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音警  作者: シロトネ
第一章:封音送葬記
9/14

囮運用

20時56分。南端コンコースのガラス天井の下。城戸は携帯式騒音計を胸の高さに上げ、出音44dBを確認した。日中指針〈45dB〉内。耳の内側の圧は安定、舌は上顎から離れる。呼吸は鼻腔で細く往復し、胸郭の上下は3.2秒に揃う。体を先に数字に合わせる――夜の儀式だ。


今夜は囮運用。正式名称は〈市民空間・限定選音パイロットV1〉。現場の合図では「まく」。登録スピーカー四基をコンコースの梁に設置し、帯域415Hz±6Hz、周期3.2秒、ランダム偏差±0.1sで34–35dBの“呼吸”を広げる。**即時遮断(赤)と窓開始(青)**は監察端末に並び、ログ公開の灯が青く点った。壁面には淡い帯で一行が繰り返し流れる。


> 逸脱条件:min(±20%×k_age, Z±2.0) が 60s


雨宮法制官は隊列の端で短く告げる。「目的は二つ。(1)合法の“窓”の挙動確認、(2)“模倣312Hz”の誘発と現認。操作主体を視認できたら――確保。捕まえられなければ記録を残す」


荒見が腕時計を見た。「開始は21:00、窓は各10分×3。-18%/60sの医療帯上限はここでは目安。minはUI通り。館内案内は45dBで流し続ける」


城戸は頷き、親指を青のタブに乗せた。押せば“窓”が開き、押せば数字が動く。押さなければ、体にだけ夜が残る。


◇ ◇ ◇


21:00。窓#1。登録スピーカーの灯が青。音は鳴らない。空気の流れの位相が少しだけ入れ替わり、コンコースの床に立つ人の胸郭がゆっくりとした往復へ引かれていく。城戸の端末に、匿名統計が滑り込む。


――[HALL WINDOW#1(10min)]

VOL#A(学童) HR 104→100(-3.8%/120s)/min:未成立(60s未満)

VOL#B(高齢) HR 90→88(-2.2%/120s)/min:未成立

VOL#C(不眠自申告) HR 108→101(-6.5%/180s)/min:未成立/Z=-1.8

出音:34–35dB(積算)/館内案内:45dB固定


通行人が足を止めない限定度で、量ではなく間合いが少し整う。館内のベンチに座った少年が、膝の上で指を鍵盤の形に並べた。3.2秒。彼のHR 102→99(-2.9%/90s)。城戸は声を掛けない。声は、今は雑音になる。


21:12。窓#1を閉じる。青が落ち、空気はすこし重く戻る。雨宮は記録係に顎で合図を送り、短くメモ。「minのUI、可読。説明なしで通る」


そのとき、端末が一度震えた。間合い3.2秒の短文。


――〈囮なら、歌はいらない〉

〈窓がある限り、退く〉


“彼女”の文面。城戸は返信を打たない。打てば交渉になる。今は数字だけを残す。


◇ ◇ ◇


21:30。窓#2。青が灯る直前、管制帯に小さな赤がひとつ立った。北側入口の上、広告パネル裏。圧揺れ0.02Pa/周期2.9秒/中心312Hz。模倣だ。荒見が静かに頷き、隊員を二人回す。城戸は青を押した。合法の“呼吸”を重ねることで、量頼みの乱れを飲み込めるかを見るために。


――[HALL WINDOW#2(10min)]

VOL#D(学生) HR 96→94(-2.1%/120s)/min:未成立

VOL#E(幼児同伴) HR 118→112(-5.1%/180s)/min:未成立

北側入口:圧揺れ 0.02Pa/2.9s/312Hz → 0.01Pa(3分後/自壊?)


広告パネルの裏で、粗い薄片が一枚だけ落ちる音の気配。自壊だ。操作主体は姿を見せない。荒見が低く報告。「テープ新しい。材は粗悪。角度は甘い。312の“手習い」」


「飲み込めたか?」雨宮。


「数字上は騒がず。minは立っていない」城戸は端末を見た。UIは一行だけを平然と繰り返す。


> 逸脱条件:min(±20%×k_age, Z±2.0) が 60s


◇ ◇ ◇


22:05。窓#3の前。コンコース中央の柱影で、小さな子どもが立ち尽くし、母親が抱きかかえる姿勢を作り直している。母親の肩甲骨が張り、HR 104。子はHR 140。泣き声が45dBに触れては跳ねる。城戸は説明を少しだけ、41–42dBで行い、窓#3の時間を個別適用(端末連動)に切り替えた。登録スピーカーは梁の上。出力は34dBに固定。


――[HALL WINDOW#3(10min/個別観測)]

00:30 HR 140→136(-2.9%)

01:20 136→133(-2.2%)

02:50 133→130(-2.3%)/母 104→99(-4.8%)

min:未成立(60s未満)/-18%/60s 未到達


母親が、無言で頷いた。謝罪ではない、報告の頷き。城戸は記録欄に短く書いた。「ずるいの発語なし」。数字では拾えない言葉が、今夜は現れない。


終盤、管制帯が大きく跳ねた。22:18。西端の出入口。ピーク68–69dB。古い登録タグを貼った小型スピーカーが広告台の裏に仕込まれて動作中。中心312Hz。2.9秒。模倣が量を上げにきた。


「城戸」雨宮。声は低いが、速い。「**遮断(赤)**を」


親指が赤に触れた。押せば記録。押さなければ体。minはどうだ。城戸はUIを見た。


――[ALERT/出口西]

周辺幼児 HR 98→112(+14.3%/120s)/保護者 HR 92→101(+9.8%/120s)

min:成立(Z≥2.0 の60s)

出音 68–69dB(偽登録)/中心 312Hz/2.9s


赤の下で数字が刃に変わる。城戸は押しかけた指を一度、止めた。柱の陰に、白いラインのグローブ。影が一歩だけ出て、薄い体重移動で広告台の裏へ潜り、プラグを抜く。68dBが0へ。赤は仕事を失い、指は宙を掴んだままになる。


荒見が詰める。影は逃げない。ただ、方眼紙を一枚差し出すと、通気孔のメンテナンス扉の隙間へ滑り込んだ。追えば呼気が荒くなる。追わなければ数字は残る。城戸は選ばない。今はまだ書けない。


方眼紙には、粗い波形。左に415Hz/3.2s、右に312Hz/2.9s。下端に鉛筆で短く。


――〈量ではなく、帯〉


雨宮は短く言った。「押収。――続行だ。数字を積む」


◇ ◇ ◇


22:40–23:10。ログ整理。館内の匿名統計は滑らかだ。minが成立したのは、西端の312Hzだけ。合法の“窓”では未成立が続いた。-18%/60sにも達していない。量ではない間合いが、刃にならないことを数字が保証する。


古市が、保守用の通路から現れた。肩幅は広く、歩幅は狭い。呼吸は鼻腔で完結。手には古い71号の部品図。「広告台を使う手は、昔の音響屋が混じっている。415の枠を312に写した“下手な翻案”。量でごまかしている」と、41dBで言う。


「協力しろ、古市」荒見。「網のどこで312が起きやすい」


「文脈が切れた角だ」古市。「換気の合流、残響カーテンの外れ、封音の節。帯が薄いところ。そこは415も弱い」


城戸は頷いた。帯――運用の帯、音の帯、条文の備考で厚みを確保する帯。今夜の方眼紙の一行と、古市の言葉が重なる。端末が震える。間合い3.2秒。


――〈帯を厚くするのが制度〉

〈歌は要らない。窓だけ〉


“彼女”だ。城戸は返信を打たない。数字を先に残す。


◇ ◇ ◇


23:20。最終ブロック。館内の片隅で、三人組の若者がスマートスピーカーを床に置いた。Wi-Fiは遮断してある。だが、ローカルBTでテストトーンを流せる。ピーク65–67dB。中心≈300–320Hz。警備員が近づく前に、城戸は赤に親指を置いた。UIが光る。


――[INTERCEPT LOG]

若者群 HR 88→103(+17.0%/120s)/min:成立(Z≥2.0/60s)

周辺幼児 HR 102→111(+8.8%/60s)/min:未成立(60s未満)

遮断=手動(赤)/応答0.8s/機器押収


赤が仕事を取り戻した。若者の一人が反射で笑い、肩が張る。罪悪感は薄い。量だけが楽しいのだ、と城戸の指先が理解する。理解を数字に戻すため、彼は呼気を3.2秒で長く吐く。


◇ ◇ ◇


23:50。コンコースは落ち着き、積算33–35dB。ログのまとめを雨宮が見て、短く言った。「囮は成功。312は現れ、操作主体は現認できず。合法“窓”はmin未成立で揃い、-18%/60sにも未到達。明日の起草で、市民空間の運用枠を詰める」


「逮捕状は?」荒見。


「保留を継続。現認がない」


管制が最後の赤を一つだけ弾ませた。東側連絡通路・点検孔。0.02Pa/周期3.2秒/415Hz。誰かが**“櫛”を自壊させる直前の揺れ。城戸は向かった。通路の埃が薄く浮き、白いラインのグローブが一瞬だけ見え、暗い隙間に溶けた。追えば掴めたかもしれない。だが、掴めば帯**が薄くなる。彼は追わない。代わりに、灰色のボタンを見る。送信。報告書を管制に上げる最後の鍵。


灰色の上に親指を置く。赤でも青でもない。押せば記録。押さなければ体。端末が震えた。間合い3.2秒。


――〈捕まえる時は来る〉

〈その前に、帯を太く〉


城戸は胸郭を3.2秒で上下させ、耳の内側の圧を均した。親指は――まだ浮いたまま。決めないことで残る数字が、明日の会議の足場になる。足場に体が置けるうちは、彼はまだ信じられる。


◇ ◇ ◇


0:20。庁舎。監察室の明かりは弱い。画面に今夜の要約を並べる。


――[DRAFT/囮運用V1]

・設定:登録SPK×4/415Hz±6Hz/3.2s/34–35dB/窓10分×3/UI表記min(±20%×k_age, Z±2.0) が60s

・成果:合法窓はmin未成立、-18%/60s未到達。匿名統計でHR -2〜-7%/120–180sの軽度下降。

・妨害:312Hz/2.9sの広告台裏・偽登録SPK(68–69dB)・BT機器(65–67dB)。min成立は妨害側のみ。

・物件:方眼紙〈量ではなく、帯〉、粗材薄片(角度甘い)、偽登録タグ。

・所見:帯=運用の余白。415は量でなく文脈を整え、312は量で逸脱を誘う。操作主体は現認できず。逮捕状保留。


送信の灰が、微かに青く見える。目の疲れだろう。城戸は親指を、まだ離さない。離さないで終わる夜は、数字を残す。数字は帯を太くする。帯が太ければ、赤と青は少しだけ遠くなる。

・証拠:囮運用V1ログ――登録SPK(415Hz±6Hz/3.2s/34–35dB)の三窓、UI表記=min(±20%×k_age, Z±2.0) が60s。広告台裏の312Hz/2.9s(68–69dB)現認、BT機器(65–67dB)遮断。

・数値:ボランティアHR -2〜-7%/120–180s(min未成立)、妨害場で幼児98→112(+14.3%/120s)→min成立、個別窓で幼児140→130(-7.1%/180s)(-18%/60s未到達)。

・物件:粗材薄片(角度甘い/自壊)、偽登録タグ付きSPK、方眼紙〈量ではなく、帯〉。

・運用:合法“窓”は市民空間で実装可能の見込み。即時遮断機能有効。312は“量”依存で**+方向逸脱を誘発。

・仮説:彼女は合法“窓”の存在下では退く**。妨害は文脈の切れ目(合流・節・カーテン外れ)に集まる。操作主体は現認困難、逮捕状保留継続。

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