第12話 前兆
大ヴェイバル帝国の成立は、今から1186年前に遡る。初代皇帝ヴェイバル・リカルド・ウォーカーは異世界よりこの惑星ティオスに転移して来た優者であり、暗黒時代の混乱の中、その卓越した武勇と知識により多くの人民の支持を得て勢力を伸ばし、ヴェイバル大陸東方の三十余国を平定。帝国成立と同時に皇帝に即位し、その年を正統ヴェイバル暦元年とした。
以来200年の発展期を経て帝国は領土を拡大、正統暦210年ごろには大陸全土を支配下に置き、以って暗黒時代に終止符を打った。以降600年に渡り、帝国は安定した平和と発展を謳歌することになる。
帝国の黄金期を支えたのは、やはり優者であった。異世界より到来した優者によりもたらされる知識は、暗黒時代以降人類文明の再興を願うヴェイバル人にとって正しく天よりの恵みであった。彼らの知識と、貪欲に発展を目指すヴェイバル人の熱量は相乗効果を生み、文明と文化は非常に早いスピードで進歩していくこととなった。但しそれは、優者信仰を一層深いものとする側面もあった。
しかし正統暦837年、七カ国革命と呼ばれる反乱により西方7地域が連邦共同体を名乗り独立を宣言。同時に優者輩出の地である聖地ジーハンを奪われる。革命宣言においてユニタリ政府は「優者を道具として用い、不当に弾圧している」として帝国を非難、自らの革命を「優者保護のための歴史的要請」と称した。
帝国中枢はその事態に際しても動じなかった。ユニタリの国土面積は残存した帝国領の20分の1程度である上、既に帝国は産業革命の段階を迎えていた。優者による知識も段々と発展への寄与度を下げ始めており、国力増大への影響も無く、直ぐに併呑出来るだろうと見ていたのだ。
しかしユニタリが『杖』の発明に成功したことにより情勢は一変する。これは暗黒時代以前、すなわち神話時代に悪魔が用いていたとされる業、『魔法』を行使することが出来る兵器であった。これによりユニタリと帝国のパワーバランスは一変する。
正統暦856年、第一次ジーハン出兵。その死者、4万3千名。その全てが、帝国軍兵士であった。
以来数年間、恐慌状態に陥った帝国首脳により5度の聖戦が計画されたが、その全てが兵力の全滅という絶望的な結果に終わった。
その後も帝国は散発的に聖戦を発動しジーハン奪還を企てたが、その全てがことごとく退けられた。それだけではなく、時を経るごとにユニタリと帝国の技術格差が広がって行く。
ラジオ、テレビ、内燃機関、無線通信、集積回路……これらは全て帝国が発明したものでは無く、ユニタリ産技術のリバースエンジニアリングにより帝国に取り入れられた技術である。逆に言えばその全てにおいて、帝国はユニタリの後塵を拝していたことになる。一つ具体例を上げよう。帝国においてジェット戦闘機が実用化されたのは、正統暦1004年のことである。しかし帝国がユニタリ空軍のジェット戦闘機を初めて観測したのは、正統暦937年のことであるのだ。
そして、絶対的に埋まらない魔法による溝。ユニタリの軍事面における優位は揺るがないものとなった。
帝国にとっての安心材料、それは独立以来ユニタリ側から帝国領を侵犯したことはないという事実だ。国境付近のウェブラ砂漠に住まう機人掃討作戦を行う際に領空を侵犯することもあるが、それは正統暦874年のリグア独立条約にて、聖地上空を飛行禁止区域にすることと引き換えにユニタリに認められた権利である。
よって帝国は、ユニタリという不気味な勢力を西方に置きつつも、それへの恐怖を原動力に緩やかな発展を続ける低成長時代に入ったのだった。
(ライゼン・デンゼルビア著 『帝国の発展及び近代国際関係論』より抜粋)
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帝国内の現在における政治的勢力は、大別すると三つに分けられる。
一つは、現状の安定均衡を良しとし、緩やかな発展を是とする穏健派。次に、ユニタリとの正式な国交を結んで、共存共栄を目指していく平和派。そして、あらゆる手段を用いて聖地奪還及び西方領土制圧、そしてユニタリの再併合を目指す原帝国主義派(原帝派)である。
原帝派は長い間弱小勢力であった。ユニタリの圧倒的軍事力の前に帝国軍が一蹴されてきたことを知る世代にとって、ユニタリを軍事的に制圧することが実質的に不可能であることは自明であったからだ。
だが900年代末期になり世代も交代し、ユニタリとの大規模戦闘が過去の記憶となりつつあるころ、「限界貢献性逓増仮説」というものが発表されると風向きが変わった。要約すると、「一定以上の技術水準に科学文明が達すると、優者による発展寄与度が加速度的に増加する」、という仮説である。優者が300年以上訪れていない帝国においては統計的にも実証的にもその正誤が判定できない仮説であったが、ユニタリの発展を目にした保守的な人間はこの仮説に飛びついた。
「ユニタリの爆発的な発展は、土台となる文明と優者の新たな知識による相乗効果によりもたらされた」というのが、彼らの主張である。それが含意する所は、すなわち「今こそ大ヴェイバル帝国に優者を迎えその知識を得れば、ユニタリ同様の発展を遂げ、彼らに追いつくことが出来る」ということである。
よっと原帝派は優者の確保を再優先事項とし、先の光車作戦において主導的役割を果たした。
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「その光車作戦が失敗したというのに、まだ優者奪還を諦めないと?」
ミケイラは閣議終わりの廊下にて、帝国議員からの陳情を受けていた。会議が終わり既に窓から西日が射してきている。他に予定が無い故、ミケイラ的には今日はもう帰宅するつもりだったのだが、目の前の男はそれを許してくれないようだ。
「その通りです! この機を逃せば、次の優者到来は再び30年後! その時になれば今度こそ、我が帝国とユニタリの隔たりは埋めがたいものとなるでしょう! 優者様のお力の下に帝国を再建するチャンスは、これが最後なのです!」
熱量たっぷりに叫ぶ若い男は、聞くまでもなく原帝派の人間だった。光車作戦失敗直後にも関わらず周囲の目を気にせずその主張を貫くあたり、まだ若々しさが体面などといったものを上回っているのだろう。
「しかし、なんだって私に……」
「ミケイラ殿の聡明さはどのような議員でも知るところです! ぜひ、お知恵を貸して頂きたく――」
そんな様子で調子のいい言葉を並べ続ける議員に、ミケイラは辟易としていた。いっそ、「そんな方法ではすでに彼我の差などひっくり返せない」、という事実を伝えてみようかと迷っていると、僥倖が歩いてやってきた。
「……レジン帝国議員、ミケイラ副官房長官に何用かな?」
すっと廊下の角から現れたのはラクシム。彼は銀縁のメガネを光らせながら、ミケイラに詰め寄る男を問いただした。しかしレジンと呼ばれた若い議員も大した胆力で、何でもないといった様子で平然と返事を返す。
「はっ、ラクシム殿。大事ではありません。その、今度お食事にでもというお誘いを――」
「原帝派への協力要請ならば、やめておけ。その者に対しやることではない」
だがラクシムの方が一枚上手だった。図星を突かれた議員は歯噛みしながらも食い下がる。
「なぜですか!」
ラクシムはその激情を涼しい顔で受け流して、言い放った。
「その者は、無所属だからだ」
「!!」
衝撃に見開かれる目。それは驚きだけではなく、ある種の負の感情も伴っていた。
「じゃあまさか、ミケイラ副長官が、噂の……?」
「どのような噂かは知らんが、まともな物であることを祈ろう」
心底嫌そうな顔をするミケイラ。それを見てようやく議員は、自らの陳情が見当違いであることを理解したようだった。
「……失礼します……っ」
帰りしなにミケイラを見る目は、初めに歩み寄ってきた時とは正反対な暗さが宿っていた。
「……厄介払い、ありがとうございます」
議員が居なくなったのを確認してから、しぶしぶ礼を言うミケイラ。確かに面倒な会話を途中で遮れたことは幸運であったが、そのやり方は不服が残るものだった。
「全く、どうせならもっと声高らかに主義を主張したらどうだ? そうすれば誰も寄り付かん」
「黙っていろと言ったのは先輩じゃないですか!」
「冗談だ」
そう言ってくつくつと笑うラクシムを恨めしそうに睨むミケイラ。
無所属。それは穏健派、平和派、原帝派の何れにも所属しない者を指す。当然異端者であったが、その多くが家柄や政治的紐帯などのしがらみのために積極的な意思表明ができないが故の無所属であるのに対し、ミケイラは違った。
「だが、魔法派などと言えばあっという間に国民全員が敵に回るのだ、無所属を名乗るほかないだろう」
ユニタリの魔法技術を帝国に導入する、それがミケイラの主張だ。それはエルトロ教に正面を切って喧嘩を売る最もラディカルな主張であり、提唱者は政府内にただ一人、ミケイラの他ない。そんな彼女に裏で与えられた渾名こそが「魔法派」であった。
「それはそうですが……穏当に断るアイデアもあったんですよ?」
「どうせ、『優者が今更加わったところで情勢は変わらない』、とでも言うつもりだったのだろう」
「……」
黙り込むミケイラに「やはりな」と頭を振るラクシム。
「全く……何れにせよ、お前が今も政治生命を続けていられるのは、皇帝陛下のご慈悲と例の勲章、そして俺の尽力のお陰であると少しは理解しろ。特に、俺の尽力には感謝しろ」
「分かりましたよ……」
拗ねた様子のミケイラに苦笑するラクシムであったが、その笑みも長続きしなかった。
「しかし……残念なことに、俺の厄介払いも巨視的に見れば無意味ではある」
「どういうことですか?」
疑問符を浮かべるミケイラに対し、ラクシムは言い放つ。
「勅命だ。優者就任式の折を狙い、次代優者の身柄の確保を行う。計画立案に際し柔軟な発想を取り入れるため、ミケイラ副官房長官も作戦立案に参与してもらうよう、と仰せつかった。原帝派は大慌てだぞ」
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「優者就任式、ですか」
改めて優者とこの世界、そしてユニタリと帝国の関係についてメルドーから話を聞いた後、俺は「優者就任式」なるものが存在することを教えられた。ちなみに今会話している場所は、レイジングランドホテル1階にあるレストランだ。
「そうです。その就任式を以って、ヤナイ様は正式に第218代優者となります」
「それってどういうものなんですか? 大統領の前で、宣誓文を読み上げるとか、そんな感じですかね」
「概ね正しいですが、それだけではありません。宣誓後、ヤナイ様には御行脚という行事を行ってもらうことになります」
「御行脚?」
「国家に対し忠を誓った優者が国民の前にお目見えし、挨拶を交わす、という行事です。C3型世界類型の方には、パレードという言葉を使えば分かりやすいですかね」
「はあ、なるほど……観衆の中を練り歩くような感じですか」
その言葉にメルドーは肯いた。うわあマジか、何もやってないのにただ異世界に来たってだけでパレードの主役かよ。誕生日ってだけでテーマパークのパレードの主役にされた芸人を思い出すな。気になった人は「大竹39」で調べてみてください。
「ええと、服装とかってなんか決まってるんですか?」
いくらエルレシアが見定めてくれた衣装とはいえ、私服は不味いだろうなあ。
「当然、正式な衣装がありますのでそちらに着替えてもらえれば大丈夫です。挨拶、といいましても基本的には車の上で観衆に対して手を振るだけですので、そこまで深く構えなくとも大丈夫です」
「あ、そうなんですか」
「しかしそうはいっても、ユニタリ全国民に対して初めて当代の優者様をお披露目する、非常に神聖な儀式です。当日の様子はユニタリ全土に中継されるので、気合を入れて臨みましょう」
「それは、一大事ですね」
「何しろ、優者に関する情報は国家の最重要機密の1つですからね……当然、まだ誰にもヤナイ様のこと、知られていませんよね?」
「も、もちろん」
当然である。金髪エロエロエルフなんかに洗いざらい話してしまったりなどはしていない。
「……まあ今のところ、メディア等も嗅ぎ付けて居ないようですし大丈夫でしょう」
ほっ。ちなみに聞けば、秘匿する理由は東ヴェイバルから俺の身を護るためだという。だったらもっと早く黙っておくよう言ってくれ。エルレシアがスパイだったらどうすんだ。
「祭日に乏しいこの国においては、就任式は実に盛大に祝われます。私も生で見たのは一度だけですが、今でも鮮明にあの盛り上がりを思い出せます。記録映像がありますが、ご覧になりますか?」
「ええ、ぜひ」
そう言ってメルドーはカバンからタブレットPCを取り出し、映像を再生してくれた。映し出されているのはこの前エルレシアと巡ったレイジンの繁華街だ。しかし映像の中の街は人で覆いつくされており、真ん中を通る車道に向け、皆一斉に手を振っている。
そして車道を徐行している、街宣車のような大きな車の上に乗っているのが、どうやら先代優者らしかった。俺と同じようなパッとしない見た目の一般人って顔だったが、ジーハンで会った国家親衛隊の甲冑を更に豪勢にしたようなものを纏い、そして大きな銀色の杖を右手に持っている。
……格好自体はカッコいいんだけれども、どうにも一般人が着るとコスプレ感が半端ない。「ボクちゃん」って感じで、甲冑を着ているのではなく着られているというか。そして俺も絶対あんな感じになるということが容易に予想できた。
悪い予感を振り払うように質問する。
「この杖は?」
「大杖です。古代、優者が悪神を祓った時に用いたとされる杖を再現したものです」
あくまでレプリカということか。本物はどこにあるんだろうな。聞いてみると分からないらしい。また遺失か。
「それにしても、本当に大きな騒ぎですね……」
メルドーが言っていた通り、その観衆の規模は尋常では無い。よく見れば道路の端にはたくさんの出店、屋台が並んでいるし、ビルにはたくさんの旗や飾りが取り付けられている。そして優者を乗せた車の後ろには、ゴツイ四駆や戦車なども走っている。球団の優勝パレードとリオのカーニバル、そして軍事パレードを混ぜたような感じだ。
「でしょう。前回は延べ400万人が参加しましたからね」
「400万!?」
「中継で見た者は1億人を超えたと」
「1億!?!?!?」
ちなみにユニタリの総人口は2億1千万人ほどだという。ユニタリ国民はみんなテレビが大好きなようで。
流石に圧倒された俺は、冷や汗を流しながら尋ねる。
「……これ、今年もレイジンでやるんですか? こんな大勢の前で?」
「そうなるでしょう」
死刑宣告だ。父さん母さん、俺は異世界で死にます。恥に殺されるのです。
「古くは、聖地ジーハンから出発し、砂漠を出たリグアの街へ向かうというルートが伝統だったのですが……東ヴェイバルとの関係もありますし、独立以来300年は首都で行うのが慣例ですね」
砂漠を通るって、絶対その頃はこんな大事ではなかったんだろうな。俺に1億人の前で生き恥を晒すよう強いるとは、ヴェイバルめ。
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鍵を開いて部屋に入ると、久方ぶりに耳にする音が鳴った。それはマクセン博士から渡された"電話"のベルだった。手に取って耳に当てる。
「もしもし」
『ああ、坊主か。喜べ、修復は無事完了した』
「本当ですか!」
マイカ、ようやく直ったか。お前が居ない間になんか色々話が進んじまったぞ。
「ありがとうございました! それで、いつ引き取りに行けば――」
『それなら心配するな』
「へ?」
『もう、その部屋に居る』
「は?」
ガサリ。
鍵を開いた、つまり中には誰も居ないはずの部屋。それなのに、背後からする物音。
俺は、ゆっくりと振り返る。そこには。
「う……わ……」
日本人形のように黒い髪をした、肌の白い女が立ち尽くしていた。
「……ケイジ君、お久しぶりです」
「って、驚かせるんじゃねえ」
もにゅ。
ホラーまがいの真似をしてくれたポンコツロボットの胸を揉みしだきながら、俺は電話の向こうの博士に文句を言う。
「博士も、人が悪いですよ。なんだってこんな人を驚かせるような真似するんですか」
もにゅもにゅ。
「途中でなんとなく予想は付きましたけど、もし――」
もにゅもにゅもにゅ!
『あ? 考えたのは俺じゃねえぞ?』
「……へ?」
今度こそ、純粋に俺は毒気を抜かれた。
『それを考えたのは、そこに居るマイカだ』
もにゅ、もにゅ、も……。
胸を揉む俺の手が止まった。いや、止められた。
ものすごい力で締め付けてくる手が、俺の腕を握っているからだ。
「……一体、あなたは!」
そのままマイカは腕ごと俺を持ち上げ――俺を、持ち上げ!?
「なにをやってるんですか!?」
「うおおおおおおお!?!?!」
俺をベッドに放り投げた。