第35話「魔王船発進! アディオス・リリア」
エスパーニャ暦5541年 8月5日 9時12分
封印洞窟 魔王船内 司令の間
「キャプテン・キッド様。現在のヒューガの状況。魔力浸透率100パーセント。コア表面温度104度で安定」
「アンカー巻上げ完了。魔王城、魔導ポンプジェット異常なし。魔王船航行可能です」
報告を受けたキャプテン・キッドは、魔王の前に跪く。
「魔王様、出航準備、完了いたしました」
魔王ソールヴァルドは大きく頷き、すぐに下令した。
「よし、出航せよ!」
「ハハッ」
キャプテン・キッドは操舵輪に向かい、命令を下す。
「魔王船出航。舵中央、両舷前進最微速!」
「両舷前進最微速!」
魔王船左舷、露出戦列甲板では、激しい戦闘が続いていた。
まだアルコンは魔王船に取り付いてはいない。
矢が切れたパッツィは、予備の矢を補充するべく矢筒を肩から外す。
するとパッツィは床が一瞬揺れたような感覚を受けた。
ふとパッツィは上を見上げる。
洞窟天井には、明かりを供給するクリスタルがあるが、それが少しずつ艦尾に移動しているのを発見した。
パッツィは、たまらず大声をあげる。
「皆、上を見て!!」
つられて周囲の者が上を見上げる。
事態を理解した全員が声を出す。
「天井が…… いや、魔王船が動いているのか!?」
「やった、やった、動いた!」
「凄いにゃ、出航にゃ!」
「やっと来たか!」
冒険者や探索者は口々に驚きと喜びの声を上げた。
魔王船に乗っていた全員が、その時、魔王船が動き出したことを理解した。
「増速します。両舷前進微速!」
キャプテン・キッドの指示により、魔王船は最微速2ノットから微速4ノットに増速した。
司令の間から前方を見れば、眼前には巨大な岩壁が迫ってきた。
五百メートル、四百メートル、三百メートル。
じわじわと魔王船は進む。
「岩壁まであと、二百、百、五十……」
まもなく接触する。
玉座に座る魔王ソールヴァルドは、身を固め前方を見据える。
「三十、十……」
ドォオォォン!!
時速約7.4キロで、41万1千トンの巨大な鉄の塊が、船首で岩壁を突く。
その瞬間、巨大な殻にヒビが入るように、毛細状の亀裂が岩壁全体に広がる。
亀裂は巨大であり、大きさは四方五百メートルを超えるか。
亀裂からは、外の太陽の光が入り、封印洞窟を明るく照らす。
そして光りの大きさが、みるみる拡大する。
亀裂がその耐えられる湾曲の限界に到達。
頑強に見えたその岩壁は、前魔王の意図どおりに、魔王船の一突きであっけなく崩落した。
数メートルの岩片の山が、凄まじい音を鳴らしながら海に落ちていく。
その直後、広大な青い海と美しい青空が、眼前に大きく広がる。
その非現実的な光景を、船上にいる冒険者が、探索者が、領兵が、リッチが、岸壁にいるアルコン騎兵が、魔導兵が、歩兵が、呆然と眺めていた。
身を震わし、涙を流し、耳を押さえ、目を大きくして、それぞれの者が、その脅威の光景を目の当たりにする。
「あれは…… あれは…… 船…… なのか?」
これまでの戦闘を指揮していた、アルコン軍のバジル司令が、呆然と洞窟を出て行く魔王船の様子を眺める。
アルコン軍の認識では、あの鉄の城は地下で構築されたものであり、間の溝は、水堀であろうと考えていた。
まさか船だったなど、夢にも思わなかった。
だが実際に、その夢のような光景が眼前に展開している。
アルコン兵たちは、一言も発せず、その光景を食い入るように見ていた。
砕け散る岩 荒れる波浪と
岩窟の中 魔神戦艦
潮路の元 現れ出る
その巨大船 いかな敵をも
打ちて砕ける 伝説の船
恐れよ民 恐れよ王
魔王の船を その名はヒューガ
破滅と愛を 生み出す船よ
余りにも、余りにも巨大なその船体に、天頂の光が降り注ぐ。
暗流と明流の刹那、その巨船は広大な溟海へと躍り出た。
超弩級の鋼鉄の塊が、波を砕き、潮流を切り裂きながら、大海へ進攻する。
波瀾と動乱とを予感してか、大海原に一陣の烈風、吹き荒れる。
美しき醜悪の王。
創造する破壊神。
それが彼の使命、ここがその舞台。
「船首に異常無し、増速、両舷前進半速。舵中央。船笛鳴らせ」
「両舷前進半速。船笛鳴らせ!」
キャプテン・キッドの命令により、魔王船はさらに加速する。
司令の間、その直下の巨大なヒューガの顔面は、ピクリと反応。
おもむろに巨大な口を開き、そして、吼えた。
ゥォオオオオオオオオオオオオォォォゥゥ!!!!
魔王船ヒューガの「船笛」が、大音量で海原に響き渡った。
この世界に、この海に、600年ぶりに魔王船が解き放たれた瞬間だった。
超弩級超重ゴーレム戦艦ヒューガ
⇒第4章 リリア侵攻脱出編
洞窟から完全に離脱した魔王船は、そのまま直進を続け、浅瀬を抜けることに成功した。
魔王船の姿を太陽の光が照らし出す。
紺碧の海が、魔王船の巨体に引き裂かれる。
「魔王様。これより針路北西に取ります。第二戦闘速度に増速し、アルコンの包囲網を突破します」
「ああ、よろしく頼む」
「御意」
魔王ソールヴァルドの許可を取ったキャプテン・キッドは、魔王船の沿岸からの離脱を確認。
針路を北西に向け、魔王船を一気に増速させた。
「針路300度。機関、第二戦闘速度へ」
「第二戦闘速度へ増速!」
「すまんがキャプテン・キッド、俺は外に出てくる。後は頼んだ」
「お任せ下さい」
後を任せた魔王ソールヴァルドは、司令の間を出て、後方に向かう。
司令の間の両サイドには、外に出ることができるバルコニー、見張り台があるのだ。
重い鉄の扉を開け、ソールヴァルドは外に出る。
海風が吹きすさぶが、波は穏やかで、空は美しい蒼天の色だ。
ソールヴァルドは遠ざかる雑貨迷宮を見た。
雑貨迷宮の下には、魔王船が入っていた巨大洞窟が見える。
古代遺跡とその下の砂浜。
あの砂浜に、ソールヴァルドの乗ったカプセルが漂着したのだった。
ソールヴァルドは、18年間暮らしたリリアの町を見た。
町からはまだ複数の煙が上がっていた。
ボロボロになったリリア。
その姿を見て、ソールヴァルドの胸は痛む。
ふとソールヴァルドが見下ろすと、第1甲板に沢山の人が出ていた。
冒険者や探索者、避難民も沢山いる。
おそらくリリアの住民だろう。
皆リリアに別れを告げに来たのだな、考えることは同じか。とソールヴァルドは思った。
現在、魔王船は北西に第二戦闘速度、14ノットで進んでいる。
煙をあげるリリアの町が、視界では左から右に流れていくだろう。
「パッツィ、リリアが離れていくにゃ」
「そうね。でもしばしの別れ。私達は、必ずここに戻ってくるわ」
リリアを指差す猫耳娘タマラの言葉に、パッツィは自らの決意を表明する。
よく見れば、リリアから少し北東に離れた所からも煙が上がっている。
あれは間違いなくグラナドス牧場だろう。
パッツィの家も焼かれたのだ。
パッツィはコブシを握りこんで怒りを抑えた。
そして、決意の瞳でリリアを飽くことなく眺める。
「総員、リリアに向け、敬礼!」
領軍の兵士達が、マリオ司令の掛け声の元、一斉にバレンシア領とリリアに敬礼した。
すでに領主が死に、彼らに所属はない。
一体自分達はどこに向かうのか。
先のことは色々不安だが、今はただ、リリアに無心に敬礼した。
なんとか傷の応急処置が済んだブラウリオを中心に「紅姫と疾風従者」の面々が集まる。
メンバー達は、生まれ故郷を様々な思いで見つめた。
「姉御、リリアが離れていきます」
「ああ、俺の家と土地が」
「まあ命があっただけ良かったってもんです」
「ハッ、まあそうだ。命があれば次がある。だがアルコンさんよぉ。この借りはいつかキッチリ返してもらうぜ」
そう言うとフローリカは不敵な笑みを浮かべた。
傷の治療を終えたカルメーラは、敬礼の後、ソフィアの元にやって来た。
「燃えちゃったね、リリア……」
「大丈夫よ。きっといつか帰ってこれるよ」
そう言って、ソフィアは屈託の無い笑顔を見せた。
昔からの相変わらずのソフィアの能天気さに、カルメーラは苦笑する。
でも今は、そのソフィアの能天気に、カルメーラの心は救われていた。
「ああ、リリアが離れていく。さよなら、リリア」
「迷宮のランセ」のリーダー、エヴァートンはリリアに別れの言葉を言う。
隣に立つセレスティーナも悲しげな瞳でリリアを見つめる。
「あれだけの爆撃を受けたのです。闘牛場も燃えてしまいました。私達の思い出が……」
横にいたチキータは孤独を感じる。
彼女はリリア出身では無い、逃げるように領都を去り、またしてもリリアを去ることになった。
二人のように思い出を共有できない。
「チキータ、大丈夫?」
エヴァートンがチキータを優しく気遣う。
チキータは心の孤独を底に隠し、エヴァートンに微笑む。
「大丈夫よ。それよりエヴァートン、シッカリしなさいよ。これからが大変なんだから」
チキータは、彼の前では、決して悩まない、悲しまない、元気なツンデレ美少女なのだ。
たとえ、心にどんな闇や苦しみがあったとしても。
探索者ルーキー「ドラゴン・シーカー」の面々は、エヴァの治療を必死で行い、なんとか無事に済んだ。
リリアの最後の別れのため、リーダー、シモンにおぶってもらい、エヴァも甲板に出た。
「ごめんなエヴァ。俺、肝心な時にいなくて……」
「いいのよ。あの時は負傷者運んでたでしょ。誰だってそうするわ」
シモンとエヴァの会話に、リンダが口を挟む。
「ホント大変だったのよ。意識もうろうなエヴァが、何度もシモンを呼ぶから」
「ええっ!?」
シモンとエヴァは顔を真っ赤にした。
マリベルとマルガリータは並んでリリアを見送った。
リリアは確実に魔王船から遠ざかる。
「リリアいっちゃうね……」
「……うん。残念」
しばらく黙って眺めていた2人。
ふいにマリベルが呟く。
「また今度会おうね。ちゃお。リリア」
マリベルは、またリリアに帰ってくることを想い、バイバイを意味する、軽めの言葉「チャオ」をあえて使った。
本当なら、こんな時はもっと重い言葉、アディオスを使うのがいいだろう。
アディオスは、日本語でいうなら「さらば」くらいの意味で、吐き捨てるように言うと「あばよ!」のような意味にもなる。
普通の日常生活で使用することは、あまり無い。
だが親の葬式や、誰かとの永遠の別れなら「アディオス」を使うのが相ふさわしい。
だからソールヴァルドは、アディオスを使う。
それは2度と帰らないという意味では無く、自分を育んでくれたリリアに対する敬意の現われとしてだ。
リリアを見送りながら、ソールヴァルドは誓う。
俺達は必ず帰ってくる、と。
だけど今は、しばしの別れ……
ソールヴァルドの目に一筋の涙が流れる。
ありがとうリリア。
そして、
アディオス・リリア
エスパーニャ暦5541年 8月5日 10時15分
バレンシア領プリアナ南西60キロ
アルマダ海海上 魔王船 司令の間
魔王船は、第二戦闘速度で北西に進んでいく。
出発から1時間以上が経過し、リリアはすでに見えなくなった。
まもなくレパント海に入るところだ。
避難民や冒険者達は、順々に船の中に戻り、甲板には、ほとんど人が見えない。
感傷に浸った俺は、気合を入れなおし、玉座に座る。
と、下で警備をしているリッチのヴァルターから魔導伝声管で連絡が入る。
パッツィ達とマリオ司令が、俺に会いたいとのこと。
マリオ司令がいるので、俺にお伺いを立てたわけだ。
俺は入城を許可する。
皆は魔導リフトですぐやって来た。
「はあっ、魔導リフトってすごいわねぇ。こんなに簡単に上に昇れるなんて!」
「ホント、凄かったよソール。箱部屋がスルスルって登っていくのよー!」
エレベーター処女のパッツィとソフィアが騒ぐ。
マリベルとマルガリータも興奮気味だ。
なんだか、はしゃぐ小さな子供を見ているようで微笑ましい。
俺は前世の記憶があったので、たいして驚かなかったが。
「この魔導リフトが魔王船には沢山あるとか。私も竜騎母艦に一度乗船したことはありますが、人の移動に魔導リフトは使用しません。いやはや、この魔王船は贅沢な船ですな」
周囲を見回し、感心しながらマリオ司令は感想を述べる。
俺はマリオ司令をねぎらう。
「マリオ司令も大変でしたね。リリア脱出の手際、見事でした」
「いえ、死者も出ましたし完璧ではありません。ところで、ソール…… いや、もう魔王様ですな。魔王様にお願いがあります」
「なんでしょう?」
「領海軍の偵察騎10騎を、リリア襲撃前に森に隠しました。魔王船に回収するつもりなのですが、右舷の竜巣艦橋の使用許可をいただきたい」
「分かりました。着艦を許可します」
「ありがとうございます。タダで乗せてもうらうのです。索敵騎として使って、魔王船の安全な脱出のため協力しましょう」
その時、ブレインが俺に声をかける。
「魔王様、ヒューガより連絡、後方距離1万1千メートルに竜騎10を確認。こちらに接近中。領軍騎です」
「それです。魔王様、それと今後の連携も考え、このフロアの空室に魔導通信機の設置も許可していただきたい」
魔導通信機か、まあいいだろう。
操典にあったが、ヒューガは近距離なら魔導通信機の内容を傍受できるらしい。
監視はできる。
俺は、その件を承諾した。
「それでは、現在の状況を説明させていただきます。よろしいですか?」
俺達は、皆でマリオ司令の話を聞くことにした。
マリオ司令は、地図を作業台に広げ説明する。
「これまでの情報から、バレンシア領に侵攻してきたアルコン艦隊は3群です。第1群は、バレンシア領入り口を封鎖。第2群は、ロルカに攻撃を加えています。第3群は、エルチェ、ネルピオを攻撃してから西進。場所は分かりませんが、パルマ島南辺りを遊弋しているはずです」
「うん。当初の想定通り、パルマ島北を抜けて西進するルートが一番安全そうですね」
マリオ司令の話に、俺は相槌をうつ。
「はい。しかし可能な限りパルマ島を早く抜けなければなりません。現在の魔王船の速度と、出せる最大速度はどれほどですか?」
「今は第二戦闘速度。14ノットだ。最大戦速は16ノット」
いつの間にやら隣に立っていたキャプテン・キッドが答えた。
操舵輪は上級スケルトン船員が操作している。
マリオ司令が、俺に銀ピカのスケルトンが何者かを尋ねてくる。
「彼はこの魔王船の船長。キャプテン・キッドだ」
「おお、船長でしたか、これは失礼を。私は領陸軍のマリオ司令。といっても元で、今は失業中ですが……」
そう言うと、マリオ司令は自嘲気味に笑う。
「かまわん。今は非常時だと理解している。貴官は、これまでも過度な干渉は行なわず、魔王様への態度も丁重である。よって我々も協力することを約束しよう。ただし、安全な海域に離脱後は、そちらの去就はハッキリさせて貰わなければならない。すなわち、魔王様への服従か、あるいは下船するか」
「無論です。それは後ほど必ずと約束しましょう」
ああ、やっぱそうだよなぁ。
ここは魔王船なんだから、避難民や領軍だけ特別扱いできない。
やはり全員に去就を聞くことになるか。
それは、ここを突破してからの話になるが。
「話の続きですが、現在4隻のリリア漁船が魔王船に先行しています。漁船の速度は平均6ノットなので、14ノットで進めば、およそ36時間前後で追いつけるはずです。位置はパルマ島北東400キロ辺りでしょう。この地点で漁船を回収し、最大戦速16ノットで一気に西進、安全海域へ離脱します」
パルマ島400キロか。
たしか以前聞いた話では、パルマ島もアルコンの占領下だ。
回収中に空襲を受ける可能性があるのでは?
ということをマリオ司令に聞く。
「その点は大丈夫です。今から36時間後は夜21時です。誤差があるとしてもランデブーは日が沈んだ後です。竜騎は夜には飛べません。漁船にも魔導通信機がありますので、連絡を取って漁船の魔導ランプを点けてもらえば、発見は容易だと思います」
なるほど、さすがプロ。
よく考えられてる。
これで今後の魔王船の行動方針は決まった。
マリオ司令はさっそく魔王城外に出て、魔導通信機で接近中の領軍騎に連絡を行なう。
連絡を受けた竜騎隊は、魔王船右舷艦首の竜巣艦橋付近の発着甲板に着陸していく。
俺とパッツィ達は、見張り台に出て、その様子を見物した。
20分ほど経って、マリオ司令と副官が魔導通信機を魔王城に持ってくる。
魔導通信機は、机に乗るほどの大きさで、結構重そうだ。
これは携帯するのは無理だな。
一連の作業が終わった魔王船は、一路、パルマ島北東のランデブー地点に向け、第二戦闘速度で突き進む。
所変わって現在のバシル司令。
魔王船出航を呆然と見送った彼らは、誰もいないリリアに戻り、魔導通信機で「巨大船出航」の報を領都の司令部に送る。
ただちに「巨大船を攻撃すべし」と進言したが、司令部は取り合わない。
何故なら彼らが命じられた作戦は、リリア制圧で終了したからである。
おまけにリリア爆撃で、爆弾の在庫は半減した。
あと2回戦分の弾薬しかないので、無駄玉を撃つ分けにはいかない。
予定されていた補給も遅れがちである。
原因はルシタニア王国。
クーデター成功後も、まだあちこちで小競り合いが続いており、アルコン軍の物資の集積、輸送と竜騎移動がなかなか捗らない。
そのおかげで、陸上騎をバレンシアになかなか配置できないので、臨時に地上にいる艦載騎も帰還できない。
そんな状況下で突如現れた謎の巨大船。
司令部の大半は「何かの見間違いでは?」と考えていた。
バジル司令の報告では、少なくとも30万トン以上の船、と荒唐無稽に思える船の大きさを報告してきたからだ。
アルコン軍も魔王船の伝説は知っていたが、誰もがヨタ話の伝説だと信じていた。
というわけで、まずは細かい状況を知るため、バジル司令を領都に帰還させ、沿岸の監視強化の方針で司令部はまとまった。
一方パルマ島。
制圧が終わったパルマ島では、臨時の竜騎基地が整備されつつあった。
順調に行けば、今頃ルシタニア経由で陸上竜騎が来るはずだったが、未だに音沙汰なし。
というわけで、陸に配置された艦載竜騎が臨時で、パルマ島周辺の哨戒を行なう。
周辺の偵察任務を開始した爆撃騎。
その内の1騎が偶然にも、北西方向に進む、今までに見たことの無い巨大な船を発見した。
発見は5日の17時。
発見後しばらくして、太陽が沈んでしまったので、その巨大船をすぐに見失ってしまった。
パルマ島司令部は対応を協議。
といっても、今パルマ島にいる竜騎は、全部で14騎しかいない。
とても攻撃する余裕は無い。
なので、パルマ島司令部も沿岸監視強化で対応することになった。
そして巨大船への対応を艦隊に丸投げするべく、魔導通信機で付近の艦隊に警戒を呼びかけた。
「なんだと、謎の巨大船? まったく、このクソ忙しい時に」
バレンシア湾封鎖を行なっている第182作戦部隊、ドラクロワ・ギャバン提督は、うんざりしながらその報告を聞いた。
現在、182作戦部隊は、3分の1がバレンシア湾封鎖を実行しており、3分の1が補給中、3分の1がルシタニアと領都の往復輸送便の護衛だ。
しかし、ルシタニアのゴタゴタのおかげで、輸送計画は狂い、バレンシアに展開予定の兵が、ルシタニアの港で治安警備をやっている始末だった。
「何がクーデターが成功しました、だ。おかげでこっちのスケジュールも無茶苦茶になったぞ。やってくれるよな、あいつらも」
またしても諜報部隊がやらかしやがった。
そうドラクロワ提督は考え、不機嫌になっていた。
副官のロジェが、答えは予想できているが、一応提督に尋ねる。
「それで巨大船の対応はどうしましょうか?」
「こっちはギリギリの戦力で回している。そんなイレギュラーに対応する戦力は無い。とりあえず放置だ。こっちに接近してきたら考えよう。余裕があるリュック提督が何とかするかも知れん」
というわけで、ドラクロワ提督は、リュック提督に対応を丸投げすることにした。
第184作戦部隊、アンジェリーク提督率いる艦隊は、ロルカ攻略後、補給物資の荷揚げを急ピッチで行なっていた。
巨大船の情報は、魔導通信機でパルマ島近海の艦隊のみに連絡されたので、アンジェリーク提督が、巨大船出現の情報を知ることはなかった。
エスパーニャ暦5541年 8月5日 12時15分
パルマ島南480キロ海上
第183作戦部隊 旗艦マジェンタ ブリッジ
現在、第183作戦部隊は、パルマ島南で補給作業を実施していた。
艦隊の約半分は、すでに補給作業を終了している。
旗艦のブリッジで、赤獅子の異名をとる、第183作戦部隊の指揮官、リュック・ヴァルタン・バルテス提督は、先ほど入った情報を興味深く聞いていた。
「ふむ。面白い。リリアから巨大な船が出現か…… さっきパルマ島からも情報が来たな」
副官のギデオンが意見を述べる。
「しかし30万トン以上は荒唐無稽すぎます。これは誤情報や見間違いなのでは?」
「たしかにな。常識外れの大きさだ。しかしバジル司令とパルマ島の目撃情報はほぼ一致している。5~10万トンクラスの巨大船がいるのは間違いあるまい。レオン海軍の新型艦かもしれん」
「まさか、レオン海軍にそのような……」
「バカ者、レオン王国を侮るな。10年前の硬翼帆事件を忘れたか?」
10年前の事件とは、アルコン帝国が極秘裏に進めていた硬翼帆の研究開発情報が、レオン王国に駄々漏れになっていた事件である。
おかげで、レオン海軍を出し抜くつもりが、両国ともほぼ同じ時期に、硬翼帆を導入した軍艦が就役する羽目になった。
原因は硬翼帆研究所の職員が、レオン王国のハニー・トラップに引っかかったからだ。
こと諜報戦に関する限りは、レオン王国が常に1枚上手を行っている。
リュック提督は声を落として副官に喋る。
「詳しくは知らんが、我々も6万トン以上の「超重帆船」を建造していると聞く。また情報が漏れて、レオン王国が対抗できる船を作るため、目立たぬよう田舎で建造を進めていた巨大船の可能性もある」
「なるほど。では?」
「俺達は遊軍だ。レオン王国の精鋭艦隊が出てくれば対応しなくてはならんが、出てくる様子は無い。ここには半分戦力を残しておけば充分だ。俺は謎の巨大船の正体を探ろうと思う」
「分かりました。しかし気をつけて下さい。気象班によれば2つめのバアルの風が出現しています。現在、アスティリアス王国東沖を北上しております」
「ああ、予測では西に反れるコースを取っている奴だな」
「巨大船は北西を指向していたとか。恐らくパルマ島北を西に抜けるつもりなのでしょう。他は我々が押さえていますからな。こちらが北西に追撃をかければ、バアルの風と接触する可能性もあります」
「分かっている。深追いはせんよ。補給完了している艦船はどのくらいだ?」
副官の情報を聞き、リュック提督は追撃艦隊の編成を行なった。
基本的には足の速い大型艦を中心に据える。
まず旗艦、104門艦スパルシアト級、2番艦マジェンタ。
護衛に24門フリゲート艦、アバンチュリエ級4隻。
竜12騎を搭載可能な最新鋭の竜騎母艦。
デヴァスタシオン級1~3番艦、デヴァスタシオン、ヴォードルイユ、エクレルール。
以上を持って巨大船の追撃を行なう。
補給海域を速やかに離れたこれらの艦は、短縦陣を形成し、北西に舵をとった。
「針路北西、機走連続運転4時間。戦闘速度」
「機走連続運転4時間。戦闘速度!」
「ギデオン。明日の朝より、偵察騎を北を中心に放て、4線2段だ」
「了解しました」
リュック提督率いる追撃艦隊は、平均10ノットに加速して、北西へと海原を突き進む。
「巨大船の速度は12ノット程度らしい。足は速いが、逃がさんぞ……」
リュック提督は、不敵な笑みを浮かべつつ、前方の海を睨んだ。
エスパーニャ暦5541年 8月6日 13時25分
パルマ島東北沖450キロ海上
広大な大洋、強烈な太陽の日差し。
何も遮ることがないブルーオーシャンの海の中。
ポツンと、一人の男が漂っていた。
男はプカプカと海に浮かびながら、気力を失った目で変化の無い海原を見つめる。
彼の名は、1等竜騎手シャルル。
レオン王国陸軍、パルマ島所属の竜騎手だ。
ああ、もう俺は…… 死ぬしかないのか……
シャルルは5日も海上を漂流、精神も体力も弱りきっていた。
今日の深夜は生きた心地がしなかった、鮫が鼻で、シャルルの足を突付いてきたのだ。
シャルルは懸命に足をばたつかせて鮫を追い払った。
この海域に広く分布するこの鮫は、ゴブリンシャークという、顔がゴブリンによく似た鮫の魔魚だ。
肉食であり、シャルルが力尽きれば、きっとこの鮫に食べられることだろう。
海を漂流しながら、シャルルは今までの出来事を思い返す。
8月1日、アルコン騎がパルマ島に突如飛来、戦闘状態に入った。
激しい空中戦の末、シャルルはワイバーンで敵騎を2騎撃墜。
しかし新手の2騎の追撃を受け、ワイバーンの腹に魔法弾を食らい墜落した。
シャルルは竜を放棄、空中に飛び出す。
落下中に竜飛魔法レベル2の「高度感知」を使用。
高度100メートルに到達すると、竜飛魔法レベル3の「落下減速」を数回使い、スピードを落として海面に着水した。
竜座鎧には、浮き袋や携帯食料、生活杖も装備されているので、しばらくは持つはずだ。
そこから、シャルルの漂流は始まった。
次の日には、遠くで見えていたパルマ島も見えなくなった。
シャルルは明らかに海流に流されていたのだ。
基地からの救援も来ない。
おそらくアルコンにやられたのだろう。
漂流してから5日。
水は生活杖で補給できるが、体力の消耗が激しく、魔力も枯渇してきた。
そろそろ限界か……
シャルルはそう思いながら、ぼんやりと海面を眺めていた。
すると、しばらくして遠くから4つの影が現れた。
最初は幻覚かと思っていたが、それは徐々にこちらに近づく。
船だ!
シャルルは確信した。
なけなしの体力で大声を上げ、手を振る。
「た、助けてくれぇー!!!」
どこの船かは分からないが、それはシャルルにはどうでもいいことだ。
それがアルコンだろうが何だろうが、ここから助けてくれるなら、虜囚の身になってもいい。
シャルルは手を振り続けた。
船が針路を変え、こちらに向かってきた。
良かった、助けてくれるらしい。
シャルルは、船に描かれている漁業ギルドのマークを見て驚いた。
この船はリリア所属の遠洋漁船だったのだ。
シャルルは、なぜ遠洋漁船が、こんな時にこんな場所にいるのか、訝しんだ。
しかし、その件は後回しにして、漁船の船員に救助を要請した。
8月6日14時、120時間以上の漂流を経て、シャルル1等竜騎手は、リリアから脱出してきた漁船に救助され、奇跡の生還を果たしたのだった。
第35話 「魔王船発進! アディオス・リリア」
⇒第36話 「緊急事態! 生活環境を向上せよ」




