2-6
「そろそろ出発しましょうか。まさか日が暮れるまで陽還り草を探し回ることもないでしょうけれど、早めに見つけておきたいですよね」
クラッセが切り出す。
「なにがあるかわからないしな。よし、火の後始末をしてから出発しよう。山火事にでもなったら大変だ」
俺はそう言って立ち上がる。
1人だるそうな表情のジンを残してリベルとレミ、クラッセも片付けを始めた。
「俺、風邪ひいちったみたい」
「なに? 大丈夫か?」
ジンはひとつ咳払いをした。
冒険者にとって体調不良は大敵だ。
体の具合が悪いからといってモンスターは襲うのを待ってくれるわけがない。いざというときに力が出せずにやられてしまっては笑い話にもならない。
「どうせ仮病でしょ。ちゃきちゃき働きなさいよ」
「いででで! この鬼女!」
心配していた俺は、リベルに耳をひっぱられて立ち上がるジンにため息をつく。
まったくこいつって男は……。
モンスターが現れたときなどでは頼りになるというのに、どうしてこういう場面では手を抜きたがるのか。
それにしてもリベルはジンのことをよくわかっているようだ。伊達にいつも喧嘩をしていないなと俺は感心した。
「よし、準備はできたな。出発しよう」
焚き火の始末を終え身支度を完了した3人に声をかける。
ジンはリュックサックを背負うと「あいよ」と仏頂面で返事をした。
「ふふ」
そのジンの様子にレミは唇の端を上げる。
「笑ってる場合じゃないぞ」
俺が腰に手を当てて眉根を寄せると、
「こういうのも、楽しい、ね。ディールたちと出会えて、よかったよ」
なおもクスクスと笑うレミ。なにごとか返事をしようとすると、
「おら! 行くんだろ、とっとと出発しようぜ」
すでに先頭を歩き出していたジンが怒鳴った。
俺はレミと顔を見合わせる。なんだか笑いが込み上げてきた。
そうだ、こういうのも悪くはない。
他人からみれば取るに足らない仕事かもしれないが、俺たちにとってはせっかくの大冒険だ。楽しまなければ損ではないか?
またウォーラーやブレス、"巨大サボテン"のようなモンスターにも遭遇するだろう。
だが、俺たちが力を合わせればどんな困難でも乗り越えられそうな気がする。
「なに? またディールったら意味深な笑顔になったりして」
先を行くリベルが振り返って言った。
「なんでもないさ! 行こう、レミ」
クラッセもジンの後ろから笑みを返す。
どこから取り出したか林檎を片手に、口をもぐもぐと動かしているジンも笑っていた。
「ちょっとぉ、その林檎どうしたのよ! ずるいじゃない!」
「あとあと考えて手は打つもんだ」
しれっとジンが答える。
あのときウォーラーに投げつけた林檎だったが、ジンは全ては投げずに取っておいたようだ。
「もう残ってないんですか? 僕も食べたいですよ」
「ねーよ。これ、最後の1個。つか、おめー散々食ったろうが」
ジンは手を振って邪険に返す。
どべっ
その途端、クラッセが前のめりに転んだ。
「おいおい、足元には気をつけろよクラッセ」
3人に追いついたレミと俺が駆け寄る。
「問題、ないね」
泥まみれのクラッセの顔を見てレミが言った。ちょうど泥溜まりになっていたらしい。
クラッセが泣きそうな顔になった。
「ったく、これだから坊主はよ」
「人のこと言えないでしょ! ばかジンだって川に落ちたくせに」
「ありゃー不可抗力だっつの。くだんねーこと蒸し返すな!」
「はじまった、ね」
「無視しておこう。付き合うだけ体力の無駄だ」
前言撤回。こんな調子で大丈夫なのだろうか?
だが、俺たちの冒険は始まったばかりだ。
苦しいことがこの先もあるだろうが、前だけを向いて進もう。俺たちにはそれしかできることがないのだから。
決意も新たに誓う俺の目の前をさっきの黒い蝶がひらりと舞った。
シーフであるジンの方向感覚を信じて俺たちは森の中を進んだ。
さっきまでのモンスターの猛攻が嘘のように、ぱったりと何も出てこなくなった。
ジンは太陽の位置を確認しながら、記憶にある地図に記された印の場所へと俺たちを導いた。
レミの指示を受けながらリベルとクラッセは依頼の品である陽還り草を探す。
俺はモンスターが現れたらすぐに対処できるようにと周囲の警戒に努めた。
地図は地形などは確認できるものの、目的地の印は川の水で滲んで消えてしまっていた。そうすると頼りはジンの記憶と方向感覚によって検討付けられた道を進むのみだったが、レミによると「近い」のだそうだ。
日陰草という草がある。
それは陽還り草のある付近に群生しており、近くへ向かうにつれてその数が増していくとレミは言った。
だから日陰草の多くなる方へ向かえばおのずと陽還り草を発見できるというわけだ。それはまさに太陽と影の関係に似ている。
リベルは日陰草を見つけて「もうすぐねっ」とはしゃいだ。
日陰草自体はただの雑草で、表面が黄緑色のギザギザにとがった葉を裏返すと濃い緑になっていた。
「ブュッフェに戻ったら美味しいものでも食べに行きたいわねぇ」
リベルが言った。
少し気が早いとは思うが気持ちはわかる。
初の依頼で大変な目に遭ったのだから、依頼を終えた暁には羽でも伸ばしたいところだ。
「そーだなー。ホオヅエソウも美味かったけどよ、やっぱちゃんと調理されたもんも食いてぇわな」
辺りを見渡していた顔をこちらへ向けてジンが言う。
「ホオズリソウ、だよ」
「あ、そうだっけな。へへ、似てるからよ。ホオズリソウな」
レミに指摘され言い直したジンは「ブュッフェったらやっぱパスタだよな」と言いながら唾を飲み込んだ。
「それも捨てがたいけど、あたしはやっぱり"まほろば亭"のキノコと彩り野菜のリゾットがいいわ。すごく有名だもの」
リベルが言うと、「あれは有名ですよね」とクラッセも話に加わった。
俺はリベルたちの話を小耳に入れながらもぬかりなく隅々まで視線を這わせた。
ブュッフェとは俺たちが依頼を受けた酒場のある街だ。
そう大きくはないが、一通りの施設は揃っており、また食の街としても有名だ。
冒険者ギルドの支店があるのもブュッフェであり、俺たちが出会ったのもそこだ。
リベルの言う"まほろば亭"はブュッフェでは1、2を争うほどの名店であり、いわば食の街ブュッフェの顔として有名だ。
ただ、有名であるがゆえにどの料理もいい値段がするので、リベルはつねづね「行きたい行きたい」と言っていたものの行けずに今に至っているわけだ。
「報酬は少ないがこの仕事を終えて戻ったら、祝杯を上げる場所はそこにしようか」
「そうしようぜ。なかなか行ける機会なんてねーもんな」
「賛成、賛成!」
「いいですね、それでいきましょう!」
飛び跳ねて喜ぶリベル。ジンもクラッセも行く気満々だ。
俺はそこで1人だけ返事がないことに気付きレミを見た。
「あ」
レミが小さく漏らす。
どうやら日陰草が集まっている先を目で追っていたようで、俺たちの視線に気がつくと離れた場所を指さす。
「お、みっけた?」
ジンがレミの指の先を覗き込む。
「多分、ね」
"多分"と言いながらも自信ありげにレミが言った。
「幸先いいですね」
クラッセが言った。
散々モンスターに追いかけ回されて幸先もなにもないと思うが、ともかくレミが見つけたものが陽還り草であれば依頼はほぼ成功したようなものだ。
真っ先にジンが駆ける。それにリベルが続いた。
俺も逸る気持ちを落ち着かせて走った。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
「見つけたぁー!」
ジンとリベルの声が森に響く。
「あっ、本当に橙なんですね」
クラッセが言うように、そこには鮮やかな橙色で葉の大きな草があった。
目をこらしてよく見ると、輪郭がギザギザになっており、レミの説明と一致していた。
「確かにこれでいいんだな? レミ」
「ビンゴ、だね」
俺が念を押すとレミは頷く。
「どれくらい必要なんでしたっけ?」
「適当でいいんじゃね。むしろ摘めるだけ摘んじまえって。記念だ記念」
初の依頼を成功させることができそうで、興奮気味のジンはクラッセを煽る。
「じゃ、たくさん摘んじゃいましょう」
そう言うクラッセ。
レミはすでに黙々と摘んでいた。
「もうそのくらいでいいんじゃないか?」
しばらくして俺は言った。
ジンに煽られたクラッセはどう見ても過剰なくらい摘もうとしていたからだ。
これを素直というのか愚直というのか、俺には判断しかねる。
「っていうか、ジンったら手伝いなさいよね」
「さぼるの、ずるいよ」
リベルとレミが草を摘む手を止める。
俺は引き続き辺りを警戒しつつもジンを見る。
また面倒なことをクラッセたちに押し付けて、自分は休んでいるだけなのかと思ったが、ジンは真剣な表情だった。
「なんか妙じゃねぇか?」
なおも文句を言おうと口を開きかけるリベルを手で制してジンが言う。
「はい?」
「なにがだ?」
クラッセと俺は同時に聞き返す。
ジンは睨みつけるような表情のままで言う。
「妙っつーか……気持ち悪いぜ。なんだか監視されてるみてぇでよ。なんなんだ、あいつら。ずっと気になってみてりゃぁ、だんだんと数が増えてきてるじゃねーか。早く取るもん取ったら街に戻った方がいいぜ」
俺たちは辺りを見た。
「なに?!」
同じく見渡したリベルが絶句する。
「前に、なにかが起こってるかもしんねぇって話をしたよな? 自分で言ったことだけに目を疑っちまうような光景だが、マジでなにかが起こってるかもしんねぇ。いや、なにかが起こりつつある気がしてなんねぇ」
そして口をつぐむジン。
俺も自分の目を疑った。
さきほどから俺たちの周りをひらひらと舞っていた黒い蝶。俺たちが陽還り草を見つける前まではちらほらと見かける程度の数だったものが、気がつくと俺たちの周りを取り囲むくらいにその数を増していた。
一体どこからこんなに集まってきたのか。
いや、それ以上になぜこんなところにこんなにも得体の知れない黒く不気味な蝶が潜んでいたのか。
黒い蝶は俺たちが呆然として立ち尽くしている間にもどこからともなく次々とやってきては、不気味に羽ばたいていた。
なんて不吉な光景なんだろう。
「俺たちに……集まってきたのか……?」
クアァァァァァァァァァァァァァァッ
つい口をついて出た俺の言葉に怪鳥の悲鳴ともつかない奇声が重なる。
リベルの体がビクンと跳ねる。
途端にそれまで穏やかな音色を奏でていたはずの鳥たちが一斉に騒ぎ出す。
鳥たちはまるで発狂でもしたかのようにバサバサと翼を振り乱していた。
一羽の鳥が枝を思い切り蹴るように飛び立った。
それに続くように次々と鳥たちが飛び立つ。
鳥たちは先頭の鳥の後を末広がりに形作って飛んでいき、それを見上げた俺たちの顔に影が落ちた。
一面を覆いつくす黒い蝶、蝶、蝶!
それはまるで悪い夢でも見ているような光景だった。
なおも遠くからは鳥たちがギャアギャアと耳障りな鳴き声で騒いでいた。
さんさんと照りつけていた日差しが空を覆いつくさんとする黒い蝶の漆黒の羽に遮られて、隙間から漏れる細い光の筋は鳥たちが飛び去り際に散らしていった真っ白な羽をキラキラと輝かせている。
黒い蝶の群れは森を昼から夜へと変貌させてしまい、その中で漏れた光によって煌く鳥の羽が風を受けて舞い踊っていた。
(テハジメニ)
無機質な声が響いた。
その声はまったくといっていいほど抑揚もなく俺の脳に直接語りかけるように入り込んできた。
無機質。
全く感情のないように思える声だが、それはなぜだか説明できないが、とても強い悪意をはらんでいるのがわかった。
そして俺は自分の心の中を狂気じみた闇が蝕んでいくような感覚にとらわれた。
憎い、憎い、憎い。
世の中の全てが憎い。
幸せそうに笑っている連中が憎い。自分を見下した人間が憎い。
なぜ自分がこんな扱いを受けるのだ。
そうだ殺してしまえ。全てを無に還してしまえ。
殺せ、殺せ、コロセ。
俺は自分がどうにかなりそうだった。心の奥の奥になにかが渦を巻いているようだ。
脳が揺さぶられるようで、ひどい吐き気と眩暈がする。
他のみんなはどうなのか、俺と同じようになっているのだろうか、そうは思ってもまともにものを見ることすらできない。
ああ、胸が苦しい、心臓をわしづかみにされたようにずきずきと痛む。
なんで俺はこんなに苦しい思いをしているのか、なんで俺はこんなところにいるのだろう。
意識が朦朧とする。
血の臭い、辺りにすすり泣く声、咬み殺された両親、俺の両親を殺した奴らが憎い、憎い、殺してしまいたい、なぜ俺はこんなところで苦しんでいるのか。
こんなところに来たのはジンに誘われたからだ、そうだジンに誘われなければ俺はこんな苦しみを味あわずに済んだ、全てはジンのせいだ、いっそのこと殺してしまえばいいのだ、殺してしまえばいい、全てを殺してしまえばラクニナル……。
「だめよ! いけない!」
俺は弾かれたように顔を上げた。
急激に空気が肺へ送られて俺は大きく咳き込んだ。
目を開けて辺りを見る。
すぐ傍のクラッセが頭を抱え込んで下を向いていた顔を上げる。大粒の涙が頬を伝っていた。
レミはその場で横たわっていた体を起こし頭をさする。
ジンはダガーを抜き払ったままの格好で硬直していた。
「だめ……逃げなくてはだめよ……。このままじゃ……」
顔面蒼白のリベルがうわ言のように繰り返す。
その姿は今にも倒れこんでしまいそうだったが、気力だけで持ちこたえているようだった。
俺は慌ててリベルのもとへ駆け寄った。
するとリベルは崩れるように俺に体を預ける。
「リベル」
静かに声をかけるが返事がない。気を失ってしまったようだ。
リベルを抱きしめた俺の体は小刻みに震えだす。
さっきまでの闇に蝕まれていくような感覚が忘れられない。
俺の心を支配した狂気がまだ残っていそうで、俺は自分の手の平を見つめて握ったり開いたりしてそれが自分の意思によるものであることを確認した。
俺たちは極めて危険な状態だったに違いない。リベルの声がなければ、あのまま心の闇が命令する通りに狂気に身を任せていただろう。
リベルは俺たちの中で唯一魔力を持っている。
それが関係しているのかどうかはわからないが、そのおかげで彼女だけは心の闇に打ち克つことができたのかもしれない。
(心の闇? さっきのは俺の本心だったのか……?)
「大丈夫……かよ、ディール」
ふいに湧き上がる疑問をジンの声が払った。
俺はすぐに「しっかりしろクラッセ! レミ、立てるか?! ジンも! 物騒なものは早くしまって逃げるぞ!」
3人に叫ぶとリベルを背負う。
「やばかった……な」
ジンもまた俺と同じように抗いがたい殺意の衝動に囚われていたのだろうか。その表情は苦しそうに短く息を吐いていた。
そして固く握り締めた右手にダガーがあるのに気付くと、自分が闇に囚われかけていたであろうことを察して鞘にしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ! なんでっ、なんでなんだよぉ! ちくちょう!」
俺とジンは同時に振り向く。
するとクラッセが泣き叫びながら拳を地面に叩きつける。その拳が鮮やかな血の色に滲んだ。
「どわっ! おい、クラッセは俺が運んでいくわ! どうやらまだ悪夢から覚めてねーらしい」
そう言ってジンは今もなお泣き叫んでいるクラッセの首に強烈な手刀をくらわせた。
「あッ……!」
途切れた叫び声と共に、大きく見開いていた目を閉じるクラッセを担ぐと、ジンはレミを見る。
レミはゆらりと立ち上がり「大丈夫」とだけ答えた。
気丈なレミに俺が胸を撫で下ろして安心していると、
(ニガシテタマルモノカ)
再び悪夢の声が脳に流れてきる。
「黙れ! 二度も操られてたまるか!」
なおも入り込もうとする無機質な声を振り払うように俺は叫んだ。
そうだ、もう二度と闇に飲み込まれてたまるか。あんな途方もない苦痛を味わうのもまっぴらごめんだが、仲間であるジンのことを殺したいなどと絶対に考えたくはない!
「逃げるぞ!」
俺たちは同時に駆け出した。
逃げるアテなんかない。だけど逃げなければ、俺たちはどうにかなってしまう。
ジンがクラッセを担いだまま、行く手を阻む黒い蝶を手で払いながら走る。
「あれは、なに……?」
ジンの横を走るレミが振り返って言った。
思わず俺も振り返る。
空を覆っていた黒い蝶の群れは、宙のある一点に集まっていった。
それはすぐに俺の倍ほどの大きさになると、魔力のない俺たちにでも感じ取れるほどの禍々しいオーラを放ち始めた。
「気に留めるな! 走れ、走れ!」
俺はレミに叫んで走った。
背後に迫り来る気配につい腕の力が緩みそうになりながらもリベルを背負ったまま走った。
するとどうか。
あまりに唐突で思考が一旦停止した。
すぐ目の前を走っていたクラッセを担いだジン、それとレミがいきなり姿を消したのだ。
「ジン……クラッセ! レミ!」
頭の中はパニックだった。
一体どうすれば、たった今目の前にいた人間が消えるというのだろうか。俺の頭の中を恐ろしい想像がよぎる。
(いそいで。はやく)
声が聞こえた。
「だ、誰だ!」
俺は声を張り上げて叫ぶ。
(はやくしないと、おいつかれちゃう)
俺の中でなにかが弾けた。
考えていても仕方のないことはこれ以上考えない。
俺に"いそげ"と言う声が一体何者かはわからないが、少なくともここで立ち止まっているよりは従うほうがマシに思えた。
「えーい! ままよ!」
ぐっと唇をかみ締めて走り出す。
体が浮かんだ……ような気がした。
目の前の景色が反転する。
そうして意識が薄れゆくのを感じながら俺は仲間たちの無事を祈った。