7-2 (END)
「無駄なのだ……残された我らだけではもうどうしようもない。再び動き出した闇はいずれ世界を覆いつくすであろう。足りぬのだ──光が。なぜ神は儚く散ってしまう希望の糸を我々の前に垂らしたのか……」
彼女はディールを見た。
「冒険者よ。帰る場所があるのなら、せめて今だけは大切な人との時間を大事になさい。その時間を与えてくれたことこそが、最後の慈悲なのだから」
そしてきびすを返す。彼女の静かな迫力に圧され、ディールは口を開くことができなかった。
部屋の前へ戻ると、ちょうどジンとクラッセがドアを開いて出てくるところだった。
「おっ? ようやく目覚めたわりにゃ、元気そうじゃねーか」
「ようやくって……?」
ジンの口ぶりから察するに、あれからしばらく経っているようだが。
「僕とディールさん、リベルさんの三人は丸二日間も眠っていたそうですよ」
クラッセが言い、ジンは「バーサンが言うには魔力を極度に消耗したせいなんだってよ」と補足する。
「大変だったぜ、おまえらが眠ってる間、こき使われっぱなしでよー」
彼が言うには、怪我人を病院に運んだり、モンスターの襲撃に備えて外壁や門の修繕に充てられていたらしく、ディールは素直にジンへ労いの言葉をかけた。
「レミさんたちはもうジグザールさんのところへ行っているらしいですよ」
ディールが頷き、彼ら三人は足早にその場を後にした。
「リベル、レミ!」
謁見の間に通された三人は、すぐに連れの赤毛と黒フードを発見し、声を上げた。
「二人とももう大丈夫なの?」
リベルが尋ねる。
「二日も眠っていた実感がないほど体力が充実しているよ」
「リベルさんこそ大丈夫なんですか?」
返すクラッセに、リベルは黙って微笑む。
「俺のことは気遣ってくんねーのかよ」、ジンが口を尖らせるので、代わりにクラッセが彼に労いの言葉をかけてはそっぽを向かれていた。
「全員揃ったようだな」
聞き覚えのある声がして、五人揃って声の主を見る。
「都は甚大な被害を受けていてな。いや、ここブュッフェだけではない。闇の手が各地に伸びているようだ。さっそくで悪いが貴様たちにやってもらいたいことがある」
ジグザールがいい終えるや否や、
「いきなりだな、とっつあん。で、なんだよ? やってもらいたいことっつーのは」
「俺たちにできることなら、やらせてもらうよ」
話が早い、とばかりに首を縦に振ると、ジグザールが告げた。
「貴様たちの手にしているシギルの剣、蒼月の杖と並ぶ、神器を入手してきてもらいたい」
「蒼月の杖って……これのこと?」
手にした杖をまじまじと眺めてリベルが問う。
「そうだ。そして、それ以外に三つの神器なる特別な武器が存在するのだ。神器とは、かつて闇の侵食から世界の崩壊を食い止めた魔道士たちが、それぞれの半生をかけて生み出した魔力の込められた武器。神器なくしては闇に立ち向かうのは困難を極めるだろう」
「でも……三つも揃えるなんて、僕たちには無理なんじゃ……」
至極もっともな意見をクラッセが述べると、
「探してきてもらうのは一つだけでいい。残りの二つはここにあるのでな」
そう言ってジグザールは自分の手にしていた槍を見せる。
「なんでとっつあんがそんなの持ってんだよ!」
「家宝として封印されてあったのを解いてきたのだ。まさかこれが神器などと、レンゼン様に指摘されるまで気付かなんだ。そしてもう一つは……そろそろやってくるころだな」
「──ジグザールさんの家宝が神器っていうことは」
いまかいまかと待ち侘びるジグザールにディールが呟く。
「そう。ゴート・ジグザールは私の祖父にあたる」
ジンは変な顔になった。
「祖父にあたる……って、んな名前すらしらねーっての」
「つくづく失礼な男だな貴様は。いいか、太陽の勇者デュランドー・シギル、真紅のメイローズ、神子の再来イミレナと、我が祖父は肩を並べて十字の光と呼ばれていたのだ」
苛立ちながらジグザールは続ける。
「中心にいたのは勇者デュランドーだ。彼を補佐するように当時最高の腕を持っていた魔道士が四人、東西南北に陣取り闇の封印を試みたという」
「それで、うまくいったの?」
リベルが横から声を挟む。
神妙な顔になったジグザールは「いや」と首を振る。
「原因は明らかにされてはいないが、どうやら失敗したそうだ。そのあたりはレンゼン様が来られたら詳しく説明を聞くのがいいだろう」
全員がそこで口を閉ざすと、それまで押し黙っていたレミが「もう、一人は?」、小首をかしげる。
「そうだぜ、今のとっつあんの話じゃ四人しかいねーじゃねーか」
ジンがレミに同調すると「そろそろだが」、勇者の孫であるはずの彼が扉に目をやった。
ギィ──
唐突に開かれた扉にディールが目をやると、見慣れた顔が覗いた。
「ゼンさん」
「なんだよ、もう一人ってバーサンのことかぁ?!」
もったいつけやがって、そんな表情でジンが言う。
「ご挨拶だね、あたしじゃないよ。さ、こちらへ──」
彼女のあとに続く女性に、ディールは驚いた。
「さっきの……」
部屋を出たところで出会った、不思議な雰囲気の女性だった。
「うひょー、美人じゃねーかよ! ……っててて、なにすんだよ」
鼻の下を伸ばしかけたジンが自分の腕をさする。リベルが無言でつねったのだ。
「でも本当に綺麗な方ですね」
クラッセが正直な感想を洩らし、ディールもそうだなと返事する。
「このお方が新緑の英知ササラ様だよ。くれぐれも失礼のないようにね」
「様だよってか。ずいぶんかしこまってんなバーサン」
さっそく横柄な態度をとるジンの髪をジグザールがつかんで、頭をぐわんぐわん揺らした。
(あの方はエルフなのだ、ああみえてレンゼン様より長く生きてらっしゃる!)
耳打ちで怒鳴られて、口の悪いシーフが顔を歪める。
「確かデュランドーさんとメイローズさんは行方不明になってしまったんですよね? ううん、それよりもすごい昔の話らしいですから──」
「十字の光とかいう五人の、最後の生き残り……ってことになるわね」
耳打ちするクラッセにリベルが返事をする。
「つまり、事の顛末は彼女のみぞ知るってことか」
それは闇を封じるための一戦の。
二人の近くにいたディールが神妙な顔になる。ササラは「無駄だ」と言っていた。彼女が過去に闇と対峙したのだと知った今となれば、その言葉は重要な意味を持つことになる。
「チャー坊から話は聞いたね?」
「──チャー坊?」
唐突に放られた言葉に一同は首をかしげた。
「レンゼン様! そのような呼び方は……もう私は子供ではないのです!」
「それってとっつあんのことかよ。ぎゃははっ!」
ジグザールは「うるさいっ」、ジンを一喝し、法衣の乱れをそっと直す。彼はチャゴス・ジグザールと名乗った。
「あんたたちに探してきてもらいたいのは、イミレナの神器である、零星の腕輪だよ」
ゼンは静かに語った。
かつて神の子を呼ばれた存在があった。その者はあらゆる難病を癒し、時の流れさえもその瞳に映したのだという。その神子の再来といわれる魔道師がイミレナという名なのだといった。
ゼンの師であるメイローズと共に闇の封印に赴いた彼女は、封印の失敗と時同じくして姿を消した。チャゴスの祖父であるゴート・ジグザールはほどなくして戦いの傷から床に伏し、デュランドー・シギルとメイローズの二人もあとを追うようにして行方をくらましてしまったのだ。
「イミレナは時空の狭間に吸い込まれてしまったのだ」
それまで無言を貫いていたササラがふいに声を発した。
封印の失敗がどのような理由によるものなのかは、彼女にははっきりとわからなかった。ただ、イミレナの周辺に渦巻いていた闇が膨張した瞬間、その神子と呼ばれた少女の姿は跡形もなくなっていたのだと話した。
「持ち主を失った神器は眠りにつく。もともとがその者のためだけにつくられた存在なのだ、主なくしては力を発揮すること叶わぬゆえ」
「零星の腕輪は眠りにつくなり、自分の周囲に氷の結界を張ったのさ。そして今も主であるイミレナの帰りを待っている。その封印をあんたたちに解いてきてもらいたいんだよ」
ゼンはそこで言葉を区切る。
「どうして……俺たちに?」
全員の視線がディールに集まった。
「そ、そうですよ。僕たちはゼンさんは知らないかもしれないけれど、まだ冒険者になったばかりで、その……神器なんてものを集めたりできるような強さなんてなくて……」
ここにきてクラッセの張り詰めていた緊張が一気に弾けた。一人がそうなると不安が伝染するのは早かった。
「あ、あたしだってまだ魔法もうまく扱えないわ! そりゃおばあちゃんから借りた杖のおかげでここまでなんとかなったけど、これ以上は無理よっ!」
「そうだよな。なー、バーサン。俺たちゃ歴戦のファイターだったり、大魔道士なんてつわものぞろいのパーティーじゃねーんだよ。俺らにゃ、ちっと荷が重すぎらぁ」
リベルに同調したジンが、他を当たってくれと言わんばかりに片手を挙げて振る。
「だから、無駄だと言った」
ぽつり、ササラがつぶやいた。
「レンゼンよ、この者たちでは闇の侵食を食い止めることすら叶わぬ。我らですら成しえなかったこと、他の何者にも代わりは務まらぬ」
見込み違いだったのだ。彼女の表情はそう語っていた。
「私、は──」
再び空気が静寂に包まれそうになったとき、レミが言葉を発した。
「なんだよおめー、もう満場一致で結論は出て──」
「私は……記憶が、ない」
「……あぁ?」
いぶかしがるジンを見上げ、彼女は一言ひとこと、ゆっくりと話し出した。
「ほんの、少し前まで。冒険者になったのは、自分の、記憶を探す、ため。記憶を失った状態で、立っていた、んだ。みんなと、出会うほんの、少し前、まで。
短い間、だったけど……最初は、なにもわからなかった、けど。仲間……ができた。ブュッフェで出会って、四人とも大切な仲間、だよ。もし、この世界が終わってしまうなら、せっかくみんなと出会えた世界が消えてしまうなら……」
そこでレミは口を閉ざす。
ディールは自分の持つ剣を見つめた。
(守りたいものがあるなら戦え、か。俺にそれができるのだろうか)
亡き父と交わした言葉が熱く蘇る。たとえば、このまま闇の侵攻に抗うことを放棄したとして、一体それがなにになるというのだろう。ただただ、自分たち以外に立ち上がる者の出現を待つのか?
「そんなんじゃない」
他人をあてにして何もしようとしなければ、これから起こるどんな困難からも同様に逃げ出してしまう。そんな自分はいやだ。
「そう……ですよね。レミさんやリベルさん、ディールさん、ジンさん、大切な人たちと出会うことができて、せっかくこれからなのに……僕、いやですよ」
「おいおい、だからって俺らになにができんだよ──いてっ!」
「往生際が悪いわね! もうみんなわかってんのよ。うん、決めた!」
リベルに小突かれたジンは「しゃーねーなー」と頭をぼりぼりかく。
「やろう! 俺たちの世界は、俺たちで守らなきゃならないんだ!」
決意を新たにした五人を見つめていたササラ。その表情の変化に気付いたジグザールが声をかけた。
「どうかされたので?」
「彼らを見ていると……いや、いい。それより、魔力の高ぶりを感じる。この感覚は──あの少女か?」
ジグザールはその視線の先を追った。
「レミとかいう……あの少女に魔法の素養は感じられなかったはずですが。しかし」
彼は折れた杖を持ち出してきて、ササラにそれを見せる。
「これはレンゼン様のもとからあの少女が手にしてきたもの。魔力の込めてあるような代物ではなかったはずですが、彼女は魔法に似た不思議な力を使ったのです」
「どこか懐かしい魔力だ」
ジグザールの言葉など耳に入っていないかのようにササラはつぶやいた。
「んじゃ、とっとと闇っつーやつを封印しようぜ! バーサン、その神器っつーのはどこにいきゃ手に入るんだ?」
「まったく変わり身の早い人ね」
そこが良いところでもある。呆れた様子のリベルの顔にはそんな心情が多分に含まれている。
「この街から北にいったところだよ。といっても地図は必要ないさ、あたしとササラ様とでそこまで空間転移の魔法で送ってあげるからね。あくまで大まかな位置までだけどね」
「いけばわかる」
そしてゼンとササラに促されるままに広間の中央へディールたちが集まる。二人は同時に呪文を唱えはじめた。
「よろしく頼むよ。くれぐれも無理はしないようにね」
「すでに十分、無理難題を押し付けてるってわかんねーかなぁ」
「ばかジン! 少しは黙ってなさい」
「へいへい」
「わぁっ、光が……」
「体が浮く──」
閃光が場内を埋め尽くす。
ディールたちの姿が瞬く間に掻き消えた。
「いってしまいましたな」
「あの子たちなら、きっと成し遂げられるとあたしは信じているさ。なにせ、師匠が未来を託した子たちだからねぇ」
眩しそうに五人の消えたあたりを眺めたままで、ゼンはつぶやいた。
「ぶぇぇぇぇぇっくしょっ!」
氷山が目の前に鎮座していた。
「ううっ、冷えるな」
「いったいどこまで飛ばしやがったんだよ」
「さすがに雪までは降っていないけれど……あの山に登るんだとしたら、この格好じゃ厳しいわね」
身震いしてリベル。
「でも、あそこで間違い、なさそうだね」
「いったらわかるっつったってよー」
お手上げだ、ジンが言う。
「どうしましょうか」
「とにかくあの山にいきましょ?」
「げげっ、いやだぜ。凍えちまわぁ」
わいのわいのやっている四人を眺めながら、ディールはふと妙な感覚がして手にしたものを見た。
「シギルの剣が……」
体が熱い。そして刀身がほのかに暖色の光を帯びている。
「わぁっ!」
突然、剣が発光し、光の筋がある方向へ放たれる。
「ディールさん、それって」
「行ったらわかるって、このことかぁ?」
「ここに眠ってる神器に反応しているの……?」
そうだろう、ディールは頷いてみせた。
「山の上じゃなく、わずかに地面の下を指していますね」
「地下への入口がどっかにあるってことか?」
見たところでは、近くに入口らしきものはない。探せということなのだろうか。
「いこう、神器が、待ってる」
レミが光線の先に歩きだす。
「ああ、いこう。だけど待ってくれみんな」
「あん?」
「どうしたの?」
立ち止まるレミと、ジン、リベル、クラッセを見渡して、ディールは口を開いた。
「きっとまたあのケイオスとかいうやつみたいな化け物と戦うこともあると思う。全員で力を合わせてようやく倒せたようなやつだ、それも今度もしここで現れたとしたら、ゼンさんの助けを借りることはできない。俺だってシギルの剣をちゃんと扱えるわけじゃないし、きっと苦しい戦いになると思うんだ」
だから、とディールは続ける。
「俺はもしそんな化け物が出てきたとしても、勝てるかと聞かれればわからないとしか答えようがない。でも……ジンもリベルもレミもクラッセも、絶対に守ってみせる。みんな大切な仲間だから」
決意を込めたまなざしで四人を見つめる。ともすれば不安に押しつぶされそうになる心を言葉にすることで奮い立たせているのだ。
「んな」
ジンが頭をかきながら口を開いた。
「んな、あったりめーのこと言うなってんだ。おめーはファイターなんだからよ。そんなの当然だろがよ。俺だってできることがありゃぁ、やるっつーの」
ふん、と言い捨てるジンにリベルが「素直じゃないわね」と言う。
「言霊、みたいなもの、だね」
「なんですかそれ?」
レミの言う耳慣れない言葉にクラッセが首を傾げる。
「言ったことが現実になるってあれね。いいわ、それならあたしも約束する。あたしはまだ自分の意思で自由に魔法を使えたりしないけど、でも、みんなを危険な目に遭わそうとするモンスターがいたら、絶対に倒すわ! そしてみんなを守るの!」
「じゃあ僕も言いますよ。って、できることなんてあまりないですけど……」
「クラッセには勇気がある。街を出て初めに遭ったモンスターがいただろ。あれに誰よりも早く向かっていったじゃないか」
「結果は無残なもんだったけどな──うぐっ」
茶化すジンに、女性二人からの肘鉄が入る。
「みんながくじけそうになったとき、クラッセの勇気がきっと支えになる」
「……あはは、じゃあそれにします! 四人のために僕ができることならなんでもしますよ!」
「ふん、俺の番かよ?」
視線が自分に集中していることに気付き、
「俺がシーフだってこと、おめーら忘れてんじゃねーだろな? シーフのやることっつったら危険感知に限るだろ。どんな罠だろうが敵だろうが、真っ先に見つけてやるよ」
そう言って胸を張る。
「レミの知識は今までにも助けられてきたよな」
「そうですねぇ、レミさん抜きじゃブュッフェでのモンスター退治はきつかったと思いますよ」
ディールとクラッセが口を揃えると、
「ううん。それだけじゃないと思うの」
意外な発言に、一同はリベルに注目する。
「レミって、本当に魔法は使えないの? お城の中にいるときから、不思議な感覚がするのよ。それは城を出てからも付きまとっているわ」
「魔法なんて、使ったこと、ないよ」
「そりゃー、さすがにないんじゃねーの」
否定する二人に「そんなことない」と真っ向から反論する。
「いつかレミにあたしたちは助けられると思う。そんな予感がするわ」
「なんだなんだっ?」
「まさか予知能力でもついたんですか?」
言い合いをはじめそうな彼らを見ながら、ディールはなぜかリベルの言葉に妙な説得力を感じていた。
(これは……神器を手にしている俺とリベルだけが感じていることなのか? 確かに俺もそんな気がしていた。彼女にはなにか隠されている力があるような……)
だが、シギルの剣はなにも語ってはくれない。あくまで気のせいとでもいうのだろうか。
「ま、レミにゃあ、いざっつーときにその不思議な力を発揮してもらうとすっかぃ」
「過剰な期待、ちょっと困る、ね」
と言いつつ、口元に笑みが。
「俺たちは一人ひとりが四人のために、持てる力の限りを尽くして戦う。きっと、そうすればどんなに闇の力がすごかろうと乗り越えることができるさ!」
一人は四人のために。
「絶対に生きて帰ってこよう!」
高らかに宣言する。最後まで希望を失わないと。
彼らの戦いはまだ始まったばかりだ。