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誘い

 どこか、異形の空間内。

 数多の景色は歪み、空は黒に犯され、大地は闇に喰われ、空気は澱みきっている。

 もともとは城であったはずのそこは、すでに形をなしてはいない。

 人間どころか亜人すら長く生きることが叶わないそんな空間内に、二つの人影があった。


「我、リディスティード・フレアンツィ・マグール・ラ・ラグロナラロク・スティスタ・ディサラティが契約の血をもって命ず! 某は七つの世界を生き、七百の神を打ち破り、七千の命を持ち、七万の狼王を殺せし真紅の獣神! 異界に封じられしその身、我が血肉を喰らいてうつつの世に顕現せよ!」


 一つは、女。

 良い意味で凹凸の激しい肢体を惜しげもなく晒した妖艶な姿に、膨大な魔力を操り異形の怪物を召喚した彼女は〝魔王〟と呼ばれる亜人魔族の頂点に君臨する、いわば魔の神だった。

 最強最悪の存在である魔王、しかしその紫色の瞳はどこか消耗したように虚ろで、灰を思わせる褪せた白髪は所々が焼け焦げていた。が、それはまだ精神的な疲れにすぎないらしく、一挙一動作はもちろん放出している魔力もまた、人間のそれを遥かに凌駕している。

 そんな魔王が召喚したのは真紅の狼で、幾本あるかもわからない深赤色の尾を荒々しく振り立て、鋭利な刃を連ねた口内からはひっきりなしに酸の涎を垂らし眼前の敵を威嚇している。


「はーっはっはっはっは! はいはい厨二全開な魔法詠唱結構結構! ドヤ顔気持ち悪いからとりあえず引っ込めてや! 無駄な二酸化炭素吐き続けるのも飽きただろう? ちゃちゃっと殺してやるから大人しくしな、存分に痛くしてあげるからさぁ!」


 もう一つは、男。

 黒い髪に黒い目、黒い和装を纏い黒い刀を腰に指し、何が面白いのか口に葉っぱの付いた枝を()んで意気揚々と魔王が召喚した狼に襲いかかり、あっさり素っ首を撥ね飛ばしてしまった。

 狂乱の笑みを浮かべるその男は、信じられないことに魔王から世界を守るために表れた〝勇者〟だった。にもかかわらず、腰に刀を刺しているのに、わざわざ手刀を使うところから彼の意地悪さが窺える。


「ああっ! 貴様またも私の可愛い(しもべ)を殺しよったな! 捕まえるのにどれだけ苦労したと思っているのだ!」

「かっ! だまらっしゃいな糞魔王! テメェの僕ごとき俺の前ではスライムみたいなもんだ!」

「なっ、あろうことにも私の僕を人間の玩具に例えるかっ!?」

「あぁ、そっちじゃないんだが……ま、どっちにしろ大したことないから。てか厨二詠唱やめて、笑いが止まらなぶははははははははは!」

「何がおかしい! くっ、我、リディスティード・フレアンツィ・マグーぶっ!?」

「ぶっ、あはははははははははははははは! マグーぶっ? マグーぶっ? 名前噛みやがった! だからそんななげぇ名前やめればいいのに! ……マグーぶ? ぶははは!」

「や、やかましぃ!」


 自身の恥態にうっすらと頬を赤く染めた魔王は、未だに爆笑し続ける勇者に向かって即席に組んだ魔術式から超超々高温の業火を穿つ。てれ隠しにしてはやりすぎな一撃である。

 紅蓮は狭い空間を埋めつくし、回避不可能な攻撃となって勇者に迫る。

 一つの城すら落としかねないその超魔法を前に、しかし勇者は狂乱の笑みを絶やさず、むしろの笑みをより深く刻み業火と対峙する。

 外見ではただの人間にしか見えない青年のその様は、もはや異様を通り越し異常ですらあった。


「ふむ、勇者の炭火焼きはともかく魔王の炭火焼きはそとの仲間(パーティ)どもが喜びそうだな……よし! 今夜のご飯のおかずは〝魔王の炭火焼き、塩風味〟だな!」

「まて勇者よ! 前半の話は魔王を倒した証明とかそんな話ではなかったのか? 物理的か? 物理的に喜ぶのか? 名誉欲ではなく食欲優先か!?」

「奥義! ドラゴン──んなぁああありゃっしゃあああぃ!」

「なぜ途中で止めたのだしかも私の方をチラ見してから! あれかっ? 『ちゅうに』とか言うあれのせいで今やめたのか!?」


 互いに互いを罵倒し合いながらも、二人の攻防は一撃致死なので荒々しくも完成されていた。

 ──故に、〝勇者の世界〟で言うコントのような会話のせいで、勇者がどこからか取り出した鉄扇で業火を吹き戻したのも、戻ってきた業火を魔王が片手で打ち消したのも、いかせん両者が余裕で行っているので緊張感と言うものが感じられない。

 こういった状況は何も二人が疲れてテンションが妙なことになっているから、というわけではなく、戦いが始まった瞬間から相変わらずのことだった。だから魔王ですら、精神的にとはいえ疲労しているのだが、彼女と対峙する勇者の方は魔王以上にハイテンションでありながらまるで消耗らしい消耗をしているようには見えない。終始笑みを崩すこともなければ、今でさえ全力を出していないようにさえ見える。

 それが、よりいっそう魔王の精神を衰退させる要因でもあった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「おいおい魔王様よ、なに欲情しちゃってんだ。あんたは俺の守備範囲を遥かに飛び抜けて貫いてぶっ飛んで大気圏外のさらにその先にいるからお断りだぜ? 頼むなら外にいる俺の仲間に言ってくれ。ビッ(ピー)大歓迎ってやついるから」

「だ、れ、が、貴様のような下劣な勇者なぞに欲情するか! そして訂正しておくが余はビッ○なぞではないわ!」

「えっ、じゃあまさか処──」

四属合成魔法陣カルティエド・シュルドバツ!」


 急激に発せられた超魔力が収束、方向性をもって勇者を穿たんと襲いかかる。

 しかしながら、致死の威力を誇るはずのそれをまたも勇者は狂乱の笑みを浮かべたまま容易く打ち払うってしまう。否、雷による電動攻撃、炎による炎焼攻撃、風による無形攻撃、岩石による物理攻撃と、多種多様な死傷攻撃を前に、拳を叩き付けることによって直撃を防いだだけである勇者は物理攻撃以外のすべての直撃を受けているはずなのだが、やはり無傷のまま、笑みを崩さない。

 魔王は普段、魔法を使う際にその名を詠み上げるという行為を行わない。

 必要ないからというのはもちろん、自身の力が強すぎて自城や自軍へ余計な被害を出すことを危惧してのものだったのだが、簡易化したとはいえ詠んだ超威力のそれをたやすく撃ち破られ――てはいないのだが、直撃しても効かないのならどちらも大差ない――何度目にかなる驚愕の表情を浮かべる。

 そんな魔王の様子に気づくことなく、勇者は余波で乱れた髪を叩いて直しながらカタリと首をかしげた。


「急に端的になったな。恥ずかしくなったのかぁ?」

「なにがだ?」

「分からない? くはっ! ま、そうだろうな~……だし」

「……?」


 くかかかか、と奇妙な笑い声を上げる勇者の言葉を一部聞き逃した魔王だったが、今はそんなことをいちいち気にしている場合ではなかった。彼女がこの世に生まれ、数百年もの時の中で身に付けた技という技が単勇者の単純な腕力と耐久力のみですべて覆され、なんのダメージも与えられていないのだから。

 底なしとはいえ魔術の行使には体力を使う。

 万全を期しても苦戦する相手に、魔王のコンディションは少しずつ崩れてきていた。

 たいして勇者は、戦闘開始時と何ら変わった様子はない。

 ――少し、少しでいい、時間稼ぎを……


「……時に勇者よ、一つ問いたい事がある」


 今まで会話らしい会話をしていなかっただけに、いきなりの魔王の申し出に驚いたのか、拳を固めていた勇者が不自然な姿勢で一瞬停止する。

 それから、かかか、と笑い、 


「知るか、と一蹴するのも一興だがな……あえて聞いてやる。魔王様もお疲れみたいだしな」

「……っ。まあ、いい……では問う、貴様──本当に勇者か?」


 自身の魂胆が見透かされていることに、失策かと思いなおした魔王は、しかし完全に戦闘態勢を解いた勇者にそれが杞憂だと瞬時に理解する。一時的とはいえ、今まで死合っていた自分の眼前で戦闘態勢を解かれるのは嘗められているようで不意打ちでもしてやろうかと思った魔王だが、今時分に必要なのは休息だと自制し、なんとか殺意を心中えと押し込めた。

 ちなみに、魔王の問いはすべてがすべて思いつきというわけでもなかった。

 争い始めて早半日、心のどこかで薄らと疑問に思っていたことなのだ。

〝勇者〟ではあるのだろう、と彼女も理解している。

 その身に纏う人ならざるものの聖なる輝きは神の力が加わっていることは明らかで、色濃さはこれまで彼女を討ち滅ぼさんと攻め行ってきたバカな勇者擬き達とは一線を凌駕していた。まあ、その顔に張り付いた狂乱の笑みのせいか若干の影が見え隠れしていたりもするのだが、普通なら魔物と見間違うようなその狂気すら霞むような神々しさをこの男は纏っている。

 だが、それでもさっきから聞いていればやれ糞魔王だのやれぶっ殺すだのやれ犯すぞコラだの、勇者にあるまじき罵詈雑言の嵐で、とてもじゃないが世界を救うために〝魔王〟を討ちに来たというよりは、べつにやりたくないけどやらないとダメみたいだから仕方ないささっと終わらして帰ろうみたいな発言を繰り返しているのだ。

 多くの仲間を殺された恨みや国のために刺し違えてでもお前を倒す、みたいな今までの勇者にあったものがこの〝勇者〟には一切ない。

 つまり、彼には正義感もなく、復讐心もなければ、名誉欲もない。

 ならばなぜ〝魔王〟とまで呼ばれる自分をわざわざ討ちに来たのか、そもそもそのような感情がない者が本当に勇者として任命されるのか、彼女はそれが疑問だった。


「貴様からはどうにも〝勇者らしさ〟を感じん。私をここまで追い詰めたことには感嘆の意を表すが、どうにも貴様は勇者と言うより……」

「かっ、今さらなにいってんだい魔王様よ」

「……む、しかしだな」

「俺が勇者? かかっ、こんなのが勇者なわけないだろう? あんたの綺麗な瞳は宝石ふしあなかい?」

「は?」


 返って来たのは否定の言葉。

 おかしな答えであるのは瞬時に分かった。なにせ勇者だと名乗って彼女の前に仁王立ちして宣戦布告してきたのは、この、たった今勇者であることを否定した男本人なのだから。

 矛盾していることはもちろん、神聖さ自体は過去の勇者を遥かに上回っているのだ。

 あまりに予想外なその返答に、敵前だというのに魔王は口をあんぐりと開けて呆けてしまった。

 その間に勇者は口の枝をピコピコと揺らしながら一人独白をし始める。


「っと〜、たしか二年以くらい前……俺が今十八だから十六のときか? 対人関係が苦手なこと以外俺はどこにでもいるような普通の高校生でさ、彼女はいない友達もいない学力は中の下、唯一得意だったのは運動と喧嘩ってくらいのどこにでもいるような一般人だったんだよねぇ、でもある日! バイトの帰り、電車を待っているとなんかオッサンが線路に倒れ込んだんだ。当然、俺は無視した。だれがあんな汚いおっさん助けるか、ひゃはははリアルグロ映像だひゃっほーと笑ったさ。声に出してたらしくその時の周りからの冷たい視線は辛かった! しかし俺は無視した! 可愛い少女ならともかく、おっさんなんざ助ける価値はないからな。でも! なんだか知らないが『助けろよ!』と誰かに背を押され、俺はまさかまさか薄汚いおっさんと心中するはめになった! 泣いたね! てか泣いていた場所がなんだったか……たしか『ハザマ』っていう神々の集会所みたいなとこでさぁ、いきなりあなたを殺したのは私たちですとほざきやがった。ひとしきり殴り終えたらボロボロの神様方が『貴方に力を与えます、だから私たちの世界を救ってください』と言ってきた! 当然断ったが断った瞬間にはこの世界にポーンと放り出されてたんだよね! つっても俺をこの世界に呼び出したのは別人で、神とのやり取りはただの経由点だったらしいけど。んで、今に至るわけ。そんな経緯があるから俺は勇者らしくないんだろうな、いきなり転生して世界を救え? かかかっ、そんなこと言われて『それが僕にしかできないことなら、やります! やらせてください!』とか、『はっ、いいぜ異世界ハーレムイヤッホゥ!』とかいうのはどっかの気違いだけだ!」

「…………」


 恐ろしい勢いで放たれる勇者の愚痴に、わからないところが多々ありながらも魔王は絶句した。なにせ最終的には自らの手で根絶やしにしてやろうとかんがえていた神が異界人に自らの力を分け与え、世界を救う存在として仕立てあげるなどという愚行を行う愚か者だったというのだ。

 神の力というものは絶大で、その気になれば無から万物を想像することも可能であれば万物を無に返すことも可能なのだ。この世界を創った本人の力とくれば、もっととんでもない事ができてもおかしくはない。彼の意思次第で、世界のルールが丸ごと書き換わる可能性すらあるのだ。

 そんな強大な力を一介の人間に、しかも訳もわからない異界人から呼び寄せた人間に一部とはいえ受け渡したなどと、


(こ奴の荒々しい性格はそのせいか……?)


 よくもまぁ、世界が壊れなかったものだと魔王は嘆息する。

 欲望の固まりである人間が神と同等の力を持っているともなればなにが起こるものか想像もできない。最悪勇者として召喚されていながら魔王以上の魔王になる可能性すらあっただろう。


「で?」

「む?」

「いやいや、む? じゃなくてさ、わざわざこの勇者たる俺がラスボスであるあんたの疑問に答えてやったんだ。お礼として大人しく殺されてくんない?」

「貴様、勇者なのか勇者じゃないのかはっきり――って、まて!」


 恐ろしいほど気軽に言われたので一瞬反応が遅れかけた魔王だったが、なんとか断空をも可能とする勇者の手刀が振り下ろされる前に手をつきだして静止を強請する。

 んだよ、と悪態をつきながらも一先ずとまった勇者を見て安堵の息を吐きながら、魔王はまだ終わっていないと頭を振り、次の言葉を紡ぐ。


「確かに貴様の生い立ちは聞いた。敵である余から見ても同情を禁じ得ないものであることもわかった。……故に、だからこそ解せぬのだ」

「なにが?」

「わからんか?」

「うんっ」

「満面の笑みで頷かれてもな、説得力に欠けるぞ……。つまり、私が解せぬのはただでさえそのような経緯を持つ貴様が何故勇者なぞやっておるのか、だ」


 魔王の問いを、勇者はかっ、と笑い飛ばす。


「何故? なんで? かかか、つまり魔王さんやい、あんたの言いてぇことは要約すれば『なんでお前はなんの義理も恩もない世界にいきなり連れてこられて無理矢理力まで与えられてなんの特にもならない魔王退治なんてやっているのか』ってわけかい?」

「そうだ。さっきの話で貴様に〝勇者らしさ〟がない理由や正義感などがかんじられぬ理由こそわかれ、ならばなぜ、貴様はなんの得にもならぬ勇者になることを選んだのかが分からない」

「ぅん……なぜ、勇者になったのか、か……」


 何故だろう、今度の問いには今までの常にハイテンションだった勇者の表情に影が差した。

 しかし、聞きづらいこと、言いにくいこと、というわけではなさそうで、単に面倒なだけ、といった様子だ。もしくは全く違うことを考えているようにさえ見える。

 そのまましばらく押し黙る勇者に魔王が訝しげな表情を浮かべ始めたころ、


「うん、じゃあ仕方ない。魔王さん、お前が大人しく殺されてくれるというなら話してやることも吝かでもない!」

「待たんか糞勇者。なんだそのまったく釣り合っとらん交換条件は! そんな条件のもとであれば貴様の勇者になった理由なんぞ知りたくないわ!」

「あれは、そう。俺がこの世界に召喚されて即座に勇者になってくれという国王の頼みを嫌だと断り早速貰った力でもとの世界に帰ろうとしたときだった……」

「聞かんか!」


 勝手に決まった理不尽すぎる交換条件を前に思わず声を荒げる魔王だったが、その話の突っ込みどころの多さに少々興味がそそられたのも事実なので、おもっきし油断している勇者に魔法をぶっ放つことはなかった。雰囲気的に、たとえ放たれていたとしてもそのまま話し続けそうでもあったが。

 疲労を回復するための時間稼ぎくらいにはなるだろう――そんな考え事を魔王が行っている間に、勇者は構想をまとめたのか、肩を竦めるようにして口を開いた。


「神が、な……俺をこっちに召喚した神な? そいつが力を発動した俺を前にこう言ったんだ」


 ──貴様が勇者としての任を放棄するというのなら、貴様の家族は永遠の苦痛を強いられることになるだろう……


「──っ」


 あまりの内容に、魔王は自身の立場を忘れて息を呑む。

 しかしそれは同時にすべての辻褄があった瞬間でもあった。

 一つは何故神が〝勇者〟を異界から選出したのか。

 この世界の神は人間の信仰によってその力と存在を維持していて、その信仰を失わないためにその力の一部を人間に貸し与えるという形で互いの利害を一致させている。ならば世界が危機に陥る前に魔王を自ら葬ることができるか、と言われれば答えは否である。神自身は概念存在でしかないため、人間に力の一部を──主なものとしては魔法を扱う力──与え魔族らと対峙している状態だった。

 だが、自らの体内で半永久的に魔力を産み出す術を持ち、高度な魔法を使い、しかもすべての身体的スペックが人間を上回っている魔族に対し、その程度ではいつ世界が魔族に支配されてもおかしくはなかった。現に大陸の大半は魔族によって支配されている。

 果てに神は力のある人間一人に自らの力を分け与え〝勇者〟を創ることを決定した。

 だが、元々神とは信仰しているとはいえ人間にとってその姿を拝むことすら恐れ多い存在。神が力を与えるに値すると踏んだ人間ほどその信仰は強く、故にそんな存在からいきなり貰った力を意気揚々と使える者は少なく、誰も彼も魔王の前に倒れていった。

 ──だからこその、異界人。

 神を信仰しているわけでもなければ、大きすぎる力を得ることがどれ程恐ろしいかも知らない無知な異界の人間をつれてきて〝勇者〟に仕立てあげたのだ。

 信仰をしていないのは同時にさっき本人が言っていたように神の意に沿わない行動をする可能性の表しでもあるのだが、それを人質を取ることで解決している。


(きたない……)


 魔王が言えた話ではなかったが、彼女は思わずそう毒づく。

 いきなり知らない世界に連れてこられて、家族を人質にとられてしまえば誰しも意に沿わなくとも戦いを決意するしかなくなるだろう。

 それが二つ目の疑問、異界人であり正義感もなにもないにも関わらず異様なまでに魔王殺しへ執着していることに対しての理由にも繋がる。勇者は語っていないが、大方自分を殺せば元の世界に返してやるとでも言われているのだろうと魔王は推測する。

 だから、このまま戦い続けていいのかと、そんな馬鹿げたことまで考えてしまう。

 悪逆非道の魔王とて、わずかばかしの情はあるのだ。

 それが家族・・のことともなれば、いかに宿敵でも……

 ──が、このときばかりは、魔王は悪逆非道であるべきだった。


「──なっ……がぁっ!?」

「隙あり、だぜ? 魔王さんよ」


 一瞬の情、その隙をついて、あろうことか勇者が魔王を袈裟斬りしたのだ。


「がっ……き、貴様!」

「かかか、言ったろう? 俺は勇者じゃないって。正々堂々? 誇りある戦い? 不意打ちは汚い? 正面切って戦ってこそ正義? かっ、アホらしい! 俺は勇者でもなければ物語の主人公でもない! 故に、だからこそ悪逆非道こそ我が王道! 魔王だけが悪だと思うな? 勇者がみんな正義だと決定するな? 例外は常にいるんだかなぁ! ふはははははははははは!」


 ……どちらが魔王なのかわかったものではない。


「くっ、【闇】よ……我が命を喰らいて永遠の混沌に敵を閉ざせ!」

「かか?」


 動脈をやられたか、それとも勇者の顕能か、異常なほど吹き出し辺りに撒き散らされた己の血を触媒に魔王は禁忌の一つを発動させる。歪んだ空間にできていた数多の影が地を這い、足刀による致死の一撃を放とうとしていた勇者の動きを抑止する。勇者は手刀によって斬り裂かんと腕を振り上げるが、挙げた瞬間に違う闇がその手首を掴みとり、抵抗をさせる前におぞましい体内へと引きずり込んでいった。

 完全に包み込まれてなお、闇の中からは悲鳴ではなく狂笑が聞こえていたが、一先ずは拘束できたらしい。それを確認した魔王は、安堵とも達成感ともつかない、疲弊にまみれた溜飲を下げて瀕死の体を引きずるようにして自身の発動した魔法に巻き込まれないように距離をとった。

 いつでも悪役の立場であった自分が、まさか自ら悪役を名乗る勇者に殺されかけるとはなんともお笑い草な……自嘲の笑みを心中で浮かべながらも、魔王は術が消える前に傷を塞がんと治癒魔術を発動させた。自然治癒でも問題ないのだが、臓器がほとんど体外へ出ている様子を長時間見るのはあまり気分がよいものではないので、激痛に耐えながらもグイグイと押し込みながら治癒の光を押し当てる。

 実を言うと、魔王としての強さは彼女一人で培っているものではない。

 無論、その力を振るっているのは彼女自身の元来から持つ実力があってこそなのだが、それでもその強大すぎる力は実力や努力、才能や知識だけで生み出せるわけもなく、ほとんどが人間側の神と同じ……魔王としては勇者の話を聞いたあとなので虫酸が走る例えだったが、そのシステムの大部分が同じだった。

 この世界の至るところに点在する同胞。人間が一括りに「魔族」と呼称するその中には多くの種が存在する。ゾンビやゴーレムなどの意思を持たないが魔族に区分される非生物族、ゴブリンや狼男(ワーウルフ)等の魔獣族、エルフにドワーフ、吸血鬼(ヴァンパイア)等の魔人族、果ては──これは魔族にも人間族にもどちらにも属していないので加えるべきか定かではないが、龍やドラゴンなどの神獣族など……その総数は神によって高い繁殖力を持つ人間の倍とも言われているほどだ。

 それら全ての頂点に立つのが彼女の呼称である〝魔王〟という存在である。

 魔王は魔族からの信仰──それが人間に対する害意から来るものでも──が大きければ大きいほど力を増す。同じ原理でありながら、意思を持たないものも多々いながら、それでも彼女が神を脅かす存在として畏怖されているのは単純に神と違って〝魔王〟が一人であることと、概念ではなく堅固たる一つの〝個〟としてこの世に存在しているがためだ。

 曖昧な存在と、実在する強大な存在。

 どちらの方がより強く信仰されるかなど問うまでもない。

 どちらが強いかなど問うことが愚かしい。

 だから、この程度の──左足付け根から右肩の裏までの──切り傷では彼女は死なないし、傷もほっとけば繋がり、すぐに十全の状態へと戻るだろう。大量の魔力を消費するが、信仰がある限り無尽蔵に湧いてくる魔力の心配など魔王本人がする必要はない。

 それでも魔王が自己治癒に加え魔術治癒まで加えたのは〝勇者〟の異常さを警戒してのことだった。

 今まではよかった。

 いくら強い力を持っていようと、勇者とは所詮は神のおこぼれを身につけただけの中途半端な存在である。しかもだれしもがバカみたいに正義感が強く、不意打ちをかければいいものを、ご丁寧に最下層から上り詰め、戦闘を申し込んでくる際によく勇者本人が社交儀礼のごとく自名や専属部隊名や所属国家名を大声で名乗ってきたものだから、全魔族のにっくき相手であるにもかかわらず魔王自身が未だ歴代勇者の名前を記憶しているほどだ。そんな、常勝無敗、汚い手を使うことが当たり前とされている魔族の王に正々堂々戦いを挑むようなバカごときに、彼女が傷を負わされることなどありはしなかった。

 しかし、今回は違う。

 未だ名すら名乗らず、その異常なまでの力でいきなり最上階へと侵入してきた。

 いざ戦いになれば、同情を誘い、隙を付き、不意打ちを喰らわす。

 自分を伐ちに来る勇者にやっていたことを、まさか〝勇者〟がやってきた。

 正義を侮辱し、悪こそ王道と豪語する。

 正しさを否定し、卑怯こそ最善だと言い切る。

 魔王すら感嘆するほどの、悪勇者(ダークヒーロー)


(はは、よもや勇者がこのような手段を使ってくるとは……謝ろう、私は貴様を嘗めていた)


 ――本気でいこう。手加減は必要ない。これほど強い勇者に、ハンデは必要ない。この〝勇者〟は今までの勇者とは違い、弱くもなければ遠慮もない、隙もなければ情もない。ならば自分も遠慮しないし、余裕綽々で威厳を保つ為の枷をはずそう。魔王たる私の……数百年ぶりの本気だっ!

〝魔王〟の周りを、猛毒のようにおどろおどろしい紫色の魔力が覆い、包む。

 魔王である彼女本人でさえ恐怖を感じる負の力。

 紫が魔王の身体を包んだ次瞬には何らかの異能と共に勇者につけられ、妙に治りが遅かった傷が瞬時に塞がり、疲労で暗かった表情が高揚を孕んだ勇者蒼白の狂笑が浮かび、貼りついた。

 と──


「え……?」


 次の瞬間、吹き荒れていた絶望の魔力は欠き消え、魔王の唖然としたような呟きだけが無音の空間に虚しく響いた。

 唐突に自分の中から何かが失われていくような、そんな感覚。とてつもない喪失感に、魔王は知らず知らずのうちに膝をついてしまう。


「なん……だ……なにが……力が……力が、抜ける──!?」


 満ち足りていた泉に大穴を開けたがごとく──否、辺りに霧散するでもなく、もっと根本的な……そう、例えるなら魔力の源、魔力の蓄えられる最大量を自体を減らされているような感覚。

 それは人間が魔力を使いすぎたときになる症状とほぼ同じだったのだが、信仰によってつねにほぼ無限に魔力を内包する魔王にとっては未知の感覚であった。


「ふむ、残念。詰み(チェックメイト)だよ、魔王」

「ゆ、勇者……!」


 シャン、と軽い音。

 ただでさえ混乱している魔王の前に、今もっとも現れてほしくない存在である勇者が抜刀した刃から柄頭まで漆黒色の刀を逆手に携え拘束魔術の中より歩み出してきた。

 さきほど魔王が発動したの魔術は、一度発動してしまえば術者の手を離れ、世界の魔力を喰って永久に対象を閉じ込める類のものであったため魔王に突然降りかかった魔力枯渇の影響を受けていないはずだが、勇者はそれを容易く切り裂いてきたらしい。

 狂乱の笑みは健在で、抜刀による何らかの追加効果でもあるのか漆黒だった瞳は濁った赤色をしていて、瞳孔が獣のように縦に裂けている。ゆらりゆらりと妖しい足取りで歩みだすたび、漆黒の中に赤を含んだ和服の異様な緩やかさで(なび)き、この空間のわずかな光すら食らっているかのごとく、その実像は酷く曖昧であった。

 その姿はあまりにも畏ろしく、神の光は息を潜め魔王にも匹敵する奈落のような闇のみが有る。


「……っ!?」


 微細な揺れに、魔王がビクリと跳ねた。

 勇者が何かしたのか……今の彼女では勇者の一挙一動を黙視することは不可能のため、無意味だとわかっていても両手で身を包む。

 そこで、魔王は、はたと気づいた。

 揺れの正体は、自らの震えだと。

 恐怖。

 長らく忘れていた感情だったため気づくのが遅れたのだ。

 そんな魔王の様子に、勇者は狂乱の笑みを見下しの笑みへと変貌させ、


「……どれくらい時間が経っていると思う?」


 そう、問うてきた。

 魔王は、自分を一撃のもとにほふれる絶好のチャンスにも関わらずそんな意味のわからない問答を繰り広げようという彼の思想が理解できなかったが、少しでも時間が稼げるのなら、とわずかに残った魔力をかき集め、鉛のような体を酷使しまだ余裕なのだと見せようと不適な笑みを勇者に投げ返す。


「時間、か? そのような問いになんの意味がある、よもや予定があるとは言わまい?」

「くかっ、余裕ぶんなや魔王様。あんたがどんな状況にあるのか、なぜそんな状況になっているのか……俺がわからないとでも思ってんのか? それともそれが不自然なものだということすらわからないほど酷いのかなぁ〜?」

「……何をした、勇者」


 勇者が笑う。

 悪逆非道こそ俺の覇道だと言っただろう、と笑う。

 そして、


「──もちろん、卑怯なこと」


 ──バキッ

 空間に亀裂が走る。

 異形の空間が魔王によって維持されていたものである以上、魔王の魔力が謎の枯渇現象を起こしている今、空間維持に支障が発生し崩壊し始めるのは当然のことだった。

 丁度いい──魔王は思考する。

 自分と勇者が戦っていたのは魔王城の最上階。部下も味方もなく、初見の時は骨のありそうな勇者が来たことに嬉々として一対一(サシ)での戦いを望み、魔王自ら孤立型の結界を張っていたのだ。

 それが解ければ、辺りは同胞の魔族によって埋めかためられているだろう。打ち合わせているわけではないが、そとは人間対魔族が戦争中、勇者の存在は伝えてある、常に控えている眷族以外にも多くの同胞が集まっているのは確実だった。魔王を圧倒するような輩に眷族ですらない者たちが敵うかどうかは怪しいところだったが、体勢を立て直す時間くらいは稼げる。


「いいや、お前の考えている通りにはならないんだなぁこれが」

「……!?」


 思考に割り込むような勇者の声に、魔王が驚いたように向き直る。

 勇者は、いたずらが半分成功したような笑みを浮かべながら、


「最初の問い──お前と俺がこの空間に入ってからどれだけの時間が過ぎたのか、その答えはな……」


 勇者の言葉が紡がれる合間に無数の光が闇を払うように亀裂が広がり、ついには空間が砕ける。

 暗闇の中にずっといたからだろう、唐突に視界を覆った光に痛みを感じ魔王は咄嗟に掌で視界を遮る。

 そこで魔王は違和感に気づく。

 たしかに自分と勇者が戦っていたのは城の最上階だった。もちろん、闇を好む魔族の王がいる場所として窓など外の光が差し込むような場所はなかったし、もし勇者側の魔術士たちが城の屋根をまるごと吹き飛ばしていたとしても城を中心とした半径二十キルト(一キルト=一キロ)は常に暗雲が立ち込めていて、ある光と言えば稲光が精々のはず。結界が解けた瞬間に視界を奪われるほどの光が場を埋め尽くすなど、明らかに異常だった。

 混乱した思考のなかで、なんとか視覚だけでも確保しようと肉体運動の維持に回していた魔力の一部を瞳の光量調節へと回す。

 果たして、戻った視界に映ったのは魔王の帰還を、勇者の死体を爛々と待ち構えていた(しもべ)でも、見慣れた薄暗い王室の内装でも、鬱々とした暗雲が覆う空でもなかった。

 魔族の変わりに白銀の全体装備型騎士甲冑(フルプレートアーマー)を纏った人間の兵団が、薄暗い王室の変わりに青々とした草花がどこまでも続く草原が、暗雲の変わりに雲一つない晴天が、満身創痍の魔王を出迎えた。剣にも鎧にも返り血などはなく、どれにも強力な呪力が込められていることから、魔王がこんな見当違いな地に現れることを知っていたことは明らかだった。

 互いが互いに大きな力を持っているだけに半日近く戦っていたような感覚はあったが、結界を移動した覚えがないにもわわらずその光景が全く違っていることに魔王は唖然と立ち尽くしてしまう。


「──一週間だ」


 楽しそうに、呆けた魔王に勇者が呟く。


「一週間……だと? なにを、バカな……余と貴様が戦っていたのは精々──」

「かかか、残念。お前が結界を張った時点で別の術式が発動してたんだよ。体感速度の操作、および転移の術式がな」

「……そんなことをして、なんの意味がある……」

「私が説明しますよ」


 透き通るような声と一緒に騎士たちの合間を縫って歩みでてきたのは、純白のローブに身を包んんだ金髪碧眼の好青年だった。勇者の見た目があれなだけに、人の良さそうなこちらの青年が本物の勇者ですと言われれば刹那の躊躇いもなく首肯できそうなほどにその見た目は美しい。

 微細な彩飾の施された宝杖を携えたその姿はどう見ても魔術士にほかならず、身に纏っている魔力量は人間が保有できる限界を遥かに越えているようにも感じる。それが杖やローブによる付加効果なのか、それとも死ぬような鍛練の末身に付けたものなのかは分からなかったが、魔術だけなら魔族を軽く凌駕しかねない実力を持っていることは確かであった。

 その姿は、勇者以外あまり人間を記憶しない魔王にも見おぼえがある姿だった。

 城に攻め入ってくる際、勇者の同行者パーティであろう五人の内、唯一の男であり、最初は彼のことを勇者だと思っていただけによく記憶に残っていたのだ。


「かっ、お勤めご苦労ご苦労! しかしだ。予定時間より少々早いじゃないか、王国随一どころか世界単位でその実力が認められているティエル・エグラーレともあろう者がミスったのかい?」

「まったく、結界時間にしてみれば半日くらいだったとはいえ魔王と一対一で戦っておきながらまだ私に毒舌を吐けるとは……いやはや、相も変わらずあなたは人外な存在ですね。ちなみに私はなんのミスもしてませんよ」

「ぅん? ならば俺の体内時計が狂ってるとでも言いてぇんか?」

「狂ってるのは体内時計じゃなくてあなたの力です! 何が面白くて腕力で魔術が破壊されかけなきゃいけないんですか。予定からずれたのはあなたのせいですよ……まあ、作戦は成功しましたけど」

「かか、そりゃあ十全。こっちも無問題(モーマンタイ)だぜ」


 勇者が刃で膝をついて呆然としている魔王を指し、その姿にティエルと呼ばれた青年がほぅと感嘆の息を漏らす。


「いやはや、単独で大陸を滅ぼすと言われた魔王に片膝を付かせるなんて……」

「かっ、俺にかかればざっとこんなもんよ」

「さすが私!」

「──死ぬか?」

「いえ、冗談です」

「まぁ否定はしねぇけどよ。作戦自体はテメェが考えたもんだし、実行したのもお前らだ。俺は単に斬って斬って斬りまくっただけだし──ってぇ、そういやぁエルメリアとリザベラ、それにシオンはどこ行ったんだ? 姿が見えねぇが、死んだか? そうだったら俺乱心するけど」

「やめてください。彼女達なら結界を張り続けたリバウンドでダウンして後続部隊と一緒に一足先に王都に戻っていますよ。リザベラさんは姫の付き添いです」

「えぇ〜、ラスボス撃退を前にしてパーティーのヒロインが全員いねぇのかよ〜。ここはあれだろ? 魔王倒してエンディング中に俺にヒロインが告白してきて大円満エンドだろ? ぶっちゃけそれが楽しみで今日まで勇者やってフラグ建ててきたんだけど?」

「あ〜、節々なにを言ってるのか分かりませんが……告白はないでしょう」

「えっ? なんで?」

「いや、だってあなた道中何百人の村娘に声かけてきたと思ってるんですか。しかも中には子供と言っても過言じゃない子も少なくありませんでしたし……優柔不断でさらに変態な男性に好意を寄せる女性は少ないかと」

「バカ野郎、女の()に声をかけたのはあくまで父性とか愛玩欲とか保護欲とかから来るものであって性的欲求とかじゃねぇ。可愛いものがあったらとりあえず愛でるのが男ってもんだ。ちなみに胸のでかい女はリザベラのせいで怖くなったから受け付けない。あっ、てか旅の後半三人が俺から目に見えて距離を置いてたのってテメェがそうゆう事吹き込んだからか?」

「──ああ、そういえば魔王に状況を説明するんでしたね」

「話を反らすなお前の肢体の全関節を反対方向に反らすぞコラ」

「おや、怖い怖い」


 言いながらティエルは騎士の後ろに隠れ、その奥から妖しげな笑みを魔王に向ける。人が良さそうな顔立ちはそのままに、勇者とはまた違った、しかし同じ黒く畏ろしい笑み。

 それでも勇者の後では対した畏怖はなかったが、その笑みが自分だけに向けられているわけではないような違和感に駈られ、魔王は魔力を身体に通わせ、いざというときに備えようと……


「ああ、それ以上魔力を使うことはお薦めしませんよ。あなたはもう、一人なんですから」


 ティエルの言葉がスイッチだったかのように、再び魔王は体から魔力が失われていく感覚に襲われた。

 ただ、さっきと違うのは魔力の最大量が根本的に減らされていく感覚がありありと感じられたことだった。違和感程度ではなく、自分の中にある力が無理矢理引き抜かれるような異常なそれに、魔王の立ち上がりかけていた体は再び地面へと落ちる。


「ぐっ、が……貴様ら、何を……!」

「だから今から説明しますって。えぇと、少し長くなるので聞き逃さないようにしてくださいね?」


 くすくすと勇者と騎士たちの背後にいるティエルは、よほど魔王が倒れていることがうれしいのか杖で肩を叩くなどと魔術士にあるまじき行動をしながら嬉々と口を開く。


「まず私が仕掛けた魔術は貴女の結界魔術に乗じて発動するように作った、いわば魔王専用の術式です。貴女の膨大な魔力に介入し、術式のなかに二つの式をばれないようにそっと書き込む……これはすでに勇者様が説明しましたか、体感速度の操作と転移の術式です」

「……それは、もう何度も聞いた。私が聞きたいのはその式がどうして余魔力を枯渇させるに至ったのか、だ」

「ふむ、魔王ともあろうものがまだわかりませんか?」

「わからんな……」

「ふふ、ならばもう少しヒントを差し上げますよ。私が行った体感速度の操作、これは、お分かりでしょう? ちなみにその時間差は半日が一週間になるものです。しかも、その場からは転移の術式で消え去っている……そして貴女は勇者と戦っていた。ここまでくれば、さすがにお分かりになりますか?」

「──まさか……!」


 気づいたときにはもう遅かった。

 ニヤリと、ティエルが今度こそ意地の悪い笑みを浮かべる。


「そう、偽の情報ですよ。『魔王が勇者に敗れた』、最初は魔族も信じませんでしたよ。しかし一日目、私の魔術で作った勇者が魔族の前に現れます。魔王は現れません。二日目、三日目、魔王はまだまだ現れません。そしてとうとう四日目、魔族は魔王の死が本当だと信じてしまいました! そこから今日までの三日間、将を失った魔族に人間の我々が実に統率された動きと戦略で逆襲するわけです。もとより半年近くも勇者様の規格外さに頼ってむちゃな調査をしてまで建てた計画、形成は一気に逆転! 見事我々人間は今回の戦に勝利を納めたわけです。──ああ、それと貴女が力を失った理由でしたね? 簡単です。死んでしまったものを信じ、信仰する魔族などいないでしょう?」


 言い切り、至極愉悦に浸りきったティエルの表情を、魔王は見ていなかった。

 ――負けたのだ。

 将を隠してしもじもの者たちを揺さぶり、緻密に建てていた計画で、すでに敗けが確定していたような状態だった人間たちが魔族を打ち負かしてしまったのだ。しかも、自分があっさり敵の策に嵌まってしまったがために、である。

 魔王が受けた衝撃は、生半可なものではなかった。

 卑怯だとは言えなかった。策として群衆の核たる魔王を狙うのは、弱い人間ならすぐに思い付くことだろう。魔王は群を操るわけでもなく、指示を下すわけでもない。ただ、そこにいるだけで、ただ、その強大な力を見せつけるだけで、勝手に魔族は奮い起ち、勝手に人間は戦意を喪失させるのだ。

 故に、魔王というものは常に圧倒的な力を持ち、常に存在することが何よりも優先される。

 人間の王や指揮官が戦死したとして、人間達は悲しみこそすれ、すぐに代替人を選出し体制をたて直すだろう。魔王はそうはいかない。ただでさえ強力な力を持つ魔族、その中からそれらすべてを屈服させるほど強大な力を持つものを探し出すことがまず困難で、代替などすぐには繕えない。

 強いがために、それ以上の力を持つ者が現れたときには弱い。

 だから、負けてはいけなかった。

 常に強くあるべきだった。

 情を捨て、愛を捨て、絆を捨て、仲間を捨て、友を捨て、孤高に、誰よりも。

 半日程度、と軽く見ていたのが間違いだった。

 負けてしまった。

 すべてを捨て切れていなかったから、こうもあっさりと負けてしまった。


「はは……」


 魔王に、自然と、不自然な笑みが浮かぶ。

 自嘲の笑みか、諦めの笑みかは分からない。

 ただ笑う。

 人も魔も、止まった思考のもとでは決まって不可思議な行動をするものだ。

 ひとしきり説明を終えたティエルは、絶望した様子の魔王に満足げな笑みを向て、肩をすくめる。


「おやおや、呆気ない。こんなものですか、人類が数十年以上に渡り追い求め、挫折して、それでも諦めなかった闘争の結末というのは……。なんともはや、もしこれが創作の結末なら批難の声は免れませんね」

「かか、なぁに嬉々と語ってんだ。全部が全部、終始に至るまで俺あってこその結末、俺あってこその勝利だろうが。テメェが嬉々と語るべきは俺の武勇伝だってぇの。紆余曲折、過大評価、蛇足矛盾、なんでもいいから大業に語り継げ」

「はいはい分かりましたよ。いいですからささっと魔王を殺しちゃってください勇者様」

「かっ、容易く言うねぇ容易く強要するねぇ人間の最大の咎たる殺しを! まぁ、いいけど──」


 ダンッ──!

 とてもじゃないが人間一人が大地を踏み鳴らしただけとは思えない音が響き、騎士達が姿勢を正す。

 再度狂気をその(かお)に張り付けた勇者がザンと踏み出す足取りはやはり妖しく、奈落を凝縮させた漆黒の刃は確実に魔王に迫る。

 自らに迫る死を、魔王はどこか客観的に見つめていた。

 死ぬ、のだろう。

 魔力体力共に十全の状態であったときでさえ、勇者は余裕を崩さずヘラヘラと笑っていた。そんな化け物を前に、信仰を失い低級魔族程度の力しかなくなってしまった自分に何ができよう?

 低級魔法でも放って、必死に逃げるか?

 騎士に全方位を固められている状況でそれは不可能だ。

 だから魔王は諦めた。

 だから魔王は受け入れた。

 自らの死を、己への罰として受け入れた。

 同胞等を守れなかった自分への、せめてもの罰。

 下らん──自ら嘲笑いながらも、他にできることもない。

 ──気がつけば、ヒタリと凶刃が首筋に当てられていた。


「なんてぇ目、してやがる」


 見下された視線。

 魔王はそれを見据える。


「諦め──だろう。私は敗北した。それもただの武力や力などによる蹂躙の結果ではなく、守るべき同胞を図らずとしても結果的に見捨てるように、守るべき同胞すらいなくなるように、完全に負けたのだ」


 刹那、勇者の表情が訝しげに歪むが、魔王はそれを見逃してしまう。


「……くか、魔王の口から守るべき同胞を守れなかったなんて聞かされるとはなぁ……なんぞ、悪役は俺かい? 俺はまさかの悪役に召喚された勇者擬きってか? いやな伏線なら止めてくれ」

「知らぬ。所詮善悪なぞ個々個人による価値観の違いでどうともなるのだ。悪も善もないわ」

「……ふぅん」


 問いはもうないのか、勇者は粗乱に刃を振り上げる。


「《某が力を成せ>>>喰刃》」


 今まで魔法らしい魔法を使わなかった勇者が初めて詠唱らしき行為を行う。

 結果魔王の目の前で成されたのは〝口〟だった。

 漆黒の外装に、真紅の口内。無機質だった形容は瞬く間に姿を変え、もはや一生物のものと錯覚せんばかりの物となったそれは勇者の腕と一体化していた。

 ──なるほど。

 不滅の存在たる魔王を殺す手段。

 斬るでも撃つでもなく、喰らうのだ。

 そんなことをしなくても、今の魔王は低級魔法を喰らっただけでも息絶えるだろうに。

 ──面倒くさい。

 今から死ぬというのに、なにを考えているのだろう。

 大きく広げられた〝口〟はすでに魔王を丸飲みにせんと大きく開口している。

 訪れるとは思っていなかった、あまりにも早すぎる最期に、魔王はせめて、と謝罪する。

 ──救えなくてすまない。

 ──助けられなくてすまない。

 ──謝罪せずに殺されてすまない。

 そして……


「守れなくて……ごめんなさい」







 喰われた(・・・・)

 視界が深紅に覆われて、次の瞬間には思考がぼやけ、世界が不鮮明なものになっていく。

 そんな中、声を聞いた。


「いいねいいね! そうゆうことならお前も加えてやる」


 聞いたことのある声──


「正直言って計画の不純物になり得る要因とも言えるけど……ま、構わないさ」


 そう、たしかこれは──


「俺とお前は同じ(・・)みたいだ。故に問う。だから問う」


 この声は──


「魔王、お前──俺と一緒にこの世界を壊さないか?」


〝勇者〟の声──


 ノイズにまみれた視界の中、最後に見たのは〝勇者〟が魔術士と騎士団をその〝(くち)〟で丸ごと喰らってしまう、そんな、馬鹿げた光景だった。



   ◇◆◇



 その日の報告書にはこうある。

 王国直属特殊騎士団一七五二一名、及び王国直属魔法騎士団隊長ティエル・エグラーレ大尉らはいずれも戦死し、魔王の殲滅は失敗した。原因は──勇者が人類を裏切ったためである、と……



続くかは不明

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