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『僕の彼女』

作者: ミオ
掲載日:2026/09/08

彼女は、僕が帰ってくる時間を知っていた。


夕方になると必ず玄関へ行った。


そして、僕の帰りを待った。


「まだ帰ってこないよ」


そう言われても、彼女は動かない。


玄関に座っている。


車の音がすると、顔を上げる。


違う車だと分かると、また伏せる。


それを何度も繰り返す。


僕が帰るまで。


彼女の名前は、ミミ。


一緒に暮らしているうちに、いつの間にか家族になり、友達になり、そして恋人のような存在になっていた子。


朝、僕が出勤するときには、少し寂しそうな顔をする。


「行ってくるよ」


頭を撫でると、仕方ないな、という顔をする。


けれど僕が出ていこうとすると、玄関までついてくる。


僕が振り返る。


ミミは座っている。


「待っててな」


そう言うと、尻尾を一度だけ振る。


まるで、


――早く帰ってきてね。


と言っているようだった。


僕が他の犬を撫でて帰った日は、少し機嫌が悪かった。


いつもなら飛びついてくるのに、その日は僕の顔を見て僕の匂いを嗅ぐだけ。


「どうした?」


近づいても、そっぽを向く。


「怒ってるの?」


すると、ちらっと僕を見る。


その顔があまりにも人間らしくて、僕は笑った。


「もしかして、嫉妬してる?」


ミミは答えない。


ただ、僕の膝に背中を向けて座った。


僕はその背中を撫でながら言った。


「大丈夫。僕が一番好きなのはミミだよ」


すると、ゆっくり尻尾が動いた。


まったく。


恋人みたいだった。


歳を取ってからは、少しずつ歩けなくなった。


散歩の距離も短くなった。


以前は僕の前を走っていたのに、最後の頃は僕の後ろをゆっくり歩いた。


僕は何度も立ち止まった。


「ゆっくりでいいよ」


僕を見る。


そして、また一歩進む。


僕のところまで来る。


それだけで嬉しかった。


ある夜、僕が帰るのが遅くなった。


玄関を開けると、ミミがいた。


もう立つことも難しいはずなのに、玄関まで来ていた。


「ミミ……」


僕は慌てて抱き上げた。


僕の胸に顔を埋めた。


その体は驚くほど軽かった。


「待ってたのか?」


小さく尻尾が動いた。


「ずっと?」


もう一度、尻尾が動いた。


僕は何も言えなくなった。


抱きしめたまま、何度も頭を撫でた。


「ごめんな」


「寂しかったよな」


「もっと早く帰ってくればよかった」


ミミは僕の手を舐めた。


まるで、


――帰ってきてくれたから、いいよ。


そう言っているようだった。


それから数日後。


ミミは僕の膝の上で眠った。


いつもと同じように、僕の手のひらに鼻先を押しつけて。


僕はずっと撫でていた。


「ミミ?」


返事はない。


「僕のこと、好き?」


静かな部屋。


時計の音だけが聞こえる。


僕は笑った。


「僕はミミが大好きだよ」


ミミの体は、もう動かなかった。


それでも僕は、しばらく手を離せなかった。


彼女がいなくなった翌朝。


目を覚ますと、反射的に玄関を見た。


いつもの場所。


そこには誰もいない。


「……そうか」


声に出した瞬間、胸が痛くなった。


会社から帰ってきても、玄関には誰もいない。


「ただいま」


言ってみた。


返事はない。


いつもなら尻尾を振って走ってきた彼女がいない。


僕は靴を脱いで、暗い部屋に入った。


そして、ふと思った。


僕はこれまで、誰かにこんなふうに愛されたことがあっただろうか。


遅く帰っても待っていてくれて。


機嫌が悪くても、最後にはそばにいて。


何も持っていなくても、何もできなくても。


ただ僕だから好きだと言ってくれる存在。


そんな人は、いなかった。


ミミは僕を疑わなかった。


僕がどんな一日を過ごしていても、どんな顔で帰ってきても、


「おかえり」


と言ってくれた。


言葉は話せなかったけれど、僕には分かっていた。


彼女は僕を愛していた。


きっと、僕が思っていた以上に。


だから今でも、家に帰るときは少しだけ玄関をゆっくり開ける。


もしかしたら、


いつもの場所に座っているんじゃないか。


耳を立てて、僕を待っているんじゃないか。


そんな馬鹿なことを考える。


もちろん、いるはずはない。


それでも僕は玄関を開ける。


そして小さな声で言う。


「ただいま、ミミ」


返事はない。


だけど僕は知っている。


あの子が最後まで僕を待ってくれたことを。


そして僕の中では、


あの子は今も、


世界で一番僕を愛してくれた彼女のままだ。

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