第1話 中近現世(地図有)
――――
「中世ファンタジー」という言葉がある。ヨーロッパの中世風な文化に、剣と魔法のファンタジー要素が混ざった世界観を指す言葉だと理解しているけれども、
「ああいうジャンルに出てくる文化ってだいたい中世じゃなくて近世のものだよね」
と高校一年のころクラスメイトに言って、ウザがられたことがある。でも、絶対そうだって今でも思ってる。
現実逃避がてら、そんなことを考える。考えたところで風景は何も変わっていないが。
冷たい床は大理石というやつだろうか、ツルツルと光沢を放っているが、部屋が薄暗いせいで色は判然としない。三方は同じような素材で囲まれており、光は入口のほうから差すのみ。そしてそこをふさぐようにして、甲冑の男たちが立っていた。
どう考えても、ここは俺の部屋じゃない。じゃあ、どこなんだ。
――異世界転移、なんて言葉がよぎる。web小説かなにかで有りがちな展開だ。だがありがちなのは創作の世界での話だ。現実に起こったなんて、聞いたことがない。
そりゃ、異世界に行ったやつは異世界に居るんだから、元の世界でそいつの話を聞けるわきゃ無いけれど。
それにここがいわゆる異世界であるとすんなり信じるためには、超えねばならぬ幾つかのハードルがある。
まず一つに男たちが握る"アサルトライフル"。どう見てもマスケットだの火縄だのというようなローテクの産物ではない。米軍とかが使ってそうな、黒くツヤのない金属製のものだ。FPSで見たことあるぞ。中世風異世界文明にはふさわしくないと思います。
次に、それを握る人々の人種だ。半分は白人、コーカソイドだが、もう半分は俺と同じモンゴロイド風、僧侶はどう見てもニグロイドだ。いや、俺に差別的な思想があるわけじゃないはずなのだが、しかしお約束には反してる。そいつらが揃いも揃って中世改め近世的西欧風な服装をしているのだから、違和感が凄まじい。
よって冷静に判断するならば、「多国籍テロ組織のコスプレパーティーに、寝ている間に招待された」という推測が成り立ってしまうのだ。是非とも不正解であってほしい。
「――もし」
ビクリとまた固まる。突然な声掛けにビビったのもそうだが、声の主が先程の怒鳴り声と同じなのだ。おずおずと目で発生源を探すと、黒人僧侶と目があった。よりにもよってお前かよ。
「う……あ」
本当に差別意識は無いはず。しかし何重にもドメスティックな人生を送ってきた俺にとって、その眼力のプレッシャーは耐え難かった。率直な話、恐い。見上げる様な大男で、ゆったりとした服の下にどのような身体が潜んでいるかは分からないが、筋骨隆々である可能性87パーセントといったところだ。
一歩、二歩と僧侶が近づいてくる。ヒッ、という声すら出せずに後ずさる。また一歩、後ずさる。一歩、後ずさ、れない。背中に壁を感じ、いよいよ逃げ場が無くなる。
そのまま僧侶は両腕をバッと開き。
「ひッ……」
銃を投げ捨てる。
「……へっ?」
そして男は跪き。
「――ようこそおいでくださいました、優者様」
周りの騎士ともども、深々と礼をした。
――――
「優者様――あなたの事です……そう、あなただ」
困惑する俺と目が合うと、僧侶はゆっくり、安心させるように頷く。つるりとした彼のスキンヘッドが、黒く光る。
「いいですか、落ち着いて聞いて下さい。……ここはあなたが元いた世界ではありません。その地とは異なる、別の世界、別の星なのです」
「……は? な、何を言ってるんですか? というか誰なんですかあなた達! ここはどこなんですか!」
「落ち着いて下さい。我々はあなたに危害を及ぼしたりはしません。ゆっくりと状況を説明します。質問にも全てお答えします。だからどうか、ご安心ください」
低く渋い、よく通る声だ。高ぶっていた気持ち、つまり本能的な恐怖が少しずつ収まってくる。鎮まることで逆に気づく。しっかりと身体が恐怖に染まっていたのだということを。
「……けれど、いくらなんでもいきなり過ぎる。何が何だか……」
あまりにも現実味がなくて喧嘩を売る様な口調になってしまったが、ふとマイカのことを思い出して青ざめる。もしかして本当にテロ組織が、マイカを狙って? マイカはその希少性から、未だに数百万円単位で取引されている。いや、しかしそうならわざわざ俺まで外へ連れ出し誘拐する必要は無いはずである。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、黒人が頷く。
「お気持ち、お察しします。しかし何も、こちらも理解を急かしているわけではありません。我々がこうして異世界から人を迎えることは初めてのことではなく、何人もの人々に現実を理解してもらった過去があります。我々が提示する情報を、是非ともゆっくりと吟味してください」
まるでカウンセラーか何かのように、彼はゆっくりと述べた。そこに敵意は無い。有無が言えない状況でさえなければ、すんなり信用できただろう。
「……分かりました。とりあえず説明を聞かせて下さい」
悠長な話だが、しかしこの男は状況を説明してくれるという。銃を投げ捨ててくれたこの男の誠意を、今は信じるしかない。僧侶は肯き、「説明」を始めた。
「では、まずは簡潔に。私の名前はタニ・メルドー。この聖地……異世界からの旅人を迎える地、ジーハンの管理を行う者です。後ろに立つ者たちは、連邦共同体、この地を支配する国から使わされた護衛です。物騒な出で立ちで申し訳ない」
そう言い頭を下げる男、メルドー。
「この世界の名はティオス。そしてここは、旅門と呼ばれる場所です」
メルドーは手を広げ、石室全体を指し示す。
「原理は不明ですが……太古の昔より、この場所には異世界からの旅人が現れます。周期はおよそ三十年、我々はその周期が近づいていると判断し、ここで新たな旅人を迎え入れる準備をしていた。そしてつい先ほど、あなたが眠った状態でこの場所に現れた。つまりあなたは旅人として選ばれ、この地に転移してきた、ということなのです。とりあえずはこれが現状の説明です」
何度も人を迎えたというだけあって、それは非常によく纏まっている話だった。そして先ほどの直感とも合致している。
……しかし、だからといってすぐ納得できるかと言われればノーだ。相手方の馬鹿丁寧な対応に、こちらにも少し余裕が出てきたので質問をしてみる。
「……ここは、本当に別世界なんですか。その、あなたたちだけを見ても、どうにも単なる変質者に誘拐されたとしか思えなくて……。証拠があると嬉しいです。魔法だとか、あるいは亜人や魔物でも見せてくれるとありがたいのですが」
「確かに、少々説明を言葉任せにし過ぎてしまいましたね。残念ながら魔法は今はお見せできません。後々に機会を設けましょう。亜人や魔物に関しても……残念ながら今はこの世界にはいません。遠い昔に絶滅してしまったのです」
「絶滅?」
想像以上にドライな内容に驚く。魔法があるのは嬉しい驚きだが。エルフや犬耳猫耳と、異世界ならば、と期待していたのに、絶滅とは穏やかではない話だ。そんなものが実在しない、と言うことを隠そうとしていない限りは。
しかし「本当に居世界なのか」という疑念は想定内だったのか、メルドーは懐から折りたたまれた紙を取り出した。目の前で広げられたそれは、地図だった。
「現在今すぐに提示できるのは……この地図です。これが我々が今立っている大陸、ヴェイバル大陸です。そしてこの点が現在地であるジーハン。どうでしょう、あなたのいた世界と大陸の形は同じでしょうか」
提示された大陸は見たこともない形をしていた。地図の上の方には「ヴェイバル大陸全図」と記されており、その下に描かれた大陸は、上に反る弓のような形をした一つだけ。真ん中より西よりに引かれた国境線の西側の領域は「連邦共同体」、東半分は「大ヴェイバル帝国」の版図であると記されている。
「作り物だと思われるのならば、実際に歩いて測量しても良いでしょう。或いは飛行機に乗って上空から見るのもよろしいかと」
その言葉に滲む自身に、俺は最初の疑念を取りあえず保留する。だがまだ疑問は尽きない。
「僕を呼んだのは、あなた方なのですか? それとも……神?」
その言葉になんでもない様子でメルドーは答えた。
「この世界に神など居ません」
「へえっ?」
あまりの断言っぷりに声が出た。
それは発言だけ切り取ると、人生が嫌になったおっさんが酒を飲みながらわめいてたり、或いは目の前で大切な人を失った軍人が叫ぶような内容だった。だがその口調は、淡々と事実を述べているだけ、といった感じだ。メルドーはそんな俺にお構いなしで話を続ける。
「しかし、我々が呼んだわけでも無いのです。この言い方が適切かどうかは難しいのですが……自然現象に近いものです」
「……言葉は、どうして通じてるんですか?」
「恐らく、あなたは自分の母語をそのまま喋っていると思われますが、我々の耳には我々の言語、共通語を喋っているように聞こえています。逆もまた然り。かつての旅人の方々も皆同じです。旅門を通った異世界人と交わされる言葉は、自動的に通訳されている、そう説明するしかありません。旅門の加護、と言ったところでしょうか。我々もこの現象の全てを理解出来ているわけではないのですが、先例がそれを裏付けています」
実に都合の良い話であった。理由が良く分かっていないというのは気になるが。次に気になったことは。
「甲冑を着ているのに、剣を握っていないのは。銃を握るには相応しくない格好に見えますが」
「甲冑は、いわば伝統衣装です。そしてこれは……銃、すなわち火薬を用いて実弾を放つ武器ではありません。杖と呼ばれるもので、魔法を行使する為に必要な道具です」
「……ずいぶんと実用的なデザインの杖ですね」
あれが杖? どう見ても海兵隊あたりが持ってそうなアサルトライフルにしか見えないぞ。あれから放たれる「魔法」というのも、なんだかこちらの想像とは異なるような気がしてきた。
――――
次の質問は、自分の脇を指さしながら言った。
「アレを、あんな状態にしたのはあなた方ですか?」
指さした先には、未だに横たわっているマイカが居る。そういえば何故こいつも、ここに居るのだろう。俺の近くに居たからだろうか。それにしては俺の身体に密着していたはずのベッドなどはここには無いが。
「ああ、そうです。あなたに手を伸ばし、危害を加えようとしているように見えたので、制圧行動を取らせていただきました。後々処分しますのでご安心を」
その反応には、若干の違和感がある。一応マイカは、見た目には生身の美少女にしか見えない。それを思いっきり殴り飛ばしたというのだろうか。殴った感触や音から生身の人間では無いことは分かるだろうが……。いや、分かったなら分かったで、あんなに精巧なロボットに対して驚きもしないことも不思議である。そして「処分」。あまりいい意味では無さそうだ。
「……一応あれは俺の持ち物です。できれば丁重に扱って頂きたいのですが」
「なんと」
俺の言葉にメルドーは目を一瞬見開いた後、頭を深々と下げた。
「申し訳ありません。その可能性に思い当るべきでした。補修等はこちらで責任を持って行いますのでご安心を」
補修。やはりこのメルドーという男は、マイカが生身の人間でないことを看過している。それは何故か、そして補修を行うことはできるのか……。いずれも気になることではあったが、しかし今すぐに聞かねばならないことではなかった。
どうしても聞かねばならないこと、それはこれだ。
「……元の世界には、戻れるんですか」
嫌な予感はした。けれど聞かずには居られなかった。メルドーは一瞬「ふむ」と漏らした。それだけでなんとなく答えは分かった。
「お聞きになられた勇気に敬意を表し、率直に、正直にお答えしましょう。残念ながら、有史1100年の歴史を振り返っても、異世界からの来訪者が元の世界に戻ることができたという記録はありません。全ての人は、この地で最後まで生き、そして骨を埋めてきました。無論、この先起こりえないというわけでは無いのですが」
敬意を表し、などと言われては強く抵抗も出来ない。ああ、そうなのか。元の世界には戻れないのか。あのクソ詰まらない学校生活と、彼女も出来ない乾いた私生活、そして地獄のような就職活動に塗れた元の世界に。
……憎まれ口を叩いてみたが、勿論ゾッとするような怖さがある。父と母だ。彼らに孝行出来ずにそのまま世界を去ってしまった。それは考えてみればとてつもなく恐ろしいことだった。半ば家出するように飛び出し一人暮らしを始めたとはいえ、もし悲しみと言う感情を抱かせてしまうとしたら、それはとんでもない不孝者である。
ただ、どこかで無根拠に楽観しているのも事実だった。まず、これは夢である可能性が凄まじく高い。三秒後にはマイカに叩き起こされ、四限の授業に向かわされる羽目になるのが一番あり得る未来だ。
そしてもし夢でなかったとしても、俺の幸せに関しては問題ないだろう。なぜなら、転移するような人間と言うのは、「主人公」と相場が決まっているからだ。それも異世界である。少々お約束からはズレいているようだが、色々とやれることはあるだろう。まずはそこに期待しようじゃないか。
「とりあえず、質問はこれくらいでよろしいでしょうか。新しい疑問が生まれ次第、随時お答えするので」
話を進めたそうだ。そう思って頷くと、実際その通りだったようでメルドーは姿勢を正した。
「では本題です。まず、お名前をお聞きしても?」
「……柳井、慶治です」
「ヤナイ様、ですね。それではヤナイ様、私があなたのことを最初になんとお呼びしたか、覚えていますか」
最初と言うと……。「触れるな、無礼者!」というのが最初だったから、無礼者が正解だろうか。いや、でもあれはマイカを突き飛ばすための発言だったはず。すると最初と言うのは。
「……ユウシャ、と呼んでいたような」
そう。あまりにも自分に似合わない言葉だからよく分からなかったけど、そんな風に言われた。つまり、勇者?
「その通りです。先ほど、一つお伝えしなかったこと、それがこの『優者』です」
メルドーは、こちらの目を見据えながら話を続ける。
「古より、この地に現れる異世界からの訪問者は、この世界に平穏と発展を齎すもの、『優者』とされています。そしてあなたにも、その名を受け継いでほしい。これが私たちがここに来て、あなたを迎えにきた最大の理由です」
「……まさか、魔王でも倒せ、とでもいうのですか。腕っぷしは強くないし、強くなった感覚もありませんが」
ファンタジー世界で勇者と言ったら、絶対に出てくる敵方の親玉の名前を出す。まさかここから異世界を駆け巡る大冒険をしなければいけないのだろうか。
「いいえ、この世界に魔王など居ません」
「は?」
その言葉に首を横に振るメルドー。ならば、ユウシャとは一体なんなんだ。
「優者、それは存在そのものが安寧を齎す存在。武器を振るって争いに参加したり、危険な地域に身を投じる必要もありません。ただ、この世界に居てくれる、それだけでよいのです」
――――
返答は今すぐでなくても良い、と言うメルドー。
「まずは我が国の首都、レイジンにぜひお越しいただきたい。この地域には宿泊できる施設等もありませんし、我が国が行える限りの歓迎をしたいのです。大統領閣下も、旅人である貴方との面会を望まれています」
大統領が居るということは共和政のようだ。先ほど見せられた地図が思いだされる。東半分の恐らく大国であろう国は帝国を名乗っていた。帝国と共和国、きな臭い予感しかしない。
「ひとつご安心頂きたいのは、我々があなたをもてなす理由は、あなたが優者となるからではなく、異世界からの旅人であるから、ということです。もし仮にあなたが優者の名を返上したとしても、我々は変わらぬ待遇をお約束しましょう」
その言葉に若干拍子抜けする。恩を売りつけ断れなくするという常套手段、その一環が先ほどの提案だと思っていたからだ。実際のところがどうなのかは分からないが、こちらを安心させてくれようという心意気には感謝したい。
「……わかりました。こちらにお断りする理由はありません。ぜひあなた方の首都へ訪問させてください」
その言葉に、メルドーは初めて微笑んだ。異世界でも人の歯は白かった。
「外に車両を用意しております。空港まで陸路で1時間、そこから空路で2時間で首都に至ります。少々長旅になりますがご容赦を」
――――
外で待つので準備が出来次第出てきてください、そう言ってメルドーと甲冑騎士たちは去っていった。一瞬で静まり返る部屋。まるで洞窟のようで、つばを飲み込む音すら一々響く。
そんな中、音も起こさずじっと横たわり続けるマイカに声を掛ける。
「おいマイカ、異常は無いか」
「右臀部アクチュエータ及び骨盤調整部ギアCが損傷しました。パーツ交換を推奨します」
想像以上のダメージに度肝を抜かれる。ええ、直せるのかよそれ。さっきメルドーは直すって言ってたけど、パーツとかあるのか?
「……そうか、見積もり出せるか?」
「インターネット接続環境が無いため、処理に失敗しました。インターネットに接続できる環境で再施行をお願いします」
この石室が電波を弾いていない限り、この地は4G回線の電波すら拾えない僻地ということになる。それは少なくとも日本国内ではなさそうだ。
そしてここが異世界だとして、異世界産の電波が届いていたとしても、異世界のネットなどプロトコルだの仕様だのが違うだろうし、接続できなくて当然だ。
「……しばらく、それで堪えて。当分の間修理には出せなさそうだ」
「了解しました」
そう言うとマイカはおもむろに動き出し、さっと立ち上がった。おい、立ち上がれるのかよ。
「てっきり、立ち上がれなくなるくらい壊れていたのかと思ってたけど、どうしてさっきは立たず、今は立ったんだ」
「現在はセーフモードです。故障部分に負担が掛からないよう負荷を他パーツに分散していますが、これは別の故障の要因となり得るため、指示が無い限りは実行しないようになっています」
なるほど、一部をぶっ壊すなんて発想が無かったが故に、そんな機能があるとは知らなかった。
「高そうな部分のパーツが壊れないような形で、俺に付いてきて」
そう言うとマイカは、俺の後ろをまるでお漏らししそうな幼稚園児のような感じで付いて来た。これが2025年の技術の結晶である。口から淹れたお茶を股間から注げる機能もどうせなら付けてほしかったものだ。
俺は自分の身体を眺める、なんら不審な点は見られない。筋骨隆々にはなってないし、精霊的な存在からの呼びかけも聞こえない。ピンチに陥らなければ発動しない力でも無い限りは、俺は完全に単なる一般人だ。
ちらと振り向き、俺はマイカを見る。
「……」
無言で見つめ返してくるマイカ。股を擦るような歩き方。
……。
もにゅ。
「もう、ダメですよ」
……。
大枚を叩いて買った手前、ずっとこの言葉を使うことは我慢していたが、異世界に来て後腐れのない今なら胸を張って言える。
――こいつ、ポンコツロボットだ。
えも言われぬ気持ちになりながら、俺は光の方へと歩を進めた。
タイトルの元ネタは今年のヒットソングです