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Act.1(フォルネリア・マルコエミ)

パン屋って大変。

    Act.1(フォルネリア・マルコエミ)




 フォルネリア・マルコエミは2年前に近所でオープンされた素朴なパン屋さんの名前だ。フォルネリア(Forneria)とはイタリア語で「パン屋さん」を意味する。わざわざ店名にイタリア語を持ってくるからにはフォカッチャや、チャバタといったイタリア発祥のパンがメインに扱われているのかと思いきや、平然とあんパンやカレーパンが人気商品として棚に陳列されている辺り、特にイタリアに深い思い入れは無いことが伺える。



 3階建てマンションの1階テナントに構えるその店は、大きくて素朴な緑色の看板が目印。「Forneria Maruko-Emi」と真っ白な英文字で店名が記されている。



「カララーン」



 木目枠の入口ドアを開ける。すると軽やかな鐘の音と共に、小麦の芳香を纏った生暖かい空気で来客を出迎えてくれる。僕はこの感覚を何度も味わう内に、条件反射的に鼓動が高まるようになってしまっていた。



 僕がそうなってしまうのはこの店のパンが美味しいというのはもちろんのことだが、それに加えたもう一つの要因の方が深く関わっている。



「いらっしゃいませー! 」



 吹き替え洋画のヒロインを思わせる澄み切っているが頼もしさも感じさせるその声。店の看板と同じグリーンのエプロンとベレー帽。清潔感溢れる真っ白なシャツに、動きやすそうな黒のパンツ。



 今日も、いい……。



 フォルネリア・マルコエミの会計カウンターに立つ彼女には、そんな機能性重視の佇まいでも覆い隠せない妖しさがあった。



 彼女の名前は「丸子恵美」



 言うまでもなくこの店の屋号と同じ名前だ。



「ありがとうございましたー! 」



 休日の朝に目覚めた時のようなさわやかな笑顔で客に商品の入った紙袋を渡すその仕草を眺め、僕は今すぐ死んでもいいような気持ちになった。




 恵美さんがこの店で働き始めたのはまだ半年前……今年の5月頃のことだ。それまではいかにも「脱サラして子供の頃から夢だったパン屋を始めてみましたよ! 」という風貌の中年男性とその奥さんと思われる二人で店を切り盛りしていた。



 その頃はお客さんの入りもあまり芳しくなかったようで、ショーウィンドウ越しから見える店内はいつも寂しかった。僕も登校中に店の前を通りかかっても「気が向いたら買ってみようかな」と毎度思うだけ。この店は単なる日常の風景の一部で、それ以上の興味は抱かなかった。



 そして一年半の時が経ち、このまま店自体が潰れるんじゃないか?と思っていた頃、とうとう僕にその「気」が向いた。ショーウィンドウ越しに寂れたパン屋に場違いな「女神」が現れたからだ。



 女神の正体は中年夫婦の一人娘。後で知ったことだが、初めは体調を崩した奥さんの一時的な代理として働いていたらしいが、この仕事が性に合っていたようで今ではほぼ毎日、店内にて客を迎えている。



 それからは僕は最低でも週3のペースでこの店に足を踏み入れている常連客となり、今もこういて四角いトレーを片手にところ狭しと陳列された小麦の芸術品達を物色しているワケだ。




「こんにちは! 」




 吟味したパンを乗せたトレーを会計カウンターに置くと、彼女から健康的な声ととびきりの笑顔で先制攻撃をされる。



「こ……こんにちは」



 彼女の攻撃はまだまだ14歳の僕には抵抗出来なかった。体温が上がり紅潮した顔が悟られないように俯きながら返事をするので精一杯なのだ。



「ミートパイ、今日も選んでくれたんだね、ありがとう! 」



「……ええ、とても美味しいですから。コレ」



 フォルネリア・マルコエミは彼女が来てから大盛況になった。それは単に恵美さん目当てで群がる輩が増えたからというだけじゃない。彼女の提案した新商品のおかげなのだ。



「良かった~! 自信作なのコレ! 」



 昨日新発売された「特製ミートパイ」も彼女作。今日は奮発して3個も買ってしまった。正直少し値の張る一品なだけに懐には厳しいが、恵美さんに自分を覚えてもらいたい下心が僕の理性を失わせる。



「あ、ちょっと待って! 」



 彼女は少しいたずらめいた口調でそういって店の奥へと小走りし、小さな紙袋を片手に戻ってきた。



「コレ、今度だす予定の試作。よかったら食べてみて」



 え? 



 思いがけない恵美さんの好意に僕は感動を通り越してひたすらに驚き……



「あ……ハイ」



 と感謝の言葉すら返せずに、目を泳がせながら後頭部を右手で押さえて漫画じみた行動をとってしまい、この場で心筋梗塞を起こして死にたい衝動にかられた。



「また来るときに感想を教えてね。あ、コレお父さんには内緒にしといてね! 」



 また来るとき……? 



 ガッツポーズだ。おっさん臭い表現だがこれはガッツポーズだ! 心の中でガッツポーズなのだ! 



 これは間違いなくこの僕「羽賀谷 冬馬」を常連客と認知してくれている証だった。恵美さんは僕を覚えてくれているのだ! 



「は……ハイッ! また来ます! 」



 僕は脳内で有名なボクシング映画のテーマを流しながら店を出た。振り返ると入口ドアのガラス越しからこちらに手を振る恵美さんの姿があった。今日という日は僕にとって眩しすぎる。



 スキップしたい衝動を押さえながらぎこちない小走りで家路へと向かう僕の姿は少し滑稽に見えたかもしれない……でもいい。今の僕は無敵の気分だ。例えSNSで自分のアカウントに中傷コメントが殺到していたとしても、日めくりカレンダーのポエムを流し見するようにそのコメントを閲覧出来るだろう。





 帰宅し、自分の部屋で一人心を踊らせながら紙袋をのぞき込む。ミートパイの入った長方形の紙箱とは別に小さな紙袋でパッケージされたまだ見ぬ新商品の存在感。恵美さんの新たな作品。



 いただきます! 



 僕は期待たっぷりに開封する。しかし……




「あ…… 」




 さっきまで沸き上がっていた感情が一気に冷めていくのを実感した。それは先月映画館に行ってチケット販売機の前で財布を忘れたことに気がついた時の気分に似ていた。



 その原因は新商品のビジュアルだった。



 それは少し厚みのあるドーナツで、表面には細かく砕いたアーモンドが散らされ、中心の穴には球型のドーナツがはめ込まれている。おそらくドーナツを作る際に空けた穴の部分の生地を別に揚げ、再度合体させて作られているのだろう。それ自体はどうってことはない。



 僕にとって問題なのは中心の球型ドーナツに描かれていたモノ。アイシングで施されたニッコリと笑うスマイルマークだった。



 ……恵美さん……ごめん。



 普通の人間だったら小さな顔がドーナツの穴から飛び出しているような可愛らしい構図に見えるだろうけど、僕にとってコレはどうしても受け付けることが出来ない「形」なのだ。



 僕は札束を燃やす気持ちでそのドーナツを紙袋で乱暴に包み込んでゴミ箱へと放り投げてしまった。もう特製ミートパイを味わう気も失せてしまった。



「はぁ……」



 夢の国から現実へ……僕は部屋に脱ぎ散らかされたしわくちゃの学生服を見下ろして、明日という日がどんな意味を持っているのかを受け入れなければならなくなってしまった。




 明日は月曜日……学校に行かなければならない。




タイトルの元ネタはご存じ「PFM」

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