Act.2(血の味)
月曜日はつらい……
Act.2(血の味)
「冬馬、あんた見た? ニュースでやってたよぉ、先週から行方不明なんだって? 警察沙汰よあんたの学校の子が! 15歳だからあんたの一個上? びっくりしたわぁ……テレビに映ってるんだもん学校が! 誘拐かしらねぇ? この辺も物騒になったもんだねぇ……あんたさ、危ないヤツには気をつけなよ! 変なヤツがいたらダッシュよ! ダッシュ! でもあんた鈍くさいからヤバそうねぇ、誰に似たのか……私なんて陸上で全国大会行ってんのよ! 全国大会! 凄かったんだからね! 写真残ってんだから。ってもう時間じゃない、アンタ何チンタラ飯食ってんの! さっさと学校行きなさいよ全く! 」
今朝家を出る前に僕の母親は、憂鬱そうな息子にそんな言葉を一方的に投げ散らしていた。
母さんは知らない、目に見えもしない憶測上の誘拐犯を警戒するより、もっと気にかけるべき問題が僕の身の上に起こっていることを……
「ああっ! 熱ちっ! 熱い! やめろって! 」
「ちゃんと食えよォ! 」
「こいつ駄目だわ、リアクションの才能ねぇわ」
「もっとオモロイ反応しろよ」
僕は今、人気のない河川敷の高架下にて気の合わない同級生3人から執拗な辱めを受けている。
「せっかくお前の為に用意したのによォ! 」
ここには以前ホームレスが使用していた段ボール製住居の残骸が数多く放置されていて、それが上手い具合に目隠しとなり、僕達の姿は周囲からはなかなか見つけることが出来ない。つまりは「いじめ」を行うには最適な場所なのだ。
「あがっ! ふぐっ! 」
熱い! 苦しい! 口の中に石炭を放り込まれたようだ。口内から高温の蒸気が広がり鼻腔が刺激されて鼻水と涙が滝のようにあふれ出た。
「おお! いいよ! いいよォ! しっかり撮っとけよォ! ウケるぞこれ! 」
「うわ、マジかよこいつ! 汚え! 」
「こりゃオモロイわ! コンロ用意した甲斐あったわ」
僕がただ今受けている胸くそ悪い所業を説明すると、わざわざ手間をかけて用意したカセットコンロとキャンプ用の鍋を使ってコンビニで購入したおでんを熱々に温め直し、それを僕に強制的に食べさせるというモノだ。明らかにバラエティ番組でたまに見かける一興を模したものだ。
くそっ……!
いじめっ子というのは不思議だ。身体や気性の弱い人間を弄ぶことにかけては、時に驚くほどにユニークな発想を生み出し実行する。そして手間と労力を惜しまない。どうしてこの有り余ったエネルギーを他の事に使わないのか疑問でしょうがない。
「後で動画オレんところにも送っといて! グループに上げるからよォ! 」
どうやらコイツらは僕の滑稽な姿をSNSを介して共有しようと企んでいるらしい。
僕は恐ろしく思う。コイツらは僕を辱めて絶望に陥れようとしているのではなく、僕を利用して笑いを誘う「ネタ」を作り、それを純粋なエンターテインメントとして動画を仲間内で共有している風に思いこんでいる節がある。
「傑作だわ! ぜってぇ爆笑するわ! 」
傑作? 愚の骨頂だ。コイツらは間違いなく自分達をクリエイターなのだと勘違いしている。
そもそもだ。それを生業にしているプロが身体を張って行う熱々おでんパフォーマンスと、文脈を無視してそれを形だけ真似した素人のじゃれ合いでは、同質のエンターテインメントとして比較出来ないことがコイツらには理解出来ていない。
こんな動画を見せられても常識を持った人間なら、ただただ「引いてしまう」だけだと言うのに…………まぁ、コイツらの周りには常識を持った人間はいないってことは分かる。コレは単なる内輪での暇つぶしに僕が巻き込まれたってだけのことだ。
「よォーし! 今度は玉子いってみようぜ! 」
いじめっ子のボス格「相沢信也」はグラグラと煮立った鍋から薄いコーヒー色に染まったゆで玉子を箸でつまみ上げ、僕の口の中へ容赦なく押し込もうとする。今すぐにでも逃げ出したいところだったけど、僕はいじめっ子の一人に後ろから羽交い締めにされて身動きがとれない状態だった。
「ぶわっ! うがっ! 」
高熱の白身が僕の唇を押し広げようとする。
「おら! さっさと口広げろよォ! 」
精一杯の抵抗として僕は全力で口を塞ぎ、この下びた一興の産物を進入させまいと試みた。
「この野郎ォ! 」
抵抗する僕に対し、ムキになって無理矢理にでもゆで玉子を押し込もうとする。僕はそれに耐える。相沢はもっとムキになる。そんな無様なやり取りを続けているうち、僕の口内に微かに残っていたおでんつゆが気道に入ってしまい……
「ぐえぇぇぇぇっくしょんッ! 」
大きなくしゃみのようにせき込んでしまい、その勢いで僕を熱責めしていたゆで玉子は大きく吹き飛び、そのまま相沢の右目に直撃した。
「あっちいいいいいい! 」
「おい! 大丈夫か? 」
「うわっ! キッツー」
顔を押さえて悶絶する相沢。それを見て慌てる取り巻き。僕はその情けない姿を見て少し心が晴れた。「ザマあ見ろこのヤロウ! 」という気持ちがこみ上げ、ほんの少し口角をつり上げてしまった。
「てめぇ……」
しかし、それがいけなかった……
「何笑ってヤガんだ! 」
茹でダコのように顔を真っ赤に染め上げた相沢に僕は胸ぐらを掴まれ、次の瞬間に頭の中が真っ赤に染まるイメージが浮かび、少し遅れて左頬に鈍い痛みが走った。
「死ね! 」
「なめてんのか! 」
「っのヤロウ! 」
「クソったれ! 」
「天パ野郎! 」
…………
便所から聞こえる排泄音以下の言葉を浴びせられながら、腹部・背中・顎・と次々と痛みに襲われた。僕は耐えきれず地面に倒れ込んでしまい、だんだんと痛みの感覚が遠くなってきた。
もはや「もうどうでもいいや……」という諦めの気持ちが痛みよりも優先され、抵抗する気持ちも一切失われていった。
僕は魂を持ちながらも黙する肉と化してしまった。
「先輩がいないからっていい気になりやがって」
「相沢、つまんねぇからもう行こうぜ」
「あーあ、せっかくおでん用意したのに」
嵐が過ぎ去った。橋の上を通る数多くの自動車の音、帰路に就く小学生達の楽しそうな声、川を流れる水の音、11月の刺すような冷たい風の音……それらが混然となったBGMを僕は地面に倒れながらしばらく聴き入っていた。
そのまま10分ほどした頃、僕の意識は徐々に現実に戻され、身体の節々から痛みが沸き上がる。
「いってぇ……」
僕はゆっくりと立ち上がって現状を確認する。学生服は埃だらけになり、愛用の鞄には頼んでもいないのにおでんの具とスープが放り込まれてグチョグチョになっていた。おまけに傍らに投げ捨てられていた僕の財布の中身は当然のように抜き取られ、気持ちよく「我が家に帰ろう! 」とはとうてい思えない有様。
「はあ……」
普通なら絶望的状況かもしれない、でも僕にとっては今日はまだ「マシ」な方だ。いつもなら相沢と二人の取り巻きに混じって3年生の先輩がいじめの主犯格となり、僕を玩具にしていたからだ。
ソイツから味わった所業の数々はミミズを喰らう方がマシだと思うほどのもので、先月などソイツらの目の前で自慰行為を強要されたり、全裸のまま体育館裏に放置されたりと、思い返すだけで身体が震えてくる。
「まだいいや、今日は……まだ」
自分を慰めようと独り言をつぶやくと、途端に胸が苦しくなって一気に涙が溢れてきてしまった。
「クソッ! クソッ! 」
全身アザだらけで金銭も奪われ、誇りをも失い欠けた自分を、まさしく自分自身で慰めている現状がたまらなく悔しく、情けなく、恥ずかしくなり、僕はついに慟哭した。
「うわああああああ! 」
人気が無いとはいえ、誰かに見られるかもしれないこの高架下でそんなコトはお構いなしに感情を爆発させる。目の前の川には夕日が溶け込み、僕の顔を真っ赤に染めた。そして全身の水分が抜け出してしまうほどに涙を流し、そのまま疲れ果てて不貞寝をするように地面にうつ伏せになった。
クソッたれ。
口内の頬肉から滲み出る鉄臭い血の味を噛みしめながら、僕は自分の人生を呪った。
「もう、死んじゃおうかな……」
「駄目だよ、そんなこと言っちゃ」
「いいんです、どうせ僕なんかが死んでも誰一人困らないんですから……」
「私が困るよ、まだ新作の感想を聞いてないから……約束でしょ? 」
「……………………え? 」
今僕は夢の中にいるのかと思った。それとも頭を強く打ったことで起こる幻聴なのかと本気で疑った。聞き間違えるハズのない僕にとって大事な人の声が、独り言に割り込んで来たのだ。
声の主を確認するため、僕は堅い地面に突っ伏していた顔を動かして横に向けると…………いた。確かに「その人」はそこにいたのだ!
「こんなところで寝てると風邪引くよ。常連さん」
長くうっすらと茶色がかった髪が夕日に照らされて、キャラメリゼのような光沢を演出し、真っ白なコートとロングスカートがいつもの姿とは違う印象を持たせていた。
「顔まで血だらけじゃない……大丈夫? 」
フォルネリア・マルコエミの女神が……神秘的な笑顔の丸子恵美さんが……屈んで僕の顔をのぞき込んでいたのだ。
アツアツおでんパフォーマンス。実はそれほど熱くなかったりする。