第2話「ソールヴァルド」
俺は前世では「橘健二」と名乗っていた男だ。
転生していきなり海上で漂流していた時は正直焦ったが、今は若い夫婦に拾われて、お世話になっている。
最初は夫婦の言葉が分からなかったが、数ヶ月ここに暮らして会話を聞いている内に、急激に言葉の理解が進んだ。
いや、理解が進んだどころの話じゃない。
短時間でヒアリングができると共に、頭の中で単語や文法も浮かんでる。
もう日常会話レベルの文章とヒアリングは完璧だと思う。
いくら頭の柔らかい赤ん坊でもこれは異常だ。
思い当たるとすれば、例の光の存在。
あれが圧縮した情報を俺の脳に送り込んだわけだが、
その中にこの世界の言語も含まれていたのだと思う。
とまあ言語は理解できるのだが、俺はまだ喋れ無い。
なんというか脳がまだ成熟していないせいだと思う。
ところでこの世界での俺の名前が決まった。
ソールヴァルド
これが義理の父と母が俺につけてくれた名前だ。
たまたま風で床に落ちた役所の紙らしきものを盗み読んで、夫婦の名前も分かった。
父の名は、アベル・ローズブローク・カザルス
母の名は、イレーネ・カリオン・チャルコス
そして俺の姓名は、
「ソールヴァルド・ローズブローク・カリオン」
となる。
日本にいた時は3文字しかなかったが、随分名前が長くなったな。
これで俺は完全にこの家庭に養子として迎えられることになったようだ。
この国の名づけ方法は、スペイン方式のようで母方は結婚しても姓が変化しないのだ。
よって一度つけられた姓名は、永遠に変わることが無い。
だから俺の名前の後には、父方と母方の姓が加えられるのだ。
名前ソールヴァルド 父方の姓ローズブローク 母方の姓カリオン だ。
公式の文書で母が父の嫁だと書くときは(デ+父方の姓)が母の名前に加わる。
結果として母の正式名は、
イレーネ・カリオン・チャルコス・デ・ローズブローク
と、実にクソ長い名前になるわけだが、
普段使う時は「イレーネ・カリオン」だけで問題無いようだった。
超弩級超重ゴーレム戦艦ヒューガ
⇒第1章 転生、目指せマタドール編
最近の俺はハイハイが出来るようになった。
なので家の中を移動して、この世界の情報収集を行なっている。
家の中にカレンダーを発見し、調べてみたが地球とさほど変わらないな。
1日は24時間で、1年は360日前後、月曜日から日曜日までで1週間。
窓から夜空を見上げるが、どうも地球の月に該当するものは無いようだ。
文明レベルは結構高めだ。
2階の窓から遠くに海が見えるのだが、そこには大小様々な帆船が行き来している。
大航海時代ぐらいのレベルだと思う。
ファンタジーぽく剣やら魔法やら魔獣などがいるらしいが、
それほど人間社会が圧迫されているようには感じない。
まあ、今の俺で集められる情報はこれぐらいだ。
毎日の食事もスペイン方式だな。
朝食、間食、昼食、間食、夕食で1日に5回食事をとってる。
基本的には軽めの食事を4回。
重めの食事を1回とる感じか。
朝、母に抱えられて居間で食事をとる。
俺は最近、やっと固形食が食べられるようになった。
母イレーネと父アベルの朝食は、だいたい揚げパンにホットチョコレートだ。
父はその後どこかに出勤していく。
母は大体家にいるが、金、土、日は仕事をしているようだ。
次は午前中の間食。
ここではバゲットという、フランスパン風の固いパンに、具を挟んだサンドイッチを食べている。
他にはオムレツやヤリイカフライなども食べる。
昼食。一番重い食事で、基本的にコース料理風だ。
まずオニオンスライスや野菜か、オレンジジュースが前菜。
次にスープとパエリア。
メインに肉料理か魚料理。
デザートの果物と黒茶か赤茶を飲む。
次は午後の間食。
ここはシンプルに菓子パンと黒茶、赤茶のみ。
菓子パンといっても凝ったものではなく、パンに蜂蜜を塗ったりするだけだ。
夕食。これは軽い。
スープ、パスタ、サラダ程度だ。
両親と俺とで一緒にとる。
そして午後8時あたりからお楽しみの晩酌。
タパスというおつまみ料理を食べつつ、酒を飲む。
イレーネは、赤ワインをオレンジジュースで割るサングリアという飲み物を飲む。
まあ、カクテルみたいなものだ。
父はワインを水割りで飲んでる。
ワインて水割りで飲めるんだな。
おつまみ料理のタパスは、かなり旨そうに見える。
実に色々な種類がある。基本的には小さな陶器の器に色々な料理を盛る、一口サイズの食べ物だ。
バゲットに具を載せたサンドイッチ風。
野菜と豆の煮込み、サラダ、オムレツ、肉の煮込みなど。
俺が一番旨いと思うのは、シイタケのタパスだな。
シイタケの軸を取ってひっくり返して、裏にニンニクとオリーブ油、白ワインを入れてオーブンで焼く。
シイタケの水分が出て、ジュワっと絡まって凄い美味しいのだ。
ああ、俺も早く大きくなって、
タパスで晩酌してみたいな。
さて、今日も爽やかな目覚めを迎えた俺は、母に着替えさせてもらって朝食後、お気に入りのおしゃぶりを咥えてハイハイを沢山して体を鍛えている。
これが今の定番の生活メニューだ。
俺はいつ生まれたかハッキリしないが、ここに来て1ヶ月ほどで寝返りやハイハイができることになったことから、
1~2才程度ではないかと両親は推測している。
ということで、誕生日は揺りかごを拾った日。
年齢は1歳として、役所には提出しているらしい。
まあぶっちゃけ、その気になれば立って歩くことも出来そうな感じだが、あえて俺は立ったり歩いたりしない。
幼児で脚がまだ固まっていないのに、あまり早く立つと、体重が脚にかかり短足になる可能性がある。
という話をネットで読んだことがあるので、できるだけハイハイの期間を長くする予定だ。
将来脚の長いかっこいい男を目指すため、
あと半年はハイハイで粘りたいものだ。
おしゃぶりのほうも、口呼吸を防ぐためにやってる。
口呼吸だと見た目だらしなく、運動能力も低下する。
これを防ぐには、乳幼児の時に長めにおしゃぶりを咥えているほうが良い。
この方法により、鼻呼吸を基本とするキリッとしまりのある顔になるのだ。
あと身長を伸ばすには、オランダの特殊な肉牛を子供の時からとっていれば、成長期にグングン背が伸びるそうだが、ここは異世界だし、入手は不可能。
諦めるしかないな。
とはいえ、個々人によって成熟に差があるため、絶対とは言い切れないのが難しいところではあるが。
しょせんはネットのうろ覚えの知識だしな。
乳幼時期は、育て方一つで人生に大きな影響を与えてしまう時期だけに、俺も慎重にならざるえない。焦るとロクなことにはならないんだ。
流れに逆らわずにジックリ成長するべきだろう。
俺は家の中を縦横無尽にハイハイする。
俺の中が多幸感と全能感で満たされる。
この赤ん坊の時期を再体験して一つ分かったことがある。
これは前世の「地球でも体験した」ことだ。
地球に生まれたときも、最初はこんな風に前世の記憶を持っていた。
だが、言葉を覚えて物理世界に埋没することにより、おそらく3歳ぐらいの時に、前世の記憶は完全に脳から消えた。
だが今回は大丈夫。
光の存在から前世の記憶を維持する方法を教えてもらった。
重要なのは意思の力だ。
常に前世の記憶を思い起こし、この世界に気をとられている時も、心の端で日本語で思考し続けていれば、前世の記憶が脳に定着するそうなのだ。
光の存在は3歳を越えれば大丈夫と言っていたので、あと1年はこの精神状態を維持する必要がある。
「まあ、ソール様。今日もお元気ですね」
近づいてきた女性が俺を優しく抱きかかえる。
猫耳と尻尾がついたメイドさんだ。
「もうすぐお昼なので、ご飯にしましょう」
彼女を初めて見たときはビックリしたね。
ファンタジー定番の猫耳獣人メイドだったからね。
改めてここが異世界だと実感したもんだ。
両親が共働きの時にいないこともあるので、こうして午前中はメイドのナタリアさんのお世話になっている。
メイドさんがいるが別にこの家庭は中流であり、格別裕福なわけで無く、日本でいうと短時間の家政婦さんやベビーシッターみたいな感じだ。
メイドギルドから派遣されてくるらしい。
どうでもいいがメイドギルドってすごい名前だよな。
語呂がいいというか。
だが本当の意味で驚いたのは俺自身の姿だ。
今も窓のガラスに反射して俺の姿が映ってるがどうやら俺は人間ではないらしい。
義理の両親は人間なのだが、俺の頭には角が6本生えており、魔族といわれる種族なんだそうな。
髪は黒色で、目は金目。肌は色白。
顔はそうだな、ハッキリいうと美形だ。
見方によったら女の子みたいにも見える。
義理の母のイレーネも俺の顔を眺めながら
「フフ、これは将来沢山の女を泣かす顔ね。成長が楽しみだわ」
とか、俺に向かって話していた。
ヤバイ、ついに俺にもリア中な人生が回ってきたのか?
しかし、よくもまあ両親は、こんな俺を自分の子供として育てようとか思ったな。
まあ、猫耳メイドがいるくらいだから、外見や種族の相違はそれほど問題では無いのかも知れないが。
自分の子供でも無いのに、ちゃんと育ててくれてるので頭が下がる思いだわ。
前世では親孝行する間もなかったが、
今回の人生ではキッチリ恩を返したいもんだ。
第2話「ソールヴァルド」
⇒第3話「妹誕生」