第15話 疑念
「ケイジくん、起きてください」
とんとんという、肩へのそっとした刺激で目が覚める。目を開くと、もう見知って一週間ほどになる無駄に煌びやかな天井があって。
肩をたたく手が伸びてきている方を見ると、朝日を背に、マイカが立っている。
「……朝か」
優者に関する説明会からの、マイカを連れてのマジックフェスタリオで昨日はすっかり疲れたから、いつもと比べかなり早い時間に眠りに就いたのだった。
なんというか、朝日を拝むのは相当久しぶりかもしれない。この世界に来る前は大学の授業があっても昼まで寝ていたし、来た後も大体昼まで寝ている。とんだぐうたらっぷりだ。
上体を起こして、部屋を見回す。一週間もここに住んでいたせいで、もう俺の部屋と見紛うばかりに散らかされている。元来掃除は苦手だ。だからこそ、マイカを買う前は彼女に掃除をしてもらうことを夢見ていたのだが、自然言語プログラミング機能の実態を知ったあとはそれへの落胆も手伝ってなおさら部屋は掃除しなくなったものだし。今ごろ俺の部屋はどうなってるんだろうなあ。
そんなことを考えながら、俺はマイカに話しかける。
「あれ、俺目覚まし頼んだっけ……」
「いいえ、指示されていません。ですが、昨晩はかなり早くに眠った上、脳波を調べたところ既に十分な休息は取っていると判断したため、起こしました。ダメでしたか?」
そういって首をかしげるマイカ。そんな仕草されて、ダメって言えるわけないだろ。
「いや、頭はスッキリしてるし、いいよ。それより、それは?」
俺はマイカが手に持っているマグカップを指差した。
「これは、コーヒーです。地球で飲用されていたものと、品種的に近縁といっても良いくらい似通っているので、美味しく飲めると思いますよ」
「コーヒー……そうか、コーヒーメーカーがあれば作れるんだったな。家にコーヒーメーカーが無かったから、その機能使わなかったけれど」
それに俺、あまりコーヒー好きじゃなかったからなあ。
そんな機能もあったなあと思い出して一人うんうん頷いていると、マイカは少し不思議そうな顔をして言った。
「いえ、この部屋にはコーヒーメーカーはありませんでした。普通に、インスタントコーヒーをやかんのお湯を用いて淹れました」
「え?」
俺は虚を突かれて驚くが、困惑しているのはマイカも同じだった。
「……なにか?」
「いや、どうやって淹れかたを知ったのかなって」
「……普通に、インターネットを用いて、検索しました」
それがどうした、といわんばかりのマイカ。確かに、もしマイカが普通の人間だったら当たり前のことだろう。
だが、マイカは人工知能だ。
「……マイカ。自然言語プログラミング機能を起動だ」
「はい」
俺は彼女の目をみて、あえてシンプルにこう言った。
「この部屋を、掃除してくれ」
――――
30分後、俺は目を丸くしていた。
散乱していた服はまとめて洗濯籠に入れられ、この世界の勉強をするために読んでいた新聞はまとめて積まれている。ベッドシーツは外され丁寧に畳まれていて、それ以外のゴミはゴミ箱の中だ。
「……マイカ、このゴミだけど、分別されてるよな?」
指差したのは部屋のゴミ箱。ユニタリは分別の基準がとても厳しく、分類は細分化されている。たとえばティッシュとコピー用紙は、別々のゴミ箱に捨てなければならない。たとえコピー用紙がくしゃくしゃだったとしてもだ。
「どうやって、分別した?」
「どうやっても、何も……ゴミ箱に、書いてあるじゃないですか、分類が」
そうだ、そのとおりだ。ゴミ箱に丁寧にイラストつきで書いてある。それを見て、そのとおりに分別した。なにもおかしくは無い。マイカが、人工知能でなければ。
「……ケイジくん。あなたの疑問の答えになるかはわからないですが、私が理解していることをお伝えします」
悩む俺から察したのか、マイカも真剣なまなざしになって話す。
「私の知能は、マクセン博士によって増設されたプロセッサーユニットによって増強されていますが、このプロセッサーユニットの性能は、不可解な程に高いです」
「不可解な程……?」
「このパーツだけで、2026年時点における地球上に存在した、全てのコンピューターシステムの計算性能の合計に匹敵する処理能力を有しています」
「はあ!?」
愕然とする。なんだその狂ったような数字は。
「つまり……」
「つまり、この世界の技術力は、私たちがいた世界よりも遥かに発達している可能性が高い、ということです。しかし、それが不可解なのです」
「不可解……そうか」
俺はようやく、この会話が始まって以来抱いていた疑問の正体を見つけた。
「おかしいんだ。既にマイカは、人間と同じように振舞える人工知能だ。それを可能にしたのはこの世界の技術。なのに――」
俺は、窓の外を見た。美しく、豊かな街。だがそこには、どこか俺には知覚出来ないヴェールのようなものがある気がした。
「この世界には、マイカのようなロボットが居ない」
――――
高度な人工知能を可能にする技術と、ロボットの不在。これが一体何を意味するのだろうか。
「一般に、ひとつの作業に特化していて、それ以外のことが出来ない人工知能を特化型AIといい、逆に人間と同じように、柔軟にさまざまな作業を行える人工知能を汎用AIといいます」
「聞いたことがあるぞ、たしか大学の授業でやった。近未来経済学、つったかな」
「そうです。私はケイジくんに指示され、その授業の教科書を読まされましたから」
「……その節はごめん。マイカが課題のレポートを書けるかどうか、試したかったんだよ」
「あのときは無理でしたが、今だったら書けますよ?」
「いいよ、冷静に考えればカンニングだ」
冷静じゃなくても、カンニングだけど。
「話を戻します。特化型AIは、2026年の地球でも既に実現済みでした。しかし汎用AIは、それらしきものが発表されたという話は私のデータベースの中には記録されていません」
「俺も聞いたことが無い」
同意する俺。汎用AIってのは、要するに今のマイカみたいなものだ。人間と同じように言葉を解し、話し、そして行動する。そんなもんが出来たら誰だって飛びつく。まあ、初期のマイカがそういうもんだと思って飛びついたのが俺なのだが。
「なぜ汎用AIが実現できなかったか。それは技術的特異点に科学技術が達していなかったからです」
技術的特異点! それなら俺も聞いたことがある。
「たしか、コンピューターの性能が人間の脳みその性能を上回る瞬間のことだよな?」
俺の言葉にマイカはこくこくと頷く。
「シンプルに言うならば、そうです。そうなれば、原理的には人間の脳を直接シミュレーションすることが可能となり、電子の人格を再現することができるようになる……そのとき、汎用AIが誕生する、ということになります」
その言葉は、しかしある結論を導き出すことになる。
「……しかしマイカ、お前が生まれることが出来たということは」
「そうです。私は明らかに、汎用AIとなりました。これを可能にしたのは、このCPUです」
そういってマイカは右のこめかみをとんとんと叩いた。
「つまり、この世界は既に汎用AIを作ることが出来る。技術的特異点に達しているということです」
その言葉に、先に同じことを考えていたにも関わらず心が揺れる。俺は部屋を見渡し、ふらふらと立ち上がり、窓の外を再び見た。
「……技術的特異点の先の世界では、何が起こるとされている?」
「人間が、人間の限られた思考力で予測することができないようなことが、起こるとされています」
つまり、何かとんでもないことが起きるはずだということだろう。
「けれど、この世界は……普通だ。なんにも変じゃない。そりゃあ、魔法みたいなもんはあるけれど、それ以外はなんにも。ここはアメリカの東海岸に作られたテーマパークだって言われたら、下手したら信じちまう」
そうだ。何もかも変わらない。コンクリートジャングルの間を車が走りぬけ、人々が談笑しながら街を練り歩き、財布を持って買い物を済ませて、家に帰り飯を食う。そんな、ごくごく自然な日常。
それが保たれているということ、ひょっとすれば、それ自体がそもそもおかしいのだ。
「……これは、あくまで仮説ですが」
マイカは声を潜めて言った。
「もしかしたらこのユニタリという国は、意図的に私たちに見せる文明レベルをセーブしているのかもしれません。どういった意図があるのかは、全くわからないですが」