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「気配?」
「魔力と言ったほうが正しいだろうね。それでリンリンに見て回ってもらってたのさ」
レミを見てゼンさんが言った。
「あんたらが見た黒い蝶ってのは間違いなく魔法によって作られたものだよ。それが幻覚なのか実体を持つものなのかはわからないけどね。強い魔力を持つ魔法使いっていうのはある種の媒体を介して遠く離れた場所にまで魔法をかけることもできるから、黒い蝶がたくさんいるように見えて実は1羽しかいなかったっていうこともあるわけさ。まぁ、あたしが感じてた魔力の原因はおそらくその蝶を操っていた人物だろうねぇ」
「強い魔力……ゼンさん、より?」
聞かれてゼンさんは左右に首を振る。
「さてね、そこまではわからないね。なんせあたしが実際に見聞きしたわけじゃなし、あんたらの話を聞いてる限りでそう考えられるというだけのことさ」
「なぜ俺たちが狙われたんでしょう? どう見たって冒険者になりたての俺たちなんかを襲ったところで、その黒い蝶を操っている人物に得することなどないと思うんですが」
素朴な疑問を口にする。
この森に魔法使いらしき何者かがいることはわかった。そしてその何者かが現れてここ2、3日くらいゼンさんが妙な魔力を感じているということも。だが、その目的がさっぱりわからない。
今言った通り、俺たちなんかを襲ったところでその人物に得るものなどないように思える。
あの"闇"に心を侵されそうになったとき、俺は強烈な悪意や憎悪に蝕まれていくのを感じた。あの時、こともあろうに仲間であるジンを殺したいとさえ思っていたのだ。
あれは一体なんなのか、誰に向けられた感情なのだろう。
あの感情はほんの一時であっても深く俺の心に刻み込まれてしまった。
自分の境遇を憎んで、誰かを殺したいくらいの憎悪。あれほどの強い感情を持った何者かが、どうして俺たちを狙っていたというのだろう。
「それも含めてさ、調べてきてほしいんだよ。放っておいたらどうもうまくないような魔力だからね、なかなかに強い力を持つ魔法使いかなにかだろう、それに禍々しい魔力だよ。あたしは見ての通りの年寄りでね。あんたら若者みたいに体が言う事を聞いちゃくれないのさ。それにしてもギルドは何をしているんだか」
話しながらふと思いついたようにゼンさんは不機嫌さを露わにした。
彼女の口からギルドの名前が出て、不似合いな単語だと思ったのは俺だけだろうか。
こういった森の中に人知れず住んでいるような魔法使いの老婆が世事に通じて思えなかったのだ。
そんな俺の心を知ってか知らずかゼンさんの話はだんだんとギルドへの不満へと変わる。
「だいたい、最近の冒険者ギルドの連中はどうなんだい、率先して事態を把握するべきはずなのに異変にも気付かないなんてねぇ。廃れちまったもんだね、あたしの師匠が知ったらただじゃおかないだろうよ」
「あん? どーゆー意味だよ。最近じゃギルドの施設とか講習だかも増えてるし、廃れてるなんてなんかの間違いだろ?」
「いいや、廃れてきてるね。いいのは見せかけだけさ。この頃じゃ魔力の強い人間もいないし、昔と比べたら質が落ちたもんだよ。師匠がいなくなってからというもの、ろくに連絡もよこさなくなったしねぇ。ま、連絡よこされても相手なんかしやしないけどね」
ゼンさんは皮肉げに言った。「ひねくれてやがらぁ」、ジンがそう言ったのを「人のことを言えるのか」と思わずつっこんでしまう。
「連絡って、冒険者ギルドに知り合いでもいたんですか?」
彼女の口ぶりからするとそう取れる。
クラッセが聞くと、ゼンさんは顔を歪める。
「あそこの上層部連中の半分くらいはあたしの兄弟弟子さ。この場所で師匠から魔法を習っていたやつらが今やギルドでふんぞり返っているんだからねぇ、世も末だよ」
「マジかよ! バーサンの師匠ってなにもんなんだよ!」
ジンに限らず驚いたのは俺もレミもクラッセも同じだ。長椅子から身を起こしたリベルも目を丸くしていた。
「ただの元冒険者さ。でも魔力は強かったけどね」
面白くなさそうに言い捨てる。
魔法を知らない俺からすればゼンさんだって大した魔法使いだと思うのだが、そのゼンさんが「魔力が強い」というその師匠とは一体どれだけ凄い人物なのだろう。
しかしゼンさんは思い出すのもつまらないといった表情だ。
「話を戻すけどね、あんたらも冒険者の端くれならちょっと手伝ってくれないかねぇ」
とんだ話の腰を折ったとでも言うようにゼンさんが俺たちの顔を順に覗き込む。
「お言葉を返すようですが、それなら俺たちのような新米に頼むより冒険者ギルドからもっと腕の立つ者を呼び寄せた方がいいのではないですか? ゼンさんの話を聞いた限りではとても俺たちの敵う相手ではないように思えるんですが……」
少しだけ迷った末に率直な考えを投げかけてみる。
そこにまた心を侵されることへの畏れの気持ちがないとは決して言えない。現にまたあの感覚を味わうことになるかもしれないと考えるだけで胸も竦む思いだ。
それにジン、リベル、レミ、クラッセ、4人の仲間たちにもあんな苦しい思いなどしてほしくはない。
大粒の涙を流しながら狂ったように叫んでいたクラッセの姿はとても見ていられたものではなかったし、レミも何も言わなかったがきっと辛かっただろう。
ダガーを抜いたまま硬直していたジンは、もしかするとすでに亡くなっているという弟のように思っていた人のことで苦しんでいたのかもしれない。リベルに至っては熱を出して倒れてしまったほどだ。
その原因についてはわかったから良かったものの、ゼンさんに会わなければ最悪の事態になっていたかもしれないのだ。
「バーサンにはわりーけど、俺は反対だぜ! ディールも言ったけどよ、俺らに何ができるってんだよ。またのこのこと出かけていったらあっという間に返り討ちに遭うのが関の山ってもんだろ。そこのチビスケをギルドにでも遣いに出してなんとかしてもらえっつの」
言い方は悪いがジンも俺と同じ気持ちだろう。
「とても強い魔法使いなんですよね? 僕たちに魔法に対抗できる手段なんてありませんし、だいたい何をどうやって調べればいいんです?」
クラッセも困惑しているようだった。
リベルに魔力があるとはいえ、さすがにまだその魔力をコントロールすることしかできのに、彼女に期待するというのも酷だろう。魔法を使う者相手にソードやダガーだけではどうにもならないと思う。
ゼンさんが少しだけ考えてから口を開こうとしたときだ。
「待って」
俺たちは一斉にリベルを見た。
「なにを待つってんだよ。言っとくけどおめー、自分がメイジだからってなんとかできると思ってんじゃねーぞ?! メイジはメイジでも、おめーはひよっこメイジだかんな! ろくに魔法も使えねーんだぜ!」
険しい表情のリベルに詰め寄ったジンが言い放つ。彼なりに心配しているのだ。
また精神を攻撃されるような魔法を使われても、やはりリベルは俺たちを助けるために無理に魔力を呼び覚ましてしまうだろう。
「わかってるわよ……。あたしだってどうにかできるなんて思っていないわ。でも……このまま放っておいたら、その魔法使いは次になにをするの? もしかしたら一番近いブュッフェの街が狙われてしまうかもしれないじゃない……。そんなの嫌よ。ねぇ、あたしたちってなに? なんの為に冒険者になったの? ただお金を稼ぐためでも、恐ろしい魔法使いが怖いからって逃げる為でもないわ」
額に汗を浮かべながら言うリベルの言葉に俺は既視感を覚えた。
つい最近誰かに同じようなことを言われた気がするのだ。それが誰なのかは思い出せないし、なにが同じようなことだったのかもわからない。だけど、とても懐かしい気持ちだけが蘇ってくる。
『ディール、きみはどうして冒険者になったんだい?』
心の奥で声が聞こえた、ような気がした。
脳裏にあの時の無力感が浮かぶ。
俺の故郷での出来事だ。なんのことはない、辺境の冒険者も立ち寄らないような村には起こってもおかしくないことだった。
ある日、1ヶ月に1度の大きな街への買出しから戻った俺に見た光景は、モンスターの群れに襲われてほんの数時間で壊滅してしまった村の姿だった。
村から離れていたのは俺1人だけで、両親も親しい友人も俺は一瞬にして失ってしまったのだ。
父も村の若者たちも剣をたしなんでいるにはいたが、モンスターの大群の前には無力に等しかった。所詮は素人の剣では、弱いモンスター程度にしか通じない。
たまたま通りがかった旅人から聞いた話では、村を襲ったモンスターはデビルフライという凶悪なモンスターだったらしい。
人里に出てくることなど前例にないとその男性は青ざめた顔で言っていた。あまりに恐ろしくて助けられなかったと嘆く彼を俺は責めることなどできない。きっと俺がその場にいたとしてもなにもできず殺されていたに違いないからだ。
身内を1日のうちに全員亡くした俺は途方に暮れながらも簡単に村のみんなを埋葬した。
旅人の彼も手伝ってくれた。これからどうするのか、と問う彼に、俺はある決意をしたのだ。
「俺の故郷はモンスターに襲われて俺以外が全員死んだよ」
静かに言った。リベルと視線が合う。
他の3人に目を向けて俺は続ける。