令嬢と村娘のとりかへ小噺
ベラの住む村は、辺境にありながら実りに富んだ、豊かな村だった。
村の奥山にはとある竜が住んでいて、村人たちはその竜を竜神様と呼んで崇めている。
実りは豊富で、水は澄み、空気は美しかった。近ごろでは都会から観光に訪れるものもいるほどだった。
そんな村に、一つの噂が駆け巡った。療養のため伯爵家の令嬢が逗留するというのだった。
ベラは村を代表する竜巫女として、令嬢に挨拶をすることになった。ベラは十年に一度選ばれる、竜に仕える巫女なのだった。
髪の色が同じだなということには気づいたけれど、令嬢の顔はベールに隠されて見えなかった。それが貴族のしきたりなのか、それともこの令嬢に特有のものなのか、ベラには判らなかった。
「ようこそ、ヒントン伯爵令嬢様。どうぞごゆるりとおくつろぎくださいませ」
言いながら、深く頭を下げる。
ベラの隣には、恰幅の良い村長が立っている。村の羽振りの良さから、下手な町長よりも立派な身なりをしているのだった。
応えて、プリシラ・ヒントン伯爵令嬢も軽く膝を折った。村娘であるベラにはとてもできない、美しい所作だった。
「お出迎えありがとうございます、村長様、竜巫女様」
それから、ちらりとプリシラはベラに視線を向けたようだった。
「竜巫女様は十八歳だそうですわね。わたくしと同じ年だわ」
華やいだ声で近づいてきたので、ベラは驚いた。貴族というのは、貴族以外の人間をいないもののように扱うことが多かったからだ。
「この村には近しい年頃の女の子が少ないそうですわね。ねえ竜巫女様、お友だちになってくださったら嬉しいわ」
顔も表情も見えないというのに、判りやすく慕わしく、プリシラが言った。村長はそれで気分を良くしたようだった。
「では、ベラを世話係につけましょう。良いな、ベラ」
「はい」
頷いて、それからベラとプリシラは本当に一緒に行動するようになったのだった。
プリシラが話を切り出したのは、プリシラが村にきて一週間ほどが経った頃だった。
「ねえ、ベラ」
プリシラはいつも優しく、そして楽しげだった。
療養という話だったけれど、どこが悪いのかをプリシラは言わなかった。所詮は現地の案内人に過ぎないベラに対して、明かすような話ではないのだろう。
だからプリシラがベールを脱ぎ始めたときに、ベラは本当に驚いたのだった。平民の前に顔を見せるつもりはないという意思表示だと勝手に思い込んでいたからだ。
そしてベラはプリシラの顔を見て、更に驚くことになる。
「えっ、わたし……?」
明かされたプリシラの顔は、ベラと双子のように瓜二つだったのだった。もしもベラがプリシラの存在を事前に知っていなければ、眼の前に鏡を置かれたのかと思っただろう。
悪戯が成功した子どものように、プリシラはくすくすと笑っている。
「わたくしはね、あなたとお話がしたくてこの村に来ましたのよ」
言いながら、プリシラはそっと、ベラの手を包み込んだ。
ベラは竜巫女なので、一般の村娘たちよりもずっと手は綺麗に整っている。そのベラと比べても、プリシラは天と地のように違う滑らかな手なのだった。
ベラがプリシラの手の滑らかさに気を取られている間に、プリシラはベラに近づいた。
「あなたに一つ、提案があるのです。もちろん、無理にとは言いませんわ」
そう言ってプリシラは、驚くような話をし始めた。
すなわち、自分の代わりにとある男に嫁いで欲しい、というものだった。
「どうしてそんな提案を……」
「相手は幼馴染みなのですけれど、それはもう相性が悪く、性格が悪く、ろくでもないことばかりをしている悪党なのです。あちらもきっと、わたくしのことが憎たらしくて堪らないでしょうね」
プリシラは、今までの朗らかな表情からは想像もつかない苦々しげな表情で、そう吐き捨てた。
「どうしてそんな相手と婚約しているのですか?」
「貴族の娘の扱いなどというものは、家門によって大きく違うのです。わたくしはたまたま、運が悪かった。相手がどれほど相性が悪かろうと、政略的に望ましいからと婚約を結ばされましたわ。あちらは侯爵家で随分と稼いでおりますから、きっと支援金が目当てでしょうね」
ベラは知らずに痛ましい顔をしていたのかも知れなかった。プリシラは一瞬の表情を消し去って、今までと同じように穏やかに微笑んだ。
「わたくしが逃げ出せば、代わりに妹が婚約することになります。妹はまだ四歳で、お父様とお母様は興味がおありではないようですけれど、本当に可愛い盛りなのです。こんなわたくしのことも、よく慕ってくれる」
プリシラはそっとベラに近づいて、そっと囁いた。
プリシラは美しく、まるで物語に出てくる天使のようだった。ベラと同じ顔のはずなのに、これほどプリシラが美しいのがベラは不思議だった。
「もちろん、あなたにも良いお話です。あなたは本当に本当にろくでもない男に嫁ぐことになりますけれど、少なくともわたくしの代わりに貴族になることができる。あの男は見栄だけは一丁前ですから、それなりに良い生活ができるでしょうね」
そして何より、とプリシラは言った。まるで悪魔のようだった。
「あなたの代わりに、わたくしが死んで差し上げます」
「――、」
ベラは息を飲んだ。プリシラが知っているとは思っていなかったからだ。
「この村では十年に一度竜巫女を選び、その竜巫女が十年間勤め上げたら最後は奥村の竜神の餌として生け贄にするそうですわね。その生け贄は往々にして、孤児や貧しい家の娘が選ばれる」
にこ、と道を指し示す天使のように、救いを差し出す悪魔のように、プリシラは笑った。
「お調べしましたけれど、竜巫女というのは単なる肩書きだけですわね。血筋的な所以があるわけではなく、魔力の多寡や相性で選ばれるわけでもなく、別段竜神と魔力的な契約を交わしているわけでもない。単に村にとって都合の良い若い娘が選ばれているだけ。であれば、わたくしが生け贄に成り代わっても問題ないはずです」
「そ、れは――」
ベラが口を開いた。喉がからからに渇いて、唾液が異様に粘つくのが判った。
「あなたが、わたしの代わりに生け贄になって死んでくれる、ということ?」
「はい、その通りです」
「わたしはあなたに成り代わって、これから先も生きていける、ということ?」
「合っておりますわよ」
こんなにも深刻な話をしているのに、どうしてプリシラがそれほど軽やかな表情をしているのか、ベラには判らなかった。
「おそらく、あまり楽しい人生ではないと思いますわ。わたくしの婚約者はわたくしをとてもとても嫌っておりますし、不愉快な思いもたくさんするでしょう。婚約者がさんざんに悪評を垂れ流してくれたお陰で、わたくしの貴族社会での評価はとても低いものですから、悩みを聞いてくれるお友だちもおりません」
それでも、とプリシラは言った。プリシラの声が震えているように聞こえたけれど、それはベラの気のせいなのかも知れなかった。
「少なくとも、生きていくことはできます。あなたが生け贄になるのは、半年後の予定だそうですわね。自分を嫌っている、ろくでもない男に嫁ぐことにはなりますけれど、生きていくことはできます」
「……わたしが断ったら、そのときはどうするの」
「そのときは仕方ありません、素直にわたくしが嫁ぎます。妹のソニアが成長して誰かと婚約するまでおそらくあと十数年、わたくしが頑張るしかありませんわね。その後のことは、また考えましょう」
一つの迷いもない、憂いもない、軽やかな声だった。
「少なくとも、そのろくでもない男と結婚すれば生活には困らないんでしょう? どうしてわたしと入れ替わって死のうとするの」
ベラが問いかければ、プリシラはきょとんと瞬いた。まるで当たり前すぎることを訊かれて驚いた、というような表情だった。
「それは、考え方の違いです。わたくしはろくでもない男に嫁ぐよりも、生け贄になって竜神に食い殺されるほうがマシだと思ったのです。単なるワガママですわ」
くるりくるり、と指先で円を描く。
「最初に言いましたけれど、無理強いをするつもりはありません。ベラ、あなたはどうしたいですか? このまま竜巫女として村に残って半年後に竜神に食い殺されるか、わたくしと入れ替わってろくでもない男に嫁いででも生き延びるか」
ベラは息を飲んだ。唾液が粘っこくて、喉が渇いた、と思った。
ベラは生きたかった。ずっとずっと生きたかった。何の未練もなく死ぬことを選ぼうとするプリシラのことが心底から理解できないほど、本当に本当に死にたくなかった。
どんな人生を送ることになろうが知ったことか、と思った。ベラにとっては、生き延びることが全てだった。
けれどプリシラにとっては、そうではないということだろう。なるほどこれは単なる、考え方の違いなのだった。
「……わたしでも令嬢のように振る舞えるかしら?」
ベラはプリシラに問いかけた。それが、ベラの答えだった。
プリシラは微笑んだ。その表情が痛みを堪えて見えたのは、きっとベラの都合の良い勘違いだったのだろう。
***
それからみっちりと三か月をかけて、ベラはプリシラから令嬢としての所作を教え込まれることになった。もちろん三か月程度では生まれつきの令嬢であるプリシラに及ばない部分は多かったのだけれど、プリシラ曰くひとまずそれっぽく見えれば良いとのことだった。
「どうせ誰も、わたくしのことなど気にしませんから」
それからプリシラと入れ替わり、プリシラ・ヒントンとしてヒントン伯爵家に入り込んだベラは、早々にプリシラの言葉の意味を理解することになった。
「戻ったか。婚姻直前に体調を崩すなど何ごとだ、あまり甘えるなよ」
「全く、昔から反抗ばかりで、ろくでもない娘ね」
プリシラの実父母であるヒントン伯爵夫妻は、そう毒づいたきりで、入れ替わったベラにほんの一つも気づかなかったのである。
プリシラとベラの入れ替わりを知っているのは、もともと孤児だというプリシラの専属侍女一人だった。
この侍女も、プリシラの嫁入りと同時に解雇される予定なのだという。つまりプリシラは、令嬢でありながら完全に一人で侯爵家に嫁入りする予定なのだった。
「あなたはこれで良かったの?」
ベラは一度、プリシラの侍女に問いかけたことがある。侍女は頭を下げて、訥々と語った。
「生まれ育った孤児院が経済的に苦しいときに、伯爵家は何一つ動いてくださらなかったというのに、プリシラ様の個人財産から援助を頂いたことがあります。プリシラ様のお望みが、わたしの望みでございます」
ベラがヒントン伯爵家に入り込んで三か月後に、予定通りベラに成り代わったプリシラが竜神に生け贄として捧げられたと聞いた。一時的に友人であった村娘のことを気にする素振りで、ベラは情報を得ることができた。
プリシラの死に様は怯えることもなく静かで、いっそ穏やかでさえあったという。その翌日に、ヒントン伯爵家の使用人に与えられた寝室で、侍女は自ら命を絶った。
侍女の死を知った伯爵夫妻は怒り狂っていた。婚姻直前に縁起が悪いとのことだった。
「葬儀など挙げたら、プリシラの婚姻式が延期になりかねません。近くの教会に死体を放り込んでおきなさい」
ゴミでも捨てるような調子で、伯爵夫人はそう指示した。
ベラはせめて侍女をプリシラの近くに連れて行ってやりたかったけれど、それもできなかった。一介の令嬢という立場であるベラにとって、伯爵夫妻の命令に背いてでも動いてくれる誰かは存在しないのだった。
そうしてベラはそのまま、プリシラの婚約者であるイーデン・ボルジャー侯爵令息と婚姻することになったのだった。
イーデンは美しく、絵に描いた王子さまのような男だった。けれどプリシラに扮したベラと会うときにはいつでも周りに愛人を引っさげていたので、ベラの中でイーデンの印象は最悪の男だった。
プリシラが伯爵令嬢でイーデンが侯爵令息ということもあってか、イーデンの態度は横柄なものだった。ベラがイーデンと歩いているときにわざとベラを転ばせて足蹴にし、取り巻きの令嬢たちと嘲笑ってくることもあった。
なるほど、とベラは思った。
ベラは孤児でありながら村の竜巫女でもあったので、軽んじられながらも敬われるという矛盾した存在だった。けれど少なくとも村では、竜巫女であるベラを足蹴にして嘲笑うものなど一人もいなかった。
ベラは村の狭い社会で生きてきたので、自分が生け贄であることは知りつつも実のところ人びとの悪意というものにあまり触れたことがなかったのだった。なのでプリシラに対する周囲の扱いは、じわじわとベラの精神を削ることになった。
「お母様、イーデン様との婚約を考え直すことはできませんか」
何度となく、ベラはそう問いかけた。そのたびに、伯爵夫人はベラをゴミを見るような視線で見下すのだった。
ベラは孤児だった。そして故郷の村は、竜神と竜巫女といういびつさを抱えながらも豊かで平和な村だった。
だから実のところベラは家族というものに憧れを持っていたので、実の娘をこんなにも冷たい視線で眺める母親が存在するのだということを今まで知らなかったのだった。
「あなたは貴族の娘でしょう、家門の利益になる殿方に嫁ぐのは当たり前のことです」
「ですが、イーデン様は多くのご愛人方を囲っていらっしゃる。誠実な方とは言えませんわ」
プリシラに叩き込まれた言葉遣いで反駁すれば、伯爵夫人が右手の扇子を振り上げた。
ばしっ、と強い音が鳴る。ベラは竜巫女としてそれなりの待遇を受けながら生きてきたので、誰かに暴力を振るわれるのはプリシラに成り代わってからが初めてだった。
「愚かなことを言わないでちょうだい。必ずあなたが子どもを産んで、次期侯爵に育て上げるのです。愛人やその子どもにしてやられるなどあってはなりませんよ」
そんな経緯があるので、ベラのイーデンに対する心証は婚姻式の時点で地の底を這っていた。けれど、それよりも更に最悪なことがあるとまでは、素朴な村娘でしかなかったベラには想像できなかったのだ。
婚姻式を終えた夜に、ボルジャー侯爵家の侍女たちにされるがままに磨き上げられて、ベラはとある寝室に案内された。けれどそこで待っていたのは、イーデン当人と、会ったことがあるかも判らない十数人の男たちだった。
言葉を失うベラの前で、イーデンはにやにやと笑って言った。
「見た目だけは極上だと有名な、ヒントンの妖精姫ですよ。初物はお譲りします」
繰り返すけれどベラはほんの数か月前までは単なる村娘であったので、人びとのあまりにも大きな悪意というものには疎いのだった。状況をよく理解できないうちに、ベラは殴られて、手足を踏みつけられて、服を脱がされることになった。
悪夢のような夜だった。その一方で、ベラの頭の片隅はおかしなくらいに冴えていた。
プリシラが、と思った。
プリシラは美しい娘だった。賢く、優しい娘だった。顔ばかりはベラと瓜二つだけれど性根はあまり似ていなくて、気の強いベラに対して見るからに大人しい少女だった。
ベラにとって、プリシラと過ごした三か月は優しい記憶だった。
プリシラは色々なことを知っていて、けれど不意を打たれると小さな虫に驚いて転んでしまうくらい気が小さくて、ちょっと心配になるくらいだった。ベラが色々と教えて貰う立場ではあったけれど、ベラはなんだかプリシラのお姉さんになったような気がしていたのだ。
だから、プリシラじゃなくて良かった、と思った。いまこの場にいるのが、プリシラじゃなくて良かった、と思ったのだ。
何人もの男たちに好き勝手に扱われながら、ベラはそんなことを考えていた。竜神に食い殺されたプリシラは、少なくとも最後まで村人たちに尊重されながら死んだだろう。
最悪の夜を越えて、ベラは足の腱を切られることになった。それはベラが逃げ出さないようにするためで、せっかく必死に覚えたダンスが役に立たなくなってしまうな、と思った。
それからは、最悪を更新するような日々だった。
プリシラの容姿は社交界で有名だったらしく、プリシラに扮したベラを抱きたがる男たちが引っ切りなしに訪れた。その間を縫うようにイーデンがベラを抱いて、その夜こそがベラにとって最悪の瞬間だった。イーデンの顔を見ると吐き気を覚えるので、ベラはそのうちずっと眼を閉じているようになった。そのうちに何も感じなくなって、結婚以来ずっと崩していたベラの体調は少しずつ上向いた。
プリシラはある意味では嘘を言っていなくて、イーデンはベラに対して山のようなドレスや宝石を贈ったし、食事も毎回豪勢なものが出された。けれど脂っこい食事はベラには重かったので、ベラは添えてある野菜以外にはほとんど食事に手をつけなくなった。
腱を切られた足を魔法で治すことは許されなかったので、ベラは歩くときに杖を手放せなくなった。
周りにはいつでも侍女や護衛がいたけれど、彼ら彼女らはベラではなくてイーデンの命令で動くのだった。その証拠に、ベラがイーデンに殴られているとき、護衛たちは指一つ動かさずに眺めているだけなのだ。
結婚した当初こそ落ち込んだけれど、ベラは少しずつ体調が上向いたし、精神も安定していくのを感じていた。
イーデンが山ほど愛人たちを侍らせていても、イーデンと愛人たちの情事を見せつけられても、イーデンと愛人たちの眼の前で何人もの男に犯されることになっても、ベラはもう最初のように泣くようなことはなかった。それに気づくと、どうしてだかイーデンはひどく詰まらなさそうな顔をするのだった。
体調も気分も悪くないのに、どうしてだか目眩を感じることが増えた。以前はあんなにも生きることを渇望していたのに、どうしてそんなにまでして生きたかったのか判らなくなっていったのだった。
プリシラはベラを唯一の友人だと言ったけれど、竜巫女であったベラにとってもプリシラは唯一の友人だった。だからベラは、暇さえあればプリシラのことを思い出すようになった。
そんなある日、イーデンがにやにやと笑いながら部屋に入ってきた。プリシラには、たとえ夫婦関係であろうとも入室の際には許可を取るべきであると教わったのだけれど、侯爵家の屋敷ではプリシラの教えはあまり役に立たないことが多かった。
「お前の妹が色狂いの公爵に嫁ぐそうだな」
イーデンの声には隠そうともしない喜悦の色が乗っていた。プリシラの妹であるソニアがプリシラに扮したベラを慕っているのを、イーデンは知っているのだろう。
ベラは最初は、いつものように聞き流そうとした。けれどしばらくしてから理解して、久しぶりにイーデンの顔を見た。
「……ソニアはまだ八歳でしてよ。婚約であればともかく、婚姻などできませんわ」
「普通はな。例の公爵家は王家とも親しい。政略を理由にして王命を下せれば年齢に関係なく婚姻できる。美しいお前に似て、ソニアも成長するにつれてどんどん美しくなっているからな。今のうちに囲っておきたかったんだろ」
「そんな……」
自分でも驚くほど、ベラは動揺した。ベラとソニアの間に血の繋がりはないけれど、プリシラとして接する数年の間に、ベラ自身もソニアのことを本当の妹のように思い始めていたのだった。
イーデンは大笑いした。何がそんなにイーデンを喜ばせているのか、ベラには判らなかった。
ベラはそれでも、イーデンに縋りついた。社交界に嫌われた貴族夫人には、夫に頼る以外の方法がなかったので。
「お願い致します、イーデン様。ソニアの婚約を撤回させてくださいませ」
「王命だぞ、できるわけないだろ」
喜悦に塗れた声で、イーデンは撥ね除けた。ベラがイーデンに何かしらを望んだことが、楽しくて仕方ないというようだった。
「イーデン様」
「煩い!」
上機嫌であった次の瞬間には、イーデンはベラを殴りつけていた。鈍い音がして床に転がったベラを、イーデンは踏みつけた。
「誰のお陰で良い生活ができてるんだ! 悪評まみれのお前なんか俺が拾ってやらなきゃろくな男に嫁げなかったぞ、感謝が足りないんだよ!」
何度も、何度も、何度も何度も踏みつけられたので、ベラは体を丸めることしかできないのだった。
なるほど、と思う。もう何度も思ったことだった。
生きるというのがこういうことなのであれば、それはプリシラが生きることに興味がなかったのも頷けるのであった。
それからひと月後に、ソニアは八歳にして公爵家に嫁ぐことになった。
ソニアの顔色は日に日に悪くなっていき、それと対照的にヒントン伯爵夫妻はひどく上機嫌なようだった。公爵家と繋がれたことがさぞ嬉しいのだろうと思われた。
だからベラは、ソニアに声をかけたのだ。
「二人きりでお泊まりしましょう、ソニア」
さも稚気に溢れた、仲の良い姉妹のように誘えば、ソニアは喜んでついてきた。日取りを合わせて寝室で二人きりになったとたんに、ソニアはベラに抱きついた。
「お姉様、お会いしたかった」
ベラとプリシラが入れ替わったのはソニアが四歳のときで、だからソニアは自分が姉と慕っている相手がプリシラではないことを知らなかった。
けれどベラは、徹底的にプリシラとして振る舞った。ソニアの中に、優しい姉の記憶を残しておきたくなったのだった。
「旦那様に毎晩お洋服を脱がされて、痛いことをされるのです」
ソニアからそう聞いたときには、ベラは心を決めていた。
ソニアが手洗いに立っているわずかな間に、ベラは部屋にあった花瓶を割った。一番手頃な破片を手に握り込む。
不思議なくらい気分が高揚していた。今までの自分が大馬鹿のように思えた。
どうして今まで気づかなかったのだろう、と思った。最初から、幸せになるための答えは近くにあったのに。
何よりもベラの唯一の友人であるプリシラが、自らの行動で答えを教えてくれていたのだ。
部屋に戻ってきたソニアを抱きしめて、ベラはソニアの頸動脈を掻き切った。なるべくソニアが苦しむ時間が少なくて済むように、何も考えずにただ手に力を入れた。
血が噴き出して、床に転がりそうになったソニアを、ベラはそっと抱きしめた。それから自分の首筋に陶器の破片を当てて、一つ呼吸する。
「そちらで会えたら久しぶりにお話しましょう、プリシラ」
言って、笑って、ベラは自分の首を掻き切ったのだった。
けれど、自分で自分を殺すというのはそれなりに難しいことだったらしい。ベラはしばらくの間、意識を保っていた。
視界はすぐに利かなくなった。けれど耳は聞こえていたので、誰かが部屋に入ってきたのが判った。
「プリシラ、プリシラ!」
悲痛に呼んでいる声を聞いたことがある気がして、ベラはそれがイーデンの声であることを思い出した。
「あぁ、まさか自死を選ぶだなんて。いつも酷いことをしてごめん、君が僕を愛してくれないから辛く当たってしまったんだ」
腕に力をこめて、ベラはソニアを抱え込んだ。誰かがソニアを引き剥がそうとしたようなので、奪われまいとしたのだった。
「プリシラ、プリシラ、死なないでくれ! 君を愛してるんだ、今度からはちゃんと、大切にするから……」
薄れゆく意識の中で、そんな言葉を聞いた。もしもベラが死にかけていなければ、きっとベラは笑ってしまっていただろう。
自分に酔って悲劇に浸る男が、ただ滑稽だった。だからベラは、心の中で精一杯に、嘲ってやったのだ。
あなたなんか、わたしがプリシラではないことにすら気づかなかったくせに!
本文で力尽きたのでタイトルは適当でございます。でも実はこういうタイトルのほうがなろうっぽいタイトルな気がするなーと思うなどと
そういえばとりかへばや物語は男女の入れ替わりでしたね、ということにタイトルを決めてから気づくなど致しました。まぁでも他のタイトルを考える気力がないので、いったんこれで
ひっっっさしぶりに投稿したと思ったらまたこれだよンモー( ˘•ω•˘ ).。oஇ と思っている読者さんもいらっしゃるかも知れませんが、本人もそう思っております。もっと建設的なお話が書きたいですわね
ここまで最悪な事態になるとはさすがに思っていなかったと思うので、プリシラもあの世で驚かれていることと存じます。でもまぁ貴族社会ならこれくらいは珍しくなかっただろうな、とも思いますわね
自分で書いちゃってあれなのですが、これはプリシラが叩かれそうな流れですわよね。貴族なんだから政略結婚を受け入れろ、という意見がなろう界隈にはあまりに多い。なぜ。シンプルにびっくりする。なのでわたしは反抗します。またコメント欄が荒れるかも知れませんが、良識的な方はスルーをお願いするのだわ
因習村で村娘が生け贄にされるのも、貴族社会で令嬢が望まない相手に嫁がされるのも、構造的には同じことだよなーと考えております。むしろ生け贄のほうがそこで人生終了なだけ救いがあるよなーと思ったので、じゃあ二人の立場を入れ替えてみーよぉ! と軽い気持ちで書いてみました。お暇潰しにどーぞ!
【追記20260511】
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