3 満月の夜に
夜空に大きな満月が輝いている。魔力が満ちている黒い森では、月が他の地域よりも大きく目に映る。
ジュラは居間の一階の暖炉の前で、騎獣のヴァスとまどろんでいた。
ヴァスは巨大な黒い虎の妖獣である。天虎と呼ばれる、東方の大陸に住む妖獣で、空を飛ぶ事ができる大型の騎獣だ。
天虎は気性が激しく、人にはまず馴れないが、足が速く頭が良いうえに戦闘能力も高い。小さい幼獣のころから育てれば、素晴しい騎獣になる事で有名である。
天虎は白い毛皮に黒い縞模様が美しい妖獣なのだが、極稀に黒い体毛を持つものが現れる。
ヴァスは黒地に朱金の縞をもつ、黒天虎だ。
ジュラは極上の黒毛皮に埋もれながら、睡魔と闘っていた。
「ううん。眠い、眠いよぉ、ヴァス。・・・ね、たら・・・駄目、なの・・・に」
男を連れ帰ってから二週間近く、ジュラは働きづめだった。一つのことに没頭すると、周りの事が見えなくなる研究者気質のあるジュラは、不眠不休で男の再生作業を行っていたのだが、ここで限界が来てしまった。
騎獣のヴァスは太く逞しい尻尾でジュラの頬を擽っていたが、主人が完全に眠りに落ちてしまった事を確認すると、ジュラを包みこむように自分も寝る体制に入ってしまった。
ジュラは小刻みに揺れる振動で目が覚めた。誰かがジュラの体を揺さぶっている。
連日連夜の作業ですっかり深い眠りに落ちていたジュラにとっては、とても不快なものだ。
「うう、あと、少しだけ、・・・あと少しで、・・・少し・・・で?」
もう一度、眠りの世界に落ちようとヴァスの毛皮に縋りつきかけたジュラは、突然跳び起きた。
「あと、少しで生まれるじゃんかぁ!」
ヴァスは突然大声を上げたジュラに迷惑そうな視線向けたが、直ぐに目を閉じて寝てしまった。
「い、今、何時だ。どのくらい寝こけてたぁ!」
ジュラは寝起きで乱れた髪もそのままに、立ち上がろうとして、出来なかった。
「え?う、わあ、あ!・・・ゆ、ゆ、揺れてる?」
先ほど感じた小刻みな振動は、家の床が揺れているためのものだった。それは徐々に大きくなっているようで、ジュラは床から立ち上がる事が出来ず、座りこんでしまった。
イスが倒れ、棚の瓶が落ち、籠の中の物が散乱する。
揺れはどんどん激しくなり、棚や大きな壷までもがぐらぐらと揺れ始めた。
「霊樹の根が、震えている?・・・まさか、そんな、魔力が暴走しかけてぇえ、あわわぁ」
暖炉の前から動くことが出来ないジュラを、ヴァスが口に銜えると裏口にある騎獣専用の入り口から、外に飛び出た。
ジュラは家の外に飛び出してから、目に飛び込んできた光景に呆然とした。
「れ、霊樹が、・・・そんな馬鹿な。」
ジュラが住居にしている霊樹は、マルガゴクと呼ばれる木の変種である。魔力を根から吸収し葉に蓄積するという特徴を持つ。そして、本来は人の背丈ほどにしか成長しない。
だが、ジュラの住む霊樹は突然変異により、幹が一軒家ほどもある巨木に成長して霊樹となった。大きさも異常だが、木が蓄える魔力量も尋常な量ではない。
マルガゴクは、魔力と清水を糧に成長するので、それさえ枯渇しなければ枯れることはないのだが。
「霊樹が、か、枯れてる!」
ジュラはヴァスの背に乗り霊樹の様子を視て廻り、愕然とした。
青々と茂り、夜の暗闇の中でも魔力に満ちた葉はキラキラと輝く。幹は逞しく、大地に伸びる根も力強い。
魔女の森とも呼ばれる、アンティヤクティカにある、母なる木程ではないが、美しい大樹だ。
その霊樹は、枯れようとしていた。瑞々しかった葉は茶色く萎み、幹は輝きを失い、いくつもの亀裂が入っている。根にはまだ輝きが残っているが、それも徐々に失
われているようだ。おそらく急激に魔力を失ったためだろう。
ジュラが感じた振動は、霊樹の幹が枯れ崩壊し始めた為に発生したものだった。
ヴァスの背に乗り、空中にいるジュラには振動はつ伝わらないが、目視で視る家は激しく揺れているようだ。おそらく家の中は見るも無残な状態だろう。
「そんなぁ!こんな破壊的に魔力を使う魔法なんて、使ってないのにぃ!」
ジュラが霊樹の無残な姿に、思わず叫ぶと、霊樹の崩壊と振動が止まった。
良く視ると根の部分は僅かに輝きが残っている。完全に枯れてしまうことは無かったようだ。
――・・・あれか?これは、あれが原因か?・・・あの人間と魔剣か?
霊樹とその根元にちょこんとくっ付いている我が家を視界に入れながら、ジュラの思考はぐらぐらと揺れたままだった。
――人間だぞ!霊樹の魔力吸い尽くすって、どんだけじゃい!・・・あれか、適当にくっ付けた手足の素材の、あれとか、それとかか!
心中でぶつぶつと呟きながら、ジュラはゆっくりと家の方に近づいた。
補強と改修の自動魔法を掛けている家は、思ったほど外見的な被害は少なく、修復も始まっていた。
ヴァスには牧場に戻るように指示を出し、ジュラは家の中に入る。
――・・・んー、徹夜の乗りと勢いで作ったからなぁ。何混ぜたかなぁ。正確に思い出せないぞ。まずいなぁ・・・
家の中は竜巻が中を通過したようなひどい有様だったが、二体のゴーレムを起動させてさっさと地下室に向った。
地下は予想より遥かに状態が良く、物も散乱しておらず、むしろ何時もよりきれいで、
「きれいすぎだぁ!・・・作った魔具が、全部!・・・無くなってる!」
それはジュラにとって、霊樹が枯れる光景よりも衝撃的な光景だった。
ジュラが今まで制作、或いは手に入れ改造してきた数々の魔具。それも厳選した魔具ばかりをこの地下に保管して合ったのだが。
「ない、・・・ない。・・・一つもない!焔竜王の剣も、鳳凰弓も、邪剣アグニグルも、聖賢天の篭手も、自信作の飛仙刀もぉ!」
所狭しと並べていた、自慢の魔具たちは綺麗さっぱり消え、棚しか残っていない。
そしてこの空間にあるのは空の棚と、魔具の消失に真白になったジュラ、そして
「・・・ん、今、何か音が?・・・あれ、何しに地下に来たんだっけ?」
物音でショックから僅かに立ち直ったジュラは、本来の目的を思い出し、慌てて妖天の繭のところに向う。
「あれれ?・・随分、ちいさい、・・・なぁ?」
繭は破れたところが下となり、中のものは見えないが、盛り上がりの部分から、中の大きさを予想する事は出来る。
それは明らかに、小さい。
四肢を繋ぎ、繭に入れた時はジュラより遥かに大きかったはずだ。
目の前の塊は、四肢を繋ぐ前よりも小さくなっている。
「失敗かぁ?でも、息は・・・してるねぇ」
ジュラは白い繭の塊にそっと近づくと、繭をそっと破いた。
「・・・こ、ども?」
白い繭の中には、黒髪の子どもが横たわっていた。10歳ほどだろう。足を抱え込むようにして折り曲げ、胎児のように丸まり横たわっている。
「おかしいなぁ、・・・逆行の魔法なんて、使ってないぞ?」
おそらくこの子どもは、あの魔剣と融合した男なのだろう。繋げた手足には薄っすらと、見覚えのある魔法の刻印が残っている。
――・・・予定外の事だらけだなぁ。人の原型留めてないほうが、まだ納得できるわぁ。・・・性別も変わって、・・・ない。
「う・・・ん」
ジュラが子どもの足に触れたとき、子どもが僅かに声を上げた。
子どもの顔を見ると、目蓋の下で眼球が動いているのが分かる。覚醒が近いようだ。
ゆっくりと黒い睫毛が持ち上がる。右目は紫眼、左は金眼のオッッドアイだ。
焦点が合わないのか、異色の眼は僅かに視線を彷徨わせていたが、覗きこんでいるジュラに気付いたようだ。
ジュラは笑顔を浮かべながら、まだ完全に覚醒していない子どもにゆっくりと、優しく話しかけた。
「私はジュラ、土の魔女のジュラ。」
「・・・ジュ、・・・ラ?」
「そうそう、あなたの名前は?・・・自分の名前が分かる?」
「・・・名、前・・・名前は」
子どもの声は掠れていて、聴き取りづらいものだった。
ジュラの質問に子どもは視線を彷徨わせる。思い出そうと記憶を探っているようだ。
「オ、ズ・・・ウェル。・・・名前は、オズウェル」