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Act.7(再会)

そろそろ終わりです。

    Act.7(再会)


 私が家に冬馬くんを招き入れてから一ヶ月が経った。季節は12月になり、空に雲が多いと雪の心配をするようになった。



 彼はその後、一度も店に来ていない。



 携帯の番号ぐらい聞いておくべきだったかな? 



 学期末だからテスト勉強に忙しいのかな? だとか、また同級生にいじめられてたり……それともやっぱり秘密を聞き出したことが良くなかったのかな? だとかをフォルネリア・マルコエミの会計カウンターでレジを操作しながらぼんやり考えていた。




「どうしたの恵美? 最近なんだか上の空じゃない……」



 どうやら私は、冬馬くんを心配している気持ちが露骨に表情と態度に現れていたようで、見かねた母が今日はもう仕事を休むようにと、私を早退させた。



「あんた、ひょっとしてまだイタリアでのことを引きずってる? 」



「そんなんじゃないって、ただちょっと……」



「まあいいわ、後は任せて今日はもうゆっくり休みなさい。ちゃんと厚着するのよ、あんた部屋じゃ冬でも半袖でいるんだから」



「わかったって! もう」




 平凡な母と娘のやり取り、私は井戸での殺人現場をヒントに生み出した「穴からひょっこりドーナツ」以来どうもインスピレーションが湧かず、新たな商品を開発出来ずにいた。



「イースト菌に嫌われたかも……」だとか心の中でつぶやきながら、私は店を構えるマンションの3階(307号室)へと向かうべく、埃の溜まった階段をゆっくりと昇る。



「ふー……」



 しかし、何となく自分の部屋に戻る気が起きなかった。 



 私は階段の途中に座り込んで踊り場の蛍光灯に群がる蛾の鱗粉を眺めながら「綺麗だな、でも触ったら気持ち悪いだろうな」などと独り言に没頭した。




「私……やっぱり才能無いのかな? 」




 こういう時はネガティブな言葉が自然と飛び出してしまう。




「パン作り、向いてないのかな? 」





「そんなこと言っちゃ駄目ですよ」





「いいの、どうせ私は運良く初めだけイースト菌に愛されたビギナーパン職人モドキなの……」





「イースト菌は微笑んでくれなくても、僕はいつだった恵美さんに微笑みかけますよ」





「はは、嬉しい言葉だね……それにしてもちょっと見ない間に恥ずかしい台詞を平気で喋るようになっちゃって」





「恵美さんのせいですよ」






「…………久しぶりだね」






「はい……お久しぶりです」






 私が振り向いて階段を登り切った先に視線を向けると、そこには学生服の上から真っ黒なダッフルコートを着込み、少し髪が伸びてモジャモジャのボリュームが増した冬馬くんが下段で腰掛けている私を見下ろしていた。



「もう来てくれないかと思った」



「ごめんなさい、ちょっと色々とやりたいことがあったんです」



 冬馬くんはゆっくり、余裕のある足取りで階段を降りて私の隣に座った。その横顔は前に会った時とは違い、切れ味を持った「男の表情」を感じさせた。



「髪、伸びたね」



「恵美さんは、少し痩せました? 」



「心配事が増えちゃってね」



「そうなんですか」



 会話が途切れ、少しの間沈黙が生まれた。大きな蛾が本能で何度も蛍光灯にぶつかる音だけがBGMになった。



「実は……」



 沈黙を破った冬馬くんはいそいそとコートのポケットに右手を突っ込み、何かを探し始めた。



「渡したい物があるんです」



 冬馬くんはポケットの中から小さな長方形のスティックのような物を取り出した。



「これ、USB? 」



「はい」



「何が入ってるの? 」



「それは見てのお楽しみです」



 冬馬くんはそれだけ言い残し、そのまま階段を降りようとした。



「もう帰っちゃうの? コーヒーでも飲んでいきなよ」



「いえ、いいんです。多分そのUSBの中身を見たら、コーヒーを出すことなんて出来なくなりますから」



 冬馬くんは「あの時」の笑顔を私に向け、意味深に去っていった。



 ナマイキになっちゃってさ……。



 あっけない再会の幕切れに寂しくもあったけど、彼の成長ぶりに少し嬉しさも感じた。





 さて、ナマイキな小僧のプレゼントを楽しむことにしましょうか。





 自室へと帰宅した私は、部屋の暖房をたっぷり効かせていつも通りのショートパンツとTシャツに着替え、フレンチプレスでコーヒーを一杯淹れた。



 深入りコーヒーの香りと共に、愛用のノートPCの電源を入れてUSBスロットに冬馬くんの贈り物を差し込む。



「動画……? 」



 そのUSBメモリにはMP4形式の動画データが一個だけ保存されていた。

「なんだろ? ……」



 沸き上がった疑問を飲み込むようにコーヒーを一口啜りながら、そのデータのアイコンをクリックして動画を再生させた。




「これ……」




 私はモニターに釘付けになった。





「すごい……」





 その動画は30分ほどのモノで、驚きとクリエイティビティに満ちあふれ、私はセクハラ男をオーブンで焼いた時のような高揚感を覚えた。



 動画を全て見終わった私は手先が震え、脳髄に雷を受けたような感覚に襲われた。




「冬馬くん、やっぱり君は最高だわ! 」




 私は咄嗟にペンを右手に取り、レシピ帳を開いた。




「イースト菌の神様が来てくれた! 」




 冬馬くんの忠告通り、飲みかけのコーヒーは、そのまま二日間放置されることになった。




蛾って冬でもいるよね?

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