11 血塗れの鍛練場
残酷な描写あり
イノスの箱に入っていたのは四体のドルゥーガと、二体のアジュガスだったようだ。しかし、どうも様子がおかしい。
六体とも本来の魔獣の姿から逸脱しているようだ。
鍛練場にいた聖騎士たちは、既に事切れている者達か生きていたとしても瀕死の状態のようだ
六体の魔獣たちは低い唸り声を上げながら、鍛練場の中を徘徊している。瀕死のもの達には興味がないのか、すすり泣く憐れな人間達には全く反応していない。
そして、不思議な事に何故かどの魔獣も黒い靄のようなものに覆われている。その靄は魔獣達の体の輪郭を覆いつくし、その姿はぼやけて見える。
「これは、何が起こっているんですか・・・」
マスクートの隣に立っていた騎士、ナジラが呆然と呟く。マスクートはその声で我に返った。今まで、どこか夢を見ているように目の前の出来事を見ていたのだ。
「ナジラ、近衛騎士団に緊急通達だ。何かに襲撃されている、場所は聖騎士団鍛練場だ。急げ!!」
「はっ、はい!!」
マスクートの指令を受けて、ナジラは青白い顔ながらも急いで走り去った。
その場に立っているのはマスクートだけとなった。他には、半死半生の者たちしかいない。
六体の魔獣はマスクートの存在に気付いていないのか、鍛練場の中を徘徊しているだけである。マスクートは無駄に装飾のされた柱の影に隠れながら、ゆっくりと鍛練場の右奥に近づいて行った。
そこには、一人の騎士が横たわっている。両足はちぎれ、右腕も辛うじて繋がっているという状態だったが、不思議なことに生きているようだった。
マスクートは助けようとその騎士の側に近寄ったのだが、その騎士の顔には見覚えがあった。
「エドワーズ上級騎士?」
近衛騎士団通信室の最高責任者、通信室室長のエドワーズ上級騎士だった。マスクートの直属の上司である。
エドワーズは両目を大きく見開き、目をギョロギョロと忙しなく動かしていたが、マスクートの声を聞くと突然叫び声をあげた。
「ああああ、あれ、くくくるぞぉ!あれが!」
マスクートが驚いてぎょっと身を引くと、エドワーズの声は益々大きくなった。
「ししし死と、恐怖と、ぜぜ絶望と、く、くくく暗、暗い暗いぃぃい、底、底からぁぁあああ」
エドワーズの声に反応して、魔獣の一体が此方に頭を向けた。
「王が、冥界の王が!冥王ハディリオンがぁ!!」
その言葉を言い終わると、エドワーズの体は鍛練場の中央に凄まじい速さで引きずり込まれていった。
マスクートが慌てて距離をとると、直ぐ目の前まで迫った魔獣がエドワーズの体を引きずっていく。鋭い牙が胴体を貫き、破れた腹から内蔵が溢れ出ている。
もはや、エドワーズの口からは意味を為す音は発せられていない。
呆然とその様子を見ていたマスクートの体が、急に後ろに引っ張られた。
「今のうちに、後ろに下がってください!」
緊張しているマスクートの耳に、同じくらい緊張したワストの声が流れ込んできた。
「・・・ワスト」
「静かに!気取られますよ」
ワストの指摘に、マスクートは軽く頷くと静かに柱の影に隠れる。もう飽きたのか、魔獣は既にエドワーズの体の側から離れている。
エドワーズの声は、もう聞こえない。
「・・・これは、まずいことに、なっていますね」
柱の暗がりの中で見るワストの顔色は暗がりにいる事を除いても、非常に悪い。
「あの魔獣か?しかし、何故か、鍛練場から出てこようとしないぞ」
「それは、おそらく」
ワストがマスクートの質問に答えようとしたとき、凄まじい轟音が辺りに響き渡った。
「なんだ!?」
マスクートが慌てて視線を鍛練場中央へと向けると、六体の魔獣が声を揃えて唸り声を上げていた。六体の遠吠えは共鳴し、もはや声とは認識出来ない別の音へとなっていく。
そして、今まで目には見えなかったものが浮かび上がってくる。
「魔法・・・陣」
それは鍛練場すべてを多い尽くすような、巨大な魔法陣だった。
緻密に描き込まれた魔法陣は、ほの暗く光る赤みを帯びた魔力を発している。それは、魔獣の声に同調しているように明滅していた。
「こ、この紋様は・・・」
マスクートの後ろにいたワストが呆然と呟いた。その顔色は、青白いを通り越して紙のように白くなっている。
「・・・焔竜王、ディアスト?」
魔法陣の明滅の感覚は徐々に短くなり、やがて光り輝いたまま変化しなくなった。その光の為に中央にいるはずの魔獣たちの姿は確認できない。
魔法陣は徐々に赤みを帯び、黒い部分が消えていく。
「ワスト!マスクート!」
魔法陣の変化を呆然と見ていた二人を正気に戻したのは、若干の幼さを宿しながらも鋭く響いた声だった。
「何ぼさっとしてんの!さっさとずらかるよ!」
鍛練場の入り口から美しい金髪を靡かせてカミーユが飛び込んできた。美しい皇族専用の鎧を着ているのは何時もの通りであるが、何時もと違い右手に細身の剣を握りそして全身が血で赤く染まっている。
「団長」
「翼騎士団の騎獣小屋まで走れ、スークがいる。残りの左翼騎士団と一緒にべスツェートへ向え!」
「団長!団長は、どうするのですか!?」
カミーユの指示にワストが悲鳴のような声を上げた。
「少し話したい人がいる。二人っきりで話したいから、先に行ってよね」
最後の方は何時も通りふざけた雰囲気を出してカミーユは答えた。しかし、ワストはカミーユがここに留まる事に対して激しく反対し始めた。
「駄目です!団長!ここいては、諸共吹き飛んでしまいます!!」
「マスクート!!」
カミーユはワストの抗議を遮り、鋭くマスクートを呼び付けると、ワスト共に騎獣小屋向うように命令した。
「経路のザコは片付けている、何も考えず真っ直ぐ走れ、いいな!」
「はっ」
「団長!いけません、ここは既にもう」
マスクートに無理やり引きずられながらもワストは叫び続けていた。やがてその声も消え、鍛練場には魔法陣から溢れた魔力同士が衝突する音以外何も聞こえなくなった。憐れなすすり泣きも、いつの間にか聞こえなくなっている。
極限まで魔力の高まった魔法陣は一際大きく輝くと、鋭い閃光を一瞬放ち跡形もなく消えてしまった。
「・・・随分と、大きくなったね」
カミーユは若干疲れたように呟く。彼の目の前には巨大な獣が出現していた。
二つの頭に三つの尾、前足は頑丈そうなウロコに覆われている。二つの顔にはそれぞれ三つの目がある。
赤黒毛皮に覆われた体は見上げるほど高く、頭は二階の窓に届くほど大きい。
どう見ても通常の魔獣ではない。
「君に、用事はないのだけどね」
獣の六つの赤い目はカミーユを睥睨している。喉からは大地の底から響いてくるような唸り声が漏れている。
「この城を壊したいなら好きするといい。それで、君の気が済むのなら、の話しだけどね」
宝石のように赤い六つの目はカミーユを見定めるように見つめている。カミーユは右手に持った剣を握り直し、獣との間合いを測っていた。
「・・・カ・・ミー・・・ユ・・」
「な、に?」
その時、獣の口から唸り声以外の声が響いてきた。しわがれ聞こえづらいが、確かにカミーユの名前を呼んでいる。
「・・・虚・・・像、を・・・演じる。・・・空虚の城の、道化」
獣の声は徐々に滑らかになる。
「道化、であることで、・・・生き延びてきた、虚像の皇子よ」
「・・・・・・」
獣は二つの頭が交互に言葉を発しているようだ。
「何をしようとも・・・貴様の真実は変わらない」
「随分とおしゃべりだね。無駄口叩いてると、・・・痛い目見るよっ!」
喋り始めた獣に驚いていたカミーユは、獣のその言葉を聞くと目の色を変えた。
右手に持っていた細身の剣を握り直すと、獣に対して振りかぶる。完全に届かない距離でありながらカミーユには迷いがない。
ひゅん
軽い音を立ててカミーユに剣が空を斬る。
そして獣の右頭部に鋭い傷が走った。
獣は僅かに後退し頭を下げて警戒するように姿勢を低くした。
「その剣、魔剣士として・・・すでに、覚醒していたか」
忌々しそうに獣は唸る。右側の頭は目の上に裂傷が走り血が溢れている。浅くは無い傷だ。しかし、その傷は見る見るうちに塞がってしまった。
「・・・超速再生、ね」
今度は、カミーユが忌々しそうに呟いた。右手に握る細身の剣を軽く振るうと、カミーユは静かに獣に話しかけた。
「君と争う気は無い。僕が用があるのは、違う人だ」
獣は静かにカミーユを睨んでいる。
「・・・その者は、・・・既に貴様の知る者ではない」
獣の声は重く質量があるかのように、カミーユに纏わりついてくる。
「貴様の望む答えが・・・得られるとは限らないだろう」
「うるさいね、ごちゃごちゃさぁ。君に用は無いって、言ってるだろう」
カミーユは苛立たしそうに呟く。紫色の瞳は明らかな殺気を帯びて輝いている。
「・・・ならば、・・・好きにするがよい」
獣は地面に吸い込まれるようにして消えてしまった。
後に残ったのは、破壊しつくされた鍛練場とカミーユ。
そして、獣のいた場所に立っている一人の男だけだ。
「・・・久しぶりだね、オズウェル」
カミーユは右手に剣を握ったまま、男、オズウェルに話しかけた。
オズウェルは僅かに俯いていて、その表情を伺うことは出来ない。
「生きてるとは思わなかったけど」
剣を握った右手をぷらぷらと振りながら、カミーユはゆっくりとオズウェルに近づいていく。
「元気だった?ねぇ、兄さん」
オズウェルの異色の目がカミーユに向けられた。
もう、覚えている人はいないかもしれない。
焔竜王 第一章 3話
エドワーズ 第一章 10話
に出ていました(笑)。




