5-7
俺たちの脱走に気付いた者が探しにきたのかもしれない。俺は拳を握って身構えた。
だが予想に反して現れたのは見たことのある顔だった。
「冒険者さんたち! どうやって地下牢から?!」
驚きを隠せない様子で現れたのは、俺たちがブュッフェに辿り着いてすぐの時、ウォーラーに襲われていた兵士の青年だった。
「俺らを捕まえにきたのかあんた?」
気の抜けない表情でジンが青年を睨む。
「いえ。牢にいなかったのでどうしたのかと思ったのですが……。違います、私はあなたたちを逃がしにきたんですよ。魔道師様に捕らえられたと聞いたので」
思いがけない言葉に今度は俺たちが疑問符を浮かべる。
「どういうことなんだ? なにが起こっている?」
「起きるもなにも、街は大変な騒ぎです。説明はあとにしましょう、あなたたちの装備はこちらです」
案内されるままに俺たちは青年の後に続いた。武器は守衛室らしき場所に保管されており、それらを手にした俺たちは、そのまま促されるままに青年に続いて城を出た。
眠りに落ちていたため、相当時間が経っていただろうと思っていたが、まだ夜は明けていなかった。
城を出て少し行ったところで兵士たちが倒れているのが見えた。
「兵士長もやられてしまいました」
青年は悔しそうに唇を噛む。
「またモンスターが現れたんですか?」
クラッセが尋ねると青年は首を横に振る。
「あれはモンスターなんて生易しいものじゃありません。ああっ、思い出すだけでも恐ろしい化け物です! 今は魔道師様が応戦していますが、とても敵いそうにもない。せめてあなたたちだけでも逃がそうと、やられてしまう前に兵士長が」
青年は思い出すのもおぞましいとでもいうように身を震わせる。
「ついにおいでなすったか、イビル野郎がよ」
ダガーを鞘から抜いてジンが言った。
「大丈夫よ。あたしたちにはジグザールなんて目じゃないほど凄い魔法使いがついているんだもの」
ゼンさんからもらった杖を握り締めてリベルが言った。
「ええ、リベルさんの言う通りですよ。僕のこの剣だって、きっと凄い力を秘めていると思いますし」
クラッセもショートソードを手に持って見つめる。
「すぐに、片付ける、よ」
レミは自分の杖が光り輝く方向を向いて言った。
「私たちではとても役に立ちそうにありません。避難する人たちを誘導します。どうかご無事で戻ってきてください」
「ああ! 必ず戻ってくるさ!」
俺たちは青年に別れを告げ、レミの杖の光が指し示す方へと走った。
街にはいたる所に黒い蝶が飛び交い、さながら蝶の群れに占拠されてしまっているようだった。走っていくうちにレミの杖はますますその輝きを増し、あの悪意に満ちた存在の近くにきているのだと知らせた。
「見て!」
リベルが空を指さして叫んだ。
「あれが"闇に憑かれた者"なの?!」
中空に浮かぶちょっとした屋敷ほどもある大きさの"それ"は兵士の青年が言っていた通りに見るもおぞましい姿だった。
一見するとただの黒い巨大な球体に見えるが、目をこらすとそれが腐敗した死者たちの体で形作られているのがわかった。中には人骨も埋まっているのが見え、隣を走るジンはたまらず「げげっ」と息の呑んだ。
その球体からいくつもの大蛇が首を伸ばし、眼下の何者かと戦っている様子だ。しかし、電撃のようなものを下から浴びるも全くひるむ気配はない。
「ああっ、ジグザールさんです!」
クラッセが叫ぶと、長い黒髪を振り乱しながら魔道師が振り向く。その顔には濃い疲労がにじみ出ていた。
「貴様たち、どうしてここに! ……そうか、兵どもの仕業だな。まったく使えんやつらだ」
俺たちが走り寄るとジグザールは吐き捨てるように言った。
「なんてぇ有り様なんだあんた。神のお告げとやらはどーなったんだよ」
ジンの憎まれ口にジグザールは「ふん」と顔を背ける。
「……だ」
「ああ?」
「あれが神の名を語る者の正体だと言ったのだ! 思い出しても忌々しい! 命じられるまま貴様たちを地下牢を閉じ込めた私はこれでこの街が救われるのだと信じていた! しかし、やつはこの私を嘲笑うかのようにこう言った! 『アリガトウ、ワタシノチュウジツナル、オロカモノ』とな!」
怒り覚めやらぬ様子でジグザールが叫んだ。
「貴様たちは何者だ! なぜあの化け物が貴様たちを閉じ込めたがるのだ!」
その言葉に俺は自分の持つブロードソードを見た。そして"闇に憑かれた者"は俺たちの持つ武器を恐れているのかもしれないと思った。わざわざジグザールを騙してまで閉じ込めておこうとするくらいだ、俺はジグザールの話を聞いて心に希望の光が広がっていくのを感じた。それはジンも同じだったらしい。ニヤニヤと笑みを貼り付けてジグザールの肩に腕を回す。
「へっへ、そりゃー秘密だぜ。まぁ俺らがなんとかしてやっからよ、上手くいった暁にはなんでも言うこと聞いてくれんだろ? 地下牢に閉じ込めたことは水に流してやっからよ、ジグザールのとっつあん」
「ぶ、無礼な! ……貴様たちにどうにかできるとは思えんが、あの化け物を片付けることができるのならどうとでもしてやろう。今はギルドに私より力のあるメイジはおらん。それに他の魔法使いどもも、ほとんどやられてしまったのだ」
ジンの腕を振りほどき、そう言いかけたジグザールは「はっ、来るぞ!」、叫ぶと口早に呪文を唱え始める。見上げると大蛇が口を広げて紫色の炎を吐き出したところだった。
「かぁ!」
ジグザールの叫び声と共に紫色の炎は見えない壁に阻まれて霧散する。
「毒の炎だ! あれにやられると、ああなる」
大蛇から視線をはずさずにジグザールが叫ぶ。そこには全身が炎と同じような色になった兵士が倒れていた。すぐに治療しようと走り出しかけたレミにジグザールは「かまうな! すでに死んでいる」、言われてレミはその場に留まる。
「なんてことなの……」
悔しそうにリベルがうつむく。
「感傷に浸っている時間はないぞ! 私の魔法も全く効かん、一体どうなっているのだ!」
わけがわからないというようにジグザールが長髪を振り乱して呪文を唱える。土煙を吸い上げるようにして風の刃が大蛇を斬りつけるが、それもダメージを与えるにはほど遠い。
「許せ……ない」
「レミ?」
倒れている兵士を見つめていたレミが、ぐっと杖を握り締める。
「許せないっつってもよ、宙に浮かばれたまんまじゃ攻撃だってリベルの魔法くらいしか」
ジンが言いかけたとき、レミの杖が一層輝きを増した。それを見たレミは、最初から杖の使い方を知っていたかのように、杖を大蛇へと向ける。
するとどうか、光が杖の先端に収束したかと思うと、瞬きをする間ほどの早さで大蛇の生えている屍でできた球体ごと貫いた。まるで光の槍だ。
「すごい」
見上げながらリベルがつぶやく。光の槍が球体を貫くと、それをバチバチと音を立てながらいくつもの光の輪が覆った。
「半端ねーぜ」
同じく見上げているジンが言った。横を見るとジグザールでさえも我を忘れて見入っているようだった。
「倒せたのかしら?」
「あれが効かないなんてことはありませんよ。ゼンさんのところにあった武器なんですから」
リベルにクラッセが言い、俺も続けて口を開こうとしたときだ。
ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア────
金属と金属を擦り合わせたような耳障りな音に、俺は耳を両手で塞いだ。黒い球体から聞こえてくることからして、断末魔の叫びとでもいうことなのだろうか。頭の中に直接響いてくるようで不快なことこの上ない。
顔を歪めながら中空に浮かぶ球体を見つめていると、それは突然弾けた。
「終わった……のか?」
誰にともなくつぶやく。