6.終焉たる象徴の翼
俺たちが初めての依頼を受けてこのブュッフェの街を出発してから、まだ1日も経っていない。それなのに、ゼンという老婆を通じて勇者デュランドー・シギルの伝説の片鱗に触れ、あまつさえ時代の節目に現れるという"闇に憑かれた者"と呼ばれる邪悪とこうして対峙しているのだ。我ながらこれが夢であればいいとさえ思ってしまう。
それでも、時々かすかに聞こえるうめき声や地面に染み付いた血の跡、そして俺たちを睨みつけるような尋常でない狂気をはらんだ視線に、それが現実なのだと思い知らされる。
(無能ハ、死ネ)
あの無機質な声だった。
(コノヨウナ連中ヲアシドメスルコトスラデキナイトハ)
淡々と語るような口調だが、あきらかな侮蔑が含まれているのが感じ取れた。
「あっ! あれはジグザール様! どうしたんだ、怪我をされているようだ!」
はっとして声のした方に振り向くと、遠くにいた2人の兵士が駆け寄ってくる。その時、ギョロリとした白目が兵士たちを捉えた。
「あぶねえ! 来るんじゃねーおまえら!」
我に返ったジンが叫ぶ。兵士たちはその場で足を止めかけるが、ジグザールの怪我を捨ておけないとでも思ったのだろうか、顔を見合わせてから再びこちらへ向かってくる。それが彼らの命取りになった。
続けて俺が制止の声を上げるよりも早く、闇が膨れ上がったかと思うと影がすばやく兵士たちへ伸びる。それは2人の兵士を貫くと彼らは声を上げる暇もなく倒れた。
「ばっかやろーが……」
「気落ちしている暇はないようだぞジン」
ジンに言ったとおり、すでに白目の視線は俺たちの方へと戻されていた。ドクンと脈打つように闇が揺れると、またも影が伸びる! 標的は今度こそ俺たちだ!
5本の影が迫る。その速さは大したものだが、すでに2回も見ているのだ、反応できない速さではない。問題はどうやって防ぐかだが……。
ブロードソードを握る手の平が熱くなっていくのを感じた。
いけるかもしれない。魔法がかかっているであろう、この剣を信じるしかない。とっさにそう考えた俺は、迫る影へブロードソードを抜き放った。
ザシュッ。
まるで草でも切るかのように、ブロードソードは伸びてきた影をいとも簡単に斬って落とす。ゆっくりと形を失う影。ジンがピューと口笛を鳴らした。
「レベル2のファイターにできる芸当とは思えねーな」
まったくその通りだ。ゼンさんに会う前にこの街に戻ってきていたらと思うとゾッとする。この剣がなければ手も足も出せずにやられていたに違いない。
「ジグザールさんは無事なんですかレミさん?!」
そこで金縛りから解けたようにクラッセが、ハッとした顔でレミに声をかけた。
「大丈夫みたい、だよ。急所ははずれて、る」
すると倒れていたジグザールが額に汗を浮かべながら上体を起こす。
「あの程度の攻撃で……この私がやられるわけ……」
強気な口調とは裏腹に痛みに顔が歪むジグザール。急所がはずれているといっても浅い傷ではないようだ。腹部に滲む血の色が傍目で見ていても痛々しい。
「ふんっ、大口を叩く元気がありゃー問題ねーってもんだぜ。それよりどうしたもんかね。ディールの剣で影を斬ることはできるみてーだけど、近づかなきゃイビル野郎を叩っ斬れもしねーかんな。どうだよディール」
ジグザールを一瞥して唇の端を上げてみせるジン。額には一粒の汗が流れた。
強気を装ってはいるが、さすがに向こうの攻撃手段が影を伸ばしてくるだけではないはずで、どんな攻撃を仕掛けてくるか図りかねる相手にジンも不用意に動くことができないのだ。
「ああ、やつの攻撃があれだけならなんとかならないこともないが……さすがにそういう訳にはいかないだろうな。できれば援護がほしい。リベル、そろそろ魔法は使えそうか?」
俺は振り返ってリベルを見る。彼女は目を閉じていて、「待って」と言った。
「体の中でなにかが渦巻いているのを感じるの。これがきっと魔力というものなんだわ。もう少しだけ集中する時間を頂戴。そうしたらきっと……」
目を閉じたまま必死に杖を握り締めているリベルに、俺はジンとクラッセを見た。
「時間をかせぎましょう!」
「俺らにどこまでできるかわかんねーけど、やれるだけやってみようぜ」
俺は「ああ!」、ブロードソードを握り直すと頷く。
「しかし、"闇に憑かれた者"って一体なんなんだ」
路地に佇む闇に向き直り呟く。闇の中の白目は俺たちの出方をうかがっているかのようにこちらを凝視したままだ。
初めは黒い蝶の群れに森で襲われたのを思い出す。心の中を侵されていった俺たちは、リベルの声でなんとか我に返ることができた。世の中の全てが憎くて、全ての人間を殺してしまいたい、あらゆるものを壊してしまいたい気持ちがふつふつと湧いてきて、その手前で踏みとどまることができたのだった。
難を逃れた俺たちは次に、池のほとりで突如として現れたゴーレムに襲われた。その時はゼンさんが張ってくれた結界と共にゴーレムは消滅していったのだが、岩でできた体のゴーレムには俺のソードは全く効かなかった。ゼンさんの助けがなければ、武器を失った俺はどうなっていたか知れない。
ゼンさんと出会い、彼女は強い力を持つ何者かの存在を俺たちに伝えた。その存在の調査を頼まれた俺たちは戦うための武器を求めて宝物庫へと向かったのだが、その途中で霧と鎧の兵士に囲まれてしまったのだ。ただでさえ霧で視界を奪われている上に、鎧の兵士は俺やジンの攻撃をことごとくかわしてしまうのだ。
いよいよ追い詰められた俺は鎧の兵士が持つハルバードに斬りつけられて倒れてしまった。万事休すかと思ったとき、リベルが魔法を使い、それを撃退することができたのだった。
なんとか武器を手に入れた俺たちは、強い力を持ち俺たちを襲ってくる者が、"闇に憑かれた者"という名だということをゼンさんから告げられる。
その時にブュッフェの街が危険にさらされていることを知り、俺たちは大急ぎで街へ戻ったのだが、街では突然出現したモンスターの群れで、すでに恐慌状態に陥っていた。それでも宝物庫で得た武器の威力は絶大で、レミのモンスターに関する知識も手伝って、誰も大きな怪我を負うこともなく一掃することに成功したのだった。
無実の罪に牢へと繋がれた俺たちが、牢を出たときにはジグザールが宙に浮かぶ大蛇と戦闘を繰り広げている最中だった。 "闇に憑かれた者"に操られたジグザールによって折られてしまったが、レミの持っていた杖によって大蛇は跡形もなく消え去り、全ては終わったかに見えた。しかし、突風の後に襲い掛かってきた影によってジグザールは重傷を負ってしまったのだ。
ひた、と一歩踏み出したまま両手でブロードソードを構える。
そこまで考えて改めて湧き上がる疑問がひとつ。
「"闇に憑かれた者"ってなんなんだ?」
俺たちの心を侵さんとする精神攻撃、召喚されたゴーレムに街を襲うモンスターたち。鎧の兵士たちが消えたあとに俺の怪我がなくなっていたことを考えると、宝物庫へ向かう通路での鎧の兵士たちは魔法かなにかが見せた幻覚なのだろう。そして死体が集まってできた球体から鎌首をもたげた大蛇は毒の炎を吐き、今目の前にいる闇から俺たちの様子を窺っている白目は幾本もの影を伸ばして攻撃してくる。
時代の節目に現れるという"闇に憑かれた者"だが、まるでその攻撃の仕方に一貫性がない。モンスターの類にしてはどこか違和感がある。モンスターとは一線を画す存在なのだと言われればそれまでだが、少なくとも最初に俺の心の中に入り込んできた悪意と狂気じみた感覚はどことなく覚えがあるような感情にも思える。
「"闇に憑かれた者"……だと?」
はっ、として振り向くとジグザールがなんとかして立ち上がろうとしていた。
「まだ動いたら、出血が、ひどかった、から」
ジグザールの身を案じるレミの手を振り払った彼は、驚愕の表情を浮かべている。
「俺たちは、ある人から聞いたんだ。その人はとても優れた魔法使いで、あれを"闇に憑かれた者"なのだと言っていた。ジグザールさん、なにか知っているのか?」
「ふんっ、存在だけは聞いたことがある。道理で私の魔法が効かん訳だ、あれには普通の魔法は赤子がその手で撫でるほどにも効果がないと、古い文献で読んだことがある。そこの小娘がどんな魔法を使おうとしているのか知らんが、このままでは大したダメージも与えられんだろうよ」
「あんだとぉ?! じゃー、どうするってんだよ。このまま指を咥えたままやられろってーのかよ!」
「お、落ち着いてくださいっ、ジンさん」
なだめるクラッセに「これが落ち着いてられるかってんだ!」、ジンが唾を飛ばす。
「なにか手はないのかジグザールさん。あなたもあれが何か知っているのなら、倒す方法も知っていたりするんじゃないのか?」
手足をばたつかせているジンと、それを後ろから押さえているクラッセを横目に尋ねる。ジグザールは「ふむ」と言ってから、
「あることにはある。が、私の魔力も底を尽きかけていてな、これが最後の魔法となるだろう。それに……」
そこで苦痛に顔を歪めるジグザール。
「普通のモンスターには効果のない魔法ゆえ、私も初歩の初歩しか扱えん、今まで使う機会などなかったからな。致命傷を与えられる保障などない、だからとどめは貴様たちが刺せ」
「どんな魔法なんだよ!」
ジンが叫ぶ。ジグザールは呼吸を整えながら手の平を掲げる。
俺はその様子を黙って見守る。一息ついてジグザールは言った。
「破邪の魔法だ」
その言葉を合図にしたようにクラッセがショートソードを構えるのが見えた。
「き、きますよ!」
クラッセに習い身構えると、闇が膨らむのが遠目でわかった。
「悠長に話しをするあいだ待っててくれただけでも良しとしようぜ! もうちっとのんびり屋さんだともっと助かったんだけどな!」
「影は全て叩っ斬るぞクラッセ!」
「は、はい!」