第六話 書庫の婦人
ここでの七回目の朝を迎え、メルリーゼは覚醒する。
いつも通りの朝だが、今日の朝は若干の寂寥を孕んでいた。
軽く伸びをして、手櫛で髪を梳かし明け方に準備されていた衣服に着替える。
しかし、今日はいつもと少しだけ異なることがあった。
小さい衣装棚の上にキチンと畳まれている衣服の上に一枚の紙切れが置いてあった。
最初はサーシャさんの忘れものかとメルリーゼは思っていたが、紙の中の文字にこれが自分宛てのものだとすぐに悟る。
それはまだ上手とは言えない筆記だが見覚えのある字で綴られた短い手紙だった。
~今日の昼、書蔵室で~
昨日、何も言わず自分の話を聞いていた少年の顔を頭に浮かべ、メルリーゼの血脈は少しだけ早くなった。
部屋の中で荷支度をし、世話になったドイルやサーシャに別れとこれまでの感謝の意を告げていると時刻はちょうど真昼を指していた。
最後にいままで寝泊りしていた部屋を見回し、その場でゆっくりとお辞儀をして
メルリーゼは部屋を後にした。
ここに来る時に身に着けていた衣服とは違い、動きの取りやすい旅着に着替え、片手で持てる程の僅かな荷物と、ドイルから与えられた少々の金品と地図を腰に携え館の廊下を歩く。
その間にエドガーとの短いながらも充実した日々を思い出す。
これからの辛く険しくなるであろう一人旅には、良い思い出となることだろう。
そんな感傷に浸りながら、こみ上げてくる涙を押し戻す。
あの日から自分に下したもう泣かないという決意。
これから生き残るには強くなくてはいけない。
弱い自分を捨てて一歩一歩前に進もうとするメルリーゼは今一度、両の目をギュと閉じるのだった。
書蔵室はいつものように人気がない。
本のページをめくる音だけが静かに鳴り響いていた。
「エドくん・・・」
囁くように呼びかける声に、エドガーは本を閉じてゆっくりと顔を上げた。
「やあ、メリル」
応じるエドガーの表情から感情は読み取れない。
メルリーゼはオズオズといった調子で歩み寄り、エドガーの前に立つ。
「・・・」
「・・・」
お互いに何も話すことがなく静かに時間だけ過ぎていく。
「あの・・・」
そんな沈黙に耐え切れずメルリーゼは口を開こうとするが言葉が続かない。
なんと言えばいいのかも分からない上に、いつもと違う雰囲気を醸し出すエドガー
に気押され上手く紡ぎ出すことが出来なかった。
押し黙るメルリーゼに今度はエドガーの方が口火を切った。
「メリル、俺さ昨日の晩、自分の部屋で良く考えてみたんだ。」
そう言ってエドガーも立ち上がる。
「でも、俺バカだから『魔女』とか、国のこととかよく分からなくてさ・・・だけどメリルは辛そうで・・・俺に何が出来るのか色々悩んだんだ。
そしたら答えはやっぱり一つだった。」
その目に迷いはなかった。
「・・・俺をメリルの護衛にしてくれ!」
メルリーゼは目を見開き、新ノ口が告げずにいる。
「これでも、そこそこ腕は立つと思うんだ。ボルヘスからは、一人で森に入るのも許されているし、魔獣は無理だけど魔物なら倒すことが出来るよ。」
なにも言わないメルリーゼにエドガーはこれでもかと畳みかけてくる。
しかし、もちろんメルリーゼは否定する。
「そ、そんな無理ですよ!
私と一緒にいたら危険がいっぱいありますし、エド君が私のためにそんな・・・」
「メリルだから、やりたいんだ!
俺はメリルともっと一緒にいたいし、色んな物を一緒に見ていきたいし聞いてみたい。これは全部、俺が決めたことなんだ。」
「でも・・・」
「それに危ないのなら、メリルが一人旅するのも危ないはずだよ。
俺は外のことはよく知らないけど、メリルみたいな女の子が一人で旅
を出来るなんて思っているほど、世間知らずじゃないよ。」
正論を言われ、反論に渋りながらもメルリーゼは声をだす。
「・・・確かにエド君のいう事は正しいですし、私もエド君ともっと一緒にいたいです。だけど私はこれでも一国の姫でエド君も領主様の息子です。
だから、この話は極度に政治が関係します。
仮に私が許したとしても、ドイル様がなんとおっしゃるか・・・」
その時突如、室内に二人以外の声が響いた。
「それは心配いらないわ!」
声の主は梯子を使って上がる二階から飛び降り、そのまま二人を抱き寄せた。
「二人の話をずっと聞いていたわ、安心なさい。私が何とかしてあげる。」
涙交じりの声でそういう女性にメルリーゼは困惑を、エドガーは驚きを示すのだった。
「あ、あなたは・・・?」
「ちょ、母さん!」
ほこりまみれの作業着を身に着け、栗色の髪を後ろで結び、眼鏡をかけた女性は妙齢ながら美しい美貌を湛えていた。
「さあ、行くわよ!」
息子と同じように、強引に二人の手を引っ張って、なすべもないまま部屋を連れ出された二人は書蔵室を後にした。
「というわけで、あなた。
エドをメリルちゃんの護衛に任命なさい!」
二人をドイルの書斎に呼び、開口一番にそんなことを切り出した自分の妻に
ドイルは頭を抱えた。
「一体誰だ、アンに彼女のことを言ったのは・・・」
聞こえないように小声で愚痴を漏らすドイルに、ホメロスの領主婦人バルザック・アンネリーゼはさらに声高に迫る。
「あなた!聞いているの!?」
「ああ、聞いているよ。」
面倒そうな顔でドイルは返答する。
「アン、いいかい?
君は知らないかも知れないが、そこのメルリーゼ嬢は皇国カーマイルの王位継承者でそして、今は客人だ。なんで、そんな彼女にエドが護衛をするんだい?」
「でも、今は護衛がいないんでしょ!」
「そうかもしれないが、それは私たちが関知することではない。」
「メリルちゃんはまだ女の子よ。
あなたはこんな子供を一人身で追い出すって言うの!?」
「ああもう、大体なんで君はそんなにメルリーゼ嬢に肩入れするんだ?」
「それは、書蔵室でこの子たち話をずっと聞いていたからよ。
私があそこで作業をしていた時に二人が勉強会をして打ち解けて、そして昨日メリルちゃんが真実を話して、さっきエドが自分の決意を初めて打ち明けたわ。
あなたは隠していたつもりかもしれないけど、私は全部知っているわよ!
本当はメリルちゃんに話しかけたかったけど、話すと別れがつらくなるから
今までずっとこうして静観していたの!」
今にも舌打ちをしそうなドイルに、アンネリーゼは追い討ちをかける。
「ねえ、あなた。いままでエドが自分の意思でやりたいことを言ったことあった?
上のお兄ちゃん達の背中ばかり追っているのを見て、私はエドが窮屈そうにしているのを見て辛かったわ。」
アンネローゼは一度息を大きく吐く。
「でも、今日エドは誰からも何も言われずにやりたいことを決めたわ。
私たち親は、そんな愛おしい息子の手助けをしてあげるべきじゃない?」
そう言って、アンネリーゼは眼鏡をとりドイルの手を握って耳元で囁く。
「あなた、お願い。」
この一言でドイルは完全に陥落した。
2015年6月18日 更新