Act.0(艶美のミートパイ)
パン党にオススメ(?)
Act.0(艶美のミートパイ)
それはひたすらに濃厚で力強いが、それと同時に上質のソファに包まれるような優しさを帯びた甘みがあった。
『フォルネリア・マルコエミ特製ミートパイ』
僕が今まさに食そうと対峙している食べ物は、5cmほどの直径を持つマッシュルーム型のごくごく平凡なミートパイだ。しかし、それに内包される味覚のドラマは決して平凡ではない。
「いただきます」
まずは、鶏卵を塗ることによってガーネットのような照りを帯びたパリパリのパイ生地に前歯を突き刺す。すると火山地帯から吹き出すガスのような勢いで旨味を帯びた香ばしい香りが鼻腔を突き抜けた。
「ふおっ……」
立ちくらむような香りの先制を持ちこたえると、自分はパリッと生地が砕ける音と噴出する香りによって、すでに2つの感覚を掌握されていることに気が付く。
「まだまだ……」
イントロの酔いが冷めぬうちに僕は前歯による掘削を続行する。
「ヌパァ……」
熱い……パイ生地の障壁から解放された、マグマのように熱く情熱を帯びた醤油ベースのタレが僕の舌を陵辱する。あらがえない旨味の応酬に僕の全身の細胞が屈服し、このパイのDNAを植え付けられるような錯覚すら覚える。
「ああ……」
恍惚のため息を脳内で漏らすも、僕はまだ気を確かに持たなければならない。
なぜならメインはまだ始まっていないのだから。
「ドクム……ドクム……」
鼓動が高鳴り、毛穴が開く。
僕は意を決して前歯を前進させ、パイの中央部部への掘削を敢行した。
「バシャア」
まるで温かいゼリーだった。最小限の顎の力であっけなくほぐれるはかない感触の正体……
それはじっくりと煮込まれた東坡肉だった。
力強い獣肉の旨味が僕の舌を喝采させる。それには粗野な雑味などまるでなく、しなやかな筋肉によって織りなされるバレエダンサーの演舞のようだった。
旨味・脂味・甘みの順で繰り出される味の舞は、ひとしきり存在感をアピールしたかと思えば一瞬の舌の上から消えてしまい口内の舞台はその度に幕が下がりリセット、そして再び味わう際に幕が上がってもう一度新たな感覚で味覚のパフォーマンスを味わうのだ。
固く醜悪なイメージすら抱かせる皮付きの豚肉を、甘美とも思わせるほどの美食へと昇華させる歴史の味わいに、僕は敬意と喜びに満ちあふれていた。
「美味い……」
僕はなんとかこの感動を最小の言葉で例え表したくなり、ネット検索を使って様々な言葉を探し回った結果。「艶美」の2文字が最も適していると結論し。僕がもしも国語辞典を作るとしたら、「艶美」の項目にはこのミートパイの挿し絵を入れ込もうと妄想した。
「僕は……このパイの……いや、フォルネリア・マルコエミの虜になっている! 」
作中の創作パンはフィクションです。実際に作って試たりはしてないです。