2.未知との邂逅
ピチュンピチュン……クルックルー……
俺たちは雑木林をかきわけながら歩いていた。
「やぁ、木の香りがとてもいいですねぇ」
1人寝起きのクラッセが呑気に背伸びをした。
「ったく、ガキはこれだからよ」
先頭をひた進むジンが肩ごしに振り返って毒づく。
「本当、気楽でいいわ」
気付かれした感のある顔でリベルが相槌を打った。
「まぁいいじゃないか。みんな怪我ひとつなかったんだしな」
努めて明るい声で俺が言う。ともすれば緊張感に暗くなりがちな仲間を鼓舞するためであり、そして自分のためでもある。
「怪我ひとつなかったって、ねぇ〜」
リベルは振り返ると、俺をじとりと眺めて胡散臭そうな顔をする。
「ま、まぁ外傷のある者は誰もいなかったから良かったよ」
俺は取り繕いがちに付け足す。気絶をしたクラッセのことは不可抗力だ。
だいたい当の本人はよほど頭を強く打ったのか、モンスターのことなど綺麗さっぱりに忘れている始末である。幸せなやつだ。
それにしてもいい天気になった。
強くなってきた風が雲を追いやってくれたおかげで、太陽が少しずつ顔を出してきたようだ。
これなら陽還り草も見つけやすくなるだろう。
しかし、初っ端からあんなモンスターに出会ってしまったことで、みんな気を張りすぎて疲れているようだった。
モンスターに出くわす心配をする必要などなければ、クラッセの言う通りに森林浴にぴったりの日和だっただろう。
「また、さっきの、が出てくるかもしれないけど、ね」
周囲に気を配りながら目の前のレミが言った。
結局のところ俺たちは遠回りしながら目的地へと向かうことに決めたのだった。
ジンとリベルがやっていた追いかけっこにようやく気が済むと、俺たち4人は気を失っていたクラッセを含めてもう一度広げた地図の前に集まった。
ともすればまた"巨大サボテン"に遭遇してしまいかねない小道に戻るのは危険だということで、あーだこーだ言いながら森をこのままつっきってしまおうという結論に達したのだ。
地図を5人で覗き込んでいる間に、クラッセは林檎を一気に3つもたいらげ、ジンは「生意気なやつだ」と言っていた。
どうやらジンは年下の男があまり好きではないらしいという事が、ここ数日でわかった。
再び出発して、最初のうちは"巨大サボテン"の名前を決めようとリベルが言い出して盛り上がった。
「プータがいいわ! なんか可愛いじゃない?!」
そんなリベルに失笑を返したジンは、
「あのとっつぁんには"とっつぁん"で十分だっつの」
にべもなく言い返す。
「俺は最初から思っていたんだが、サボテンに似ているから、巨大サボテンとかサボテンジャイアントでいいんじゃないか?」
「それってダサいわよディール」
「ひねりがねーな。ひねりが」
……おまえらには言われたくない。
「じゃぁ、ひねりを加えて"ウォッカ"なんてどうです? 僕の好きな物語に出てくるんですよ。丈の長いのコートを羽織ってすごく格好いいんですけど、なんだか憎めないドジさがあって。ジンさんの名前にも似ているところがありますし……」
『却下!』
ジンとリベルが同時に吼える。
「なーにが、ばかジンの名前と似ている、よ! プータちゃんで決まりだわ!」
「てめっ、つーかプータっつうのもいけ好かねぇが、なんだそりゃぁウォッカってよ。キザすぎんだよ!」
2人に手痛い攻撃を受けてクラッセはただ「あぅあぅ」とたじろぐばかりだ。
そんなクラッセをレミは無言で見つめていた。よく見ると唇の端が少しばかり上がっていた。
「プータよ断然! でもそれがだめならミィちゃんでもいいわ!」
「だーかーらー! とっつぁんで十分だっての!」
「グリーンドラゴン、とか」
「ドラゴンて感じじゃないでしょぉ、レミったら!」
「どう見ても爬虫類ってより植物っぽいじゃねーか! 確かにグリーンだけどよ!」
レミは「ちぇ」と足元の小石を蹴っていた。
その仕草がそれまで彼女に抱いていたイメージと異なり、意外な茶目っけがあった。
そんなレミの小さな変化に俺はなんとなく嬉しい気持ちになった。
レミといえば最初に出会ったときから常に言葉少なく、一緒にいたリベルの影に隠れて人見知りしているような印象だった。
そのレミが小石を蹴るという、感情を表に出すような行動を取ったのには、少なからず驚きを覚える。
「では"リキュール"というのはどうです? さる冒険記に出てくる勇者で」
「なんでまた酒繋がりなんだよ! おめーの読んでる本を書いてるやつはどんだけ無類の酒好きなんだっつの!」
「そーよそーよ! プータに決まりよ!」
「どさくさに紛れて決定してんじゃねー!」
ジンはクラッセに手厳しい。それは初めて顔を合わせた時からそうだった。
わいのわいの騒ぐ仲間たちを眺めながら、俺は4人と出会った時の事を思い出していた。
ジンとは冒険者ギルドで会った。
思えば最初から馴れ馴れしく話しかけるやつだった。
「よぉ、おめー1人か? 俺はシーフやってるジンってんだ。暇なら付き合わねぇか?」
俺はいきなり数年来の友人であるかのように話しかけてきた青年に戸惑った。
見た目は引き締まった体つきにややつり上がった目じり。
ベルトにはダガーらしき鞘が2本装着されていた。背は俺よりやや低いか。
年の頃は20代半ばだろうと検討をつけていたが、後で聞いたところによるとまだ21だということだった。
しばらく付き合ってみて気付いたことだが、その軽い話し口調に反してたまに大人びた表情を見せる時があるのだ。それゆえか。今まで苦労してきたのかもしれない。
その時の俺はといえば、無事ファイターとしての適正検査を終えて、冒険者の資格である"リング"を受け取ったばかりだった。
ひょっとして俺がリングを受け取るのを待っていたのかもしれない。そうとしか思えないくらいのタイミングだった。
「まぁまぁ変な顔すんなよ。実は俺もちょいと前に晴れて冒険者になったばっかでよ。どーせなら、とっととパーティでも組みたいじゃねぇか。だからよ、どうだ? 悪いようにはしねーよ」
そう言って青年は胸元に光る、鎖に通されたリングを手に取って俺に見せた。
まるでアクセサリーかなにかのように扱っていて、冒険者たる証をそんな扱いでいいのか? と思ったりしたものだ。
俺は気軽すぎるほど気軽にパーティを組もうと誘ってくる青年にいささか面食らった。
なにせたった今冒険者として認められたばかりなのだ。
それでも俺にとっても、冒険者になったばかりで早速パーティを組めるというのは願ったり叶ったりだ。
ジンの「悪いようにはしない」という言葉を信じてみてもいいかもしれない。
そうして戸惑いがちに右手を差し出して、俺はこう言ったのだった。
「俺はファイターのディールだ。よろしく頼む」
その後になってからは照れて握手などしようとしなかったジンが、この時ばかりは強く俺の右手を握り締めたのを、今でもはっきりと覚えている。
「こっちこそよろしく頼むぜ相棒」
そう言ってジンはにやりと笑っていた。
まずは依頼を受けるために酒場へ向かおうというジンと町はずれへと足を運んだ。
そして俺は他の3人とも紆余曲折を経て出会うことになったのだ。
そこまで思い出していると、"巨大サボテン"の名前を決める話し合いはいよいよジンとリベルの一騎打ちと化していた。
「だいたいなんで、とっつぁん、なのよ! もしかしたら女の子かもしれないじゃない!」
「いーや、あれは男だね。俺のシーフとしての勘がそう言ってら」
「なーにが勘よ! それなら林檎なんて取る前にもうちょっとなんかしなさいよ!」
「なんか、っておめーなぁ」
この2人には譲り合う心はないのか……。
「そもそもなぁ、モンスターに名前なんてつけてどうすんだよ。二度と会いたくねぇぜあんなもん。んだから、とっつぁんで十分だっつの」
「それならメルちゃんでいいじゃない! それで決まりよ!」
いつの間にかリベルの提唱していた「プータ」は「メルちゃん」へとすり変わっていた。
「2人ともそのへんでだな」
俺は取り成すように2人の間に割って入る。
ジンは例によって「けっ」と吐き捨てると、
「とにかく俺は今まで通り、とっつぁんって呼ばせてもらうぜ!」
「上等よ! あたしはあたしで自由にやらせてもらうわ!」
名前の呼び方ひとつで自由もなにもないと思うが。
ジンもリベルも気が済むまで放っておけばいいだろう。ことあるごとに口喧嘩をしているが、ああ見えて意外と仲が良かったりするのだ。
喧嘩するほど仲がいい、ということだろうか? それとも夫婦喧嘩は犬も喰わない?
「きっと言い争いの、ことなんて、10分もすれば忘れる、よ」
今度は一転して先頭を競うようにずんずん進む2人を見ながらレミが言った。
「仲がよくてうらやましいです」
2人して先を往く姿にクラッセが呟いた。
そうだな。
俺がそう返事をしようとしたときだ。
「どっへぇー。川があるぜ!」
ジンの叫びが聞こえた。
「ちょっとぉ、こんなの地図に載ってた?!」
リベルが誰にともなく抗議の声を上げる。
「ねーよねーよ。使えねー地図渡しやがってよー」
ぶつくさと文句をたれるジンと肩をすくめるリベルが引き返してくる。
「どこかに橋とかないのかしら。いやだわ、回り道なんて」
「そんなのあったか? というか川自体が載っていないなら地図を見ても無駄だな」
ジンに地図を開いてもらおうと言おうとしてから思い当たりやめる。
「渡れねー幅でもねぇよ。ちゅーても足を滑らせて落っこっちまっても困りもんだしな」
そう言ってなんとはなしにリベルの方へと視線を漂わせる。口元にはリベルの反応を待つ笑みが浮かんでいた。
「そうよね。クラッセとかレミとかね」
リベルはその手には乗らないとばかりに軽く流す。
「ちぇー」
そう言って頭の後ろに両腕を回すジン。とても残念そうだ。
「仕方ないですから元の道に戻りますか?」
クラッセが遠慮がちに切り出す。
"巨大サボテン"のことを覚えていないものだから、どことなくバツが悪そうだ。