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3-2

 辺りの景色は一変していた。

 鳥たちが騒々しく鳴いていた森はそこになく、静けさが漂う池のほとりに俺たちはいた。

 実は気がつかない間にあの雑木林を抜けていたのだろうか。

 一瞬だけそう考えるも全くその記憶はない。

 どうやら無我夢中だったから覚えていないわけではないようだ。もし俺が覚えていないだけならばジンは覚えているかもしれないが、彼は「知らない」と言う。

 それに辺りをいくら見渡そうが俺たちが森を抜けてすぐにこんなところに行き着けるとは思えない。

 木々と俺たちとの間には灰色の重厚感ある岩がひしめき、隣にある森とこの池とは隔絶されていた。

 高く積み上げられたその岩の数々を無意識に越えてこられるとは考えられない。

 俺は視線を池の方へ戻す。

 池は、しん、として波紋ひとつ広がっていない。

 それを見ていると、ひしめきあう岩たちが単に森と池とを隔てているだけではなく、まるでその岩をして人界との境界を線引きしているかのように思える。

 そのたたずまいは人が決して訪れることのないある種の秘境めいた幻想的な雰囲気をかもしだしていた。

 ふと気がつくと、ちょこんと座ったレミが池を眺めていた。

「あとはリベルとこの坊主だけだ。リベルはともかくとして、おらっ、坊主はとっとと起きやがれ!」

 クラッセに手厳しいジンは彼の頬をピシピシと叩く。

 俺はジンの言いようにひっかかりを覚えてリベルを探す。

 すると少し離れたところに仰向けで寝ているリベルがいた。額には濡れタオルが乗っている。

「そっとしといてやれよ。なんだか熱があるみてーなんだ。多分さっきのが原因なんだろうな。今、レミが熱に効く薬草を探してるぜ」

 "さっきの"とは、あの得体の知れない黒い蝶の群れ、そして俺たちの心の中へ無断で入り込んできた狂気じみた"闇"のことを指しているのだろう。

 リベルのおかげで俺たちは正気を取り戻すことができたが、その代わりにリベルはひどく困憊してしまったようだ。

 ジンに言われてレミをよく見ると、ただ座っているように見えていたのだが、手元を探っているようだった。

「リベルに効く薬草なんて見つけたのか?」

 俺はまだ意識が朦朧としたままで尋ねると、ジンは「さてな」と気のない返事をした。

 薬草があるかどうかはレミ次第か。

 ジンもなんと言っていいかわからないのだろう。俺も同じように聞かれたなら返答につまってしまうに違いない。

 ただ風邪を引いて熱を出してしまったのならどれだけマシか知れない。

 だが、リベルの熱の原因は他にあるのだと思う。

 その原因は容易に想像がつく。このタイミングでただの風邪であるわけがないからだ。

 もしかしたら俺たちと同じように、いや俺たち以上にあの"闇"に心を蝕まれてしまったのかもしれない。

 これは想像するしかないが、リベルは俺たちに正気を取り戻すため、自分の魔力を犠牲にして精魂尽き果ててしまったのではないだろうか。

 もちろんあれが魔力で防ぎ得るものなのかどうかは俺にはわからないことなのだが、現実に魔力を持っているのが俺たちの中ではリベルだけで、唯一"闇"に抵抗することができたのがリベルだけであることからしてそう考えるのが妥当だと思う。

「うう……ジン、さん?」

 クラッセが呻き声と友に瞼を開く。

「しょーもねー坊主だ。顔でも洗って目ぇ覚ましてこい」

「うわっ、うわわわ」

 起きるなりジンに首根っこを掴まれポイッと投げられたクラッセは、ふらつく足取りでレミのいる池のほとりまで歩いていった。

「ジン、おまえ本当にクラッセには手厳しいな」

 一連のやりとりに俺は呆れ口調で言った。

「はんっ、ガキにゃぁあれくらいが調度いーんだよ。甘やかすとロクなことになりゃしねぇ」

 ジンはクラッセの背中を眺めながら言った。

「弟でもいるのか?」

 彼の様子が出来の悪い弟でも見ている時のように思えて俺は尋ねた。

「なんだよ急に」

「いないのか?」

「いねーよ」

 うるさい蝿でも追い払うかのように手を振ったジンは、ふいにその手を止めて「似たようなもんはいた」とだけ言った。

「へぇ、その人は元気でやっているのか?」

 俺はつい咄嗟に聞いてしまった。

 すぐにこれが失言だと俺は気付いたが、

「死んだ」

 ジンは短く答えた。

 浅はかだった。

 ジンの表情や彼の言った言葉の意味をよく考えていれば気が付くことだった。

 誰にも話したくないことはあるだろうに、俺は不用意にジンの心に土足で踏み込んでしまったのだ。

「すまん、聞いてはいけないことだった。許してくれ」

 俺はとても申し訳ない気持ちになって深く頭を下げた。

 これくらいで許してくれるとは思ってはいない。

 俺だって思い出したくないほど辛いことがあるのだ。

 すでに記憶が薄れつつあるが、さっきまで観ていた夢の中での出来事……とても懐かしく、そして悲しい物語だったような気がする。

「別に気にするこたねーよ。昔のことだしな。それより王子様が起きたと思ったらお姫様が一向に起きる気配がねーぜ。おーい、レミちゃんよぉ! まだ薬草は見つかんねーのかぁー! ……まったくどうなってんだかな?」

 ジンは遠くのレミに手を振って叫ぶと小さな笑顔を作った。

 そんなジンに俺は頭が下がる思いだった。

 きっと辛いことを思い出してしまっただろうに、俺の失言を咎めることもなく、逆に俺を元気付けるように笑いかけるなんて。

 年上の俺よりもずっと大変な思いをしてきたのかもしれないだろうに。

 俺がジンの横顔を見つめているとクラッセが走ってきた。

「どうした? クラッセ」

 息をつくクラッセに聞く。

「なにか、水を入れる容れ物なんてないですか?」

「あん? なにに使うんだ、んなもん。あっ、薬を作るのに使うのか?」

「そうです、そうです。レミさんに言われて。ありますか?」

 なるほど、という表情のジンにクラッセが頷く。

「よし、それなら俺の水筒を使え。取っ手の部分にコップがついているからな」

 そう言って俺は水筒を取り出してクラッセに渡す。

「ありがとうございます!」

 言うなりレミの元へ駆けていく。俺は一安心した。

「薬草が見つかったみたいだな」

 だがジンは反対に神妙な顔つきになる。

「どうだかな。まぁ普通の風邪みたいなもんだといいけどよ」

 そう言われると俺も黙るしかない。

 結局のところレミ次第なのだ。

 しばらくすると今度はレミがクラッセと一緒に足早にやってくる。

「一応、熱に効く薬草は、あったよ。ただ、これが効くかというと、ね……」

 レミは水筒のコップに入った液体を見せる。

 彼女は自信なさげだが、ドロドロしている緑色に濁った液体がなんとも苦そうで、良薬口に苦し、というくらいだから期待は持てそうだ。

「とにかく飲ませてみよう」

 そう言って俺はリベルにレミの作った薬を飲ませた。

 だが俺の期待とは裏腹にリベルの熱は依然として引くこともなく、なおも苦しそうに顔を紅潮させていた。

「どうやらただの風邪じゃなさそうだぜ」

 ジンが苦虫を噛み潰したような顔で言う。

「まいったな、レミの薬が効かないんじゃどうしようもないぞ」

 俺はほとほと困り果てて呟く。

「リベルさん、どうなってしまうんですか?!」

「知るかよ! てめぇで考えやがれ!」

 ジンは不機嫌そうに吐き捨てた。

 いまにもクラッセを殴りつけそうな勢いだ。

「ごめん、よ」

 すまなそうにレミが言う。

「レミが謝ることじゃないさ。気にするな」

「うん」

「バァバに見せてみようか?」

「ああっ、見せられるもんなら誰にでも診てもらいたいもんだぜ!」

 ジンはなかばヤケになって叫んだ。

「えっ? お医者さんでもいるんですか?」

「こんなところに医者がいるのか?」

 クラッセの言葉を受けて俺も聞く。

 もしいるなら是非ともリベルを診てもらいたい。

「ちょっと待て!」

「ん?」

「はい?」

 ジンは髪を振り乱して辺りを見回す。

「どうかしたのか?」

 この取り乱し様、一体どうしたのか。

「僕、なんかおかしな事でも言いました?」

 クラッセが不思議な顔をする。

「それより医者ってどこにいるんだクラッセ」

「え? 僕はいるなんて言ってませんよ。レミさんじゃないんですか?」

 するとレミは「ううん」とかぶりを振った。

「お、おい! じゃあ今の誰が言ったんだ?!」

 ジンが慌てて叫ぶ。

「ねぇ、バァバって、誰?」

 レミがポツリと呟く。

『……えっ?!』

 俺たちは顔を見合わせた。

 ここには俺たち5人しかいないはずだ。

 もよやリベルがそんなことを言える状態でないであろうことは確認せずとも明らかだったし、レミもポカンとしている。

 俺たちが聞いた……ような気がする声は女の声だった。

 リベルかレミでないのだとすると一体誰なのか。

「おい、誰かいんのかよ! 隠れてねーで出てきやがれ!」

 ジンがわめき散らす。

 クラッセは落ち着かない様子で視線を転々とさせている。

「もうっ、こんな近くで大声出さないでよ! 別に隠れているわけじゃないんだからっ」

 その声は意外と近い。

 レミが俺の袖をギュッと握った。

「どこにいる? なぜ姿が見えないんだ?」

 俺は努めて冷静に問いかける。

「そーだそーだ! とっとと出てこねーとえらい目に合わすっぞ!」

 あくまでジンは喧嘩腰だ。

「やだっ、ジンジンったら野蛮だし。でもそういえばこのまんまじゃ魔力を持たない人間には見えないんだった。あははっ」

「じ、ジンジン?!」

 ジンが目を丸くする。

 なんだそれは?!

 いや、呼び方なんてどうでもいい。それよりもなぜジンの名前を知っているんだ?!

 くすくす……くすくすくす……

 忍び笑いが聞こえた。

 俺は、はっ、とした。

 この声はいつぞや俺が風の音だと思っていた声ではなかったか。

 あの時は気に留めることもなかったが、もしやこの声の主があの時の声なのか。

「てめえっ、いい加減に」

 そうジンが言いかけたときだ。

 パッと姿を現した"それ"はそのジンの頭の上にいた。

「女の子……? 小さな……」

 俺は思わず漏らす。

 急に現れたその女の子はまるで人形のようだった。

 俺の手の平くらいの大きさしかない。

 くりっとしたつぶらな瞳で俺たちを見ているその女の子は、きらきらと光る水色の長い後ろ髪をポニーテールにしてジンの頭の上で笑っていた。

 髪の色と同じに水色の布地に銀ピカの刺繍が施されている半そでシャツから生えている両腕はさらに細い。軽くつまんだだけで折れてしまいそうなほどだ。

 その小さな女の子がぶかぶかの橙色のズボンであぐらをかいて、ジンの頭の上から俺たちを見下ろしていた。




 気がつくと俺はあんぐりと口を開けていた。

 それを見てまた小さな女の子が笑う。

 レミが息を飲んだ。

 これは、まるで、おとぎ話の世界だ。俺は目の前にいる存在がにわかに信じられない。

 人形に見えるその女の子は、しかし人形とは異なり生きて動いていた。

 誰かがそれを操っているようには見えない。

 これは夢の続きなのかと一瞬考えたりもしたが、クラッセが自分の頬をつねって「いてっ」と言っているので現実だと考えてまず間違いなさそうだ。

 ジンは俺たちの表情を見比べて「おいっ、どうしたんだよ! なぁ!」と叫んでおり、自分の頭の上にいる不可思議な生き物には全く気付いていない。

「つかぬ事をお聞きしますが……」

 クラッセがおずおずと口を開いた。

「なになに? なんでも聞いて聞いて!」

 女の子はジンの頭の上でえらく上機嫌だった。

「あの、ひょっとして、ですね。もしかすると……妖精さん、ですか?」

 俺とレミはジンの頭の上を凝視する。

 ジンはいまだに「なんだなんだ?」と言っている。

 すると女の子は小さな胸を大きく反らして、

「うんうん、ご名答! あたしリンリンって言うの! 可愛い名前でしょ? よろしくね!」

 ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。

 妖精。

 そんなものが本当にいるとは。

 ましてや俺たちのようななりたてもなりたて、新米冒険者が遭遇してしまうとは。

 クラッセじゃないが俺も自分の頬をつねりたい衝動にかられる。

 すると、俺たちの集中する視線の先が自分の頭の上だとジンもようやく気付いたらしい。

 目線を上にしてそろりと両手を広げたかと思うと、一気に自分の頭の上を手の平でパチンとやった。

「あ……」

「あ!」

「あぁっ!」

 レミ、俺、クラッセの3人は揃って声を上げる。

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