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「主に聖水、の材料だね」
レミはさらにその詳しい説明を続けた。
「聖水にはモンスター、を退ける効果が、あるよ。よく大きな街の周辺、に撒かれているね」
「そういえば戦士風の人たちと神父さんが街の周りを一緒に歩いているのを見たことがあるわ。あっ! なんか瓶から水みたいなのを振りまいていたかも」
リベルがその時の光景を思い出して声をあげる。
「でもそんな物の材料に使われるんなら、結構値が張るものなんじゃないか?」
俺はレミに聞く。
それを振りまくだけでモンスターが近寄らなくなるというのなら、いい値段がしそうだ。と同時に、そんな貴重なものを一介の新米冒険者に知られてしまってもいいのだろうかという疑問も湧いてくる。
そもそも冒険者の存在意義自体が危うくなるのではないか? モンスターという脅威から街を守ることが我々の仕事なのだから。
もちろんそれだけではなく、旅の道中の護衛などの依頼もあることにはあるが。
「ううん。そんなにたいした、効果は、ないね。太陽の光、を浴びて、色が変わったり、するから、古来より神聖なもの、として伝えられている、だけだよ。いわゆる縁起物、だね」
レミの説明に俺とリベルは納得した顔になる。
彼女が言うにはこうだった。
聖水というものは陽還り草だけが材料ではなく、それ以外の材料と合わせて精製しているのだそうだ。
陽還り草自体には全くといってモンスターを退ける効果などはなく、聖水を神格化させるための、いわば聖水の精製がうまく成功ことを祝う儀式というものがあり、その儀式用として使うだけらしい。
そして聖水というものに至っても、多少はモンスターが嫌うような匂いがある材料が含まれているようだが、それほど大きな効果は期待できないらしい。精製の過程において特に退魔の魔法を施すといったこともない。
さらに言えば、そもそも退魔のような高度な魔法を使える者すらもそうそういるものではないのだそうだ。
「けっ。金持ちの道楽みたいなもんかよ」
地図とにらめっこしていたジンが顔をあげて憎まれ口を叩く。
「道楽ってあんた……」
リベルが呆れて言う。
俺はリベルに次いで口を開く。
「そういうものは大事だと思うぞジン。縁起を担ぐというのは意外と大事なことだ。そんな事を言ってバチが当たっても知らないぞ」
「その通り、だよ」
3人から同時に非難の視線を浴びて、ジンは気まずくなったように地図へと顔を戻す。
「はいはい、あっしが悪うござんした。それよりこれを見ろよ。なーんか、お宝の匂いがしねーか?」
口元に笑みを浮かべてジンは俺たちを手招きする。
「え、なになに? お宝?!」
リベルが真っ先に地図を覗き込む。
俺はレミと顔を見合わせてからリベルに続いた。
ジンの人差し指の部分にはうっすらと"×"と印がつけられていた。
それは後でかき消そうとしたようで、よくよく注視しなければ気付くことがないような印だ。
目的地である大きな印が目を引いて俺なら気付きそうにない。ジンはよく見つけたものだ。
「なにか知られたくないようなもんでも埋まってんじゃねーか?」
集まった3人の顔を覗き込んで、ジンは「へっへっへ」とにやつく。
「こんなのよく見つけたな」
俺は感心してジンを見た。ジンは「おうよ!」と意気込んで、地図をなぞるように指を動かす。
「街を出発してあんま進んでねーから、俺たちがいるのは多分このへんだろ。きっとこれがさっきまでいた小道だな、そんで、ほれここに岩山みたいな記号があんだろ。こいつをぐる〜っと回り込んでだな」
俺たちの現在地と、街までの距離とその印のつけられた場所を比較すると、道のりにして2時間くらいはかかりそうだ。
「結構遠い場所にあるな」
思わず漏らす。
「でもさ、もしこれが財宝だったりしたら、もうあたしたちウハウハよ?!」
リベルは興奮して、地図を食い入ったように見つめる。
「だろ? 昔の偉人が遺した金貨でも埋まっていたりしてな」
ジンは言いながら想像して、よだれをジュルリと垂らしそうな口元を袖で拭う。
「でもそれはさすがに出来すぎじゃないか? だいたい偉人ってなんだよ」
確かに財宝が埋まっているのだとしたら、それはすごく魅力的だが、現実にそんなことなんてそうあるもんじゃない。
俺の反論にジンとリベルの2人は一斉に噛み付く。
「おめーってよ、夢がねぇな夢が。せっかく冒険者になったんだから、それくらいの夢は見てみようぜディールよぉ!」
「そーよ、そーよ! ああもうっ、財宝を掘り当てたらあれもこれも買えるわ! おととい街で見つけた可愛い服があったのよねぇ〜」
リベルはうっとりとした表情だ。
年頃の女の子なのだからそれは仕方のない欲求なのかもしれない。
だが、これでいいのか?
「危険区域、だったりしてね」
レミの発言に2人はまたも同時にぴたっと止まる。
彼女の言うことが、この場合は一番ありえそうだ。
教会といえば、人々が懺悔をしに来る場所というだけではなく、冒険者ギルドとも密接な関係にあるのだ。だからこそ今回のこの仕事も酒場を通じて俺たちの元に転がり込んできたのだ。
その教会から支給された地図ともなれば、危険なモンスターが出るがゆえに記されたという理由だってあり得る。
ただ、酒場のマスターが言うには、"手頃で危険の少ない仕事"だそうだから、ジンの推測だってあながち見当はずれではないのかもしれない。
だがマスターがこの場所が"危険区域"だということを教会関係者から聞いていても、それを俺たちに伝え忘れたということも十分に考えられるのだ。
「さっき自分で言っていたろうジン。少し慎重に物事を考えよう。それに、まずは依頼にある薬草を入手することが先決だ」
レミに続いて2人に釘をさすと、ジンは「いけねーなぁ、ロマンってもんがねぇよディールは」とリベルに愚痴っていた。
なんとでも言え!
「ところで今さらだけどよぉ、あんなモンスターがこの先も出んのか? いきなり巨大化するなんて並じゃねーぜ」
あんな、とは"巨大サボテン"のことだ。
「林檎を食おうとしてる時は、こーんなにちっこかったのによ」
両方の手の平をこじんまり目の前に出して憎憎しげにジンは言う。
最初に見たときはあんなサイズになるとは思ってもみなかった。
「ほんと、可愛らしかったのにね」
「ちょっくらからかってやろうとしただけなのにな。短気なやつだったぜ」
ジンだって、なにも最初からあんな巨大化するとわかっているモンスターにちょっかいを出したわけではなかった。
本当に小さかったのだ。ある種の愛好家ならペットとして愛玩用に連れて歩きたいと思うかもしれないくらいに。
俺たちが街を出たのはまだ朝の霞も引いていないくらいの時間だ。
前日に酒場でマスターから依頼をもらった俺たちは、時間も時間だということで、翌日の早朝に出かけようとなったのだった。
それまでは安宿に拠を構え、短期のアルバイトをしながらちょこちょこと酒場に顔を出していたのだが、5人で食事を取っているところに、マスターから鶴の声がかかったというわけだ。
前にも言ったとおり、俺たちのような新米にはなかなか依頼などくるものではない。
めぼしい仕事はのほとんどは、熟練の冒険者たちにかっさわれていってしまう。
一も二もなく飛びついた俺たちは、その日は出かける支度に追われ、今朝早くに意気揚々と出発したのだった。
冒険者になって初めての仕事だということで、始めは辺りを警戒しながら無言で歩みを進めているだけだったのだが、モンスターの類なども現れず次第に緊張感が薄れつつある時に、森の中に少し開けた場所に行き当たった。
そうそう、酒場のマスターからは小道を真っ直ぐに進んで、地図は突き当たったところまで行ってから開けばいいのだと言われていたのだ。
だから、あまり深いことは考えていなかった。
まだ冒険者になりたてで未熟なこともあって、俺たちは地図をしっかりと確認することもなかった。
それが仇になったということもないが、今にして思えば軽率だったと言わざるを得ない。
そこには林檎の木が1本だけ立っていて、冒険者たるもの朝食はしっかりと取らなければならないというのに、朝食もろくに取っていなかったジンは、「美味そうだ」と言うが早いかその林檎の木に登り出してしまったのだ。
「おめーらにも取ってやるから安心しろって」
するすると木に登って、太い枝の上に腰をかけたジンが俺たちに叫んだ。
すると巨大化する前の"巨大サボテン"が小さな触手を伸ばして、鉤爪で大玉の林檎をがりがりとやっていた。
それを見つけたジンは何を思ったか、林檎を取り上げると"巨大サボテン"の目の前で一気に芯だけを残して食べきってしまったのだ。
ジンにとってはほんのいたずらの気持ちでやったことだったのだろうが、当の被害に遭った本人(?)はジンの所業で頭にきたのか、ぶるっ、と身を震わせると、あとは知っての通り、ぐんぐんと巨大化していき冒頭の場面に繋がったというわけだ。
「ほんと、ばかジンね。少しは反省してよね」
半眼でリベルが言った。
「反省してるっつーの! とにかくあのとっつぁんにだけは遭遇しねーようにいかねーとな」
さして反省していないような仕草で頭をぼりっと掻いたジンが言ったときだ。
「うわぁぁぁぁぁぁ! た、助けて!」
反射的に辺りを見回す。森は依然、しん、として何かが起こったような様子はない。
それもそのはず、悲鳴の出処は気絶していたはずの金髪少年だった。
"巨大サボテン"の悪夢にでもうなされていたのだろうか、顔面蒼白だ。
「ようやく王子様のお目覚めだぜ」
ジンがからかうように笑う。
「もうっ。いじわる言わないの。大丈夫? もうさっきのモンスターはいないから安心していいわよ」
リベルがクラッセのもとに駆け寄る。
クラッセのだらだらと汗をかいていて、定まらない視線を宙に漂わせている。
「こ、ここは……?」
「ここっつってもな。森ん中だっつの。おめー覚えてねーのかよ」
肩をすくめてジンが答える。
「僕、どうしてここに?」
「ええと、気絶してたのよクラッセ。ディールが背負ってくれたの。もう少し休むから、落ち着いたら行きましょ」
リベルはクラッセの額の汗をぬぐってやると、他の3人を振り返って言う。
「へいへい、わかりましたよ」
ジンが仕方がないというように再び取り出した林檎をかじりだす。
彼としてはもちろんクラッセの心配をしていないわけではないだろうが、さっさと仕事を片付けて、財宝が眠っているかもしれない地図に記された場所に行きたいのだろう。
「はぁ。その林檎美味しそうですね」
起きたばかりだというのに目ざとくジンの持つ林檎を見つけて、クラッセは呟く。
「へっ! とっととそれ食ったら出かけっぞ。随分とタイムロスしちまったぜ」
クラッセに林檎を放る。
クラッセはそれを受け損なって、落ちた林檎についた土を払ってから口をつけていた。
「てゆーかさ、あんた林檎をどれだけ採ってきたのよ?」
リベルが素朴な疑問を抱いたようで、なんとも重そうなリュックサックの中を覗き込む。
ジンのリュックサックから尽きることなく出てくる林檎に怪訝な表情をしている。
それは俺も気になっていたところだ。
一体いくつの林檎があのリュックサックの中にところ狭しと入っているのだろう。
あれだけの数が入っていて、決して速度が落ちることもなく"巨大サボテン"に追いつかれないように走ったジンは、意外とファイター向きなのかもしれない。
「あん? まだ食い足りねーのかよ。おめー、それ以上太っちまったら見れたもんじゃねーぞ」
「な、な、な……なんですってぇぇぇぇぇ! 誰が太っているのよ! こんなに可憐な少女を捕まえて、どの口がそんなばかげたことを言ってるのよ!」
林檎を片手に走り回るジンをリベルが追いかけて、辺りをぐるぐると回る。
目覚めるなり賑やかに騒ぎ出した2人を見て、クラッセは不思議そうな表情を浮かべていた。
「さっきから、こう、だよ」
クラッセの横に腰をかけて傍観を決め込むことにしたレミがクラッセに説明する。
「そうなんですか」
林檎をシャリっとかじるクラッセが「楽しいですね」とのんびり顔で返した。
その時だ。
くすくす……くすくすくす……
ふと俺は押し殺したような笑い声を聞いた気がして、4人をそれぞれ見た。
ジンは相変わらずリベルをからかいながら走り回っているし、レミやクラッセを見ても笑っているような様子はない。
きっと木の葉のこすれる音かなにかだったのだろうと、その時は特に気に留めることはなかった。
少しだけ強くなってきた風が、木々の枝を揺らしていた。