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Act.4(ぱんつくった)

……!?

    Act.4(ぱんつくった)




「そう、そうやってゆっくりと指を差し込むようにして……」




「こ、こうですか……? 」




「うん、上手……グチャグチャになってきたら……少しずつ早くして」




「は、はい! 」




「あ、駄目! 焦らないで。こぼれちゃうから」




「すみません……つい……」




「優しく……丁寧にね……」




「はい……」




「そう、いいよ……だんだん固くなってきたでしょ? 」




「はい……恵美さん……僕、初めてなんで……上手く出来るかどうか……」




「大丈夫、誰だって最初は上手くいかないもんだから……リラックスして」




「はい……」




「よし、それじゃバター入れよっか」







 僕は今、初めての体験をしている。



 バイキンが手を入らないように手をキレイに洗い、爪も切り、薄い黄白色のエプロンをつけ、ボウルの中の小麦粉を手でかき混ぜている。



 そう、生まれて初めてのパン作りの最中なのだ。



「冬馬くん、パンってのは生き物なんだよ。塩と水、小麦粉で作った寝床でイースト菌をどれだけ元気に育てあげるかが決め手なの。いわば、パンは作るんじゃなく、育てるってワケなの」



「はい、わかりました……」



 恵美さんの指導の元、僕は少し「何か」を期待してしまったことによる自戒の念を込めてながら、小麦の弾力ある生地にバターを混ぜ込んでいく。



「いいよ、その調子。生地がまとまってきた」



 とはいえ、動きやすいTシャツとハーフパンツに着替え、その上に僕とお揃いのエプロンを付けている彼女の姿が見られたことは純粋にうれしかった。



 下ろしていた長い髪はまとめられていて、さっきまでの私服姿ともフォルネリア・マルコエミでの制服姿とも違う恵美さんの姿は少し開放的な印象を受けた。



「この後はどうすればいいんですか? 」



「うん、それじゃちょっと代わって」



 恵美さんは僕の練ったパン生地をボウルから取り出して大理石製の四角いボードの上に載せ、その生地を右手の指ですくい取るように持ち上げて思いっきりボードに叩きつけた。



「うわっ! 」



 生地を叩きつける音が思いのほか凄まじく、まるでパンパンに膨れた風船が割れたかのような迫力だったので思わず驚いてしまった。



「こうやって生地を叩きつけて、折りたたむようにして……そしてまた叩きつけるのを繰り返すの」



「どれくらいですか? 」



「うーん……15分くらいかな? 」



「そんなに? 」



「そう、パンを育てるのには苦労が伴うものよ? ハイ、やってみて! 」



 僕は恵美さんに言われるがまま、生地を大理石へと叩きつける作業を繰り返した。これは結構力のいる仕事で、徐々に首筋が汗ばんできた。漫画等に登場するパン屋のキャラクターが屈強な男として描写されることが多い理由が分かってきた気がする。



「そうそう、親指は使わないでね……うん、上手上手」



「ありがとうございます! 」



 腕前を褒められたところで、僕はそろそろこの質問を投げかけようと思った。



「恵美さん、なんで僕にパン作りを? 」



 僕がここに至るまでただ一つの説明もされなかった。いきなり台所まで案内されたかと思えば、小麦粉の袋を手渡され「さあ楽しいパン作り、いってみよう! 」という具合に質問する隙すら与えてくれなかったのだ。



「やりたくなかった? 」



 僕は生地を叩きつけながら答えた。



「いえ、そうじゃないんですけど……何でかな? と思って」



 恵美さんは少し悪戯めいた表情で間を作り、こう答えた。



「そうだね……君のことをもっと知りたいから。じゃ駄目かな……? 」



 彼女のまさかの言動に動揺して、生地を床に落としそうになってしまった。



「私の経験上の話だけどね。人間っていうのは、ついつい心が緩んでしまって自分の事を話したくなってしまう状況ってのがいくつかあるの。例えば……美味しい食事とっている時とか、恋人と一緒にいる時とか……もう一つは単純な作業を繰り返している最中……だとかね……」



「え? 」



 彼女はそっと僕の背後に近寄って首に両腕を回し、体を密着させてくる。



「ええっ! 恵美さん! 何を? 」



 僕の背中に柔らかな二つの感触が襲う。奇しくもそれは、今まさに僕が捏ね上げている生地と似た弾力だった。下着を履いていなかったこともあり、股間が強烈な痛みに襲われた。



「冬馬くんのこと、もっと聞かせて? 」



「そ、そんな……僕なんか……なんの話題もありませんよ……学校じゃ、いじめられてるし……」



「なんでいじめられてるかな? 」



「それは……僕はチビだし暗いし……よく風邪引くし……頭もこの通りクセっ毛でモジャモジャで天パーだとかよくバカにされるし……」



 何でだろう……胸から熱いモノが込み上げるこの感じ……どんどん喋ってしまう……



「そんなコトかぁ……気にしなくていいんじゃないの。君はまだ成長期で体も大きくなるだろうし、髪だってホラ、シーズーみたいで可愛いじゃない」



 恵美さんは僕のモジャついた髪をかき混ぜるように撫でてくれた。



「……ありがとうございます」



 恵美さんの言葉は天にも昇るほど嬉しかった。本当に今すぐ脳溢血(のういっけつ)で倒れ死んでもいいとさえ思った。



 でも、それと同時に不思議なおぞましさも込み合げてきた。こんな美人が僕みたいなチンケな人間にここまで優しくしてくれるこの状況が非現実的なモノのように思えて仕方がなかった。



「自信を持ってね……」



 しかし、彼女から発せられる甘い言葉と芳香が、そんな危惧を全て取っ払ってしまい、ぬるま湯につかるような感覚に全身が覆われた。



「冬馬くん……私から、一個質問していい? 」



「はい……何でも答えます……」



「ありがとう、それじゃあ聞くね……」



 「懐柔」その言葉が僕の頭の中に浮かび上がった。僕は恵美さんに心を奪われかけている。目の前がグラグラと揺れ、パンを捏ねる手も止まった。



 一体どんなコトを聞かれるのだろうか? 今だったら銀行口座の番号でさえ漏らしてしまいそうに頭の中が混乱していた。





「見たんでしょ? 私のレシピ」





 さっきまで火照っていた身体が、冷水に飛び込んだかのように冷え切っていく。



「レシピ……あの、新聞記事? 」



 混乱して僕は『変焼死体』を見出しにした新聞記事のことを口から滑らせてしまう。これはレシピを盗み見したことを白状するのと一緒だ。



「そう。やっぱり見てたんだ。いけない子だね君は……人の物を勝手に覗いちゃ駄目なんだよ」



 恵美さんから感じられる雰囲気が変わった。包容力を感じさせる温かな表情は消え、ネズミを弄ぶ猫のように危険性を帯びた笑みを浮かべていた。それは、温水のシャワーを浴びている最中に、不具合で冷水が噴出された時のように突然だった。



「ご……ごめんなさい」



 どういうコトか膝が笑うようにが震え始めた。最早背中に押し当てられた感触も、まさしくパン生地が押し当てられたかのように無機質なモノにしか感じられなかった。



「いいの。気にしないで……別に怒ってないんだからね」



 恵美さんはそう言って、僕越しにパン生地へと手を伸ばし、陶芸家を思わせる手つきで捏ね始めた。



「今から面白い話をしてあげる……これは二人だけの秘密だよ」




ねえちゃんとふろにはいってる?

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