第0話 それぞれの終わりと、それぞれの始まり
「――いよいよ、約束の時が始まる」
世界のどこか、あるいはどこかの世界。
その場所には地面が無く、天井が無く、壁も無く、空間そのものがなかった。だだ、悠久とも思える時の流れとヒトたちだけは確かに存在し、言葉を交わしている。
「左様。人類の大願、それが文明1万年の時を超え、果たされる時が」
最初に言葉を発した者とは別のヒトが、呼応する。解脱した僧侶のように乾いた態度で、しかしどこか聞き分けのない子供のように、情念に塗れていた。
「我々の、原初から今に至るまでの全ての罪は、ようやく総て贖われるであろう」
その言葉に、ヒトたちは頷く。
彼らは、全てを見守ってきた。全てが上手くいくように世の理を調節し、全ての始まりと終わりを管理して来た。この瞬間のために。
だが、彼らは決して神では無い。
なぜならば。
――神を殺したのは、他ならぬ、彼らだからだ。
「さあ、心安らかに迎えようではないか。再臨の瞬間を」
とうに消えたはずの信仰の依代を未だに愛おしむように、ヒトビトは恭しく跪いた。
――――
「――私は、マイカなのでしょうか。ケイジ君が購入してくれた、マイカなのでしょうか」
その問いかけに、俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。
俺が軽々しくゴーサインを出した改造、その結果が眼前に在った。
今にも消えてしまいそうなほどに儚げな少女が今、苦悩に顔を歪めている。
一体誰がこの様子を見て、「自分の持っていたロボットの性能が上がった」、などと単純に喜べようか。
「マイカ……!」
気が付いたら、俺は立ち上がってマイカを抱きしめていた。考えてみれば、それは初めてのことだった。腕で上半身を抱きしめたときの、柔らかな肌のすぐ下に感じる、太く硬いフレームの感覚、それすらも今初めて知った。
「ケイジくん……?」
「お前は、考え過ぎなんだよ……どんなに長く見積もったって、生まれて2か月なんだぞ、お前は……。『自分が何者か』なんて、そんな大それた疑問浮かべるには幼すぎんだよ」
それは、自分自身にも跳ね返ってくる言葉だ。
「そういうのはな、俺みたいに22年も生きてきているのにまともな精神的成長を遂げることが出来なくて、誰かに好きになってもらえるような魅力すら得られなかったような人間が、寝る前にふと寂しくなって感じるようなことなんだよ。お前が考えるには、まだ早すぎる」
俺はそっと肩を抱いて、彼女を正面から見据えた。
「考えられるようになったんだろ? これから時間をかけて考えて行けばいい。俺が責任持って、一緒に考えてやる。だからさ――そんな悲しそうな顔するなよ」
彼女の頬には、一滴の涙も流れていない。なのに俺はそこに確かに涙があったような気がして、手の甲でマイカの頬を拭った。
「……私は、泣けませんよ」
「知ってる。けど、見えたんだよ、涙が」
「……歯の浮く様なセリフですね」
そう言ってマイカは、笑った。
「辛辣だなあ。けど、そんぐらい強気でいてくれ」
その笑顔を見たくて、お前を選んだんだから。
――――
俺の彼女には、人権が無い。
――――
ついに時は来た。21世紀初頭が「未来」となる時が。内なる興奮に俺は一人、自宅で震えていた。この日に講義を休むために、今まで毎週木曜日のクソつまらない大学の講義の出席点をコツコツ貯めてきたのだ。最早ノンストップである。
高校生のころに一目見た瞬間に、ビビッと来た。これだ。俺にはこれしかないって。以来俺はソレのためだけに全てを整えた。
大学は、一人暮らしが可能になるよう敢えて実家から離れた、少しレベルの低い私大にした。親は反対したが、特別奨学金で学費がタダになると言ったら黙った。
高校生から始めたバイトは、大学生になるとその量を加速度的に増やし、切り詰めた生活費も相まって預金残高を暴力的に増やしていった。
サークルにも入らず、彼女も作らず。毎晩ベッドにて天井を見上げては、自らの傍らに誰も居ないことを哀しみ憂いた。だがそれも全てこの日、2025年12月4日のためにあったのだ。
テーブルを端に寄せたリビングに、必死の思いで50キログラムほどはあるそれを運び込む。流石に目覚めが廊下というのは味気ないだろうからな。
そうしてなんとか床に置いてみると、まるで棚か冷蔵庫が横になっているように見えた。そんな奇妙な光景でも興奮は止まらない。何せ、3年分のバイト代と、あくなき情熱の結晶だ。
はやる気持ちを抑え、迅速に、かつ丁寧にダンボールを開封する。1メートル60センチ、それこそ人の背こその長さのガムテープをカッターで一気に切る快感。そのまま開けば、ついに外箱とご対面の時が来た。
「……!」
書いてある製品名を何度も読む。その製品の写真を眺める。その高級感漂う外箱を手で撫でる。ああ、本当に手に入れたのだと、ゆっくりと実感していく。それはなにか儀式めいた妖しい雰囲気を伴うもので、そうするだけで不思議と所有欲が満たされていく。だが、本番はここからである。
ついに外箱に手をかけ、一気にパカリとフタを開ける。真っ白な梱包材が詰まっている。それをゆっくりと手で取り除いていけば、すぐにそれと対面できた。思わず息を呑む。当然だ。己の理想をつぎ込んだのだから。
「……」
ネットで公開されていたインストラクションの動画を思い出して、手を伸ばす。正直手が震えるが、「これは機械だ、生身じゃない」と自分に言い聞かせながら、そっと彼女の右耳の後ろに手をかける。無機質で冷たいのに、どこか柔らかいその肌に驚きながら、指で探り当てた突起物をカチカチっと二度押した。すると。
「初期起動操作を確認。Matured Artificial Intelligence and Kinetics Assistant、製造番号MA-0254PU、起動を開始します」
女性の声が鳴り響く。と同時に、ノートパソコンをスリープさせているときに鳴るような、細く高い機械音がなり始める。もし不良品だったらどうしよう、この品薄の状況下で新品と交換するのにはどれだけの時間がかかるだろうか、とドキドキしながら見守る。
最初の音声から30秒経って、ついにその時は来た。彼女は――箱の中に仰向けに眠っていた少女は、白いワンピースを纏った上体を起こし、その長く、上向いた睫毛のある目蓋をゆっくりと開いて左右を見回してこちらを確認すると、口を開いた。
「――はじめまして、汎用人型コミュニケーションロボット、MAIKAと申します。初期セットアップを開始してください」
さあ、俺とマイカのラブラブ生活の始まりだ。
――――
マイカが来て2ヶ月。目を覚ますと、彼女はパソコンの前で座っていた。手には何も持っていないが、画面はせわしなく動いている。マイカが自らとパソコンを無線接続して、遠隔操作しているのだ。
「……おはよう」
ぶっきらぼうに言い放つと彼女はこちらに気付き、「おはようございます、慶治くん」と言った。その声色に慌てたような雰囲気は感じられない。笑顔もない。まさに、機械的だった。
無言でのそのそと彼女の後ろに歩み寄る。モニターには伸び縮みするロウソクのようなものがうごめいている。
FXだ。マイカは俺の指示で、一ヶ月前からFXをやっている。
――――
MAIKA。Matured Artificial Intelligence and Kinetics Assistant、発展的人工知能アシスタントの頭文字を取った呼び名だ。日本が国の威信を懸けて開発した、世界初の量産型人型コミュニケーションロボット。
俺がマイカの現実にぶち当たったのは、彼女が届いてから一週間もしないうちのことだった。彼女は確かに俺の理想を詰め込んだような容姿をしていて、物腰柔らかで、そして会話してくれる。だが物珍しさによるヴェールが弱まってくるにつれ、不満な点が露わになってくる。
ひとつは会話だ。正直言って「汎用」という呼び方は大言壮語が過ぎたのではないかと思う。確かに従来のロボットと比べればレベルは雲泥の差だ。しかしあからさまにパターン生成されているようなデジャブが、会話の端々に出てくる。
ある日の会話。
「マイカ見てくれ、さっきのゲームの試合で優秀選手として表彰されちゃったよ」
「まあ、そうなんですか。慶治くんはゲームが得意なんですね」
「わりとやってたけどこんないい成績とったのは初めてだ……お、フレンド申請がめっちゃ来てる」
「すごいです」
「いやあ、こんなにもちやほやされるなんて久しぶりだよ、幼稚園以来」
「慶治くんはさすがですね」
またある日の会話。
「マイカ、今日は大学に行こうと思う」
「まあ、そうなんですか」
「今日はいい天気だし、思い切って外に出ようと思うんだ。久々だけど頑張ってくるよ」
「慶治くんはさすがですね」
またある日の会話。
「(任意の発言)」
「まあ、そうなんですか」
「(任意の発言)」
「慶治くんはさすがですね」
こういった調子である。はじめは性格設定を間違えたのかと思ったが、ツンデレにしようが幼馴染にしようがお姉さんキャラにしようが「慶治のくせに、やるじゃない」とか「慶治、すごいじゃん!」とか「慶ちゃん、偉いね」と口調が変わるだけだった。
……正直お姉ちゃん設定はキャラ的には好きなのだが、見た目にフィットしないので結局元に戻してしまった。
もちろん大学への往復以外、引きこもっているせいで単調な日常を送っているこちらにも責任はあるが、しかしこれでは逆にノイローゼになってしまう。違和感ばかりが生まれてしまう会話は、だんだんと行われなくなっていった。
それに付随して、リアクションも薄い。一度ムラムラして――いや、こんなに綺麗なんだから仕方ないでしょ――思い切って胸を触ったことがある。その時のシリコンの生々しい無機物感もガッカリだったが、加えて
もみゅ
「もう、ダメですよ」
「ああ、ごめんごめん」
……もみゅ
「もう、ダメですよ」
「……」
もみゅ
「もう、ダメですよ」
と、恥じらいのない単なるお叱りの言葉を繰り返されるだけなのは辛かった。そりゃあ、国の支援を受けている手前、下品な方向へのアクションが行えないよう各種規制がなされているのは仕方ない、けれども。けれども! 残念と言う他ない。
そのくせよくわからない機能だけは高性能で充実している。例えばキッチンに立たせれば、コーヒーメーカーを使ってコーヒーを入れることができるらしい。あまりコーヒーが好きじゃないので使っていないが。給湯器とIoT技術で接続し、風呂にお湯を入れてもらうこともできる。今は夏なので全然使っていないが。折り紙も折れるほど器用な手先も、肩をマッサージしてもらうくらいにしか使っていない。
肩以外へのマッサージは規制されている。畜生。
発売前は、そんな制約も有志の独自開発プログラム、MODで外せるのではと期待されていた。けれどもいざ出てみれば堅牢なセキュリティとプログラムの高度さからその夢は叶っていない。
一つだけ、自然言語プログラミング機能というものがある。要するに所有者の発言を理解させ、その通りの行動を行わさせる機能なのだが、まずアダルト目的の使用は不可能、その時点で価値は半減している。加えて、口語特有の曖昧さの理解、いわゆる文脈の把握が上手に行えていないようで、指示と行動の乖離がすさまじくなる傾向が強い。これを克服している、というのが売り文句の一つだったはずなのに。
「部屋を掃除して」程度の曖昧さを含んだ指令をすると、風呂に入っている間に部屋の雑誌や漫画がすべてひもで結ばれてしまったりする。結局冗長さがない指令、例えばPCの操作などしか任せられない。オープンワールドRPGのレベル上げを頼めるのは多少は革命的だけれども、マイカに望んでいた革命ではなかった。
――信じてもらえないかもしれないけれど、マイカを買ったことには悔いは無い。最初の一週間の体験はかけがえのないものだったから、あれだけでも価格分の価値がある。けれども、その感動が長続きしなかったのは確かだ。
開発元は継続的なアップデートを約束しているが、正直ハード的な制約のほうが大きいだろうし期待は出来ない。なんといったってこの人工知能の売りは、クラウドではなくスタンドアローン、一機体内部で完結しているところにあるのだから。
とりあえず自然言語プログラミング機能を用いて、FX取引をやらせてみた。そこは流石人工知能ということで、コンスタントに収入を稼いでいる。どうやら他のマイカユーザーはまだマイカに熱心なようで、今は我が家のマイカの独壇場である。他のトレーダーから怪しまれないように、お小遣い程度の稼ぎに制限しているけれど。
というわけで我が家のマイカは奴隷よろしく無限に金稼ぎをやらされている。最初こそ不憫に感じていたが、顔色一つ変えずに日本円とドルとユーロと人民元をガチャガチャと交換しつづけるマイカを見ていると、なんだかそういった罪悪感も薄れた。
――――
そんなこれまでのことを思い出してむしゃくしゃした俺は、憂さ晴らしに手を伸ばす。
もにゅ。
「もう、ダメですよ」
「……」
はあ。
もういいや。今日の授業は四限からだし、二度寝することにしよう。マイカから目をそむけるように俺はベッドに潜った。
「マイカ、今日の13時に目覚ましセット」
「わかりました。今日の13時にケイジ君を起こします」
その言葉を聞き終わらない内に、俺は意識を手放した。
――――
ぐ
う
う
ん
と、何かが揺れた気がした。
――――
「……慶治くん、13時になりました、起きてください」
13時にめざましをセット、これは特定の職種を除き、一部の特権階級のみに許されたとんでもない贅沢だと思ってる。その権限を公使できる俺は、きっと特別な存在に違いない。そうでも思わなければやってられない。
「……慶治くん、起きてくださ――」
わかったわかった、起きるから――。
「触れるな、貴様!」
バキッ! ……ガチャン。
……は?
突然の怒鳴り声にビクッと身体が震え、そして打撃音と何かがガチャンと倒れる音に肝が冷える。おい、今一体何が起きた? というか、これは誰の怒鳴り声だ。何? ヤクザ? ぼんやりとした頭で考えるがわからない。とにかく、目を開かねば。この冷たい床から身体を起こさないと――。
床?
気付けば身体はベッドの上ではなく、冷たい床の上に横たわっていた。一気に実感が身体を駆け巡り意識は一瞬で覚醒する。
飛び起きるように周りを見、そしてその光景に呆然とした。
「……マイカ、今の時間よりも先に、伝えるべきことがあるんじゃないのか」
震える俺の言葉に、中国雑技団のびっくり人間のように関節がおかしな方向に曲がった姿勢のまま横たわり、首を傾げるマイカ。何も分かっていないという様子だ。
だが、それも仕方ないのかもしれない。俺だって訳が分からないんだから。
マイカから視線を逸らし、ゆっくりと、確認するように周囲を見回した。
ここは俺の部屋じゃない。少なくとも、民家でもない。天井から壁から床に至るまで石造りの民家など近所には無い。じゃあ、なんなんだここは。
そして。
「……だっ、誰ですか……っ!」
俺は悲鳴を上げるように叫んだ。
銀色の甲冑に高そうな赤いマントの男数人に、青いローブを纏う僧侶のような男。そして彼らの手には、何故か剣ではなく、服装に不釣り合いな”アサルトライフル”。
奇っ怪な中近世風コスプレをした不審者たちに、いつの間にか俺達は囲まれていた。
頑張って行こうと思います。
追記 12/18 一部描写をブラッシュアップ
12/24 修正