1.新米なる冒険者たち
「どわーっ、やめっやめー!」
「ちょっ、なによこれー?!」
俺は正眼にソードを構えた。
心臓はどくんどくんと高らかに鳴り響き、せわしなく全身の血液を隅々まで行ったり来たりさせている。
ソードの柄を握る両手だって震えているのがわかる。
目の前の2人は、普段なら笑ってしまうほどに慌てふためき、ともかくその"触手"から逃れようと右往左往している。
"触手"はそれぞれが自由意志を持っているかのように2人を追い回していた。
とは言え、誰がどう見ても、本当に恐ろしいのは"触手"ではなく、その本体。つまり、"触手"の生えている先を目で追っていけば、すぐにたどり着くことができるであろう、その巨体だ。
こんなとんでもないモンスターを俺はまだ見たことがない。
まだ見たことがないと言っても駆け出しもいいとこ、つい先日に晴れて冒険者になったばかりなのだから当然だ。
だが、そんな"ペーペー"だとしてもわかる。これは俺達の手に余る相手なのだと。
そうだな。
例えるのならば、そこに3階立ての塔があるとするだろう? 細くて長いやつだ。
さすがに雲に届くなんてことはないが、階段を勢いよく上がっていったのなら、しばらくは肩で息をつかざるを得ないくらいの高さだ。
できることなら、そんな疲れる階段はゆっくりと登っていくに限る。
そんな階段を全速力で駆け上がっていって、最上階まで一息で登りきったところで、ふと窓から地上を見下ろそうとしたところに、"やつ"の丸くて大きい目があったらどうだ?
2つの目玉がぎょろりと見つめているのだ。ぞっとしない話だ。
残念なことに、そのぞっとしないやつが俺たちの目の前で、体から無数に伸ばした触手を存分に振るっていたりする。まるで食後の運動でもしているかのように。
震える両腕をなんとか鎮めようと、ソードを構えたままに首を動かして辺りを見る。
すると、フードをかぶった少女と目が合う。こちらは何を考えているのか、微動だにせず俺を見つめ返す。
無言で佇んでいる。
そのローブは上から下まで真っ黒で、一見すると魔法使いかなにかだと思ってしまうのだが、実はそうではない。その証拠に、暴れ回る脅威の前にただじっと傍観を決め込んでいるのみだ。
彼女はこういった類のものには、なんらの対抗手段も持ちえていない。
「っとと! おい、これなんとかしろよ!」
なおも迫る触手を必死の形相でかわしながら青年が叫ぶ。
彼を追い回す触手には人間と同じサイズの鉤爪がついていて、今もなお土が剥き出しの大地にせっせと田畑をこさえている。
あんなものを避け損なってしまっては、上半身と下半身を繋ぎ留めるのも実に困難を極めるだろう。
案の定、追い回される彼のクセッ毛の黒髪も、主人の心情に呼応して逆立っているかのようだ。"ちゃんと避けてくれよご主人様"ってところか。
「おめーがなんとかしなきゃ、誰がどーにかすんだよ! ごるぁっ!」
「そーよ、そーよ! あんたがリーダーなんでしょ、ディールったら!」
ディール。それは俺の名だ。
少女が真っ赤な髪を揺らして便乗するように叫ぶ。彼女もまた必死の形相だ。
「こんのまんまじゃぁ、リベルもろとも全員、リベルの髪の色に染まっちまうぜ!」
「ばか! こんなときになに言ってんのよっ! ばかジン!」
ジンと呼ばれた青年を赤髪のリベルが肘でどつく。
「うぉっと」とよろけたジンの真後ろに人間大サイズの鉤爪が、ずどん、と突き刺さる。びくんっ、と飛び上がる2人。
瞬間、2人は同時に顔を見合わせたかと思うと、一目散に俺の後ろに回り込む。
「ほらほら、ファイター様の出番でやんしょ」
「こ、こら……ジン、押すな!」
「あ……あはは、あいつ退治してくれたら尊敬しちゃう! もうあたし、ディールと結婚する!」
「リベル! 冗談でもそんな事言うな! そして一緒に押すな!」
こうなるともうすったもんだの大騒ぎだ。
さすがにファイターである俺としては、ジンとリベルの2人がかりでかかられたとしても、押されて前につんのめることなんて、さすがにない。
とは言え、目の前の自然災害(?)をどうにかしないことには、どうともならない。
「落ち着け! ちょっと待ってろ、今心の準備を……」
パニックに陥っている口の悪い青年とじゃじゃ馬な少女の2人組を努めて冷静になだめると、改めてソードを構える。
(うう……大きい……)
どんなに前向きな性格のやつだって、これを目の前にしては悲惨な己の死に様しか想像できないに違いない。
でっぷりと丸まった巨躯にはどんな武器だって通用しそうにない。
まるで巨大なサボテンかなにかに大きなまんまるおめめが2つ付いて、針の代わりに数え切れない触手が生えているようなものだ。
唯一の救いといえば、鉤爪付きの触手以外には、その本体の動きが鈍いということだけだ。
なんといっても、短い2本の足だけで体を支えているのだ。
これでネズミのように素早く動けるとしたら、一国を挙げての討伐隊を組まねばならないほどの脅威となるのではないだろうか。
「巣に、近づいた、私たちが、悪いよ、ディール」
黒フードの少女が呟く。
とても小さな声だ。聞き取れたのはおそらく俺だけだと思う。
「それはそうだがっ……」
「こんの小娘が不用意にうろつくから!」
「きぃぃぃぃ! ばかジンが"あの林檎うまそう"って言ってあいつの朝ご飯を盗むからでしょぉ?!」
「う……う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ジンとリベルの罵り合い押し付け合いに混じった、悲鳴にも似たボーイソプラノな叫び声に、俺たちは一斉に振り返った。
まさに千鳥足だった。か細い両腕で、どう見ても不釣合いな戦斧を振り上げた少年が、なんとも重そうによたよたと走り出し……というか、がくがくとした足で歩き出し、
どべすぽいっ!
盛大に足元の小石につまずいて、両手からは斧がすっぽ抜ける。
数秒の間。
俺たちは状況も忘れてあっけに取られた。
"巨大サボテン"みたいなモンスターすら、触手をうねらせて、転んだまま動かない金髪の少年を観察しているようにみえる。
地面に突き立った斧と合わせて眺めると、情けなさが相乗効果を上げているようだった。
「ど、どんまい」
「まぁ、こんなこともあるわよ」
ジンとリベルが慰めの言葉をかける。
少年は動かない。
俺はため息をついた。
ともあれ、あの"巨大サボテン"をなんとかしないことには、俺たちに未来はない。