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傍らのレミが小さく驚きの声を上げる。
「あ、れ? 傷が、ない」
見るとレミの言う通りに傷がなかった。治ったというよりも、むしろ最初から存在していなかったように皮鎧にはえぐられた跡すらなかった。
「わけがわかんねぇ」
「痛みも全くない。いや、そもそも痛みの感覚すら麻痺していたのか、よくわからなかったんだが……。しかし、これは一体」
怪訝な顔をするジンと顔を見合わせる。
「でも無事でよかったですよ。リ、リベルさん! 大丈夫ですか?!」
その声でリベルの方へ振り返ると、頭を抱えてふらっと揺れたリベルがその場に膝をつく。
「大丈夫よ。ちょっとめまいがしただけ」
そうは言うが本当に大丈夫なのだろうか。なにしろリベルは病み上がりだ。どうやって魔法を使えるようになったのかはわからないが、めまいの原因はそのせいかもしれないのだ。
「これ以上無理すんじゃねーぞ、あとは俺らに任せろ。それにしたってすげぇもんだぜ魔法ってやつぁ」
「いつの間に使えるようになったんですか?」
白い歯を見せるのはジン。不思議そうな顔をしたのはクラッセだ。今のままでは魔法が使えないと言ったのは他でもない、リベル自身なのだ。それが急にどうしたのか、クラッセでなくとも疑問に思うところだろう。
問われたリベルは軽く頭を振った。
「声が聞こえたの」
心ここにあらずな様子でリベルが答える。
「声?」
レミの黒いフードがピクリと動いた。そんなレミになにか心当たりでもあるのかと僅かに期待したが、彼女はそのまま黙り込む。
「ええ、女の人の声。とても優しい声だったわ。言われたとおりに呪文を唱えたらだんだん体が熱くなってきて……」
その時の感覚を思い出したのかリベルは目を閉じて静かに言った。
「よくわからないが、自由に魔法が使えるようになったってことなのか?」
俺は尋ねてみる。もしそうなら、これからの戦闘が随分と楽になる。別にさっきみたいなすごい魔法じゃなくてもいい、魔法で援護してもらえるだけでも結構な戦力になるというものだ。
「ううん、きっと無理よ。あの声が誰なのかわからないけど、あたしの意思で魔法を使ったわけじゃないもの。きっと、おばあちゃんがくれたこの杖のせいじゃないかしら」
そういってリベルはもらったばかりの杖に目をやる。彼女はなにか問いかけるような視線を注いだが、杖の先端に鎮座している碧の宝石はなにも語らない。はぁ、とリベルはため息をつく。
「ちぇー。まぁいいや、先を急ごうぜ。ディールの怪我が無しになってんのも、リベルが聞いた声ってーのも、わけわかんねーことばっかだけどよ、考えても仕方ねーことは考えねーに限るってもんだぜ」
楽天的に言うのはジンだが、確かにそのとおりだ。冒険者になったばかりの俺たちが推測できるようなことなんて、たかがしれている。幸いにも俺たちにはゼンさんという味方がいる。わからないことは彼女に聞いたほうが確実というものだ。それに、
「そうだな、またいつ邪魔が入るかわかったものじゃない。リンリンがゼンさんと話ができなかったってことも気になるしな。早く宝物庫に行って目当てのものを見つけたら戻ろう」
そう言う俺に4人が頷く。
「バァバ、どうしたんだろ……」
リンリンだけが浮かない顔でクラッセの肩に腰を下ろした。
「宝物庫ってのはどこにあんだよ」
再び通路を歩きはじめて10分ほど経ったとき、ジンがぼやいた。
「もうすぐだって。ジンジンったら堪え症がないなぁ」
ふわりと飛んだリンリンがジンの頭に乗るとポカリと叩く。
「って! なにすんだこのチビスケが!」
怒ったジンがリンリンを掴もうと手を伸ばすが、それをひらりとかわして彼女は笑う。
「あっはは、そんなに元気があるなら文句言わないの。そんなことよりちゃんと周りを見張っててよね」
「けー! わかってらぃ! ……ハァハァ、余計な体力使っちまったぜ」
空を飛べるリンリンとの追いかけっこはさすがに分が悪いと悟ったのか、すぐに諦めたジンが肩で息をつく。頬から一粒の汗が流れ落ちる。
「なんか暑くねーか? いや、俺の気のせいかよ?」
ジンが額を袖でぬぐいながら言った。
「いや、俺もそう思っていたところだ。これもやつのせいか?」
強い悪意を持った未だ姿を見せない敵のことを想像しながらジンに顔を向ける。なぜかはわからないが通路はだんだんと暖かくなってきていた。それが何者かの魔法によるものなのか、どんな理由があるのか、とにかく皮鎧の内側がじっとりと汗ばんで気持ちが悪いことこの上ない。今度は一体どんな攻撃を俺たちに仕掛けようというのか、一瞬たりとも気が抜けない。
「本当に暑いわね。もうっ、お風呂に入りたいわ! ちょっと、こっち来ないでよね」
そう言ってリベルは1人端に寄る。
「どうしたんですか? なにが起こるのかわからないですし、できるだけ固まって歩いたほうがいいですよリベルさん」
クラッセが不思議そうな顔で端を歩くリベルに声をかける。
「へっへっへ、そうだぜ。坊主も心配すっだろ? こっちに来いって」
なぜかにやけた顔でジンがリベルの方へ歩み寄る。一体なにが面白いんだ?
「来ないでよ、ばかジン! ちょっと、リンちゃん、こいつなんとかしてよー!」
ジンから身をひるがえして避けるリベル。彼女がどうして俺たちから離れたがっているのかは俺にはわからないが、なぜかいやがっているようだ。
「ばかジンジン! ほんとデリカシーないんだからっ! リベルがいやがっているでしょ、離れなさい!」
リベルのピンチに気づいたリンリンがジンの髪をこれでもか、というくらいに引っ張った。
「いでっ! いいじゃねーかよ、減るもんじゃねーし。これから一緒に冒険してくんだ、汗の臭いなんざ気にしてたらやってけねーって。それをわからせるための儀式みたいなもんなんだよ」
「ああ、そういうことだったんですか」
クラッセは手のひらをポンと打って感心している。俺もリベルの行動に合点がいった。つまり、俺たちに汗をかいた自分の近くに来てほしくなかったというわけなのだ。クラッセもそうだが、つくづく自分が女心をわかっていないのだと思う。もしかして俺は鈍感な方なのだろうか? その点、すぐにそれを察したジンはすごい、と思ってしまう。これで、あんなちゃちゃを入れなければ、話術も巧みだし女の子にモテそうなところだが、そこに気づいていないところがある意味損をしている所だと思うのは俺だけだろうか。
「あの扉、かな?」
なおも下らない言い合いを始めるジンたちを尻目に、我関せずを決め込んでいたレミが指をさして言った。これだけの暑さであの黒いローブを深々とかぶっているわりにレミは全くそれを感じさせない口調だ。そんな彼女を不思議に思いながらも通路の先に目をやる。
「どうやらそのようですね。急ぎましょう、ほらジンさんもリベルさんも」
クラッセが言い争っている2人に声をかける。
「おっしゃ、とっとともらうもん頂こうぜ!」
扉を見るならジンが走り出す。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ! ほら、ディールたちも急ぐのよ!」
リベルがジンの後を追い、リンリンも続いて飛んでいく。そこには先ほどまでの疲れは感じられなかった。そんなリベルにひと安心しながらクラッセとレミに顔を向ける。
「やれやれだな。じゃ俺たちも行こうか」
「そうですね。ディールさん、疲れた顔をしてますけど、大丈夫ですか?」
本気で心配そうな顔でクラッセが俺を見返す。
「はは、あの2人を見てたらな。だがまぁ、連戦続きとはいえ、まだまだ元気さ。ほら、レミも行こう。きっとゼンさんが待ってる」
クラッセに苦笑を返してからレミを見る。
「もしかすると……でも」
「どうしたんだ、レミ?」
俯いたままぶつぶつというレミに首をかしげる。俺の声に気づいたレミは顔を上げると、
「ううん、なんでも、ない。行こうか」
フードの奥から蒼い瞳が俺を見た。なにか気になることでもあるのだろうか。先ほどからのレミの態度には気にかかるところもあるが、今は先を急ぐことにする。だが、後でゆっくり話しをできる時間があれば聞いてみよう。出会ってそれほど時間は経っていないが俺たちはパーティーなのだ。仲間の力になれることがあれば惜しまず力になろう。先に扉をくぐる少女を見ながら俺は思った。
扉をくぐると剣や槍が所狭しと並んでおり、別の一角には魔法のアイテムと思しき品物が山積みにされていた。
「すごいな、この光景」
感嘆の声が同時にいくつか上がった。
「ゼンさんってやっぱりとんでもない人物なんじゃないでしょうか。いやすごいですよ、これならディールさんにぴったりの剣がありそうですね」
クラッセがそわそわとしながら言い、ジンは「ひゃっほー!」、飛び上がりながら宝の山へと駆けていく。
「ぐげっ」
その襟首を掴んだのはリベルだ。
「もうっ、必要なものだけよ、持っていくのは。なんでもかんでも持っていこうとしたら、あんた、本当にカエルにされちゃうわよ」
「け、ケチくせぇな。わかってるっつの。んでもよ、シーフとしては一通り確認しておかなきゃ気がすまねーんだって」
出鼻をくじかれたジンがしぶしぶと言い訳をする。
「そう言いながらリュックサックのチャックを開いてましたよね」
「まったく手が早いやつだ」
クラッセと2人で半眼になってジンを見る。