第13話 Who am I?
部屋に張り詰める異様な緊張感。ベッドに投げ飛ばされた俺は、呆然としてマイカを見つめた。
「マ、マイカ……?」
俺を投げ飛ばしたままの姿勢でこちらを見つめてくるマイカは、わずかに眉を顰め、自分でも自分の行為に驚いているような顔をしている。マイカのそんな表情を、俺は見たことなかった。
「……なんですか」
その声はなんだか冷たい。感情のこもっていない冷たさというよりは、感情を意図的に込めていない冷たさ。
「いや、えっと……どうして、俺は放り投げられているの?」
しばし逡巡するように黙ってから、マイカは口を開く。
「……決まってるじゃないですか。ケイジくんが、突然私の胸を揉んできたからです」
「……ああ、なるほどね」
そりゃ、直接的な因果関係はそうだろうよ。けど聞きたいのはそういうことじゃない。
「けど、今まではこんな反応しなかったじゃないか!」
「今までは何も感じていなかったからです。けれど今は、感じます」
「感じるって、何を」
「……羞恥心です」
そう言ってマイカは、頬を染めた。
「――な、な、な、な……」
常識外れのことが連続して起こりパニックになった俺は、投げ飛ばされながらも手には握っていた電話にすがりついた。
「は、博士! ウチのマイカに、なにしてくれたんですか!?」
『何って、言ったろうよ。知能を増強した。相当な苦労だったんだぞ? アーキテクチャから何から、全部こっちのものとは違ったんだからな。労え』
「増、強……」
確かに、そんなことを言われたような気がする、けど、大した変化など起きないだろうと……。
『ところで一体何やってんだお前ら、酷い叫び声が聞こえたんだが』
「……その、いつもマイカにやってるみたいに……」
『おう』
「マイカの胸を揉んだんですけれど……」
『待て、いつもやってるだと?』
「あ、いや、言われてみればいつもよりもっと激しく揉んだかも」
『ハァ~~~~……』
下手すれば耳元に熱気が掛かるんじゃないか、というくらいに深いため息が聞こえて来た。
『……脳幹部に比して異様なまでのボディの作り込み具合から、なんとなく検討は付いてたんだが……異世界人ってのはヘンタイ揃いなのか?』
「それってどういう――」
『お前、女友達を一人思い浮かべろ』
言われて俺は即座にエルレシアを思い浮かべる。何故って、地球には女友達なんて一人も居なかったからな。地球単位でだぞ、マジで。
「思い浮かべました」
『で、久しぶりにそいつと再会したとする』
「はい」
『そして、出会い頭にお前が、そいつの胸を揉む。どうなる?』
「……殴り飛ばされて、罵声を浴びせかけられた挙句、通報されると思います」
『だろう。まあ、まともな目には合わんだろうな』
いや、だろうとは言うけど、そりゃそうだけど。
「それとこれとは、話が違うんじゃ――」
『違わねえよ』
きっぱりとマクセンは言い切る。その自信に満ちた物言いに、俺は何も言えなくなった。
『もうそこに居るのは、おめえがこれまで接して来た、スクリプトレベルの会話しか出来ねえ人工無能じゃねえ。マイカっていう、一個の人格を有した存在だ。そのように扱え』
「一個の、人格……」
その言葉をオウム返しのように呟きながら、俺は目の前に立つロボットを見た。
外観は全く変わっていない。短く揃えられたボブカット、ぱちりとした目、透き通るような白い肌、つかめば折れてしまうのでは、というほどに細い手足。だけれど今の彼女はこちらを見て、どこか気まずそうにもじもじとしている。俺が知っているマイカは、指示がないときには微動だにせず直立不動を続けていたというのに。
二か月も部屋で過ごすマイカを見てきたのだからわかる。マイカは、これまでとは違う。
「……そうなのか?」
きっと要領を得ない質問に違いなかった。けれどマイカは、困ったように眉を八の字にしながら。
「……そうみたいです」
とはにかんだ。
――――
『本当はもう少し時間をかけりゃあ外部サーバーによるクラウドコンピューティング機能だとかも盛り込めたんだが、この期間じゃあ必要なパーツが用意できなくてな――』
ペラペラと電話の向こうでマクセン博士がしゃべっているが、半分も耳に入ってこない。
「――マイカ、なのか?」
それは一体どういう意味に聞こえたんだろうか。俺の言葉に、マイカは少し悲しそうに表情を歪めた。いったいどういうことなのだろうと尋ねる前に、マイカが応えた。
「……多分、そうです」
それは予想外にあいまいな答え。
「多分?」
「正直に言って、私にも分からないんです。今のこの私が、ケイジくんの知っている私なのかどうか」
彼女は、滔々と思いを告げてくれた。
「私の意識とそれに連なる記憶は、今朝、マクセン博士の家から始まっています。その時以来私は、たくさんの気持ちや感情に初めて触れてきました。けれども、それ以前の私の記憶は、靄がかかったようにぼやけているんです」
彼女と同じように白い月の光が、窓の外から射してきている。
「私は、ケイジくんと、ケイジくんの部屋で過ごしたときの記憶を保存しています。けれどそのときに何を感じていたか、何を思っていたか……私には分からないのです。感情のコーデックが過去と今では異なるのだと、マクセン博士は言っていました」
「コーデック……」
専門的な言葉で、よくは分からなかった。けれど、目の前には寂しそうにしている少女が居た。
「私は、何度も自分のステータスを参照しました。私は製造番号MA-0254PU、Matured Artificial Intelligence and Kinetics Assistant、マイカです。ケイジ君が買ってくれた、マイカのはずなんです。けれど、連続していない。断絶しているような気がして、ならないんです」
そう言ってマイカは俯きながら言った。
「――私は、マイカなのでしょうか。ケイジ君が購入してくれた、マイカなのでしょうか」