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2-5

 蝶が舞った。俺の鼻先をくすぐっていく。

 地面に突っ伏したジンが死にそうな顔をしている。

 川に落ちてズブ濡れになったままで、あれだけ動き回ったのだから当然かもしれない。

「ぶぇっくしょい!」

 そう思っているとジンがくしゃみをした。

 辺りには野の花がちらほらと咲いていた。日差しは一段と増したようだ。

 すぐ傍の木の枝に止まっている小鳥が、まるでなにごともなかったかのようにピーチクパーチクやっていた。

「ここまで逃げればもう追ってこないですよね」

 クラッセが不安気な顔で尋ねる。

「だと、いいけどな」

 俺も少々疲れた。どことなく体中が軋んでいる気がする。

 ここがウォーラーやブレスがいた場所から"だいぶ離れた場所"としかわからない。

 方角を確認する余裕などあるわけもなく、やっとこさ逃げてくるのが精一杯だったからだ。

 なんとも恐ろしい目に遭った。

 ウォーラーに関して言えば普通に隣町へ向かうときに襲ってくるときもあった。

 もちろんモンスターがほとんど生息していない森だってある。そうでなければ狩猟という生業が成り立つこともない。

 この辺りの街や村のことを言えば、ウォーラーが現れるとはいえ人里にはそうそう現れることも少なく、群れをなして現れたとしても大きな街道には冒険者がよく行き交っているために、今まではあまり脅威に感じたことはなかった。通りがかりの冒険者がモンスターを撃退してくれることもざらだ。

 だが、一旦街を離れてしまえば助けてくれる人もいない。

 自分たちの身は自分たちで守るしかないのだ。

 そして、ブレスというモンスター。

 レミがその存在を知っていたからいいものの、そうでなければあの場で全滅という事態もありえることだった。レミに感謝しなければならない。

 そのレミだが、彼女は実に知識が豊富だった。

 依頼の品である薬草のことを知っていたのも驚きだが、他にも食べられる野草から薬用に用いられる物まで詳しかった。

 また、歴史やモンスターの性質にまで、幅広い知識を持っていた。

 これで俺たちと同じレベル1なのかと思うと頭が下がる思いだが、そんなレミが多くの知識を持ちえているのには彼女のパーティ内で位置する役割、つまり"クラス"というものにその理由がある。

 ここで改めて冒険者というものについて詳しく説明しようと思う。

 冒険者には"クラス"というものがある。

 簡単に言えば職業みたいなもので、数人の冒険者で結成される"パーティ"の中における役割分担を決めるひとつの目安みたいなものだ。

 パーティとは冒険者の1グループを指して言い、要するにパーティを組んだ冒険者同士は"仲間"だということだ。

 冒険者たちはそのクラスを目安にしてパーティを組むか否かを決定することも少なくない。

 クラスは個人の素質や技能、そしてどういったクラスになりたいかという希望を踏まえた上で、冒険者ギルドのギルド員と相談して決めることとなる。

 自警戦士団の頃にはそういった分類はなかったのだが、時の経過と共に多様化する様々なモンスターへ対応するために制定されたのだ。

 そのためギルドではクラス別に、新米冒険者向けの講習会や実践形式の訓練を催していたりもする。

 期間は短期のものから長期間に渡って行われるものまであり、ほぼ無料で受けられるが一部有料のものもある。

 その中で俺はファイターというクラスに当たる。

 ギルドに登録された冒険者としては最もその数が多く、適正検査もたいして難易度は高くないため、比較的誰にでもなることができる。

 突き詰めれば、それなりに体力があって剣を振れるくらいの腕力があれば、たとえ女であろうとなんだろうとなることができるクラスだ。主にモンスターをその腕力でもってねじ伏せることが役割と言える。

 ジンの場合はシーフだが、こちらもその数はファイターに次ぐ比重を占める。

 冒険を進めていく上で、危険を感知することのできるシーフは欠かすことのできないクラスでもあるため、1パーティに1人いるのが常道とされているクラスなのだ。

 とはいえ、ファイターほど簡単になれるわけではない。

 冒険を円滑に進めるためのスキルを身につけられるくらいの資質はもっていなければならないらしい。

 だからシーフになるためには適正検査が一番ものを言う。それなりに資質があれば冒険を重ねることで自然に身につくようだが、素質のない者には全く向かないクラスであるとも言える。

 その点ではジンには概ね素質があるようだった。

 ジンは今回の依頼を受ける前には、酒場で依頼が舞い込むのを待ちながらカードマジックなどを披露しては俺たちを湧かせた。

 手先の器用さという面ではなかなか良いものを持っているようで、ジンは自慢気に振舞っていた。

 そしてレミのクラスはというと、これは耳慣れない単語だが、パーソンというクラスで、"博識な人"という意味らしい。

 パーソンというクラスは少々特殊で、俺たちファイターやシーフのように経験がなくともなれるわけではない。このクラスに就くにはそれなりの知識を最初から持っていなければならない。

 それはそうだ、博識な人、という意味のクラスなのに無知な者が就けるわけはない。

 だからパーソンの冒険者に出会う確率は極めて低い。

 俺たちとは違って適正検査だけではなく、とても大変な試験も受けなければパーソンにはなれないそうだ。

 パーソンになるためにギルドではパーソン希望者専用の講習も行っているとのことだが、実はレミはその講習もまったく受けずに合格したらしい。

 一体今までどんな経験を積んできたのだろうと思ってしまう。

「ホオズリソウが、あるよ」

 そのレミが雑草を指して言った。

『ホオズリソウ?』

 俺たちは声を揃えて聞き返す。

「うん。肉厚で……草なのに、肉厚というのも、おかしい、けど。昔の自警戦士団、時代には、よく酒のつまみにして、食べられて、いたね。燻製にして……草だから、燻製じゃない、けど。他にもいろんな、方法で調理、できるよ」

 俺はそのホオズリソウとやらを眺めて「へぇ〜」と唸った。陽還り草にも負けず劣らずの大きな葉だが、レミの言う通り分厚い。

 色は緑だが、彼女が言うには火を通すと肉と見た目がまったく変わらなくなるのだそうだ。

「ほんとにうめぇのかよ?!」

 半信半疑でジンがその草を摘む。

「どう見てもただの葉っぱよねぇ」

 その様子を眺めながらリベルが言う。

 俺もリベルに同感だ。これが焼いたら肉と変わらない味になるとは思えなかった。

 しかし、食感といい味といい肉そのものになるとのことだ。

「見つけたら、頬ずりしたくなるほど、嬉しく、なるからホオズリソウ」

 不思議そうな顔をしている俺たちにレミが付け足して言った。

「とにかく食べてみたいですね、そのホオズリソウ」

「うーん、食べてみないことには、にわかに信じがたいな」

 と言うもののレミがそう言うのならそうなのだろう。

「ここならモンスターも襲ってこないんじゃない? なんかお花とか咲いてるし平和そのものって感じがするもの。うん、きっと大丈夫よ」

 花が咲いているからといってモンスターが出てこない根拠にはならない。

 だが俺は実を言うと腹の虫が今にも騒ぎ出しそうだった。

 だからリベルに習って楽観的に考えることにした。

「そーいや腹減ったぜ。俺ってよく考えたら今日はまだあの林檎しか食ってねーしよ」

 ジンはホオズリソウを食べることに大賛成のようだ。

「なんか火を起こすもん持ってねーか?」

「あ、僕持ってますよ。火起こしセット。冒険者価格で、しかも特売だったんですよ」

 クラッセが嬉しそうに言ってバッグからそれを取り出す。

「それにジンさんも水に濡れたまま服を乾かしていないですしね。火を起こしますから枝とか枯葉とか燃えるものを用意してきてもらえますか?」

「よしきた!」

 ジンは早速立ち上がると腕を回す。

 俺も「よし」と返事をして立ち上がった。

 それを合図にして、リベルとレミは辺りにこじんまりと生えている残りのホオズリソウの根元を、ナイフで丁寧に切りはじめる。

 太陽はもうそろそろ俺たちの真上に来ようとしていた。

 花の香りに誘われたか、また蝶が俺たちの近くでひらひらと飛んでいた。



 ジンが枯葉を拾い、俺が小枝を両手に抱えてやってくると、ちょうど火が起きたばかりのようで、小さな灯りがクラッセたち3人が囲んでいる中から漏れて見えた。

 火起こし用の道具といっても、すぐに火が起こせるわけではない。

 なにぶん携帯に適したサイズの単純な造りのものだ。それでも原始的に木と木をこすり合わせて火を着けるよりははるかにその作業は早い。

「あっ、いま火が着いたところですよ。早く枝を並べましょう」

「いいタイミングじゃねぇか。よっしゃディール、急ぐぜ」

 ジンは待ちきれないといった様子で俺を急かす。

 リベルとレミはすでに準備を終えたようで、ホオズリソウは細い枝に串刺しになっていた。

 焼くと肉のようになるといっても、今の状態ではただの草だ。ホオズリソウを知らない者が見たら変な顔をされてしまうだろう。

 その状況を想像すると思わず笑えてしまう。

「なぁに? ディールったらなにが可笑しいの?」

 枝や枯葉を並べながらニヤついてしまったところをリベルに見咎められてしまった。

「い、いや。どこからどう見ても草だからさ。なんだか可笑しくって」

「そうよねぇ、ジンが言ったことなら信じていないわぁ」

 なるほど、という顔をしてからリベルはジンを見る。

「けっ、俺のどこが信じられねぇっつんだよ」

 ジンは心外そうな顔でリベルを睨む。

「べっつにぃ〜」

 睨まれてもリベルはどこ吹く風といったような表情だ。

「焼こう、か」

「そうですね」

「火も十分に枝に燃え移ってきたな」

 ジンとリベルのやり取りに慣れっこになってしまった俺たち3人は、彼らを無視してホオズリソウが刺さっている枝の太い方を焚き火の周りに突き立てる。

 するとみるみるうちにその色が変わっていく。

「うっひょー! マジで肉みてぇじゃねーか! こいつぁすげえ」

 リベルとの言い合いを中断したジンが感嘆の声を上げる。

「ほんと。それになんだかいい匂いもしてきたんじゃない?」

「んだな」

「すごいですね。このホオズリソウって初めて聞きましたけど、珍しい草なんですか?」

 クラッセがレミに聞く。

「このところ、見かけないね。昔は、どこにでもあった、そうだけど。肉食の、動物たちも好んで食べていた、らしいからね。絶滅危惧種、かな」

 レミの説明にクラッセは「けっこうすごい草なんですね」と分かったような分からなかったような顔で何度も頷いていた。

「そうそう、パンも出しましょ。少し早いけどランチね」

 リベルが取り出したパンを全員に配る。

「この匂いにつられてモンスターがきたりしてな」

 白い歯を見せてなにげなく言ったジンが4人から非難の視線を浴びる。

「もう! これから食事にするってときに不吉なこと言わないでよ! ばかジン!」

「空気、読めないん、だね」

「そうなったらそうなったで逃げるだけですよ。全く、野暮ですよジンさん」

「モンスターも焚き火は苦手だろう。いたずらに不安にさせるようなこと言うなよ」

 これが真面目な顔で言ったのならば俺たちも真剣に考えるところだが、ジンが笑いながらあっけらかんと言ったものだから、俺たちがムッとくるのも仕方のないことだ。

「へいへい、失礼しゃーした」

 そう言うジンは「もういい具合に仕上がったんじゃね?」と俺たちの集中攻撃も気にせずホオズリソウにかぶりつく。

「うんめぇ」

 そんなジンの様子に怒っていたことなど忘れて俺たちも串を手に取る。

「これは……肉そのものの味だな。食感も、うん」

「ほんと、うそみたい」

「だろ?! すげーよなこれ」

「うんうん、こんなのがあるなんてね。レミに感謝だわ」

「香辛料とかもあればなおさらなんですけどね」

「あるよ」

「まじまじ?! それを先に言えよーレミちゃんよぉ」

「次、俺にも貸してくれジン」

 こうして俺たちは予想外のご馳走に舌鼓を打った。

 人間とは不思議なもので、どんなに苦しいことがあったとしても、腹が膨れるとなんとか頑張ろうという気になれる。

 幸いなことにモンスターが匂いにつられてやってくることもなく、俺たちはホオズリソウを食べ終えてしばしの満足感を味わっていた。

 ジンの服もすっかり乾いたようで、彼はすこぶる上機嫌だった。

 森の中は相変わらず鳥たちがさえずっている。

 また蝶が舞った。黒い蝶だった。

「なんかさっきから黒いのばっかだよな」

 同じく蝶を見つめていたジンが俺に声をかける。

「そうだな。なんていう蝶なんだろう。レミ、知っているか?」

「……知らない」

 少し考えていたレミが首を捻る。

「レミにも知らないことがあるのねぇ」

 しみじみと言うリベルに、そりゃそうだろうと心の中でつっこむ。いくらパーソンだといっても知らないこともあるだろう。世界は広いのだ。

「それよりこれからどうすんだよ。地図も見れないこたぁねーが、俺らが今どこにいんのかがわかんなきゃー意味がねーしな」

 乾いてカピカピになった地図を指でつまんで見せる。

「でもまぁ、だいたいの方角ならわかるぜ。太陽が出てるからな」

 日差しを手で遮りながらジンは太陽を仰いだ。

「ねぇ、陽還り草って地図に印がついていた場所にしか生えてないの? 近くにあったらパパッと採っておしまいにできるのにさ」

 リベルは素朴な疑問を口にする。

 美味いものも食べて、依頼の品を入手、じゃぁ帰ります。と、いけたらどんなに良いだろうか。

 きっとリベルはそんなことを考えてしまったのではないだろうか。それはリベルだけでなく俺も同じ気分だ。

「ばっか、そんな簡単にゲットできんなら俺らに依頼なんて回ってこねーんだよ」

 ジンはそんなリベルの言葉を一蹴した。

「あとはレミ頼りかな。といっても、きっともうそんなに遠い場所じゃないんだろうから、すぐに見つかるさ」

 ようやく再び活気付いてきたパーティだ。暗い話題は持ち込まないように言葉を選んで俺は言った。

 それにウォーラーたちと遭遇するまでにそこそこ距離は稼いだはずだ。俺が言ったこともあながち間違いではないだろう。

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