
「Matured Artificial Intelligence and Kinetics Assistant、マイカです」
マイカの言葉にも上の空で「そうか」と応えたミイケは、そのままおぼつかない足取りで自分の席にどっしりと座ると。
「……今日はこれでお開きとしよう。部屋に帰りたまえ」
と言った。
――――
「明らかに様子が変だったな」
ホテルの湯船に浸かりながら俺はそう言った。
「マイカがロボットだと気付くまでは良いけれど、そこからの反応が不審すぎる」
「怪しんでくださいと言っているようなものですね」
俺とマイカ、二人の声が浴室に響き渡る。このホテルの湯船は、一人で入るには広すぎる。
「悪魔と関係があると思うか?」
「その可能性は高いと思われますが……しかし、彼はこの国の人ほどその信仰に入れ込んでいるわけでは無いでしょう」
そうだ、「治癒魔法」という言葉を発したときの反応を思い出してみればいい。女たちが青ざめていたのに対し、ミイケは嫌な顔をしつつも、異世界人であるがゆえにそれほど痛烈な反応をしていなかった。
「なら何故、あそこまで過剰反応を……」
湯船に深く身体を沈め、血行を巡らす。そうすれば思考が明瞭になるかとも思ったが、逆にのぼせてくる。
「……あー、わからん。全く、抽象的な話した上に、変態プレイを見せつけた挙句、謎まで残しやがって」
「ケイジくんも、あのように悩むことになるんでしょうか」
「……どうだろうな、自分ではそれなりに目的を見つけられたと思うんだけど」
エルレシアとの約束、それが今俺が優者という立場を受け入れる動機となっている。しかしそれがいつまで続くものなのかは分からない。
あの肥え太りながらも枯れた姿。「飼い殺し」という言葉がよぎる。優者とは、このユニタリにてただ飼い殺しにされる存在なのだろうか。
俺はそんな予想を追い払うように、明るい声を出した。
「それより、風呂入ってこないのか? 一緒に入ろう。なんのための防水機能だ」
「……防水機能は雨や急な浸水のためです。入浴のためではありません」
「恥ずかしがるなって、俺が部屋で全裸になった時の映像も記録に残ってんだろ? 今更恥じらう必要ないだろう」
「なんで私が見られることに対して、頭が回らないんですか!」
そう一丁前に恥じらう声が、手に持つスマホから流れてきた。