7 その行方
タシスの砦にある一室で、エディッツは寝台に寝転んでいた。皮の鎧も着て居らず、寛いでいるようだった。
頭の後ろで手を組んで、天井を睨んでいる。
「エディッツ、聞こえるか?」
エディッツしかいない部屋に、もう一人誰かの声が響く。少し篭っていて聞き辛い声は、おそらく男のものだと思われた。男の声は低く、囁くように聞こえてくる。
「南部の主要ラインは、完全に独立した。人も武力も問題ないだろう」
声は寝台の上部から聞こえて来るようだ。
エディッツは無造作に枕の下に右手を入れた。枕の下から出てきたエディッツの右手には、握り込めるくらいの大きさの魔石が握られていた。
「わかった、一度、そっちに戻ろう」
「騎獣で戻るのか?」
「いや、末端が落ち着いてねぇからな。今は南端の武力は温存して起きたい」
「そうだな」
「徒歩で行くが、運がよければどこかの砦で騎獣を借りるさ」
「わかった。また、連絡する」
魔石からの声に短く返答をすると、エディッツは魔石を元の場所にもどした。
タシスはソルスト帝国の南部属領でも西のリジュアに近く、南西では最も大きな属領地である。
リジュアとソルスト帝国の国交はないが、戦乱下にある現在、リジュアから傭兵が流れてくることは用意に考えられることだった。
傭兵は戦力とはなるが、同時に余計な火種にもなりかねない。特に今は戦場が混乱している。傭兵を引き入れるにしても、ある程度体制を整えて置く必要があった。
現在、南部での反乱はエディッツの故郷であるコスタと、その同盟国であったナスタが中心となっている。
魔女によって奴隷の魔術印から解放されたエディッツは、その足で故郷であるコスタへと向った。もう、二度と訪れることは無いと思っていた故郷である。
例え、かつての面影はないとはいえ、それでも確かにエディッツの故郷だった。
故郷に辿りついたエディッツは、ある物を使ってかつての仲間達を奴隷の呪縛から解放した。
エディッツが自身の魔術印を傷つけるために、魔女に無理に持たせた、あの短剣である。
鉄製の極普通の短剣は、エディッツが気を失い魔女によって魔術印が解除されている間に、魔女の手によって魔法効果が追加されていた。
その、効果は奴隷の魔術印の無効化。
ソルスト帝国で施されている奴隷の魔術印であれば、全て無効化できるというものだった。
魔女からしてみれば攻撃力も上がらなければ、戦闘で役に立つ効果があるわけではない。
そもそも、限定された魔術印しか解除できないなど、魔具としては大して役に立たない。特に、ソルスト帝国の奴隷の魔術印は、幾つかの印が重ねられているために他の魔術印の解除には一切効果を発揮しない魔法印となってしまった。
素材も極普通の鉄であり、強度が優れているわけでもない。魔女からしてみれば、大して魅力のない物だという。
魔女が短剣に魔法印を施した理由は、そうした方が効率的だったからだと言っていた。普段から物質に魔法を付加することが多い魔女は、直接魔術印を解除するよりも、短剣に魔法印を付加するほうが簡単だったと言っていた。
「確かにな。攻撃力なんて、ないけどな」
エディッツは、手の中で一見すると何ともない短剣をくるくると弄びながらぶつぶつと呟いた。
「・・・本当に人間の世界に疎いんだな」
この一ヶ月ほどで、エディッツの取り巻く環境は勿論、ソルスト帝国の現状でさえ大きく変化した。
別れ際の魔女の様子を思い出す限り、このような状況になるとは考えていなかったのかもしれない。
おまけに、面倒事に巻き込まれることに関して戸惑っているようだった。
――おまけに、オズウェルが側にいるからな
エディッツはゾルウェストの砦で会った、オズウェルの事を思い出していた。見た事が在るはずなのに、何故か違和感を感じる美しい容貌に、隙の無い立ち姿。違っている場所と言えば、左が金眼になっていた点くらいのはずなのだが。
――どうあがいても、帝国の混乱に巻き込まれるだろうな
奴隷という立場から解放してくれた魔女には、勿論、感謝している。できることなら、巻き込みたいとは思わないが、もはや時代の流れは止まらないだろう。
どう言う結末が訪れるかは分からないが、ソルスト帝国はやがて破滅するだろう。それによって、中央大陸とも呼ばれるエルド大陸は、かつて無いほどの戦乱の大地になるかもしれない。
エディッツにできる事と言えば、できる限り魔女の存在を出さないことくらいだった。
現在、エディッツが誰に魔術印を解いてもらい、短剣を誰から受け取ったことについて、本当の事を知っているものはいない。
混乱している現在の属領内では誤魔化せているが、いずれ短剣の存在は明るみに出てしまうだろう。
「まぁ、仕方ない。もう、どうなるかは予想できないからな」
エディッツは深く溜息をつくと、目を閉じて本格的に寝る事にした。
――いい方向にしろ、悪い方向にしろ、時間は問答無用で進む。やがて、この戦乱の流れは、急速に加速するだろうな
ライリーはタシスに残り、まだ不安定なタシスを元々の兵士と共にたて直すことになった。
翌日、エディッツはタシスを一人発ち、コスタへと向った。
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ソルスト帝国、帝都クリスタバルは、属領の反乱など無いかのように平凡な一日が始まっていた。帝国での奴隷達の反乱は、一先ず南部だけに留まっている。今まで奴隷達の反乱など許した事の無かった帝国は、一時的に大混乱に陥ったが、ある程度事態が収拾すると貴族達は以前と同じ生活を送り出した。
「・・・あーあ、この三十年間、他の地域を虐げて、甘い蜜を吸うことしか能の無い、カス共じゃぁ仕方ないか」
カミーユは皇族だけが生活している城の奥宮に来ていた。左翼騎士団団長として帝都を離れることが多いカミーユだが、奥宮に自身の部屋を持っていた。
現ソルスト帝国の皇帝には二人の皇子がいる。第一皇子であるグラジオラス、そして第二皇子であるカミーユだ。
グラジオラスは今年二十七歳、カミーユは二十になったばかりだ。しかし、カミーユの見た目は十代後半に見えるほど幼い。
それは二人の皇子の母親が違うためだ。グラジオラスの母親は、帝国の中でも最も権力を持つ大貴族の娘だ。
それに対してカミーユの母親は、旅の薬師だったという。エルフの血を引いていたという母親はカミーユを産み落すと、直ぐに亡くなってしまった。
黄金の髪と華やかで端正な顔立ちは母親から、ソルスト帝国の皇族特有の紫色の瞳は父親からの遺伝だ。
そして、母親の血を色濃受け継いだカミーユは、エルフの血の影響か成長が他の人よりも緩やかだった。
「・・・南部のほうは、現在、沈静化していますが」
「沈静化?はっ、そんなの表面所だけだ。今頃、各地でそれぞれの領地が協力しているだろうね」
カミーユは、椅子に座っている自分の傍らに立っているワストに返答した。
「実際、南部には一切手出し出来ない状態だからね」
「それは、そうですね。帝国の軍事力も著しく低下していますから」
ワストの言葉にカミーユは軽く頷く。
「城の近衛騎士団と、帝都を守る聖騎士団ははっきり言ってハリボデ。見た目重視の派手なだけが取りえの連中だからね。実質、帝国の軍事力は壊滅しているようなものさ」
カミーユの言葉にワストは軽く目を伏せた。実際、カミーユの言っていることは正しい。この三十年間で、ソルスト帝国は骨の髄まで腐っていた。
「カミーユ様、お時間です」
カミーユの自室の扉が叩かれて、落ち着いた声が扉越しに聞こえてきた。
「わかった、直ぐに行くよ」
短く返答し、カミーユは席から立つ。扉に向う前にワストの方を振り返ると短く指示を出した。
「予定通り進めといて。何か問題が起これば、報告してね」
「了解しました」
ワストは一度も振り返ることなく扉から出て行くカミーユに深く一礼した。
扉から出たカミーユを出迎えたのは、壮年の侍従だった。紺色の制服に白いベルトしている。皇帝つきの侍従である事を証明する、服装である。
「皇帝陛下がお待ちです」
侍従は丁寧に一礼すると、カミーユを先導して歩き出した。
数分ほど豪奢な廊下を歩き続けると、一際、美しく飾られた扉が現れた。侍従が扉に呼びかけると、中に待機していた侍従が扉を開けた。
「どうぞ」
カミーユは侍従が開けたドアをくぐり、部屋の中へと入った。
部屋の中は贅をつくした、実に豪華絢爛な部屋である。この城の中で、最も贅沢な部屋である。しかし、すべての窓はカーテンが引かれ、部屋の中は薄暗い。
カミーユは華やかだが何処か陰鬱とした部屋を、迷い無く奥まで進む。奥の方には、巨大な寝台があり、現在は薄い袈裟により周囲が覆われていた。
寝台の回りには、高価な香が惜しげも無く焚かれており、妙なる香りが辺りに満ちている。
「父上」
カミーユは寝台に寝ている人物に声をかけた。
「・・・カミーユか」
寝台に寝ているのは、ソルスト帝国の現皇帝マキシマスだ。マキシマスは、奴隷達の反乱が起きる数週間前から体調を崩し、寝込んでいた。
「ええ、そうです」
カミーユは寝台の袈裟を退け、マキシマスの顔を覗きこんだ。
「行方が、わかったのか?」
横たわるマキシマスはやせ細り、かつての面影を窺うことは出来ない。
だが、その両目だけはぎらぎらと光輝き、尋常ではな輝きを宿している。
「ええ、聖剣レーヴァティンのね」
カミーユの一言を聞いて、マキシマスは体を起こそうとしたのだろうか、激しく咳き込み寝台にうつ伏せてしまった。カミーユはマキシマスが元の姿勢に戻るのを手伝ってやり、状態が落ち着くまで暫らく待った。
「剣は、聖剣は、今何処にある」
激しく息切れをしながらも、強い意思を宿した眼差しを向けてくるマキシマスに、カミーユは微笑みを浮かべながら
答えた。
「聖剣は、今、オズウェルと共にあるようです」




