本の墓標
ここは小さな町の貸本屋。
町は一年を通して灰色の薄い霧に包まれており、まともな光が届かないために寒々とした雰囲気だ。乾いた風に吹かれ、虫に食われた落ち葉があてどもなく転がっていく。
少年はいつものように、店の扉に吊り下げている古い木札を裏返した。
からんと音を立てた木の板が、店が開いたことをそっと告げる。
開店してしばらくすると、望みの本を求めて町の人々がちらほらとやってきた。
「こりゃ、トット先生のあたらしい本か? 借りてくよ」
「お菓子の手引書はないの? 果物をいただいたから、ゼリーをつくりたいのよ」
本を手に取り、思い思いの言葉を重ねる。
借りたい本を決めると、みんな律儀に本の後ろのポケットから貸出票を取り出して、その狭い欄に、ちまちまと自分の名前を書き込んでいった。
少年は差し出された票にハンコを押して、来た客たちに本を手渡し、去り行く背中を見送った。
客たちがいなくなると、少年はカウンターから立ち上がり、奥の部屋へ向かった。
鍵をくるりと回して扉を押し開ける。
店の奥にある部屋には、背の高い書架がいくつも並んでおり、少し埃っぽい。
蜘蛛が巣を張り巡らせているが、本を傷つける虫を食べてくれるので、少年はその蜘蛛に書架の守り手を任せている。
少年は棚の間を巡り、特に古びた本を抜き出して机の上に積み上げていった。
開くにも勇気がいるほどぼろぼろで、薄茶色に変色している本たち。それでも選りすぐられた装丁はきれいで、本の題名や作者をあらわす文字はかすんでいるが存在感がある。
一通り済ませた少年は椅子に腰掛けると、机上に置いてあるさまざまな道具の中から平筆を選んで手に取った。
本の表紙に、線を引いていくように筆を滑らせる。裏と表、背表紙も忘れずに。
その動作を何度か繰り返すと、本は本の形をした真っ白なかたまりになった。
先ほど抜き出した本も、同じように白く塗り替えていく。
少年は黙りこくったまま、すっかり日が暮れてしまうまで作業を続けた。
そうして物語への扉が閉じられた本たちを、少年はじっと眺めた。
◇
とある日、少年はあたらしく買った数冊の本を店の正面扉の前の机に並べた。
ちっぽけなテーブルの上で、いろいろな表紙がうれしげに、誇らしげに存在を示している。少年は、あらすじを書いた紙を木の板に貼り付けて本の隣に立てかけたり、飾りつけをしたりして、客を待った。
「ずうっと前に読んだ本なんだがね。もう一度読みたいんだ。あるかな?」
やってきた客はあたらしい本には目を向けず、懐かしそうに目を遠くに向けながら問いかけた。少年は静かに首を横に振った。
「そりゃあ、残念なことだ」
客はそこでやっとあたらしい本に気がつき、「じゃ、この本を」と言って借りていった。
◇
その日も少年は奥の部屋に引っ込んだ後、せっせと本を白くした。
この本の行き先は、廃棄場だ。
あたらしい本を迎えるには、古い本は手放さなければならない。
貸本屋は呼吸し、血を巡らせる生き物のようでなければならないのだった。
昔、少年が貸本屋になったばかりの頃。
無防備に荷台に積まれた本を見て、町の人は「こんなりっぱな先生の本を!」「小さな頃に読んだ本だわ」と、顔を赤くしたり青くしたりしながら口々に言った。
店先に小箱を置いて、「ご自由にお持ち帰りを」という案内板とともに本を詰めたこともあったが、やはり汚れの目立つ古本は箱の隅に残り続けた。
本を白くするようになったのは、それからしばらく経ってからのことだった。
少年はせめてとりわけ鮮やかな紐を選んで本を括った。紐売りの主人は、「古本の縛り紐に悩むなんてばかだ」と言った。
◇
引き取り屋がやってくるのは半年に一度。
荷車を引いてあらわれて、物を引き取り、棄てる仕事をしている。無口な職人だ。
少年はたくさんの白いかたまりを店先に運び出した後、ごろごろと無骨な音とともにやってきた引き取り屋を出迎えた。
少年が選んだ色彩豊かな紐の結び目が、風にふわふわと揺れている。
十字に縛られた紐は墓標のようだった。
名前を失った本がどんどん荷台に積み上がっていく。荷台がいっぱいになると、ゆっくりと車が引かれ、かつて町に愛された本は店から遠ざかっていった。
次第に、本同士を隔てていた境界線がぼやけていく。
それはまるで、ひとつの大きな棺桶のようにも見えた。
深い影に覆われていく夕暮れの店先で、少年はいつまでもいつまでも佇んでいた。




