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桐ケ谷くんと異変

 その日はいつもと変わらないように思えた。

 少なくとも朝起きて学校に行くまではそう思えた。しかし今日は待ち合わせ場所に千里さんはおらず、ぎりぎりまで待ってみたが結局現れることはなかった。

 風邪でも引いたのかな? こういう時に携帯電話がないと不便だなと思う。しょうがないので一人で学校へと向かう。時間が遅いせいか登校している生徒の姿はなかった。

 この時点でおかしいと思うべきだったのかもしれない。登校中誰にも会わなかったのだ。そう、生徒以外の人にさえも。

 僕がこの異常さに気付いたのは教室に着いてからのことだ。

 教室には誰の姿もなかった。担任の教師はおろかクラスメイトの姿さえない。他のクラスも見てみる。しかしどのクラスにも人はいなかった。

 まさか休日に学校に来てしまったとか? そう思いスマホで日時を確認しようとした。

 「なんだこれ?」

 スマホに表示されている日時は文字化けしていて読めない。こんな時に故障か? いや、この異常な世界の中ではこれが正常なのかもしれない。

 「とりあえず家に戻るか?」

 しかし家に戻ったところでどうなるというのだ。たまたま今日、家の玄関が異次元に繋がっていてもう一度潜ったら元の世界に戻れる、なんてことはないだろうなたぶん。

 どうするべきか、このまま学校に残ってもいいが……。そう思っているところで視界に変化が訪れた。何かが視界の端で動いたような? 窓の外を見てみる、そこには一つの物体が宙を舞っていた。よく見えないが紙飛行機だろうか。

 一体どこから? 位置的にだいぶ高いところから投げられたみたいだけど。

 「もしかして屋上か?」

 でも一体誰が? いや、今はそんなことはどうでもいい。誰かに会えるかもしれない。それだけで幾分か救われた気持ちになれる。僕は屋上へと急いで向かう。



 屋上の扉の前で少し乱れた息を整える。この先に誰かがいる。誰もいない異常な世界で初めて会う人物だ、期待と不安が入り混じった感情が胸を燻る。

 「よし」

 意を決してドアノブに手をかける。扉はすんなりと開いてくれた。これで開かなかったら笑い話もいいところだけど。

 薄暗かった空間に外の光が差し込んでくる。眩しさに目が慣れるまで数秒。光の先には意外な人物が、それでいてよく知った人物がそこにいた。

 「よお」

 何気ない風に話かけてくる。本当に何気なく、まるでこの事態が当然のように彼は話しかけてきた。

 「試しに飛ばしてみたけど意外に気づくもんだな。メールでもよかったんだがどうせまた文字化けすると思ってな」

 メール? 文字化け? その二つのキーワードから思い浮かんだのは数日前に届いたあのメールのことだった。

 『asdgfmo2ad34h.678?*,うx@fryhz。keriwfにqkwmr43/-0las3medki82w彼5qyら離れるgw』

 あの意味不明なメールだ。今の口ぶりからすると彼が送ってきたのだろう。しかしどうして、いやそもそもどうやって送ってきたんだ?

 「あのメールのことは忘れろ。お前がここにいる時点で意味がなくなったからな。結局これじゃあ打つ手なしだよほんと」

 彼は残念そうにどこか自嘲的に笑っている。すでに諦めてしまったように。

 「お前もここまで来たら少しは思い出せてるんじゃないか。この世界が何なのかを。どうして俺がお前の前にいるのかも、な」

 思い出す? なんのことだ? そもそもこの状況を理解できるはずもない。だって、僕の目の前にいるのは本来ここにいるはずのない人物。いや、実際には存在してはいけない人物。彼の存在を認めてしまったら頭がどうにかなってしまいそうだ。しかし認めるしかないのだろう。認めなければ先に進めない、そんな気がする。

 「お前は……僕なのか?」

 彼は……桐ケ谷柊はあきれ顔だ。 

 「おいおいそこからかよ。鏡見たことくらいあるだろ? 俺は間違いなくお前だよ」

 「僕が二人いるなんておかしいだろ。いやそれ以前にこの世界はなんなんだ。どうして誰もいないんだ?!」

 彼に構わず質問を投げかける。この際、僕が二人いることはどうでもいいことなのかもしれない。

 「この世界は俺の記憶みたいなもんだ。まあ夢の出来事だと思ってくれていい。だけど気をつけろよ? この世界は夢であって夢じゃない。この世界での出来事は現実にも影響するぜ」

 「君の記憶?」

 「記憶っていうよりかは俺の心象みたいなもんかな。俺の世界にはもう誰もいないんだ。友達も幼馴染も大切な人でさえ」

 「どういうことだ? 君が僕だっていうなら僕の身になにか起こるのか?」

 「いや、お前の身には何も起こらなぜ? 起こってくれなかったんだよ」

 「じゃあなんで君の心象はこんなにも寂しいものになっているんだ? まさか僕以外の人類が滅びたとでもいうのか?」

 彼は笑いもせずにこう告げた。

 「綾瀬千里が死んだんだ」

 意味が分からなかった。千里さんが死んだ? 死ねない彼女が死んだっていうのか?

 「でも千里さんは死ねないはずじゃ……」

 「この世界ではな。そんなこと知ってるさ。俺がそうしたんだからな」

 僕が綾瀬さんを死ねないようにした? ますます意味が分からなくなってきた。

 「俺の世界の綾瀬さんは俺をかばって事故に遭って死んだんだ」

 彼は自嘲気味に笑いながら屋上の縁へと歩いていく。僕は黙ってそれに付いていく。

 「病院で目が覚めて茅野さんに事故のことを聞いて自分の無力さを呪ったよ。自分の大切な人さえ守れずにあまつさえ守ってもらって生きていることに絶望もした。俺は悪魔にすら縋るつもりで願ったんだ。彼女を生き返らせてほしいって。そうしたら叶ったんだ、彼女が生きた世界をもう一度作ってくれたんだよ。それが今のお前の世界だ」

 「今の僕の世界……」

 「そして彼女が死なないように不死の呪いをかけたんだ。これで彼女は死なずに済む、そのはずだんたんだ。だけどそんなに上手くはいかなかった。世界は代償を求めたんだ。一度死ぬはずだった人物を生きさせるには変わりの命が必要だった」

 「それがこの世界だっていうのか?」

 屋上の縁までたどり着いた僕たちは誰もいない世界を見下ろす。

 「いいや、この世界は今のお前の世界を作る時の代償さ。綾瀬さんの命の代償は……」

 背中を押される。

 「お前だ」

 体が宙に浮く。そして重力を受けて落下を始める。


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