6 解放の短剣
ソルスト帝国南部属領、いや元属領と言ったほうがいいだろう。コスタより徒歩で西に二週間、タシスと呼ばれる、元属領があった。
帝国で起こった奴隷が一斉反乱を起こした地帯よりも、少し南に下がった位置にある。かつて、帝国騎士団の拠点であった砦は、今は解放された奴隷達に占拠され解放軍の拠点となっていた。
「おい、こんなところにいたのか」
ナスタの砦にある食糧庫にやってきたライリーは、食糧庫で何かを物色しているエディッツに声をかけた。
「広場に集まってるぜ、早く来い」
「ああ?・・・ああ、もう、そんな時間か」
顔を上げたエディッツは一瞬ライリーに怪訝そうな視線を向けたが、何か納得したような顔をすると食糧庫から出てきた。
「何人だ?」
「三十人、全員タシスの元兵士だ」
「わかった」
二人は砦の内状や、戦地の様子について話しながら広場に向った。
広場の中央には三十人ほどの男たちが集まっている。どの男も、がっしりとした体つきをした、屈強な戦士のようである。
「本当に、奴隷の印から解放されるのか」
男達の中から一人の男が進み出た。この中では一番年齢が上のようだ。
「・・・信じられないのも分かるけどな。俺も信じられなかったからな」
疑わしそうに尋ねる男に、エディッツが面倒くさそうに答えた。
「とりあえず、一人ずつ砦の医務室に入ってくれ」
ライリーはタシスの奴隷騎士達にそう告げ、砦の中に入るように告げた。
「一人ずつか?」
「ああ、そうだ」
怪訝そうに尋ねる男に、エディッツはさも当然のように答えた。
砦から、直ぐ入る事ができるようになっている医務室に入り、エディッツは椅子に腰掛けた。
エディッツの前には、先ほど前に進み出た男が座っている。
「俺は、コスタのエディッツだ」
「俺は・・・」
自分の名前を名乗ろうとした男を、エディッツが遮った。
「名前は、印を解放してからでいい。奴隷のときの名前なんて、もう意味がないからな」
奴隷の魔術印を施されると、奴隷同士、そして隷属している人物の前では本当の名前は名乗れない。
実質、帝国内では自分の名前は奪われているも同然だった。
エディッツの言葉に、まだ疑わしそうな目を向けていた男は、それでも大人しく魔術印の刻まれている右肩を晒した。
「それは?」
「目隠しだ」
エディッツは男の魔術印を確認すると、極平凡な布を取り出し、男に目隠しをするように指示した。
男は僅かに渋っていたが。
「さっさとしろよ。あんたの後にも、二十人以上いるんだからな」
というエディッツの不機嫌な声に、渋々と目隠しをした。
肩にチクリと微かな痛みを感じた後、魔術印の辺りがゆっくりと温かくなった。
時間にして一分も無かっただろう。
「終わったぜ」
「そんな、馬鹿な・・・」
エディッツは魔術印があった場所を確認して、呆然とする男を感慨深げに見ていた。
「信じられない気持ちも分かるけどな、とりあえず、俺の名前はエディッツだ。帝国の奴隷騎士になる前は、コスタの兵士だった」
「・・・俺は、タシスの兵士の、バストーだ」
「じゃあ、これからよろしくな」
エディッツは、未だに戸惑っているような様子のバストーをさっさと部屋から出し、次のタシスの兵士を中に入れた。
「よう、終わったか?」
バストーが医務室から出ると、次の男を連れてライリーが医務室の直ぐ外に出ていた。
どこか、呆然とした様子の男をみてライリーは一人満足そうに頷いていた。
「その様子だと、上手くいったみたいだな」
「・・・こんなに、あっさりと終わるものなのか?」
ライリーは未だに現実感がないのか、奴隷印のあった場所を押さえているバストーに苦笑した。
「気持ちは分かるぜ。俺もそうだった。俺はナスタの兵士、ライリーだ。よろしくな」
「・・・俺は、バストーだ」
「バストー、な。俺は、帝国の奴隷になる前はナスタで小隊の隊長だった。確かタシスは軍隊制だったよな?あんたは、元タシスの軍隊では階級は何だったんだ?」
「少尉だ。二十五名の小隊の隊長だった」
バストーの返答にライリーはふむと小さく頷いた。
「他の連中は随分若かったな?あんたが、一番階級が高いのか?」
「・・・少佐以上の尉官は全員処刑されたと聞いた。俺以外の尉官は他の地域に飛ばされて、それ以降消息はわからない」
「なるほど。今後のことについて、相談したい。・・・今、直ぐに出なくてもいいが」
「いや、問題ない」
「そうか、まずは、砦の設備と兵力についての確認だが」
二人は、今後の指針について話し合いながら砦の食堂へと消えていった。
タシスの奴隷騎士を解放するのには、一時間も掛からなかった。エディッツは、すべての奴隷騎士達を解放し終わると、医務室から食堂に向っていた。
「よう、全員終わったか?」
食堂に着くと、ライリーとバストーが向かい合わせ座り話し合っていた。
エディッツは呼びかけてきたライリーに軽く手を挙げて答えると、調理場の方へ消えていった。
バストーはエディッツの背中を見送りながら、ぼそりと呟いた。
「・・・奴隷の魔術印は、一体どうやって」
「気になるのは分かるが、まだ、戦線が落ち着いていないから、話せない。悪いな」
「いや、そうだな。奴隷の解放が可能だと言う事は、帝国を滅ぼす上での要だろうからな」
バストーは納得したように頷くと、それ以上の追及をしなかった。
暫らくすると調理場からエディッツが現れた。両手に赤い果物を持っている。リンストの実だ。
適当に近くの椅子に座ると、懐から取り出した短剣でリンストの皮を剥き始めた。
食堂にはレイラーとエディッツだけになっていた。
「バストーは、他の兵士たちと今後の事を相談するそうだ」
「そうか」
レイラーの言葉にエディッツは短く答えて、剥き終わったリンストを食べ始めていた。
その様子をレイラーは呆れたように見ている。
「エディッツ、いいのか?そんな風に使って」
レイラーの視線は、無造作に机の上に置かれた短剣に向けられている。
しかし、エディッツ何も気にしていないようだ。
「本来の使い方をしているだけだぜ、それに」
エディッツは短剣を拭い、鞘に収めると自分の懐に収めた。
「下手に、大事にしてると、逆に目を付けられるだろうが」
「・・・それも、そうか」
レイラーはエディッツの指摘に頷くと、実に不思議そうに尋ねた。
「しかし、一体何処で手に入れたんだ?」
レイラーの視線が鬱陶しくなったのか、エディッツは顔を顰めた。
「さぁな、元はただの短剣だ。頭打って、起きたらこうなってたんだよ」
「・・・毎回、それだな」
エディッツの返答にレイラーは疲れたように溜息を吐いた。
「本当に、その短剣は増やせないのか?」
真剣な顔で尋ねるレイラーに、今度はエディッツが疲れたように返した。
「・・・そんなもん、分かってたら、さっさとやってる」
「そうだよな」
懐から短剣を取り出し、鞘から引きぬく。どう見ても普通の短剣である。但し、魔力の高い者が見れば柄から刃にかけて、緻密な魔法印が刻まれているのが分かるだろう。
「砦のほかの奴隷はどうする」
今日、魔術印を解除したのは、全て元は奴隷騎士だった者達だ。だが、砦にはあと数百人の奴隷が残っている。
「他の地域と同じだ。全員を解放するのは無理だ。最低戦力以外は、後回しにするしかないだろう」
「そうだな、仕方ないか」
「帝国の騎士は全て排除した。連絡用の魔水晶も破壊してある。土地から移動する事は出来ないが、仮初だか自由だ」
エディッツは再度、短剣を鞘に直した。
「帝国側が体制をたて直す前に、南部を完全に切り話すぞ」
エディッツは短剣を懐にしまうと、食堂を出ていった。
レイラーはその姿を見送りながら、ポツリと呟いた。
「解放の短剣、か」




