見上げる草花と見下ろす大樹
深い森は、どこか冷たい風を吹かせます。その凍てついた肌寒さを心地よくも気味悪くも感じます。それもまた、人の心境次第という事で。
弱きは群れ、強きは誇る弱肉強食は世の理。それはまた、植物の世界でも同じことで。
では、そのどちらにも属さない存在はどうすればいいのでしょうか。
森の。
深く、深く、より深くへ。進めど進めど景色は変わらず。まるで同じ場所をぐるぐる回っているような錯覚にさえ陥りそうになる。細々と乱立する木々の間で高く、より高く伸びようとする雑草は、男か女か、大人か子供か、そんな『誰か』の首元辺りにまで背を伸ばしている。私か貴方か、そんな『誰か』の旅に終わりは無く、見えない道を探してただ旅をするのみ。人が通れば獣道。だが、人類が絶滅して以来、この森への来訪者はいないのだ。
しなやかに立つ草木を踏み分け形成されるは『誰か』がこの森へ立ち入った証拠であり、証明。所詮は『誰か』の、一度限りの獣道。疲れを休みを知らず、伸び続ける雑草によっていつの日にかかき消されてしまう儚い爪痕。美しくも残酷な地球からすればちっぽけな軌跡であるが、『誰か』にとっては些細な問題である。地球が忘れても、『誰か』が覚えている。
先へ、先へ、更に先へ。『誰か』は、己の歩む道が帰り道では確信を得ていた。勢いを見せた雑草は、奥に行くに従ってその衰えを見せ始める。取って代わるは巨大な大木。地面に己の足を延ばし、大地の力を吸収する。歩きにくい道無き道を『誰か』は軽やかとも無く、重苦しくも無く一歩ずつ踏み出す。やがて雑草は力尽き、大樹が視界を覆い潰す。緑のコケの侵食をものともせず、天へ天へと体を伸ばす。
『誰か』は空を見上げれば、深く暗い夜のような錯覚を受ける。まるで天井がのように大樹の葉が重なり、まるでカーテンのように日光を防いでいるのだ。天井から僅かに覗かせる太陽の威光を零しながら、森林の、独特の肌寒さに包まれて『誰か』は足を前へと踏みしめる。
やがて。
月の到来を受け、風も止め、とうとう世界は沈黙する。月光を頬張る大樹の葉によって視界は悪く、何度か『誰か』は足を根に絡ませた。『誰か』はこれ以上の移動は困難だと思い、数少ない木漏れ日に腰を落ち着ける。天井に空いた小さな穴からは、凛と輝く三日月が見える。眩い光に目を細め、そのまま閉じようとした時、『誰か』は何かの声を聞いた。
体を起こしてそちらを見れば、淡く儚い一輪の蕾があった。名前はあっただろうが、もはやその名でよぶことに意味は無い。弱々しく蔓を伸ばし、巨木を支えにして、その体に蕾を付けた。煌めきの恩恵を得られぬ世界で、それでも哀れにも花を咲かせようと。
もはや花粉を運ぶ虫などいなく、交わる花もいないというのに。
何を思うのだろうか? この、弱肉強食に満ちたこの世界で。あるいは群衆となって大地を占領し、あるいは巨大となって天空を占領し、たった一輪だけ咲いた花は、紛れる仲間も他を寄せ付けぬ力も持たないこの花は、いったい何を思うのだろうか?
問うても花は答えぬ、答えれぬ。この世界と同じようにそうするのだ。
『誰か』は再び目を閉じた。
――この花に、咲かす力は残っているのだろうか。大地の力を奪い取られ、天の光を独占され、花を広げるだけの力は残っているのだろうか。
そんなことを考えながら。
『誰か』はこの世界の闇と同じく、動きを止めた。
そして。
『誰か』が目を覚ました時、その口から小さな感嘆の言葉が漏れ出た。もはや彼を照らした月の照らしは場所を変え、太陽がその花へと目いっぱい光を注いでいる。そして、その花は。
その光を浴びて、蕾を大きく開いていた。例え、それに意味が無いのだとしても。
それでも、それでも。
『誰か』は立ち上がり、その光景を焼き付けるとまたその足を動かした。前へ、先へ、奥へ。その背中を見送る朝日に晒されたその花は、笑顔を浮かべているように見えたのかもしれない。
晴れた日、咲く花は。今日もまた、あの深い森で華やかな笑顔を咲かせているのだろう。
基本的に作者は合理主義です。
故に、『か弱き一輪の花がどうして咲けたのか?』という問いに答えたくなってしまいます。ですが、ここは幻想世界。
理不尽な世界に、不条理な救いがあっても良いのではないでしょうかね。