第三話 二人の時間
部屋の中心にある大きな暖炉の薪がパチパチと音を立て燃え盛る。
その熱気が天井を通り部屋中に広がり、居心地のいい空間を作り上げていた。
ここは館の中で最も広い領主の書斎。
その中に二人の男達が声を潜めるように話していた。
「それにしてもお館様の悪役は下手ですのう。」
「そういうお前は、最初から演じる気すらなかっただろう。」
「どうも儂には、あの手の真似は肌に合わなくて仕方がないですな。」
「まあ、しかしそれでも彼女が自分の立場を知れたのは芳作だと思いたいがね。」
「あの姫君は大丈夫ですかのう?」
「それは彼女次第かな。」
亡き国の皇女との面会を終え、一仕事終えた二人は広い一室で密談を交わす。
「それにしてもお館様、本当にあの姫君をこの国で匿うことは出来ないのだろうか?」
「無理・・・とは断定できないが、少なくとも長期の滞在となると何かしらの影響はでるだろう。
ここはそういう土地だし、何分時期が悪い。」
「ううむ、しかし一週間と言うのは些か厳しすぎでは・・?」
「永住できるわけでもないのに長居しても仕方ないだろう。」
ドイルは投げ出すようにヒラヒラと手を振った。
半日程前、メルリーゼの話を事細かく聞いたドイルは彼女を巫女の中のそれも『魔女』であると断定し、その上でメルリーゼにホメロスでの一週間の滞在を留学と言う名目で許可をした。
その宣言だけして後は茫然とするメルリーゼを置いてドイル達は部屋を去った。 話すことはもうないとばかりに。
そうして半日、日はとっぷり暮れメルリーゼの返答は何もないままその日は終わる。
次の日メルリーゼを起こしたのは、犬の遠鳴でもましてや小鳥の囀りでもなく
遠くから聞こえるブンブンという物音と息をつく声だった。
ベッドで昨夜の疲れからの気怠さ交じりにその音を聞いていると徐々に何の音なのか気になり起き上る。そして窓の外の音源を覗き見た。
窓の外には階下の庭で黒髪の少年が一生懸命に剣を振る姿が目に付いた。
昨日はあまりに多くの事があり、忘れていたが自分をここまで連れてきた人をボルヘスは小僧と言っていた。
その小僧が目下の少年かどうかハッキリ分からないが、メルリーゼにはどこかその確信があった。
目元を僅かに腫らし、涙の後が残る顔を手拭きで拭き、着替えを澄まして廊下へと出る。
思い返せばここに来てからまだ一度も部屋の外へ出てないことに気づき廊下をウロウロと徘徊してどうにか一階の扉から中庭へと出る。
「ふんっ、ふんっ」
少年のもとには以外にもあっさりと辿り着いた。
一心不乱に剣を振るその姿は、上で窓越しに見るよりも少し幼く、自分よりやや年上か同じくらいに見えた。
容姿は混じりけのない黒髪に、大陸でも珍しい黒眼、そして幼いながらも丹精な顔立ち。
自分とは明らかに違う人種の少年に果たして母国語が通じるのかと、不安になりながらも少年が一息つくのを屋敷の壁際で待つ。
ブンブン
待つこと半刻、少年は素振りを続ける。
ブンブン
待つこと一時、少年は素振りを続ける。
ブンブン
ぶっ続けで素振りを続ける少年をメルリーゼは何も言わずただただ見つめる。
不思議とずっと見ていても飽きることはなかった。
家族以外で同年代の知り合いがいなかった彼女にとって、目の前で素振りをする少年への興味は尽きなかった。
(私くらいの男の子は、みんなああやって剣の道を歩むのかしら)
今まで剣はおろかナイフにすら、ろくに触れたことのなかったメルリーゼにとって剣を振るという行為の意味がどうも理解できなかった。
もちろん身の回りに剣を持つ者はいた。
しかし、それは自分の職務を全うするためで、戦うことは彼らにとっての仕事だと彼女は考えていた。
だから、自分と同じくらいの少年がなんのために、ああも熱心に剣をふるのかがいまいち分からなかった。
ただ彼を見ていると今だけは嫌の事が全て、薄らいでいく気がして食い入る
ようにその姿を見ていた。
そしてさらに半刻が経って、少年はようやく汗を拭った。
壁に顔を半分出しながらその様子を見ていたメルリーゼが飛び出そうとすると、少年はあろうことか上着をその場で脱ぎ始めた。
生まれ初めて異性の半裸を目にして茫然と固まるメルリーゼをよそに少年はどんどんこちらに近づいてくる。
そして
「さっきからなんか用か?」
そう言ってポンと肩を叩かれメルリーゼは卒倒した。
「いや-、悪い悪い。
ずっと見られていたのは分かっていたけど、まさか俺の裸で気絶するとは思わなくて」
「い、いえ、こちらこそ…」
あっけらかんと言う少年と顔を赤らめる少女。
二人は朝食を終え、改めて大広間のテーブルで向かい合っていた。
「それで、俺になんか?」
さっそく本題に入る少年にメルリーゼは首を振って気持ちを入れ直した。
「は、はい、先ほどボルヘスさんからお聞きしました。
昨日は私を深・・・大森林から助け出したくれたのがあなただと聞いて、一言お礼をと。」
「あー、そのことか。まあ別にお礼を言われる程でもないぜ、じゃなくてないですよ。」
昨日は勝手に森に入ったせいで、ボルヘスからはこっぴどく叱られあまりいい思いはしなかった少年は苦笑いで答えた。
「いえ、さすがに王族に名を連ねる者として何もしないわけにはいきません。
私に出来る事なら、なんなりとお申し付けください。とは言っても今はこの身一つなので大して差し上げられるものもありませんが…」
申し訳なさそうにそう言うメリルに少年は
「いや、別にそこまでしてもらわなくても・・・」
即答し、彼女の意見を退けようとするがある一つ思い出した。
「あっそうだ、欲しい物はないけどちょっと俺に付き合ってくれ・・じゃなくて付き合ってくれませんか?」
その言葉を最後に二人は館の大広間を後にした。
「これ!これの意味が分からないんだ!」
「えっと、これは『英雄』と言う意味ですよ。」
「なるほど・・・じゃあこれは?」
「これはですね・・・」
人のほとんどいない広い一室に二人の声だけが鳴り響く。ここは館の外に別館として立つ蔵書室。
朝食を終え、少年に連れられたのはそんな場所だった。
ここでなにをするのだろうと思案するメルリーゼに少年は何冊もの本を取ってきて、こうして分からない言葉の意味を彼女に尋ねていた。
その本の数々は古今東西ありとあらゆる国の本でもちろんそれぞれ書いてある言語は異なる。
中には読書家を自負しているメルリーゼですら知らない言語もあった。
幼いころから後学のためにと、様々な言語を学んでいたメルリーゼは彼の
多種多様な質問に悪戦苦闘しながらも適格に答えていった。
そんなこんな時間はあっという間に過ぎて今やもう昼過ぎ。
メルリーゼに答えてもらう度に嬉しそうになるほどと納得する少年ももちろんだが、メルリーゼも今のこの『勉強会』を楽しんでいた。
宮殿では教えてもらうばかりで、それも決して嫌いではなかったが、教えるというのがこんなにも難しくそして充実しており、何より教えた時の少年のキラキラとした目も手伝って彼女もいつの間にか熱が入っていた。
「…そっか、そういう意味だったのか。助かったよ。」
少年の口調からはすでに侍女長に言いつけられていた敬語が消え、砕けた口話で話しかけていた。
「いえ、こちらも楽しかったので。」
メルリーゼも長らくのやり取りに角の取れた態度になる。
二人の距離はこの数時間で、確実に縮まっていた。
「それにしても腹減ったなー」
今にも鳴り出しそうなお腹を押さえながら少年は言う。
「そういえばそうですね。そろそろ昼食を摂りに行きましょうか」
エドガーに同意を示しながら、メルリーゼが席を立とうとすると蔵書室の扉が勢い良く開かれる。
「ここにいましたか!全くお昼だというのに、広間に来ないで。
何度私が探したことか。」
「やべ、サーシャさんだ」
雷鳴のような叫び声に少年はすぐさま飛び上がり、メルリーゼの手を侍女長とは逆の方向へ走り出す。
「えっ?あの・・」
「いいから!」
後ろからはさらに大ききなった声が聞こえてくるが、少年はそんなこと気にも留めす少女は持ち上げ窓から外庭へ飛び出した。
短い人生の中で怒られたり、逃げたりと多くの初めてを経験したメルリーゼは為すがままにされるだけだった。
2015年6月18日 更新