Act.8(悦楽のドーナツ)
食レポ回
Act.8(悦楽のドーナツ)
その見た目はとても力強く逞しかった。しかしその中には華やかさと慎ましさが内包されていた。
『スウィートハニー・ピザドーナツ』
僕が今まさに食そうと対峙している食べ物は表面はこんがりときつね色で、剣を思わせる荒目のパン粉が表面を覆っている。言ってしまえばよくあるカレーパンのルックスだ。
「いただきます」
まずは一口噛んだ瞬間にパン粉が砕けて奏でられる音のハーモニーが聴覚に快感を与える。
「うん……いい」
強固な鎧を思わせる外側の生地を破ったその先には、程良く油の香りをただよわせるふわふわのドーナツ生地。小麦の甘みが舌を喜ばせる。
「おお……」
次に来るのは香りだ。季節はずれではあるけど、たっぷりと太陽を浴びたトマトのソースが情熱的な香りを生みだし、挽き肉やタマネギのみじん切りと共に、爽やかな酸味のウェーブと化して舌に押し寄せる。
これだけじゃない、芳醇なトマトソースの波には、相性抜群のあいつがチューブライディングしている。
「これは! 」
そう、チーズだ。トロトロで濃厚なモッツァレラチーズがリコピンの波をオフザトップだ!
さぁ、ここまではただのピザドーナツだ。ここからが違うぞ!
トマトソース、チーズ、と攻撃的な味に疲れた舌を官能的になで回す甘い存在感。
ハチミツだ。
トマトソースとチーズにはハチミツとすこぶる相性がいい。そんなヤツらを一つの場所に閉じこめたらどうなるかなんて、考えるまでもない。
これはドーナツ生地のドーム内で行われるスーパーライブなのだ!
「美味い! 」
僕はなんとかこの感動を最小の言葉で例え表したくなり、頭の中で精一杯言葉を探し回った結果。「悦楽」の2文字が最も適していると結論し。僕がもしも国語辞典を作るとしたら、「悦楽」の項目にはこのピザドーナツの挿し絵を入れ込もうと妄想した。
「僕は……このドーナツの……いや、フォルネリア・マルコエミの虜になっている! 」
■ ■ ■ ■ ■
「どう? 新作の味は? 」
僕は今、恵美さんの部屋で新商品「スウィートハニー・ピザドーナツ」を堪能している。
下校中、新商品が出来たというフォルネリア・マルコエミ前の黒板の掲示ボードを発見した僕は、迷わず入店。喜び勇んで新商品をいただこうとするも既に売り切れ。店内にも恵美さんの姿は見えず、落胆して帰宅しようかと思って店を出ようとした瞬間、ちょうど帰宅した恵美さんと鉢合わせになる。そして彼女は捕まえた! とばかりに僕の手を握ってこの部屋へと強制的に連れこんだのだ。
「美味いです! とても! 」
「よかった! 」
夢中になって一口一口それを頬張る僕の様子を、恵美さんは面白そうに眺めていた。
「君、ちょっと雰囲気変わったけど……やっぱり、こうやって見るとただの可愛らしい食いしん坊なんだねぇ」
恵美さんはそう言って僕の口周りについた食べカスをティッシュでふき取ってくれた。
「そんな……子供扱いしないでくださいよ」
「へぇ……この前私に膝枕で甘えてたじゃない」
「それは……」
「はは、冗談! 君のカッコいいところも私はちゃんと知っているんだから」
恵美さんはUSBメモリーをポケットから取り出してテーブルに置いた。
「コレ、助かったよ」
「いえ……これしきのこと……」
「コレに映ってた君、やっぱり素敵だった」
「いや……」
「ありがとね」
ため息をつくようなお礼の言葉と共に、僕の頭をそっと抱きしめる恵美さん。嬉しい感触が頬に当たる。
ああ、僕はこの人の為にならこれからも何だってしてしまうのだろう。
僕に手を差し伸べてくれた。
僕を勇気づけてくれた。
僕にパン作りの素晴らしさを教えてくれた。
僕の秘密を受け入れてくれた。
そして僕を好きになってくれた……
僕はそんな彼女の……丸子恵美の虜になっている。
二度目ですが、作中の創作パンはフィクションです。