5-8
「あっけなかったわね」
拍子抜けしたようにリベルが言った。
どさっ。
音のした方を向くと、ジグザールが地面に腰をおろしていた。
「あんたみたいな人間も地べたに座るなんてことあんだな。座る場所は玉座じゃなくていいのかよ」
「うるさい! ずっとあの化け物の相手をしていたのだ、仕方がないだろう! それに玉座に腰をかけたことなど一度もないわ!」
からかい口調のジンにジグザールが即座に言い返す。だが、さすがにその顔には疲れが濃く出ていて、それ以上は口を開こうとせずに粗い息をつく。
「ゼンさんにもあとで報告しておこう」
独白してからレミに気がつくと、彼女もこちらを見る。
「レミ、大丈夫か?」
「うん。でも、怪我人が、たくさんいる、だろうから、ゆっくりして、いられない、ね」
言われて辺りを見渡すと、大蛇の化け物に気を取られていて気づかなかったが、そこかしこに人が倒れているのが見えた。鎧を着た兵士が多かったが、そうでない者もいる。逃げ遅れた街の人々だろう。まだ息のある者もいるらしく、うめき声がどこからともなく聞こえる。
「こうしてはいられないな。早く手当てをすれば助かるかもしれない」
俺が言うと、クラッセが「はい!」と言い、ジンも「あいよ」と首と右腕をひと回しした。
「あなたも手伝ってくれるんでしょう、ジグザールさん?」
リベルが座ったままのジグザールに声をかけると、ジグザールは「当然だ」と言って立ち上がる。
「すまなかったな」
すぐに街の人たちを救出しようと身を乗り出しかけた俺たちは、その言葉に振り向く。ジグザールは怒ったような照れくさいようななんとも言えない表情で顔を背ける。
「なにがです?」
ポカンとしてクラッセが尋ね、ジンが「ばっかだなおめー」とクラッセを肘でつついた。
「あのような者に騙されてしまったとはいえ、無実の者を牢に入れてしまうとは……。この侘びはいつか必ずするつもりだ」
「いつかと言わず、今してくれてもいいんだぜ? 土下座っつー素晴らしい方法があんじゃねーか」
「だ、誰が貴様に土下座なぞするか!」
ニヤニヤと笑みを顔に貼り付けて言うジンにジグザールが叫ぶ。ジンも素直でない男なのだ、頭を下げられると、つい悪態が先をついて出てしまう。ジンらしい言いように俺はクラッセやリベルと顔を見合わせて苦笑した。
ジグザールも街のことを思えばこその行動だったのだ。あやうく間違いで処刑されてしまうかもしれなかったとはいえ、頭を下げるこの男を憎む気にはなれない、結果として丸く収まったのだから。
「逆らうやつには容赦しねぇって兵士連中が言ってたけど、案外いいやつじゃねーか」
ジンが言うと、
「悪人には容赦しないのは当然であろう。情けをかけるばかりが良いということではない。ただ私のやりかたに批判的な者もいるということだ。……だが、今回のことは私も不本意ではある。あのやつの声を聞いていると、どこか正常な判断力が失われていった節があった。今になって思い出してみれば、だがな」
ジグザールは腕を組んで顔をしかめる。
「しかし、その武器はどこで手に入れたのだ? それに貴様たちは何者だ? 私でさえ手こずる化け物をああも簡単に倒してしまうとは」
ジグザールはレミの杖を見て言った。
「歯が立たない、の間違いじゃねーの?」
相変わらずからかおうとするジンを無視して、ジグザールがレミの杖に手を伸ばす。
何気ない自身の行動にジグザールが一瞬、戸惑いの表情を浮かべる。レミはそのジグザールの様子に不穏なものを感じたのか、杖を遠ざけようと身を引いた。──が、ジグザールが杖を掴む方が早かった。
杖を握る右手がぷるぷると震える。ジグザールは自分でもなにが起こっているのかわからないように目を見開き、
ばきっ!
なんということか、杖を真っ二つに折ってしまったではないか!
「ジグザールさん、なにをしているんだ!」
「ど、どういうことだ、体の自由がきかん」
額には玉の汗が浮かんでいる。
「様子が変だわ! もしかしてまだ?!」
リベルが顔を上げて辺りを見る。
「やっつけたはずじゃ?! どこかに"闇に憑かれた者"がいるってことですか!」
「わかんねーけど気を緩めるんじゃねーぞ!」
揃って身構えたときだ。強烈な突風が吹いた。
「きゃあ!」
「うおっ」
「な、なんだ?!」
「い、いたい!」
「……!」
抗うことのできない強風に吹き飛ばされ、俺たちはしたたかに体を打ち付けて倒れる。
頭をさすりながらなんとか立ち上がろうとした時、俺は見た。闇が蠢くのを。
真っ暗な路地に、その上からさらに塗りつぶしたような深い闇。
俺は身を震わせた。ギョロリと血走ったような白目が瞼を開けたのだ。その刹那、数本の影が伸びた。
俺が声を張り上げるよりも早く、影は横を通り過ぎ──
「ぐああああぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ひきちぎれんばかりの絶叫が辺りにこだまする。
「ジグザールさんっ!」
影が身動きのできないジグザールに突き刺さる。
あっという間の出来事に俺たちは息をすることさえ忘れ、そして悟った。
街を襲い、多くの人々の命を奪い、ジグザールを操った者こそ、たった今俺たちに狂気をはらんだ視線を向けている者に他ないということを。