第二話 魔女
探り探り投稿中です。
なんかあったらご一報ください。
夢か幻か、ぐるぐると回る、まどろみの中で夢を見た。
いくつの頃か、まだ幼く、何も知らなかった自分を父が背に負ぶる。
私はその大きな背中に触れながら、ポロポロと涙を流していた。
何の涙だったのか、今ではもう分からない。
ただ父はそんな私をいつも同じ言葉であやし立てる。
「メリル、いつも一人にさせてすまない。だがいつかお前は自由になる。その時までもう少し待っておれ。」
そういって父は私に笑いかける。そこに王としての威厳や風格はなく、ただ父としての愛情だけあった。
懐かしい過去の日々が薄らぎ、目を覚ますとまずカエデの花の香が鼻についた。
天国にはカエデが咲いているんだ・・・そう思いながら寝たきりのまま首だけを動かす。
人が一人で寝るには広すぎるくらいの大きなベッド、その先に机や椅子、花瓶といった調度品が並び、さらに奥には衣装棚が並ぶ。
ひと目見ただけでは、高価なものには見えないが長らくの宮殿住まいで目の肥えた彼女にはそれらの家財がとても品の良いものだとすぐに分かった。
天界も人の世とあまり変わらないのだなーと、ふらふらと定まらない意識の彼女は、部屋の片隅にかけてあったボロボロの自分のドレスを見てようやく正気に戻る。
「ここは・・・」
と言いかけた所で口を塞ぐ。
もしかしたら人が近くにいるかもしれない。
ここがどこであるのか分からない以上、軽率な行動は命取りだ。
彼女は音を立てないようにそっとベッドから起き上り、床の上に立つ。
一応、衣服は着ていた。
飾り気のない白のワンピースだ。
色こそは素っ気ないものだが、これまた家具と同じで品が良い。その肌触りは宮殿の衣装棚にも二着しかない白絹に似ているが、それよりもさらに触りが良い。
軽く引っ張ってみたりもするが、今はこんなことをしている場合ではないと気づき、すぐに周囲の探索に入る。
まずは部屋の窓に近づいて外の様子を確かめる。
窓には抜け出すのに障害になりそうのものはなく、特に抵抗もなく開いた。
そしてそこから見える風景に彼女は思わず息を吐いた。
「わあ・・・」
そこにはまるで名画の一枚のような景色が広がっていた。
碁盤の目の様に規則正しく並ぶ街並みにその間を縫うように伸びる石畳、小高い丘の上にあるのか街には微妙に高低差があるのが見て取れる。
そしてその街の先に永遠と続く草原は、人工的に造られた宮殿の庭とは違う生き生きとした生命力溢れていた。
そんな景色に思わず目を奪われていると背後から声をかけられる。
「美しかろう。」
低く、重厚感のある声にはどこか満足気な感情が含まれていた。
不意に声をかけられ、ビクッと肩を震わせ振り返るとそこにはひとりの丁年の男性が立っていた。
成人男性には珍しく髭を一切貯えない顎に、額に残るしわの後、しかし老成をしていながらもその立ち姿には若々しさが見え隠れしていた。
男は扉の外からゆっくりと足を踏み入れ、部屋の中に入ろうとするとーーー
「なにをやっているんです!!お館様!!
レディの部屋に朝から忍び込むなんて!今すぐ出ていって下さい。奥方さまに言いつけますよ!」
「ちょ、ちょっとサーシャ、今大事な話を・・・」
「お館様!このお嬢さんのお世話を任せたのは紛れもないお館様です。
よってこの場では私が法です。だから今すぐ出ていって下さい。」
有無を言わさぬその態度に男性は口の中でもごもご何やら言いながら、渋々退室していった。
それを見届けるとサーシャと呼ばれた中年の婦人はテキパキと慣れた手つきで部屋中の窓を開け朝の空気を取り入れる。
「ほらほら、あなたもボーっしてないで、ほら、その棚の中に着替えが入っているから早く着替えて」
急かすようにはやし立てるその口調に彼女もついつい飲まれてしまい衣装棚に手をやった。
そんなこんなで朝の支度を済ませ、婦人は竜巻のように部屋を出ていった。
見慣れない異国の服を着せられた彼女はその様子をただただ見ていることしか出来ずにいた。
するとすぐに部屋の外から、人の囁き声が聞こえてきた。
「サーシャは行ったかね?」
「お館様、ここはお館様の屋敷ですぞ。もっと堂々と振る舞っては・・」
「しかし彼女には逆らえないからね」
二人の男のうち一人はさっき聞いた声だった。
「ええい、もう儂が行きます。」
そういってバンッと勢いよく扉が開かれる。
「む?もう支度は済んだようですな。お館様、大丈夫ですぞ。」
大声でそう叫ぶ大柄の老人の後から、先ほどの男性が窺うように入室した。
「ふむ、良いようだな」
入ってきた男性はホッと息を吐き、扉を閉めた。
その動作を終える前に、久しぶりに皇女は声帯を震わす。
「あの・・」
と言いかけた時、男性はスッと右手を前に突き出す。
ただそれだけの動作なのに、少女は気遅れを起こし口を閉ざした。
「レディに先に名乗らせるのは、男として頂けない。まずは我々から自己紹介をしよう。安心なさいお嬢さん、ここはトラヂィクトではないよ。」
まだ何も話をしていないのに、自分を追う敵国の名前を挙げられ少女は目を見開く。
「君の事情はここに来る前から、大体把握している。もし敵だったらこうして話などはしないさ。だからまずは落ち着きなさい。」
先ほどの雰囲気とは打って変わって、穏やかながらも力強い居住まいに彼女はグッと深く首を縦に振った。
「よろしい、では始めよう。私はこの天都ホメロスの領主、バルザック・ヨハン・ドイル。とりあえず君のここでの身の安全は私が保障することをこの場で約束しよう。
この部屋は君専用の寝室だから、自由にしてもらって構わない、他に何か要望が合ったらさっきのサーシャに何でも言ってくれ。」
それだけ言ってドイルは隣の老者に話を譲った。
「では次は儂めが話すとしよう。儂はこの偉大なる社稷、ホメロスを守りし守護隊総大将スタインベック・ボルヘスと申す。
ここでは主に若き兵士・・・と言っても今は一人じゃが、そやつに戦い方を指南しておる。
今はこんな老体ではあるが、かつては一騎当千の雄兵として、その名を轟かせ、不屈のボルヘスと言えば盗賊でも怯え上がる・・・」
「はいはい、その話をすると長くなるくなるから後にしてくれ、ボルヘス。
目の前のお嬢さんはどうやらかなり切羽詰まった状態らしい、まずは彼女の話を聞こうじゃないか。」
「む?そうであったか。それは失礼した。儂の話はこれにて一時お開きとしよう。
されば小さき姫よ、ごゆるりと身の上を語るがいい。」
敵国に次いで、さらりと自分の身分も暴かれ、驚きと困惑を浮かべながら彼女は恐る恐る口を開いた。
「ま、まずは手厚くわが身を匿ってくれたこと、大変熱く感謝いたします。
もうご存知のようでありますが御察しの通り、私はカーマイル皇国第四皇女カーマイル・ゴットフリート・メルリーゼ。
永き歴史に身を置くカーマイルの血筋の末席に、名を連ねる者であります。」
その国が今では滅びているという事は恐らく知れわたっているだろうが、それでもそのことには一切触れず彼女は続けた。
「このたびは、こうしてご領主様とお話をさせてもらえる事を重ね重ね感謝至します。」
メルリーゼがきれいな姿勢でお辞儀をする際に、ドイルは割り込む。
「そんなに固くなることもないよ、なにも取って食おうってわけではないし、
出来ることには協力するし、出来ないことは出来ないと言うさ、ただ話を聞く前に一つだけ聞かなければいけないことがある。」
唐突なドイルの話にメルリーゼはゴクリと唾を飲む。
そしてその問いが・・・
「君は一体何者だ?」
その問いにメルリーゼは唖然とするのだった。
「あの、質問の意味が・・・」
「そうか・・・」
何とかして探りを入れようとするメルリーゼを嫌な沈黙が襲う。
「ならばまず窓の外を見てみるんだ。」
意味不明な質問の次は、外を見てみろという全く意図のつかめない指示を受け不信感を抱きながらも窓の外を見る。
そこには先ほどと同様に美しいこの国の様子が一望できた。
「そこから何が見えるかい?」
「この国の景色です。」
見たままの事を答えるメルリーゼにドイルは問いを重ねる。
「その先は?」
「広い草原が・・」
「その先は?」
この一言に言葉を詰まらせた。
目をこらしもう一度良く風景を見つめる。
視界の先の覆う草原の先、そこに見えるのは
「あれは・・・森?」
今まであまりにも曖昧で蜃気楼のようにぼんやりとしていたが、あの濃緑は恐らく森林なのだろう。
「そう森だ、我々は『大森林』と呼んでいる森でね、かなり険しい森のはずだよ、それこそ人の身では通り抜けることなどできない程に・・・」
姫の返答に答えるドイルに引き続き今度はボルヘスが口を継ぐ。
「うむ、あの森は山の頂上付近から麓まで恐ろしい長さ、徒歩で行くのであれば一月は優にかかる上に、森の中には強力な魔獣、そなたが下の林であった魔物と比べ物にならないほどの奴がウヨウヨしておる。
そして森全土に強い結界が張られておるためあれを超えるとなるとかなり骨が・・・」
つらつらと語る中に、聞き捨てならない内容がある。
「ちょ、ちょっと待ってください。林?魔物?何の話を?」
「む?知らなかったのか?
そなたは森の前の林から終わりまで一歩も大森林に踏み込むことなくここに来たのじゃよ。」
あっけらかんと放たれる言葉に体中の血が冷え切るのを感じた。
「そんな・・・そしたら私達は一体なんのために・・・、臣下達は森に入ることもなく命を・・・」
顔面蒼白になりながら臣下達と別れたあの夜を思い出す。そしてメルリーゼはあることを思い出す。
「そういえば今日の日付は、一体私はどれくらいの間眠っていたのですか?」
その必死の様子に男達二人は顔を見合わせボルヘスの方が答える。
「そうさのう、小僧がそなたを担いで来たのが概ね一週間くらい前かのう。」
一週間という単語はメルリーゼにとって絶望的だった。臣下の命と敵の追手、 どっちも彼女にとって黙認出来ない。
今すぐにでも部屋を飛び出そうとするメルリーゼをドイルが引き止める。
「待ちたまえ、皇女、いや元皇女メルリーゼ」
ドイルの言葉の中の一つのキーワードが彼女の動きを止めた。
怒り交じりの視線を向けるメルリーゼにドイルは飄々とした態度で応じる。
「君は少し頭を冷やした方がいい。
さっきも言った通りあの森を人の身で抜けるのは、不可能だ。
すなわち君の部下は林から戻って散り散りなったか、全員死んだと考えるのが自然だ。
人の上に立つ者なら、そう思って割り切るのも大切だ、覚えておくといい。
それに君の部下がこの町に来れない以上、それはトラヂィクトとて同じ。だから君もここにいる内は枕を高くして眠れると思うよ。」
どこか子供を宥める口調のドイルに、メルリーゼは声を荒げたい衝動に駆られるが、それをグッと堪えなんとか平静を装う。
「少々取り乱してしまいました。申し訳ございません。
こちらの質問ばかりなってしまうのも何なので、そちら側の話を聞きましょう。」
これ以上、相手に舵を握られないように、これが国同士の交渉だという意識をもってメルリーゼは機械的な口調で応対した。
「私の要求はさっき聞いた質問にうそ偽りなく答えてもらうことだよ。
但し、君の質問次第では直ちにこの国から退出してもらうことになる。
ここからは言葉を慎重に選ぶことをお勧めするよ。」
そういってドイルは不適な笑顔を見せた。
今から千年ほど前、魔神の出現にこの大陸はどす黒い魔力に覆われていた。
その膨大な魔力は大小様々な魔獣を生み、人々はそんな脅威に死に絶える一途を
辿っていた。
その脅威から人間たちを救い出したのが今では『帝位の十剣』と呼ばれている
十人の剣士だった。
彼らの話は現在でもおとぎ話として伝わる通り、迫り来る多くの困難と敵を撃退し、ついに魔神を倒す一歩手前まで行ったと言う。
しかし魔神は没するその直前に自分の持っている力を四つに分け、それぞれ人の
子供に封印した。結局、魔神撲滅は不完全に終わり力を秘めた子供だけが残った。
その力、『神力』は魔人の如く不滅で子供達が老い、そして死してもなお数十年から数百年という期間を置いてまたどこかの子供に宿り、その力を存続させていた。
学のある者の中にはそれが魔神の残滓だと言うのもいたが真実のほどは誰も知らない。
また『神力』を秘めた子供たちは決まって女児で、彼女達は『巫女』と呼
ばれその力への畏怖と教敬から崇められていた。
だがその四人の巫女の中に一人だけ『魔女』と影で囁かれる巫女がいた。
その巫女の力は四つの巫女の中でも郡を抜いて強大で、そして何よりもその力には呪いがかけられていた。
呪いは巫女の周囲の人間を続々と不幸に落とし、そして巫女自身も不幸にした。そんな理由から魔女の力を持つ女児が生まれた家庭では、その女児を教会に預けその存在をひた隠しにするか、奴隷として物好きは金持ちに売り払うといった風習が出来ていた。
そんなことをしても『魔女』の呪いから逃れることは出来ないが・・・。
そして現在、自分がその『魔女』であると宣告されたメルリーゼは誰もいなくなった部屋で、一人頭を抱えていた。
思い返せば彼女には『魔女』であることを否定するに足る根拠がなかった。
生まれてから自分一人だけが隔離されて生きてきたこと。
自分が執拗に追われていたこと
深淵の森を無傷で突破できたこと
どれを取っても今の彼女にとっては『魔女』の所以になりえた。
「だったらどうして・・・」
悲嘆にくれる彼女の口からそんな言葉が漏れる。
誰もいない部屋で彼女の呟きだけ聞こえる。
それは呪われた自分が自らに抱く疑問だった。
「・・・どうして私は生きてるの?」
そう言ってメルリーゼは約二週間ぶりにその頬を濡らした。
2015年6月18日 更新